期間限定花京院誕生日祭り
(7)
いくつか気に入ったピックを土産に、夕食には間に合うように帰ると約束したからと、花京院が名残り惜しげに立ち上がる。
結局、1度いれ直した紅茶にだけ手をつけて、後はずっとギターを抱えて過ごした午後だった。
「家まで送って行ってやる。」
承太郎も、ギターを置いて一緒に立ち上がる。いい、大丈夫と、案の定花京院が遠慮をするのを、すでに車の鍵を取り上げながら、半ばにらんで押し切る。これは、承太郎の得意技だ。
「電車が混むからな、そのケース抱えて帰るのは大変だぞ。」
花京院が、自分のギターケースを見下ろして、ギターに何かあっては大変だと、ぎゅっと胸の前で抱えた仕草がおかしくて、承太郎は玄関に向かって肩を回しながらこっそり笑う。
先に外へ出た承太郎を追う前に、花京院は靴を履いた後で、誰もいない奥へ向かって、
「お邪魔しました。」
と頭を下げる。つくづく躾の良いガキだと、承太郎は、自分の子どもの頃のことを思い出して、胸の中でひとりごちた。
ギターはまた後部座席に、花京院も、肩を縮めるようにちょこんと助手席に坐って、運転する承太郎の邪魔にならないようにと、気を使って静かにしているらしいのが、何だかひどく可愛らしかった。
「また来い。年末年始は、おれも暇だ。」
前を向いたまま言うと、前を向いたまま花京院も、うれしそうに微笑んで、うんとうなずく。
「何なら、冬休みの宿題をおれのところでやるか?」
花京院の冬休み中は、年末年始で承太郎も忙しいだろうからと、花京院の両親から来てくれなくてもいいと言い渡されていた。承太郎が忙しいというのは、両親側の思い込みだけだったのだけれど、来なくていいと言うのを、無理に押し切るつもりもなく、だから承太郎は、代わりに自分のところへ花京院を誘う気になったのだ。
「それでもいい。」
「行きも帰りも、おれが送ってもいいぞ。」
荷物が大変だろう---何しろ、目当てはギターなのだから---と思ってそう言うと、花京院はちょっとの間考えた後で、前を向いたまま首を傾けた。
「・・・帰りに送ってもらえたら、それで大丈夫。」
「ガキが気を使うな。」
左手を伸ばして、花京院の髪をくしゃくしゃ交ぜると、くすぐったそうに細い肩をすくめる。承太郎の掌の陰で、花京院がうれしそうに笑っていた。
「両方送ってもらったら、きっと母さんが、迷惑だからやめなさいって言うと思うから。」
まるで苦笑のような笑みを浮かべて、申し訳なさそうに言う花京院の、ひどく大人びた表情が痛々しく見えて、承太郎は手を離しながら、そうかとだけ相槌を打った。
躾が厳しいらしいのは、花京院の行儀の良さを見ていればわかる。承太郎に、絶対に無理は言わないし、とにかく手が掛からない。ひとりっ子で共働きで、何でもひとりでできるように、誰の助けも借りないようにと、そう躾けられて、自分で学んで来たのだろう。
不憫、という言葉が、柄にもなく思い浮かんだ。
少なくとも本人に、その自覚がないらしいのが救いだ。
助手席にいるのが珍しいのか、花京院は前をじっと見つめて、時折傍を通り過ぎる車と風景を、興奮を押し隠して目で追っている。
「どうせ冬休みだ、今度は泊まりに来るか。」
花京院が、驚いて承太郎を見る。
「いいの・・・?」
「親御さんにちゃんと断ってからな。何にもないが、ギターさえ弾ければいいだろう。今度は、エレキギターを弾かせてやる。」
実家から持って戻ったアンプが、ちゃんと使えるかどうか確かめておかなければと、思いながら承太郎はつい楽しそうに言う。
「ほんとに!?」
花京院の声が弾んだ。
「何なら、おれの実家に行って、Policeをでっかいステレオで聴くか? あっちなら広いからな、少々音がうるさくても誰も文句は言わん。」
次から次へと、楽しい思いつきが湧いてくる。承太郎の部屋へこもって、ふたりでギターを抱えて、ステレオでLed Zeppelinを聴いてもいい。アンプを通してギターを弾いても、あそこなら誰からも文句は言われない。承太郎が子どもの頃に読んだ本も、実家にならまだたくさんある。ギターに飽きても、花京院が退屈することはないだろう。
それに承太郎の母のホリィも、喜んで花京院をかまうに違いない。
アメリカ人であるホリィは、クリスマスは盛大に祝いたがるが、正月はただの休日でしかない。ミュージシャンである父の貞夫は、長いツアー中で、帰国するのは来年の春だ。花京院がひとり遊びに来たところで、邪魔になるわけもない。
承太郎が家を出てしまってから、ホリィは広い家にひとりきり、承太郎が帰るたびにうれしそうに、それでも淋しい顔は見せずに、戻ってくればいいなどと、そんなことは一言も言わない。
空条の実家に花京院を連れて行くのは、とてもいい考えだと本気になって、承太郎はすでに胸の中で勝手に計画を立て始めている。
「宿題は忘れるな。宿題が口実だからな、ギターはついでだ。おれの実家に行くなら、おれのおふくろから、お前の家に連絡を入れさせる。その方が安心だろうからな。」
花京院の返事を聞く前に、承太郎はもうそう言ってしまっていた。
独身で、子どもの扱いもしらなさそうな大男が、自分の子を連れ回すと言うよりは、その大男の母親が、責任を持って花京院の面倒を見るのだと、そう思わせていた方がいいだろう。みんなのために。主には、花京院のために。そして、承太郎自身のために。
家庭教師とその生徒ではなくて、ふたりは今、間違いなく友だちになっていた。年の差など関係のない、何か一緒に好きなことをするという、極めてシンプルな意味合いの、ともだちだ。
そんな類いの友人は、そう言えば長く持っていなかったと、承太郎はまた前を見て思う。それに気がついて、ほんの少し、花京院には気づかれないように、承太郎は太い眉を寄せた。
「あの、じゃあ、両親に、先生のところに泊まりに行くからって、来てもいいって言われたからって、言ってもいい?」
「おう。宿題をやるからってのを忘れるな。」
うんうんと、勢いをつけて花京院がうなずく。それに笑いかけてから、承太郎が静かに言った。
「それからな。」
まだうれしそうな表情のまま、今度は何だと、花京院が体ごと承太郎に向いてくる。それに、ちらりと笑いの交じった視線を横目に投げて、
「先生はやめろ。おまえの家庭教師はやってるが、おれは先生なんてガラじゃない。」
学者をやっているせいで、場合によっては先生と呼ばれることがある。それが、承太郎は鳥肌が立つほど嫌いだった。空条博士と呼ばれる方が、まだ照れはあっても嫌悪はない。
花京院が、戸惑ったようにあごを引いて、ぱちぱちと瞬きをする。
「承太郎でいい。おれには妙な気を使うな。」
一瞬、何を言われているのかわからないと、花京院が素直に面にそう刷いた。なぜ承太郎がそんなことを言うのかわからないし、なぜ承太郎が、花京院のそんなところに気づいているのか、何もかもが不思議で、以前から感じていた、承太郎は自分の知っている大人たちとは違うという認識を、花京院は小さな胸の中で新たにする。
承太郎は確かに大人だけれど、花京院の思っている大人ではないのだ。
「・・・承太郎。」
思ったことが、つぶやきになってしまっていた。呼び捨てにされたことを、気を悪くするどころか、承太郎は大きく笑って受け止めて、また花京院の頭に掌を乗せる。
「よしよし。」
承太郎の掌のあたたかさが、とてもうれしくて、もう3つ角を曲がれば着いてしまう自分の家が、もっと遠くにあればいいのにと、花京院は思う。
そんな花京院の胸の内を、前を見ながらだんだんと黙り込んでしまう横顔を見て、承太郎はとっくに悟っていた。ふたりきりの、遠慮のないこの楽しい時間を引き延ばすために、どこかへもう少し遠回りするということもできたけれど、承太郎は、今日はそれをしないことに決めた。
花京院を一度に甘やかさない方がいいという、大人の分別だったけれど、実のところは、花京院を甘やかすことで自分を甘やかそうとしているのだということに、気づいていたからだ。
それでも悪あがきをするように、承太郎は、ほんのわずか車のスピードをゆるめていた。
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