期間限定花京院誕生日祭り


(5)

 引き止めているつもりはなかったけれど、もう少しいてほしいと、そう思うのが素直に顔に出ているのか、承太郎は花京院の誘いを断ることは一度もせず、お茶のついでに話が少し長引いて、キッチンと続きの居間へ移動して、それならと意味もなくつけたテレビで流れるドラマを、ふたりでソファに並んで腰掛けて終わりまでただ何となく見る、いつの間にか、そんな具合に落ち着いていた。
 テレビが面白いわけではなかったけれど、承太郎が自分に付き合ってくれているという、ただそれだけがうれしくて、そして、自分がいつも両親といる居間に、承太郎が、自分とふたりきりでくつろいでいるのが楽しくて、音量を控え目にしたテレビのドラマのあらすじなど、ちっとも頭に入っては来ない。
 承太郎がそこにいると、広いはずの居間が、ずいぶんと小さく見える。花京院は、承太郎の隣りで、何となく落ち着かない気分で、ソファの上だというのに、胸の前に両膝を抱え込んでいた。 
 やけに明るいテレビの画面を見ているふりで、こっそりと承太郎を横目に盗み見る。
 もう1回コマーシャルが流れて、これからどうなるんだろうと、気を持たせる辺りで暗転して音楽が流れ始める。それが終われば、空になった紅茶のカップをキッチンに運んで、承太郎はじゃあなと言って、帰ってゆく。
 それを見送れば、もう後は特にすることもなく、部屋に戻ってひとりギターの練習をして、風呂に入って寝るだけだ。承太郎が来る日は、時間までに宿題も予習復習も全部終わらせて、万が一承太郎が気を変えて、もう少し長居をしても大丈夫なようにと、けれど次の番組も見て行かないかと、承太郎の普段の生活を知らない花京院はそこまではしつこく誘えず、玄関でさようならと承太郎に手を振って、いつも数分、承太郎が去ってしまった後、自分の足元をじっと見下ろしている。
 駅まで一緒に行くよと、そう言ってみるという手もあったけれど、駅前の繁華街の辺りを、こんなに遅くにうろつくのは、ばれれば両親が決して良い顔をしないとわかっているから、そのせいで承太郎の家庭教師を断られてはたまらないと、花京院は丸い膝の陰に口元を隠して、ひとり唇をとがらせる。
 もっとずっと、承太郎と一緒にいたいと思うけれど、承太郎にしてみれば、花京院の子守りをしているくらいの気持ちかもしれないから、そんなわがままを言ってはいけないのだと、花京院のその歳には似合わない大人びた部分が、花京院を引き止めている。
 Led Zeppelinは、ようやくコード4つ分まで進んだ。全部弾けるようになるまで、1年くらいかかってしまいそうだと、そんなことを考えながら、承太郎はそれまで付き合ってくれるのだろうかと、来年の今頃は高校受験だということも一緒に思い出す。
 受験の時期になったら、ギターなんか弾いてる場合じゃないって言われるかな。
 今だって、土曜や日曜の午後に一生懸命練習していると、近所迷惑だと両親揃って苦い顔をしている。
 つまんないなと、花京院は胸の中で小さくつぶやいた。
 親しい友達のいない花京院は、週末も特に他の日と変わりのない、傍目には退屈な過ごし方---図書館へ行くとか、ゲームで遊ぶとか---をしていて、それでも以前はそれをつまらないと思ったことはなかったのに、最近では、承太郎に会える月曜までの、邪魔な時間としか思えなくなっていた。
 日曜の午後には、もう時間を指折り数え始めて、ギターを練習しながら、上手くなったと承太郎に言ってもらえるようにと、考えるのはそんなことばかりだ。
 承太郎は、花京院が知っている他の大人たちとは違う。勉強さえしていればいいとは言わないし、成績が良いのを手放しに誉めることもしない。初めて花京院のギターを手にした時にはっきりと輝いていた瞳は、まるで子どものようだった。花京院の周りにいる大人たちは、音楽の話なんかしないし、そもそも花京院に話しかけることを滅多としない。一緒にいてくれて、それなりに楽しそうに時間を過ごしてくれることなんて、今まで誰もしてくれなかった。
 共働きの両親はいつも忙しくて、ひとり息子の学校の成績以外のことを気に掛ける時間がなく、けれどひとりっ子だからと、躾は他の家よりも厳しく、それを不満に思うことなどない聞き分けの良い子に花京院が育ったのは、両親の教育の成果だった。
 それが、花京院を歳よりも聡い子どもにしてしまったせいで、花京院と接した大人たちは、その良い子ぶりを胡散臭がるのか、教師には案外と受けが悪いのだということを、成績以外の学校のことに興味を示さない花京院の両親は知らなかった。それをわざわざ告げるような花京院でもなかった。
 自分の聡明さを、うまく隠せるほど器用でもなく、利発というよりは理知的な花京院の態度は、教師たち---大人たち---のひそかな劣等感を刺激する。それを避けられないことが、花京院がまだ子どもなのだというれっきとした証拠だとは、花京院に理不尽に傷つけられて動揺している彼らには思いつけず、大声で叱り飛ばすことはしないにせよ、どこか眉をひそめたような表情で、花京院に対して親身になるということは絶対にしない。
 成績も良い、素行も良い、それなのに、教師から好かれないというのが、まだ中学生である花京院にとってどれほど不幸か、幸いにも、花京院自身がその深刻さを自覚しておらず、大人とはみんなそういうものなのだと、ひとり思い込んでいた。
 承太郎に出会うまでは。
 承太郎は、他の大人たちとは違う。体を半分、あちら側に向けたような、そんな姿勢で花京院を見下ろすことはしない。触れるほど近くへ寄ることを厭いもしないし、どれほど近づいても、視線をそらしたりもしない。承太郎は、一生懸命ギターを弾く---泣きたくなるほど下手くそだ---花京院に、いつだって笑いかけてくれる。
 承太郎と、もっとずっと一緒にいられたらいいのにと、何度も思ったことを、花京院はまた考えた。
 ドラマがいつも通りの終わり方をして、承太郎はキッチンへゆく。それについて行って、紅茶のカップをシンクに置いた後で、承太郎の後ろから玄関へ向かう。
 これでまた、月曜まで承太郎に会えない、長い週末がやって来る。
 受験を言い訳に、承太郎が来てくれる日を増やしてくれないかと、両親に相談してみようかと、靴を履くために丸まった承太郎の大きな背中を見つめて、花京院はひとり考えていた。
 体を起こして、じゃあなと、いつものように承太郎が言った。
 「さようなら。」
 背中の後ろに手を組んで、手を振るタイミングを計っていると、承太郎が、今日はすぐには立ち去らずに、その場にとどまっている。花京院は、ちょっと不思議そうに小首をかしげた。
 「・・・そろそろ、冬休みだな。」
 ちょっと視線を泳がせて、小さくうなずく。
 もしかして、休みの間はここへは来ないという話だろうかと、身構えて、右足をわずかに後ろへ引く。
 承太郎はドアの方を見ながら、帽子のつばを軽く引き下げた。
 「年末や正月は、どこかへ行くのか。」
 「・・・行かない。」
 両親が揃って休みを取れることはほとんどないので、どこへ行く計画もない。毎年そうだ。花京院は、承太郎に向かって大きく首を振った。
 「それなら、ギター弾きに、おれのところに遊びに来るか。」
 たった今思いついたという風ではなく、いつ言い出そうかとずっとタイミングを見計らっていたような、承太郎の口ぶりだった。
 花京院は思いがけないことに声も出せず、迷ったせいではなくて、驚いたせいで、承太郎にうなずいて見せるまでに、数秒かかった。
 「行くッ!」
 承太郎がうっすらと笑って、おう、と短く言う。
 ひとりになった玄関で、花京院はむずむずする肩を何度も小さく震わせた後で、両手を上げて飛び上がった。
 やったあ!と叫んで、生まれてこの方した覚えもない騒々しさで、ばたばたと階段を駆け上がり、ギターを弾くために自分の部屋へ上がって行った。


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