雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

10) 例えばそんな結末E


 しゃべり過ぎたと思ったのか、花京院から視線を外して黙り込むと、露伴はしばらくの間、ぬるくなったアイスコーヒーをゆっくりと吸い込んでいた。
 初めて見る、歳相応の露伴の表情を、花京院は穏やかに微笑んで眺めている。
 ようやく花京院の紅茶も、空になり始めていたから、そろそろ立ち上がる潮時かと思っていた時に、露伴が急に驚いた顔であごを動かして、花京院の背後をにらむような目つきで見やった。
 「噴上裕也ッ!」
 花京院にとっては、まだ記憶に新しい、それでなくても忘れがたい名前を、露伴が急に叫ぶ。坐ったままで上体をひねって後ろを振り返ると、かの噴上が、女の子たちに囲まれてこちらへ歩いてくるところだった。
 「よぉ、露伴せんせー。」
 露伴の苦々しげな表情が読めない---そんなことはありえない---のか、噴上はにやけた顔で片手を上げて、わざわざ露伴に声を掛ける。甘ったれたように伸びた語尾が、けれど不快には聞こえないのは、この男の性格なのか。
 「なんだ、アンタ、花京院さんっつったっけ? 野郎ふたりでお茶かよォー。」
 花京院たちの傍でわざわざ足を止め、挨拶代わりのようにそんなことを言う。花京院は椅子の背に腕を乗せて、噴上の物言いに対して、特に不愉快だという態度は取らなかった。
 噴上が言葉の終わりでくつくつ笑うと、追従するように、取り巻きの女の子たちも、ねーと言うようにお互いの顔を見合わせる。
 仗助たちと同じ年頃なのだろうか、同じような化粧に、同じような挑発的な服装の女の子たちだった。はちきれそうな胸元は、シャツの襟が大きく開いていて、上からなら中が見えてしまいそうだ。ノースリーブの白い腕には、みんな"Highway Star"とハートマークと一緒に彫り込んであり、シールではなさそうなそれに、女の子が目立つところに刺青なんていただけないなあと、花京院は女性差別的なことを考えている。化粧品の匂いに縁のない花京院は、彼女たちから漂ってくるその匂いの強烈さにちょっと眩暈を覚えそうになって、猟犬並みに嗅覚の鋭いという噴上が、よくこの子たちの傍にいて耐えているなと、ちょっと鼻の頭にしわを寄せた。
 それにしても、露伴と噴上は、いわば敵同士の関係のはずなのに、仗助や康一にでも諭されて、その後仲直りでもしたのだろうかと、まさか今ここで訊くわけにも行かず、馴れ馴れしい噴上の態度に、一体露伴がどんな反応をするだろうかと、部外者を決め込んで、事の成り行きを見守っている。
 噴上の腕にぶら下がるようにして、うっとりと彼を見上げている女の子たちを、さも軽蔑したように眺めていた露伴が、テーブルに肘をついて、掌にあごを乗せ、明らかにばかにした態度を取る。
 「クソッたれ仗助に、ケガを治してもらったそうじゃないか。情けないヤツだな、例の養分を吸い取るスタンドを使って、自力で治す根性もないのかこのニヤケ男。」
 「おーおー、相変わらずキツいねぇー露伴せんせー。」
 噴上はにやにや笑いをやめずに、ズボンのポケットに両手を入れたまま肩をすくめ、そんな挑発には乗らないぜと、生意気な角度にあごを傾ける。
 花京院は、噴上と露伴の間で、どの辺りでふたりを止めるべきか考えながら、こんなところでスタンドを出してケンカを始めない程度にはふたりが大人ならいいがと、ひっそりと祈っていた。
 「貴様みたいなヤツには、ギプスと包帯がお似合いだ。」
 噴上はまったく露伴の言葉に動じなかったけれど、女の子たちは、大事な人をけなされたことにいきり立ち、たちまち声を張り上げて、テーブルを回って露伴につかみかかってやろうと、体を乗り出す。噴上がそれを止めなかったら、すぐさま乱闘になりそうな勢いだった。
 「てめーこのヤローッ! 裕ちゃんに勝手なことホザいてんじゃねえぞーッ!」
 「てめーの方こそギプスと包帯だらけにしてやろうかッ!」
 「ドスで突かれてーのかーコラーッ!」
 下品な振る舞いに免疫がないわけではないにせよ、彼女らの言葉遣いは、17歳の承太郎のそれととてもよく似ていて、それが女の子---しかも、好みではないにせよ、可愛いと言えなくもない---の口から発せられているということに、うっかり女性差別主義者の花京院は耐えられない。
 露伴は平然と彼女らの罵詈雑言を聞き流しているけれど、無視するにはあまりにも強烈過ぎて、花京院はそろそろ立ち上がって、彼女たちに何か言おうかと、肘を乗せていた椅子の背を軽く握った。
 「よせおめーら、露伴せんせーにそんな口聞くんじゃねぇ。」
 「でも裕ちゃんッ!」
 「心配すんな、この人の口が悪いのは、別におれに対してだけってわけじゃねぇ。なあ露伴せんせー?」
 まだ怒りをおさめない彼女たちをなだめながら、噴上がいたずらっぽく露伴を見る。露伴はもう相手にもならないというふうに、あちらを眺めて首を振る。
 「貴様も自惚れの強さにはつくづく呆れる。そんなのを相手にするのは時間の無駄だな。」
 「アンタが始めたんだぜ、露伴せんせー。」
 にやにや笑いは同じだったけれど、どこかにひと刷け、親愛の情のようなものがうっすらと見えたような気がして、花京院は思わず噴上を眺めた後で、露伴を振り返った。露伴の方も、浮かべているのは敵意だけではなく、仕方のないやつだとでも言うような、そんな表情を、口元にかすかに刷いている。
 何やら馴れ合いめいていると気がついて、あまりの馬鹿馬鹿しさに、花京院は体の力を抜いた。
 「まだ見つかってねえんだろ、あのヤベーやろうはよぉー。アンタらほど必死じゃねえが、おれも気をつけてるんだぜ。」
 今度は花京院の方へ視線を向けて、少し落ち着いた口調で噴上が言った。
 へらへらと笑っていた口元が少し引き締まって、自分を取り囲む女の子たちをひとりひとり見渡すと、さっきまでのにやけ顔がうそのように、形の良い眉をやや厳しくひそめる。
 花京院は、黙って噴上のその表情を見上げていた。
 「ケガが治っちまえば、別に何に使える力でもねえが、カワイイ女どもを守れるなら、おれは何にだって感謝するぜぇ。アンタらが、一生懸命ヤツを見つけようってしてるのにもよォ。」
 そう言ってから、照れたように噴上が笑い、その笑顔はやはりまだ少年のもので、ミケランジェロの彫刻のように美しいと自称しているらしいと仗助に聞いた時は、さすがの花京院も呆れたけれど、確かにこんなふうに笑う噴上は、ミケランジェロの彫刻のように美しかった。
 女の子たちは、噴上の言っていることをきちんと理解はしていないようだったけれど、自分たちがとても大事にされていることはわかるらしく、またうっとりと噴上を見上げている。
 露伴が、興味はないなということを強調するように、ふん、と鼻を鳴らした。
 「花京院さん、アンタ今日もいい匂いだな。」
 まだ立ち去る気配を見せずに、噴上が突然またにやりと笑う。ちゃんと知っていると、そう言っている笑みだ。花京院はひるみもせず、慌てもせず、にっこりと大人びた笑顔を作ると、
 「ありがとう、承太郎に、君がそう言っていたと伝えておくよ。」
 噴上の方へ、体を半分だけ向けてわざと足を組んで、ちょっと胸を張る。尊大に見えるだろうけれど、下手に出るわけには行かなかった。知られようと一向に構わないのだという態度を見せておけば、いちいち言い触らしたりするような男ではないと、花京院は噴上のことを読んでいる。承太郎とのことを、軽蔑されたような態度はなかったし、ということは、好き嫌いはともかくも、懐ろはそれなりに深いということだ。
 それでも、承太郎の名前を出しておいて、きっちり牽制しておくことは忘れない。
 そう狙った通り、承太郎と言った途端に、噴上の笑みが苦笑に変わる。肩をちょっと揺すって、あごの先を肩にこすりつけるような仕草をすると、顔を傾けたまま、それがこの男の親愛の表現なのだろうか、片方の眉だけをちょっと下げる。
 「なんてコロンか、名前を訊きたいところだが、残念ながらおれには似合わねえ匂いだな。もちっと歳取って、おれがカッコよくなったら訊きに行かせてもらうぜ。」
 噴上も、ちょっと花京院に向かって胸を張った。
 この男なりの、承太郎への敬意の表現なのだと悟った花京院は、作った笑顔に少しばかり気持ちを込めて、噴上に微笑みかける。
 承太郎と花京院のことは、気にもしてはいないし、しゃべり散らすつもりもない。噴上はそう言っていたし、花京院は、それに対して感謝の意を、作らない笑みに込めて、そうして、ふたりはごく自然な笑みを交し合った。
 「裕ちゃんなに言ってんのーッ? 裕ちゃんは充分カッコいいじゃん!」
 「そーだよー、これ以上裕ちゃんカッコよくなったら、裕ちゃん好きな女がもっと増えるじゃんッ!」
 「裕ちゃんはもうサイコーだよねッ! 裕ちゃんはアタシらのモンだもんねッ!」
 女の子たちは、噴上と花京院の交わした笑みの意味を知らないまま、また騒がしくさえずり始める。
 仕方ねえなと肩をすくめてさらに苦笑いをこぼすと、噴上は、露伴と花京院に向かって片手を上げた。
 「じゃあな露伴せんせー、来週号も楽しみにしてるぜェー。花京院さん、またな。承太郎さんによろしくっつっといてくれよォー。」
 現れた時よりもきちんとした言葉を残して、女の子に取り巻かれて、噴上は振り返らずに立ち去った。
 「相変わらず下品で騒々しい連中だ。」
 苦々しい表情で、そのくせ声はどこか優しく露伴が言う。そんな露伴に、花京院は今までのどの時よりも親しげな笑みを向けて、
 「君が、彼と仲直りしていたとは知らなかったな。」
 「仲直りしたわけじゃない。ヤツが悪かったと謝りに来たから、謝罪は受け入れると言っただけだ。」
 それにわざわざ反論するようなことはせずに、さっき組んだままの足を入れ替えて、露伴に向けた笑みを花京院は消さない。
 花京院に事の成り行きを読まれていると思ったのか、露伴が、少し早口に付け加えた。
 「こんな時に、スタンド使い同士でいがみ合ってたって仕方がないだろう。吉良を捕まえるためには、みんなが協力するのがいちばん得策だ。」
 どんな理由があろうと、この岸部露伴という男が、自分と気の合わない誰かと素直に協力し合うということはありえないと、花京院は悟っている。もちろん、幽霊の鈴美のためだということが、露伴にとっては何よりも最優先であることは確かだったけれど、それでも、露伴が噴上のような男と和解したということは、露伴にとってはとても意味深いことなのではないかと、花京院はひとり考えていた。
 人たちは変わり始めている。否応なしではあるけれど、ひとつの目的のために、この街を守るという目的のために、彼らは確実にひとつになり始めていた。
 花京院は、感慨深げに、辺りを見渡した。
 どこにでもある平凡な街だ。けれど、ここに住む人たちにとっては、ただひとつの、かけがえのない街だ。
 膝の上に掌を組んで、少しの間、この街について知っていることを、ひとつびとつ思い出していた花京院に、露伴が静かに声を掛ける。
 「ぼくは仕事があるからそろそろ行かなくては。君はまだいるのか。」
 ふと物思いから心をすくい上げて、露伴の顔をまぶしげに見た花京院は、なぜか、露伴がまだいるのかと訊いたのが、ドゥ・マゴのことではなく、この街のことかと、一瞬勘違いする。
 2拍遅れてから、
 「あ・・・ああ、もうちょっとだけ、いる。」
 ぼんやりとした声で花京院が応える間に、露伴はもうきびきびとした動作で椅子から立ち上がり、スケッチブックを肩に掛け、自分の分の伝票を取り上げていた。
 「週末は仕事を休みにしてるんだが、今度ぼくのうちに遊びに来ないか。空条承太郎のことももっと訊きたいし、君の絵も見てみたいな。」
 きちんと返事はせずに、花京院は曖昧に笑って見せた。
 露伴はそれに頓着する様子もなく、行く先に視線を据えると、もう振り向きもしない。
 花京院は、ひとりテーブルに残って、今度こそ紅茶のカップを完全に空にする。
 膝に置いた自分の手を見下ろして、しばらくひとり、静かな物思いに沈み込んでいた。


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