期間限定花京院誕生日祭り


(8)

 花京院の、承太郎の実家への遠征は、案外あっさりと許可が下りた。
 看護婦で夜勤が多いという花京院の母親は、承太郎の母親であるホリィと電話で話をして、迷惑ではないのかということばかり訊いていたそうだ。ホリィの、いまだ少々怪しげな日本語と英語訛りについては、けれど一言も言及しなかったというところは、さすがはあの花京院の母親だと、承太郎はこっそり笑う。
 承太郎は、何だか落ち着かない気分で、何度か花京院に電話をした。花京院も、恐る恐るという気配で、承太郎のところに電話を寄こした。
 ふたりとも、まるでどこかへ冒険にでも行くのだと言うように興奮を隠せず、あれを持って来いこれを忘れるな、あれはいるかこれはいらないかと、そんな話ばかりしている。
 当日、昼食は空条家で取るという約束で、承太郎は花京院を迎えに行った。
 花京院は、玄関の戸を開けたまま、もう靴を履いて待っていたのか、承太郎の車の音を聞いてすぐに飛び出して来る。荷物は、ギターケースと小さなスポーツバッグがひとつ。それを、いつものように後部座席に放り込んで、ふたりはにこにこと出発した。
 滅多と誰かを乗せることのない車だったし、車というものに対してあまり執着のない承太郎にとっては、この中で過ごす時間は単なる移動時間でしかなく、だから、テープだの何だよ、そんなものも普段は置いてはいない。けれど今日は、花京院のために、Led Zeppelinのテープを、数本持って来ていた。
 承太郎が、ここに来るまでに聴いていた1枚目にはあまり興味を示さなかったけれど、4枚目には素直に喜んだ顔を見せて、A面で例の曲が流れると、花京院は黙り込んで聞き入る様子を見せた。
 花京院には見慣れない場所を通って、承太郎の実家は、静かな、家の数の少ない住宅地の隅にある。
 ギターは自分で抱え、承太郎が先に手にしたスポーツバッグに、また気を使う素振りを見せたけれど、ありがとう、と恥ずかしそうに小さくつぶやいて、花京院は承太郎のするままに任せた。
 目の前の、大きな家を見上げて、花京院は、さっさと玄関へ入って行く承太郎の後を追うのを、ほんのしばらく忘れた。街の一部なのだろうと、車の中では思っていた花や木に覆われた庭は、塀に囲まれたこの空条家の敷地で、右側へ視線を移せば、花京院なら泳げそうな池がある。
 口を開けたまま、辺りを見回している花京院に、玄関から半分だけこちらに向いて、承太郎が声を掛ける。
 「何してる、早く来い。」
 やっと我に返って、承太郎の後を追い、思いの外暗い玄関へ、そっと爪先を差し入れる。
 「いらっしゃい!」
 弾むような明るい声が、頭上から降りかかって来た。
 すでに玄関の上がり框に腰を下ろして靴を脱ぎ始めている承太郎の傍に、どう見ても外国人の背の高い女性が、承太郎から受け取ったのだろう花京院が持って来たスポーツバッグを抱えて、うれしそうに笑っている。
 もう一度、花京院はぽかんと口を開けて、彼女を見上げた。
 女性に、年上の女性に、自分の荷物を持たせるなんて、そんなこと普段なら考えもしない、そんなことに出くわしたら、奪い取ってでも自分の荷物なんか持たせたりしない、そう思うはずなのに、驚いて体が動かない。
 靴を脱ぎ終わった承太郎が、ぽかんとしたままの花京院に気づいて、また声を掛ける。
 「早く上がれ。そんなとこに突っ立ってても、ギターは弾けねえぞ。」
 打たれたように肩を引いて、花京院は、慌てて彼女に向かって軽く会釈をした。
 「こ、こ、こ、こんにちは。お邪魔・・・お邪魔します!」
 上ずった声が、叫んだみたいになった。
 彼女はまだにこにこ笑ったまま、やけに仏頂面でそこに立つ承太郎と、見事な好対照だ。
 花京院は慌てて靴を脱いで、いつものようにきちんと靴を揃えようと思うのに、上がった玄関が案外と高かったのと、ギターケースが重くて大きくて、それに慌ててもいたから、何もかもがいつものみたいに上手くは行かない。
 承太郎が、黙って花京院のギターケースを後ろから取り上げた。
 「・・・落ち着け。」
 頭に、承太郎の掌が乗る。それでようやく、花京院は少し冷静になって、その場にしゃがみ込んで、承太郎の靴と自分の靴を、きちんと揃えて並べた。
 「とりあえず、おれの部屋に行くぞ。」
 先に立って歩き出す承太郎を、花京院と承太郎の母親が、肩を並べて追う。花京院よりも頭ひとつ半高い彼女は、うれしそうに弾んだ足取りで、承太郎の背中と隣りの花京院を交互に見ている。
 「名前、なんて言ったかしら。」
 少しだけ訛りのある日本語だ。花京院は恥ずかしさに肩をすくめ、つやつやの廊下に視線を落として、小さな声で名乗った。
 「か、花京院典明です。」
 「ノリアキちゃん?」
 思わず、世界が止まる。
 どこもかしこも艶光りしている日本家屋で、日本語を話す白人の女性を肩と並べて、その彼女が、花京院を下の名前で、しかもちゃん付けで呼んだ。
 そんな呼ばれ方は、小学校はおろか、保育園でさえされた記憶がない。
 気のせいか、花京院のうろたえぶりに気づいていて、目の前の承太郎の大きな肩が、おかしげに揺れたように思えた。
 まさか逆らうこともできず---彼女の、不思議な親しみ方が、いやではなかったから---、何度も小さくうなずいて、またうれしそうに笑う承太郎の母親を、横目でまぶしそうに見上げて、花京院は言うべき言葉も見つからない。
 廊下を曲がって中ほどで、承太郎が、この家にはあまり似つかわしくはないドアを開けて、こちらを向いた。
 「入れ。」
 承太郎に促されて、ドアの中へ足を踏み入れる。廊下ではまだ、承太郎と彼女が何やら言葉を交わしていて、コーヒーだの紅茶だのと聞こえる。
 中を見回す余裕もなく、花京院は緊張したまま、ようやく中へ入ってくる承太郎の手に、自分のスポーツバッグとギターケースの両方があることに気がついて、自分の気の回らなさを、死ぬほど恥じた。
 承太郎は、何も言わずにそれをドアの傍に置くと、やれやれだぜとつぶやきながら、長いコートを脱いで、部屋の左手中ほどにある大きなベッドの上に放り投げた。
 ベッドとは反対側の壁には、大きなステレオが据えてある。ドアを入った真正面には机、他の壁の部分は、全部本棚だ。ベッドとステレオの間には、小さなテーブルがあって、座布団が2枚、向かい合うように置かれていた。
 承太郎は、さっさと座布団を動かして、ベッドに寄りかかるように腰を下ろすと、もう1枚も自分の傍へ引き寄せて、早く坐れと、花京院に向かって表面をぽんぽんと叩いて見せた。
 また慌ててそこに腰を下ろして、まだ上着を脱いでなかったことに気がつくと、承太郎が、すっかり自分の城に落ち着いてしまった仕草で、花京院の肩に手を伸ばして、上着を脱がせてくれる。それもまた後ろのベッドに放って、ようやく花京院は一息ついた。
 そうとは気づかずに、座布団の上に正座したまま、花京院は廊下の方を指差して、小さな声で訊いた。
 「・・・あの、承太郎の、お母さん・・・えーと」
 「おふくろがどうした。」
 「あの、何て言うか、その」
 「馴れ馴れしすぎて鬱陶しいか。」
 「違う! そうじゃなくて! お母さん、日本人じゃないって、言ってくれなかった!」
 鬱陶しくなんかない。むしろ、あんな態度で接してくれるなんて、期待してなかった。うれしくて、でもうれしいと、どう表現していいかわからなくて、花京院はただ頬を赤らめるだけだ。
 「おまえのオフクロさん、何も言ってなかったのか。電話でしゃべってて気づかねえわけないが。」
 花京院は、ただぶんぶん頭を振った。
 「・・・アメリカ人だ。こっちにもう長いがな。日本語で大丈夫だから安心しろ。」
 奇妙であることは確かだ。承太郎も、それは自覚している。こんな家を守っているのがアメリカ人女性で、ひとり息子は雲つくような大男で、人の出入りは滅多になく、空条と言えばうなずく人も多い外面に比べれば、ここはひっそりとしたものだ。
 自分の部屋に誰かを招くことがない以上に、ここに誰かを連れて来ることなど、承太郎は考えたこともない。
 訊かれないことはわざわざしゃべらないという、そんな両親の背中を見て育った承太郎は、自分の生い立ちや家族のことなど、詳しく話すことはなく、話す相手もなく、そんな態度が余計に人を遠ざけているのだとわかってはいても、この外見に恐れをなして近寄らないなら、それはそういうことだと、傷つくこともなく納得していた。
 承太郎がハーフだと、気づく人も多かったけれど、それについても、訊かれない限りは何も言わない。日本で生まれて日本で育った承太郎にとって、母親がアメリカ人であるということは、ほとんど何の意味もない。花京院にも、そう言えば話したことはなかったと、今さら気づいてみる。
 花京院は、しばらく正座した膝の上で、小さな拳をぎゅっと握りしめていたけれど、不意に膝を崩して、その膝を揃えて胸に抱き寄せた。
 すねたように見えるその仕草が、けれど自分を恥じている態度なのだと、なぜだか承太郎にはわかる。
 人が言わないことはわざわざ訊かない、花京院の家は、どうやらそういう家風らしい。ホリィのことを、根掘り葉掘り訊きたがる話したがる連中が、いつだって山ほどいたから、ホリィの、電話越しの訛りのある妙な日本語のことを、花京院の母親が一言も言わなかったというのは、承太郎にとっては普通のことではなく、そう言えば承太郎の生い立ちについて、花京院の両親は一言も質問しなかった。どこの大学で、何を研究しているのかということは訊かれたけれど、承太郎個人のことには、一切触れなかった。
 承太郎の身長と仏頂面に、他の連中がそうだったように恐れをなしているだけかと思っていたけれど、どうやらそうではなかったようだ。
 人が言わないことは、わざわざ訊くことはしない。それはつまり、人の心の中に、土足で入り込むことは無礼だと、そう思っているということだ。
 大事にかまわれている、甘やかされているとは一向に感じないけれど、そんな両親に、花京院はきちんと育てられている。躾の厳しさにそれが現れているのはもちろん、花京院の大人びた態度も、両親から受け継いだものに違いなかった。
 初めての場所で、そのことにはしゃぐよりも先に、その場に相応しい態度を取れなかったことを恥じているらしい14歳の少年に、きっともっと幼かったはずの、14歳の自分を、承太郎は思い出している。
 礼儀正しく振舞うことだけが、花京院に求められていることではないのだと、この少年にどうやって教えようかと、承太郎はひとり胸の中で苦笑した。
 何か言う代わりに、ベッドに肘を伸ばした振りで、花京院の頭を、後ろから撫でてやる。柔らかな髪をくしゃくしゃに混ぜながら、
 「Zeppelin、聴くか。」
 「うん!」
 まだ引き寄せたままの膝の上で、けれど一瞬で表情を変えて、花京院がうなずく。
 承太郎が、ステレオの方へ行こうと腰を上げかけた時に、廊下をぱたぱたとやって来る足音が聞こえた。
 「ノリアキちゃん、お砂糖とミルク、両方いれるのかしら。」
 四角いトレイを抱えて、満面の笑みで部屋へ入って来た彼女に、承太郎はやれやれだぜとつぶやきをこぼし、花京院は、ただまぶしげに、彼女を見上げていた。


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