雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

10) 例えばそんな結末C


 時間がなくて、きちんと探せなかった承太郎の帽子が、無事に見つかったことはともかく、噴上の小賢しい態度を、承太郎はただ一言、クソガキと簡潔に評して、けれど花京院は、噴上に対してそれほど悪い印象は抱かなかった。
 確かに、やけに生意気そうで、特に承太郎に対してむやみにけんか腰なところは気になったけれど、今日仗助と康一を救ったのは、どうやらあの噴上のスタンドらしかったし、詳しいことはまた後日仗助たちに尋ねるとして、それよりも気になるのは、どうやら噴上が、承太郎と花京院のことに気がついたらしいと言うことだった。
 まさか匂いでばれるとは思わず、承太郎に、赤ん坊のミルクの匂いが移っているなら、承太郎のコロンの匂いも、花京院にきっと移っているだろう。移っているというよりも、もう肌に染みついてしまっているといいと思いながら、花京院は、今は剥き出しの承太郎の背中を抱いた。
 深夜には、まだ少し間があった。ジョセフも赤ん坊も、もう眠ってしまっている。電話を掛けてくるには、少々非常識な時間だ。もう多分、邪魔が入ることはない。
 シャワーは、一緒に浴びた。浴びただけで、そこでは何もしていない。それでも、泡立つ掌で互いを洗い合っているうちに、きちんと花京院の躯は反応を返して、口にはせずにそれに一緒に安堵した後で、暗くした部屋の中へ戻った。
 「・・・バレちまったな。」
 自分が気になっているというよりも、花京院が気にしているだろうことを気にしているという口調で、承太郎が静かに言う。
 花京院は少し首をかしげ、承太郎の下で、小さく肩をすくめた。
 「心配はいらないと思う。ホテルの前で仗助くんたちと別れるまで、彼は一言もそのことについては口にしなかった。」
 どうしてそんなことを知っていると、承太郎のちょっと曲がった唇の形が訊く。
 「ハイエロファントを追わせたんだ。エレベーターの中で僕らのことを訊いていたが、それだけだった。僕らが長い親友同士だっていう康一くんの返事を、彼が信じたかどうかはともかく。」
 「・・・口止めしとくか。」
 やけに真剣な顔で言う承太郎に、おかしそうに小さな笑い声を立てて、その頬を撫でる。花京院の指が、承太郎の唇にも伸びた。
 「いや、多分そんな必要はない。それに、君が口を出したら、きっと彼は依怙地になるばっかりだ。」
 「なんでわかる。」
 「忘れたか承太郎、僕も同じ高校生だぞ。」
 けっと、最近には珍しい仕草---今日の噴上のそれと、とてもよく似ている---でわずかに肩を揺すって、それから、承太郎は花京院の唇の端に、自分の唇を落とした。
 「そう言えば承太郎、君、滅多と人を殴らなくなったな。」
 不意に、たった今思いついたというふうに、花京院が言う。まだ湿っている花京院の髪に大きな指先をもぐり込ませながら、承太郎は、耳の近くでその声を聞いていた。
 「もう、ガキのケンカにならねえからな。」
 妙に感慨深くそう答えた承太郎に、おかしそうな、小さく弾けた笑い声を立てて、花京院が胸の辺りを揺する。承太郎の背中を軽く叩いて、
 「大人になったな、承太郎。」
 そういう花京院は、あの時の表情のまま、けれどどこかひと刷け、さらに大人びた色を刷いて、ああ花京院だと思いながら、承太郎は自分の胸に、花京院の頭を抱き寄せる。
 「・・・やかましい。」
 まだ笑いを止めずに、花京院は承太郎の胸に額をこすりつけ、そうして、偶然そうなったという素振りで、承太郎の鎖骨の辺りに歯を立てながら、承太郎、と少し大きな声で呼んだ。
 「もう、黙れ。」
 こんな時に雄弁なことなどない花京院に、低い声でささやくと、波が引くように沈黙が訪れる。
 他愛もない切れ目のないおしゃべりは、照れ隠しだ。久しぶりに、きちんと承太郎に対して素直に口数の多い躯から意識をそらすために、花京院は下らないことをしゃべり続けていた。それをようやくやめて、下腹に伸びる承太郎の掌に、静かに息を飲む。
 胸を重ねた承太郎の体が重い。
 目の前を、ぶ厚い肩で覆われて、花京院は唇ではなく、承太郎のあごや喉の辺りに、やたらと自分の濡れた唇を押し当てて、そこで声を噛み殺す。
 今はゆっくりと動く承太郎の手指に、何もかもを晒しているのだという羞恥はともかくも、少なくともこの暗い部屋の中で、肌の上に浮く血の色まですべて見られているわけではないのだと安堵しながら、何度か耐え切れずに声を立てた。
 久しぶりの熱と形を確かめるように、承太郎の指先が、輪郭をなぞる。承太郎のその指先が、次第に湿るのに、ほんの少し肩の辺りを硬張らせて、それに気がつくと、承太郎は、花京院の頬骨に軽く歯を立てる。そこで、かすかに残る目の傷跡に、なまあたたかい舌先を滑らせる。
 とても静かで、ゆっくりした動きだった。
 こんなことを暗がりでするのは、自分の体や相手の体を見ることを、羞恥のせいでためらうためではなくて、視覚に頼らずに、相手のことを知るためなのだと、思いながら目を閉じて、花京院は、いっそう暗いまぶたの裏の闇に、17歳の承太郎の姿を思い浮かべた。
 17歳の承太郎の、手触りと、舌触りと、匂いと、何もかもを憶えていると思うのに、今目の前にいる承太郎と、どちらがどちらかわからなくなって、また目を開ける。厚みを増した筋肉と、確かに自信に満ちている---あからさまではなくても---、惑うことのない指先と、煙草の匂いはない。代わりに、コロンの匂いが染みついている。少し違う、けれどこれも、間違いなく承太郎だ。
 承太郎は、何を考えているのだろうかと、花京院は思った。
 ひどく傷ついて、ずいぶんと痩せてしまった筋肉を、何とか取り戻した今の体だ。あの頃に比べれば、もっとみっともなく貧相に見えるだろうかと、少し気にしながら、何よりも、腹と背中に張りついた大きな傷跡を、今さら気にするようにそっと掌で覆った。承太郎の掌でも、覆いきれない大きさのそれだ。縫い跡の凹凸が、掌に吸いついてくる。
 引きつれた皮膚、骨の目立つ肩や手足、明らかに規格外の承太郎と比べれば、どこもすべて厚みが足りないように思える体だった。手足が妙に長く見えるのも、時折気持ちが悪い。承太郎が相手では、分が悪すぎる。そう思いながら、肩甲骨の形すら完璧に見える承太郎の背中に、羨望ばかりを込めて両腕を回した。
 花京院から手を外して、承太郎は花京院の腕を引いた。体を起こして、ベッドの上に坐った承太郎に正面から抱き合う形に引き寄せられて、一体何事かと思いながら、わざわざ訊くことも逆らうこともしない。承太郎の膝に、正面から乗った形に抱き合って、膝立ちに大きく開いた花京院の腿の内側を、承太郎が後ろから撫でた。
 眼下で、承太郎が、ひどく真剣な顔をしていた。
 そこに触れた承太郎の指は、きちんと濡れていて、滑りをよくするために何か使うのだと、説明されなくてもわかった。
 いつそんな準備をしたのかと、呆気に取られる用意の良さで、思っていたよりもずっとなめらかに、承太郎の指が入り込んできた。
 あの時よりはずいぶんとましじゃないかと思いながら、それでも歯を食い縛って、承太郎にしがみつく。開いた脚が震えるのが止められずに、それと一緒に、2度だけ歯が鳴った。
 ためらいはなく、けれどきちんと様子を見ながら、承太郎の指がもっと奥へ入り込んでくる。指の腹が内側の粘膜を撫でるのを感じると、背骨のつけ根から、奇妙な感覚が這い上がってきた。次第に、承太郎の長い指が全部、あまり抵抗もなく入り込めるようになると、少し早めた動きの合間に、さり気なくその指の数が増え、苦しいと声を上げる暇もないまま、束ねた指が、中でほどけた。
 その時だけはさすがに息を止めて、抗議のつもりで承太郎の肩を叩き、押し広げられる感覚は、けれど不快感というよりは、ひたすら奇妙なだけのもので、ひどく器用に自分の躯を慣らしてゆく承太郎の手際に、憤りよりも感じるのは見事さばかりだ。
 花京院の躯を開くのに、承太郎は辛抱強く時間を掛けた。途中でやめろと言われれば、いつでもそうするつもりでいたけれど、まだ殴られる様子もなく、自分にしがみついている花京院の表情を盗み見ながら、承太郎は、そろそろかと、少し大きく、中で指を動かした。
 用心して、絶対に傷つけたりはしないように指を使って、狭さがむしろ誘うように、中が締めつけてくるタイミングを計りながら、承太郎はそっと指の数を増やす。
 目の前の花京院の首筋が、真っ赤に染まっているのが見えた。
 額に汗を浮かべて、声を耐えている様が余計に扇情的だと、本人が気づいているはずもなく、そんな顔をすれば、花京院はますます稚なく見えて、膝立ちで必死に体を支えているのが、けれどそれもそろそろ限界らしいと、承太郎は指先に悟っている。
 花京院の腰に腕を回してから、承太郎はようやく指を外した。
 自由になって、自分の上に崩れ込んでくる花京院を抱き止めて、承太郎は、その汗に濡れた背中をあやすように撫でながら、そっとシーツの上に横たえる。
 赤く染まった上半身の、引きつれた傷跡だけが、ひと色よけいに赤い。その上に掌を乗せて、もう一方の手で力の抜けた脚を開かせながら、承太郎は、もう一度、花京院の躯を探った。
 自分の辛抱強さを誉める言葉を、胸の中でひとりごちて、もう少しだけその我慢強さを試しながら、やっと繋がるために自分に手を添えて、花京院の中へゆっくりと入り込んでゆく。
 指先とは明らかに違う感触に、花京院の喉が反る。そこで声が潰れたのを聞いて、花京院を暴れさせないために、承太郎は自分の腕の中に花京院をしっかりと抱き込んだ。
 楽になるために大きく脚を開いて、そう促されもせずに、花京院は承太郎にしがみついてくる。
 少しずつ、少しずつ、花京院を傷つけないことにだけ腐心して、承太郎は繋げた躯をいっそう深くする。花京院を、自分の体で包み込んで、自分は、花京院の熱に包み込まれて、そうして、時間を掛けてたどり着いた辺りで一度躯の動きを止めると、苦痛に耐える表情ばかりの花京院に顔を近づけて、心づけの接吻を落とした。
 すぐに唇を開いてくる花京院の、熱っぽい呼吸に舌を差し出して、喉の奥に飲み込んでしまうように、花京院の濡れた唇の裏もきれいに並んだ歯列も誘うように動く舌も、全部、承太郎は自分の舌先で確かめる。
 まるで叫ぶように、花京院の喉の奥が開いていた。
 繋げた躯の奥に向かって、ゆっくりと動き出す。動きながら、舌を絡めて、体温を確かめられる体の部分のすべてを、触れ合わせていたいと思った。
 今は、花京院の内側に触れている。熱くて、その熱に溶けてしまえればいいと思って、生きている花京院の血の熱さを思った。
 躯の奥深く、こんなふうには触れるはずもないところを触れ合わせて、確かに感じる筋肉の力強さと、ひとの体温と、何もかもが健やかさのあかしのように、承太郎は、我慢できずに花京院を力任せに抱いた。
 ずっと、耐え続けていたものがあふれて、止まらなくなっていた。
 長い間、気の遠くなるほど長い間、ひとりで待ち続けていた。花京院が、確かにここにいて、生きていて、自分の傍にいるのだと、これほど深く実感したことはなく、承太郎は、躯の熱さを花京院と分け合いながら、もう二度と花京院を手離したりしないと、心の中で誓っている。
 こんなことを、する必要はなかった。男同士で躯を繋げるという無理を、花京院に強いる必要はなかった。けれど、そうして躯を繋げて、結ばれたのだと自覚できる、陳腐ではあっても、何か確かな感覚のようなものが、承太郎には必要だったのだ。承太郎にとってこれは、花京院を、自分の腕の中に確実に受け止めて、繋ぎ止めるための儀式のようなものだった。
 花京院は、承太郎のいるこの世界に、今確かに戻って来ている。そうして、戻って来たここから、もう花京院はどこへも行かない。どこへも、絶対に行かせないと、承太郎は心の底で叫んだ。たとえそれが、承太郎ひとりのエゴなのだとしても、生き返った花京院を、承太郎は、こうしてようやく、自分の手元に取り戻している。
 絶対、絶対にと、2度繰り返したところで、不意に下にいた花京院が承太郎に目を凝らして、驚いたように目を見開く。
 「・・・承太郎、どうしたんだ・・・。」
 少しかすれた声が、確かに湿っている。けれど一瞬で正気に返ったらしい花京院が、承太郎の頬を両手で挟んで、顔を近づけてきた。
 「承太郎・・・?」
 間近に見える花京院の目の近くが濡れていて、けれどそれが、自分のこぼした涙のせいなのだと、承太郎はようやく気がついて、思わず掌で口の辺りを覆う。
 「承太郎・・・。」
 ただ気遣いだけを声音ににじませて、花京院が下から体を起こして、承太郎の腕の中から逃れて出てくる。まだ繋がっていた躯が、動いた拍子に痛んだのか、花京院はわずかに頬の線を歪ませた。承太郎の顔をもっと近くへ引き寄せながら、脚の位置を動かして何とかほどいた躯を自由にすると、代わりのように、花京院は承太郎の額に、自分の額を押しつける。
 「僕が何かしたか? どうして君が泣くんだ、こんな時に。」
 承太郎は、まだ口元を掌で覆ったまま、声も出さずに泣き続けていた。
 花京院に抱き寄せられ、髪や背中を撫でられるのに、花京院の首筋に顔を埋め、またそこでひとしきり泣く。
 「・・・てめーのせぇじゃねえ・・・。」
 今は舌がよく回らない。自分を抱いている花京院の腕はまだ熱くて、その腕に包まれて、承太郎は涙を止めたくて、胸深く息を吸い込んだ。
 「状況的に、泣くのは僕の方じゃないのか。承太郎、君泣き虫なんだなあ、知らなかったよ。」
 少しばかり茶化すような口調とは裏腹に、花京院の掌は、ただひたすらに優しさだけで、承太郎の背中を撫で続けている。
 裸で抱き合ったまま、承太郎は、息を吐く合間に、花京院の名前を呼んだ。そのたびに、花京院が、承太郎をなだめるようにちゃんとうなずき返してくる。
 腕を回すと、花京院の背中の傷跡に触れる。そこに掌を乗せて撫でながら、承太郎は涙に濡れた頬やあごを、むやみに花京院の肩にこすりつけた。
 「もう、どこにも行くな。おれを置いて行くな。おれをひとりにするな花京院。」
 矢継ぎ早に、そう一気に言って、また涙があふれてくるのを止められずに、承太郎のまた震える大きな背中を、花京院はただ黙って撫で続けている。


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