雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

10) 例えばそんな結末B


 久しぶりの花京院の扱いに、承太郎がやけに焦ったせいなのか、それとも明るさに身をすくませている花京院が、素直に全身をやわらかく解きほぐせないせいなのか、思ったよりもうまくは行かずに、ふたりはカバーも取らないベッドの上で、一緒に息を乱していた。
 まだ承太郎の素肌には触われずに、それに焦れながら、いっそ全部脱いでしまわないかと提案しようかどうか、花京院はそんなことに迷っている。
 どちらも裾の長いふたりの上着は、床の上で袖を絡ませて、もつれ合うように脱ぎ捨てられている。頭の位置をずらすと、それが見えた。もう少し、承太郎の手指の動きに集中しようと、花京院は目を閉じた。
 髪と、半端にゆるめられたシャツの襟元が乱れて、熱の上がった皮膚をじれったくこする。
 何もかもをさらけ出す明るさのせいなのか、それとも、久しぶりの感覚に、怯えにも似た戸惑いが湧いているのか、触れている承太郎の指先に反応を返しながらも、花京院は我を忘れることができずに、承太郎の呼吸の音ばかりを聞いている。
 自分ばかりが追い立てられても仕方がないと、ようやく体を少し起こして、承太郎の腰の辺りに手を掛けた。
 相変わらず2本、飾りのようにゆるく巻いているベルトを外して、そこから薄いシャツの裾を引き抜く。承太郎の背中に両手を差し入れてから、花京院は小さく安堵の息をこぼした。
 承太郎も、少し余裕を取り戻したように、手の位置をずらして、花京院の腹の辺りに、まだボタンも外していない白いシャツの上から触れる。
 花京院がシャツのボタンを外して前を開く間に、承太郎は、まくり上げたシャツを、首から抜いた。ふたりとも、脱いだシャツを、すでに床に脱ぎ捨てられている上着の上に放り投げた。
 改めて、素肌に両手を滑らせながら抱き合って、胸を重ねたところで、突然電話が鳴る。
 顔を上げた承太郎が、部屋中に響くほど大きく舌を打った。
 「ジョースターさんかもしれない。」
 電話の鳴る音を無視して、また肩口に顔を伏せてきた承太郎の肩を叩く。花京院は、ちょっと苦笑を見せてから、電話に出るように承太郎を促した。
 不精に、花京院の上からほとんど動かずに、承太郎は長い腕を伸ばして受話器を取り上げた。
 一言二言、あちらの言葉に応えた辺りで、承太郎が花京院の上から体を起こす。まだ花京院には触れたまま、それでももう、服の脱ぎ散らかされた床の辺りへ、落ち着きのない視線を送りながら、軽くあごを振って、花京院へ目配せをする。
 「・・・どうしたんだ承太郎。」
 受話器には届かないように、小声で訊くと、承太郎が顔をしかめて首を振った。
 誰がとかどこだとか、そんなことを言って、承太郎はますます苦い顔を作ると、ようやく電話を切った。
 「仗助たちが下に来てやがる。」
 ほんの一瞬だけ、状況がつかめずに、思わず自分の伸びた足の先へ視線を動かした。爪先の方へたるんで、半ば脱げかけた靴下が目に入った瞬間、花京院は正確にこれからのことを予測して、ベッドから飛び降りる。
 前を隠しながら、承太郎のそれと絡まった自分の上着を慌てて取り上げ、その拍子に、重なっていたシャツがひらひらと床に落ちたのに、またもたもたと腕を伸ばす。
 「また新しいスタンド使いを見つけたらしい。」
 疲れたような仕草で、額の辺りを指先でこすって、けれど承太郎は、落ち着き払っているように花京院の目には映った。
 靴はどこで脱いだかと、きょろきょろと辺りを見回しながら、まだベッドに腰掛けたまま動こうともしない承太郎に向かって、花京院はおたおたと腕を振り回した。
 「べ、ベッドを直しておいてくれッ! 君も早く服を着ろッ!」
 おう、と面倒くさそうに答えて立ち上がる承太郎を後に残して、花京院は服と靴を抱えてバスルームに飛び込むと、しっかりと中から鍵を掛けた。
 承太郎はいい。ここは承太郎の部屋だから、少々服装がだらしなかろうと、誰も妙には思わない。けれど花京院はそういうわけには行かなかった。外では襟元さえ乱したことがないのに、よりによって承太郎といる時に、承太郎の部屋で、服を脱いだらしいと知れる形跡が残っているのは非常にまずい。
 ただでさえ、それをどういうことと解釈しているかはともかく、花京院と一緒にいる時の承太郎はいつもと違うと、はっきりと彼らにばれているのに、これ以上誤解される---誤解ではないから、よけいに困る---材料を、こちらから提供する必要はなかった。
 大きな鏡の前で、しわだらけのシャツの襟をなるべくちゃんと伸ばして、肩の辺りをきちんと撫でつけて、ボタンを掛け直したシャツの前を、掌で丁寧に撫で下ろした。上着も、いつもそうしているように、きっちりと襟のホックをとめる。大丈夫だ、いつもと同じに、一分の隙もない。乱れた髪を、指先で素早く整えてから、部屋の中の承太郎の様子を見るためと、廊下をやって来る仗助たちの距離を測るために、花京院は、廊下へ出るドアの傍へハイエロファントを這わせた。
 承太郎はもう服装を整えて、ベッドカバーを掛け直している。こちら側に少々ずれているけれど、まあ仕方ないと、大目に見ることにした。うわべだけでも乱れて見えなければ、余計なことに気づかれることもないだろう。何しろ、仗助たちはまだ高校生だ。自分たちのことを、あれこれ詮索するようなことはないはずだ。そんなことが起こっていると、思っているはずもない。
 間に合ったと、花京院はようやく呼吸を落ち着けて、仗助たちが、あと数歩でドアの前へやって来るという辺りで、ハイエロファントを引き戻して、バスルームを出た。


 仗助は、公衆電話に受話器を戻して、自分の後ろに振り返った。
 「承太郎さん、部屋にはいるけど、なんか機嫌ワルそうな声だったなァ。」
 「論文の下書きの邪魔しちゃったのかな・・・。」
 康一が、ちょっと首をかしげて言う。それでも、大して悪いと思っている声ではない。
 「なんでもいいからよー、そのジョータローさんっつーのにとっとと会って、報告をすましちまおうぜ。」
 康一のすぐ後ろに立っている噴上裕也が、面倒くさそうに首を折って音を立てる。
 「裕也、おめー承太郎さんに向かってそんな口聞いてみろ、知らねえうちに顔の形が変わっちまうぜ。そうなったらオレのクレイジー・ダイヤモンドでも治さねえからな。」
 噴上はけっと肩を揺すって、仗助に向かって顔をしかめた。
 「とにかく行こうよ。ボクも早く帰って犬の散歩に行かないといけないんだから。」
 自分の頭の上でにらみ合うふたりの間を取りなすように、康一がふたりの制服の袖を同時に引っ張って、エレベーターの方へ歩き出す。
 康一を間に、3人仲良く並んで、エレベーターの現在の階を示す数字が、丸く移動しているのを眺めた。
 エレベーターの中で、仗助は疲れた体を壁に寄りかからせて、康一がそれをねぎらうのに、いつもの軽口もなく、小さくうなずき返すだけだ。1日で、ふたりのスタンド使いとやり合い、とにかくも無事にこうしていられるのも、半分はこいつのおかげだなと、他のことは何も目に入らないように、相変わらず、髪や、胸の前に長く結んだスカーフの垂れ下がり具合を、ひっきりなしに気にしている噴上の方を、ちらりと見る。
 岸部露伴を襲った時に半死半生の目に遭わせたにも関わらず、康一を探すことに協力してくれた---全治数ヶ月の重傷を、クレイジー・ダイヤモンドで治してやるという交換条件で---だけではなく、ふたり目のスタンド使いにひとりで立ち向かい、仗助と康一を救ってくれた。思ったより大きな借りを作ったなと、仗助は心の中でだけ苦笑する。
 エレベーターの扉が音もなく開き、3人は、毛足の長い絨毯の廊下に、揃って足を踏み出した。
 「今日はよーおれの退院祝いだぜー。おれのカワイイ女どもが、いろいろ準備して待ってくれてるんだぜー。待たすわけにはいかねえだろーおれとしてはよー。」
 肩をすくめて噴上が言う。露伴とは別の意味で、人を不愉快にする類いのしゃべり方だ。
 康一は見事にそれを聞き流し、ふうんと言う顔で、噴上に向かってうなずいてやるだけだ。仗助は、今日1日ですっかりこんな態度には慣れてしまい、口調ほど安っぽい男ではないとわかったから、もう腹を立てることもなく、一応心を込めたつもりの相槌を返す。
 噴上は、反応があるかどうかには一向に構う様子もなく、承太郎の部屋に着くまで、取り巻きの女たちがどんなに可愛いかを、ずっとひとりでしゃべり続けていた。
 仗助が、2回ノックした瞬間に、ドアが中から開いて、花京院が顔を覗かせる。
 「あ、花京院さん、コンチワ。承太郎さん、中スか。」
 軽く会釈しながら、仗助がドアの内側を指差した。康一も、花京院を見て、やや口元をほころばせた。
 「やあ。」
 忙しく瞳を動かして、仗助と康一を認め、そうして、その後ろに初対面の噴上を見つけて、少しだけ戸惑った表情を浮かべるのに、仗助がそちらを指差しながら、
 「大丈夫っス、こいつもスタンド使いっスから。本日の功労者なんっスよ。」
 そうなんです、と康一も花京院に向かって大きくうなずいて、開いたドアの中へ、ひとりずつ招き入れられた。
 「承太郎さん、今日オレら、すげー大変だったんっスよッ!」
 仗助が、部屋の真ん中辺りにいる承太郎に向かって腕を振り上げて、挨拶もなしに、今日あったことをさっさと話し始める。
 「今日1日で、スタンド使いふたりに襲われたんっスよッ!」
 3人を、ドアのところから追いかけて来た花京院が、承太郎の傍へ行きながら、少し足をゆるめた。
 「君たち、コーヒーか何か飲むかい?」
 ひとりひとりを指差して、けれど承太郎に話すのに夢中になっている仗助は、素っ気なくお構いなくと手を振り、康一もそれにならって首を振り、噴上も、できれば長居はしたくなかったので、肩を揺すって、花京院に断りの態度を示す。
 一生懸命、今日あったことを事細かに話す仗助と、それに補足の一言二言を差し挟む康一の後ろで、噴上は、目の前にいる承太郎を、やや斜めに見上げて観察していた。
 この中でいちばん背の高い仗助よりも、さらにいっそう背が高い。胸のぶ厚さが、その前に両腕を組めばよけいに強調される。仗助とも殴り合いをしたいとは思わないけれど、この承太郎とかいう大男には、腕の長さより近くへは寄りたくないなと噴上は思った。
 仗助の話を、ほとんど相槌も打たずに黙って聞いているだけだ。スカしてやがると、偉そうな態度が鼻につく野郎だと判断して、それがうっかり顔に出たのか、ちらりと噴上の方を見た承太郎の目が、やけに厳しいように見えた。
 お互いに、虫の好く相手ではないことは間違いがなさそうだったので、噴上はその場では口を開くまいと、相変わらず体を斜めに傾けたまま、ちょっと胸を反らして、仗助の話が終わるのを黙って待った。
 「吉良の親父と矢は逃しちまったんスけどね、鉄塔のヤツは一応改心したみてえだし、オレらを紙にした野郎は、オレのクレイジー・ダイヤモンドで本にして、ついさっき町立図書館に寄付してきたんスよ。」
 「本に、かい? ちょっと気の毒だな。」
 承太郎の隣りに立っている花京院が、小さな声で苦笑をもらした。
 「人のオフクロさらうような野郎に、気の毒もなにもねえもんだ。」
 突っかかるつもりではなく、思ったまま口を開いてしまっていた。形の良い唇を少し曲げて、忌々しげにそう言った噴上を、花京院が驚いたように見返す。
 承太郎に比べれば、幾分線の細い花京院は、敵意などかけらもない、ひどく大人びた苦笑をさらに刷いて、噴上に向かって素直に謝罪の言葉を口にした。
 「気に障ったのならすまなかった。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。」
 仏頂面の承太郎とは対照的に、ずいぶんと人当たりの良さげな花京院の態度に、今度は噴上の方が驚いて、ちょっと頬を染めてうつむくと、別にと肩を揺する。自分と歳の変わらなさそうな花京院の大人っぽさと、裾の長い制服の古風さが、奇妙に吊り合って見えて、噴上は狼狽を隠すために、意味もなく長いスカーフの真ん中辺りを掌で撫でた。
 承太郎が、話の接ぎ穂のように、仗助に向かって軽くあごを振って、そいつは誰だと訊く。
 仗助は、ほんの少し困ったような顔で、噴上を振り返った。
 「この間岸部露伴を襲った、ハイウェイ・スターっつースタンドの本体の噴上裕也っスよ。」
 「あの、時速60kmで追いかけてきて養分を吸い取るとかいうスタンドか。」
 ほんのわずか、承太郎の声が険しくなる。それを聞き逃さずに、噴上は、胸を張るように背中を伸ばすと、挑戦的に承太郎に肩を斜めに向けた。
 「ケガはもう治ったから、養分吸い取る必要なんてもうねえ。おれもバカじゃねえからな、ケンカ売る相手はちゃんと選ばせてもらうぜ。」
 胸の前で組んでいた両腕を承太郎が解いた途端、花京院が肩を動かしてすっとその前へ出る。ふたりの間に火花が散ったのを素早く見取った康一も、慌てていつでも止めに入れるように、半歩噴上の方へ寄った。
 「裕也、おめー、承太郎さんに生意気な口聞いてんじゃねえぞコラァ、今日はおめーに助けられたけどよォ、おめーが承太郎さんにケンカ売るっつーんなら、その前にオレが買ってやるゼッ!」
 仗助が、軽く身構えて噴上へ怒鳴った。噴上はまたけっと肩を揺すって、右足を後ろに引く。両手を、細いズボンのポケットに入れて、戦意のないことを示してから、もう一度大きく肩を揺すった。
 「オメーとやり合う気なんかねえぜ仗助。おれのこのきれいな顔に傷でもつけられたら、カワイイあいつらが死ぬほど嘆く羽目になるからよォ。」
 「ふたりともやめなよ。」
 康一が、ついに見かねたように、仗助の制服の裾を引っ張ってたしなめる。
 「ふたりともボクの恩人なんだし、ケンカなんかされたらボクが困るよ。それに、承太郎さんと花京院さんの前でみっともないじゃないか。」
 康一が、承太郎と花京院と言った途端に、仗助は慌てて構えていた腕を下げて、
 「・・・すいません。」
と、素直に、承太郎と花京院の方へ向かって軽く頭を下げた。
 それを見て、承太郎も自分の気の短さを少しばかり恥じたのか、額の近くに掌をやって、そこで指先が、何かを探すように迷った。いつもなら、帽子のつばを引き下げて表情を隠すのに、今はその帽子がない。
 ごまかすように、また胸の前で腕を組んで、ことさら年長者の低い落ち着いた声で、
 「吉良の父親は、まだ矢を持ったままうろちょろしている。どこで敵のスタンド使いに襲われるかわからん。くれぐれも気をつけろ。」
 そう3人に向かって言って、話は終わったというふうに、もう一度だけ噴上を短くにらんだ。
 「承太郎さん、帽子、どうかしたんスか。」
 仗助が、ずっとそれを訊くタイミングを計っていたというような言い方で、承太郎の額の辺りを指差す。承太郎は、明らかに舌打ちをしたそうな表情で、部屋の中を見回すように横顔を見せた。
 「部屋のどこかで脱いだんだが、見つけられん。」
 承太郎が、癪に障って仕方がないとでもいうふうにそう言った途端、どうしてか、花京院の視線が、戸惑ったように泳いだ。
 康一は、初めて見る承太郎の、帽子のない頭の形が珍しくて、承太郎に見えなければ、エコーズを宙に飛ばして上から眺められるのにとずっと考えていたことなど、おくびにも出さない。
 突然、噴上が、承太郎たちの後ろ、部屋の隅の方を指差した。
 「アンタの帽子、あそこにあるぜ。ベッドの向こう側、カーテンの下だ。」
 え、と花京院が声を出して、噴上の指差した方を振り返る。それから噴上を、ちょっとの間疑わしそうに見て、けれど噴上が、やけに自信たっぷりにそちらにまたあごをしゃくるのに、反射のように、するすると足元からハイエロファントグリーンを呼び出すと、帽子があると言われたその辺りに、翠の触脚を床に這わせた。
 初めて見る花京院のスタンドに、噴上は軽く目を見張り、その翠に光る触脚が、確かに承太郎の帽子を見つけて花京院の手元へ戻って来ると、へへっと得意そうにあごを振った。
 「アンタの使ってるコロン、名前は知らねェが、同じ匂いがその辺りからしたんでね。それに、潮の匂いと、なんだ、ミルクか何か甘い匂いと、もっと別の匂いもするぜ。なんだろうなァ。」
 噴上は、鼻を鳴らして、面白そうに、不自然に語尾を伸ばした。
 花京院から帽子を受け取って、承太郎は噴上から視線を外さずにそれをかぶると、つばを深くは引き下げないまま、そこでじろっと目を光らせる。
 どうしてか花京院があちらを向いたまま、しきりと制服の襟の中に指先を差し入れて動かしているのを、変だなと思いながら、康一はそれを口にはしなかった。
 「気をつけて帰れ。いつどこで、スタンドに襲われるかわからんからな。」
 承太郎がもう一度同じことを言いながら、視線は噴上に据えられたままだった。
 言外に、早く出て行けと言われているのだと悟った仗助は、康一と噴上を促して、じゃあ、とふたりに向かって軽く頭を下げる。
 ドアの近くまで花京院がやって来て、何やらとても複雑な笑みを浮かべて見送ってくれた。
 廊下を歩き出してから、そう言えば、顔を合わせれば必ずジョセフとのことを訊かれるのに、今日はそんなことは一言も言わなかったなと、承太郎の妙な様子に、今になってさらに思い当たって、仗助は何度も承太郎の部屋の方を振り返る。
 またエレベーターの中へ入って、扉が閉まった途端に、噴上がふたりに訊いた。
 「あの承太郎さんってのは、オメーの甥に当たるとかって言ったよな仗助。じゃあ、あの花京院ってのは何だ。」
 「花京院さんは承太郎さんの親友だよ。ずっと前から、一緒にスタンド使いを追ってるんだって。」
 何となく憮然とした表情の仗助の代わりに、康一が答える。康一も、承太郎と花京院の様子が腑に落ちずに、噴上に、さっきの匂いのことを訊きたくて仕方がない。噴上は胸の前で両腕を組んで、上の方へ視線を向けて、何やら考えている様子だった。康一は、匂いのことを、噴上にどうやって切り出そうかと考えているうちに面倒くさくなって、そのまま黙り込んでしまった。
 大人びて見えたとは言え、学生服を着ているのだから、20を過ぎているということはないだろう。確か30近いはずの承太郎と、どうやら高校生らしい花京院と、並んでいてもさほど違和感はないけれど、それは見た目だけのことだ。大人の男に、反射的に敵意を抱いてしまう---10代の男には、よくあることだ ---噴上にしてみれば、どうも尊大にしか見えない承太郎の傍で、あんなふうに穏やかに微笑んでいられる花京院---自分と、歳は変わらないのに---の気持ちというのが理解できない。
 けれどそれも、親友という言葉にきれいに飾られた関係---と思って、噴上はひとりで笑った---なら、納得できなくもない。
 噴上は、去り際に嗅いだ、花京院の制服や髪の匂いを思い出していた。
 承太郎のコロンの匂い、それから潮の香りと、その下にかすかにあった、甘いミルクのような匂い。コロンと潮の香りは、元々は承太郎のもののはずだ。あの匂いの交ざり方は、噴上自身にも覚えがある。同じ部屋に一緒にいるだけでは、あんな匂いの移り方はしない。それに、噴上の嗅ぎ取った匂いは、それだけではなかった。
 なるほど、と胸の中でひとりごちて、親友ねェと、思わず小さく声に出していた。
 「あ?」
 仗助が、それを聞きとがめたのか、少し間の抜けた声で、噴上の方を見た。
 「なんでもねェよ。」
 また仗助と噴上がやり合い始めるのではないかと、少し不安気に康一がふたりを見ている。
 おかしくなって、噴上は、くくっと喉の奥を鳴らした。
 長い一日だった。とても疲れている。誰かを救うために、命の危険も省みずにスタンドを使った自分を誉めてやろうと、そう思いながら、取り巻きの女たちの可愛らしい顔立ちをひとつびとつ思い浮かべて、承太郎と花京院のことは、自分ひとりの胸に収めておくことに決めた。
 見たところ、女と手のひとつも握ったこともなさそうな康一や仗助には、遠回しに説明しても通じないだろうと思えたし、何より、あの承太郎に貸しを作っておくのは悪くない話だと、そう胸の内でほくそ笑んで、噴上は、康一と仗助が、自分を気味悪そうに眺めているのにも構わず、ひとりくつくつ笑い続けた。


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