期間限定花京院誕生日祭り


(9)

 空条家での昼食は、小さなパンケーキにベーコンと卵だった。それに、大きなグラスにオレンジジュース。
 「たくさん食べてね。」
 語尾に、小さなハートマークでも浮かんでいそうな弾んだ口調で、ホリィと名乗った承太郎の母親は、にこにこといつもうれしそうだ。
 広い台所---キッチンと言うよりは---に置かれた食卓に、承太郎と花京院は並んで坐り、ホリィはシンクやガス台を背にして、承太郎の後ろにある冷蔵庫の大きさに驚きながら、花京院はなるべくあからさまではなく、あちこちをきょろきょろと見回す。
 人の家に招かれることなど滅多とないから、何もかもが珍しくて仕方がない。
 ここへ呼ばれる前に、卵の焼き方を訊かれたのは、わざわざ好みに合わせてくれるためだったらしい。花京院の目の前の大きな皿には、花京院が尋ねられてそう素直に答えたように、いり卵がこんもりと山を作っている。承太郎の皿には、目玉焼きが3つ。ホリィのにはひとつ。
 ホリィが、花京院の皿にパンケーキを数枚乗せてくれ、先に承太郎が使ったはちみつのようなものを、かけるかと訊いてくる。
 はいと、肩を縮めながら、ホリィがあれこれと世話を焼いてくれるのを、半ばうれしがりながら半ば恥ずかしがりながら、花京院はようやく皿のそばに置かれたフォークに手を伸ばした。
 あ、とうっかり声に出して、フォークに触れた手を、慌てて胸の前で合わせる。
 「いただきます。」
 花京院が、合掌の仕草をし終わって顔を上げると、ホリィが笑顔のまま驚いていて、承太郎は食べる動きを中断して、花京院をじっと見ている。
 何かしたかと、花京院はまた顔を赤らめた。慌てて、ホリィを上目に見ながら、もう一度言った。
 「い、いただきます。」
 「ノリアキちゃん、お行儀がいいのね。」
 また機嫌良く、にこやかにホリィが言った。
 「まったくだ。」
 承太郎が、どこか憮然とつぶやく。
 自分の、食事の前に手を合わせる仕草が、純日本人ではないこの家庭では、奇妙な所作に見えたのだと、フォークを取り上げてから気づく。
 学校でそう習ったというだけではなく、いただきますとごちそうさまは、食事の時の最低限の礼儀だと両親は花京院に教えたし、たくさんの時間を一緒には過ごせない分、母親は茶碗や箸の持ち方にも厳しかった。それを、特に行儀が良いと思ったこともない花京院は、承太郎とホリィの反応に驚いている。
 承太郎は黙々と食べ、ホリィは承太郎と花京院を交互に眺めながら、相変わらずうれしそうに、自分のベーコンをつついている。
 いり卵に見えたけれど、それよりももっとふんわりと柔らかい卵のかたまりは、花京院の口の中で崩れて、かすかに牛乳の匂いがした。
 「おいしい。」
 思わず言うと、また承太郎が花京院の方を黙って見て、ホリィが頬に手を当てて、さらにうれしそうな顔をする。
 「ほんとに? ノリアキちゃんの口に合ったかしら。良かった。」
 はしゃいだように反応するホリィに、花京院の方が気恥ずかしくなる。承太郎よりも、ホリィの方が子どものようだ。
 自分の母親よりも、きっとひと回りは年上の女性を、可愛いと思うのはどうかと思いながら、近頃急に大人びて、ある意味恐怖さえ感じる同級生の女の子たちよりも、花京院はホリィの態度の方が好ましく、受け入れやすいもののように思えた。
 こんな人と結婚したら、いいだろうなと、ふと思ったのが思春期特有の、まだ幼い思考のせいだとは思わずに、細長いベーコンを噛みちぎりながら、花京院は赤いままの頬でずっとうつむいている。時々、ちらちらと、横目で承太郎を見た。
 食べている間中、ホリィはずっと上機嫌であれこれと花京院に話しかけ、学校のことや両親のことを質問した。
 「ノリアキちゃん、中学生なのよね? 何年生?」
 「2年です。」
 パンケーキだけ残った皿と、ゆっくり格闘しながら、口の中に何も残ってないことを確かめながら、ホリィの質問に答えている。
 「2年生って、何歳だったかしら。」
 少しだけ考え込むようにホリィがフォークを持った手を止めて、ちょっと困ったように笑う。
 「ハイスクールの9年生だ。」
 花京院が答えるより先に、承太郎が言葉を発する。もぐもぐと、パンケーキを口に運びながら、ふたりの方へは目も上げない。
 「ハイスクール? ぼくまだ中学で---」
 「アメリカの話だ。」
 切り取るように、また承太郎が言葉を重ねた。
 「じゃあノリアキちゃん14歳くらい?」
 花京院は、わけがわからずに、ふたりを何度か交互に見た。そうですと、ホリィにうなずいたものの、話の内容がよくわからない。食べるのを中断して、目顔で困ったように承太郎に助けを求めていると、先に皿を空にした承太郎は、オレンジジュースに手に、椅子の背に体を反らした。
 「日本の学年じゃあ、歳がわからないんだ。おまえが、アメリカの学年を言われても、ちんぷんかんぷんなのと同じだ。」
 そのことを恥ずかしがるように、承太郎に指差されて、ホリィが頬を染める。
 「日本の大学生はわかるんだけど、その下はわからないのよね、いまだに。」
 口元に指先を添える仕草は、けれど日本人のそれだ。花京院は、ホリィの可愛らしさに、また頬を染めた。
 「長さやら重さの単位も、いまだにアメリカ式だな。おれの身長も、195センチじゃなくて6フィート5インチだ。」
 最後のパンケーキにフォークを入れながら、耳にしたことだけはある長さの単位に目を細め、それから、さり気なく明らかに承太郎の身長を、花京院はしっかりと聞き取っている。
 「そうそう、だから算数は承太郎、大変だったのよね、学校で。」
 フォークを口に入れたまま、花京院は驚いて承太郎を見た。
 「学校で?」
 承太郎が勉強で苦労したなどと、花京院には考えられない。高校受験がそろそろ現実になりつつある花京院にとっては、大学へ行って、さらにその上の大学院とやらに行っているらしい承太郎が、算数で大変だったなんて、信じられるわけもない。
 「そうなのよノリアキちゃん、承太郎ったら、学校でケンカばっかりして、いつも呼び出されて大変だったのよ。」
 「けんか?」
 無口で、ギターを教えてくれて、Led Zeppelinの話に無邪気に乗ってくれる、花京院にはとても優しい承太郎の、算数が苦手でけんかばかりだったという子ども時代が、花京院には想像もつかない。
 花京院が、ホリィと承太郎を、またきょろきょろと眺めていると、照れたらしい承太郎が、大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
 「よけいな話をするんじゃねえ。」
 ホリィに、凄んだように言う声が低くて、花京院はそれにも驚いた。
 自分の皿をシンクへ運ぶ承太郎を目で追って、ホリィは一向におしゃべりを止める様子もなく、
 「ノリアキちゃんに、高校生の時の制服、見せてあげればいいじゃない。まだ部屋にあるでしょ?」
 「やかましい。」
 また承太郎が、ホリィに向かって凄んで見せた。
 皿は空になっていたけれど、花京院は椅子から立ち上がることができなかった。
 自分の母親に、こんな口を利くなど、花京院にはまさに見知らぬ世界だ。あまり一緒に時間を過ごすことのない両親は、花京院がそうであるように物静かな人たちだったし、腹を立てた時はむっと黙り込んでしまう、うれしい時は微笑むけれど滅多と声は立てない、そして親に口答えなど、考えたこともない花京院だ。
 ホリィはそんな承太郎の不作法を、咎めるどころか面白がっているように見えるし、承太郎は、ホリィにかまわれて、いつもよりも子どもっぽく見えた。
 オレンジジュースのグラスを、両手で抱えながら、花京院は、今まで見たことのない承太郎を、驚きばかりで見つめている。
 195センチと算数が苦手と高校の時の制服、今日の承太郎のキーワードだ。それを心に刻みつけて、花京院は、オレンジジュースに口をつけた。
 「おれは先に部屋に戻るぞ。」
 シンクから体を回し、すぐ傍を通り過ぎながら、承太郎が花京院の頭を撫でて行った。それに、また頬を染めてちょっと肩をすくめ、台所を出てゆく承太郎を目で追う。
 花京院とふたりきりになったホリィは、テーブルに両肘をついて、さっきとは違う、どこか遠くを見つめるような微笑みを浮かべている。
 そんな風に見つめられて、恥ずかしかったけれど目をそらすことはせずに、やっと空になったグラスを置いて、花京院は唇を指先で拭った。
 「おいしかったです、ごちそうさまでした。」
 手を合わせることはせずに、早口に、けれど真摯にそう言った。
 ホリィは、小さく何度もうなずきながら、まだ花京院から視線を外さない。
 承太郎の、子どもの頃を思い出しているのだと、ようやく合点が入って、花京院は、ホリィの思い出のために、もうしばらく椅子に座ったままでいた。


    戻る