雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

10) 例えばそんな結末G


 承太郎が皆と、そう言った通り、ほんとうに全員が、幽霊の小道に集まっていた。
 吉良が死んだのだと、もう、あの忌まわしい殺人が起こることはないのだと、全員にそう伝えられ、奇妙に厳かな空気が、平凡で穏やかな街の路上に、静かに漂っている。
 いつも、人に突っかかるように鬱陶しくしゃべる噴上が、今日は口ひとつ開かず、ややむっつりとした---これはいつものことだけれど---露伴の傍でやけにおとなしい。
 由花子も、康一に寄り添うように、そうして、もう涙を浮かべている康一の肩を、そっと抱いている。
 間田と、ガラの悪そうな小林玉美---花京院は初対面だった---は、何だか照れくさそうに、ふたりで額を突き合せて、何やらぼそぼそと言葉を交わしていた。
 髪の長い、自称宇宙人の未起隆は、しきりに髪を耳の上にかき上げながら、にこにこと、絆創膏だらけの仗助と億泰の傍にいた。
 赤ん坊を抱いたジョセフの隣りで、自分も同じだとでも言うように、やけにうれしそうに、億泰の父親が猫草---吉良のスタンド、キラークイーンと一緒にいたのを、億泰が取り上げたのだそうだ---を抱いて、しきりに撫でている。ジョセフも、特に言葉は掛けずに、けれどそれに応えるように、ずっと微笑んだままでいる。
 承太郎が、トニオに何か耳打ちしている。トニオは微笑みを一度も崩さず、しきりに承太郎に向かってうなずいている。彼らはそんなに親しかったのかと、ジョセフの傍から、花京院はふたりをぼんやりと眺めていた。
 鈴美は、一言も発さずに、皆の顔を眺めていた。ひとりひとり、丁寧に、絶対に忘れたりなんかしないとでも言いたげに、その目が、次第に涙に潤み始めて、それを見てまた、全員がしんと言葉を失う。
 鈴美は、どこかひと色、透明さを増したように見えて、それは彼女が幽霊であるせいなのか、吉良が永遠に去ったという事実のせいなのか、そこには突き抜けたすがすがしさと、けれど虚脱感のような、何か淋しさに似たものがあった。
 吉良が死んだことと何か関係があるのか、鈴美の傍に、寄り添うように佇んでいる犬のアーノルドの首は、いつの間にかぱっくりと開いていた傷口がふさがって、ぴちゃぴちゃと滴る血は、もうない。
 全員を飽かずに眺めていた鈴美が、花京院を視線を合わせて、そしてそこで動きを止めた。
 少しあごを引いて、そうするといっそう大きく見える濡れた目で、花京院をじっと見る。花京院は、何か言うために声を出そうとして、けれどこの荘厳な空気を壊したくなくて、鈴美に向かってうなずくだけにすると、代わりに、薄く微笑みを浮かべて見せた。
 元気で。
 心の中でそうつぶやいたのが、鈴美にはちゃんと伝わったのか、せつなげに小さく笑った鈴美が、返事を返すように、しっかりとうなずく。
 「さよなら、鈴美さん。」
 その時が来たのを、全員が悟って、そうして、最初にそう言ったのは康一だった。
 目にいっぱい涙を浮かべて、声を震わせながら、小さく手を振る。
 それに誘われたように、次々と鈴美に別れの挨拶を送るために、皆がゆっくりと口を開いた。
 「死んだ人に言うのも何だけどよー、元気でな。」
 照れくさそうに、淋しそうに、ちょっと肩を斜めに引いて言う仗助に続けて、
 「おれもさびしいよー。」
 億泰がそう言って、ほんとうに残念そうに、目に涙をためている。その億泰を慰めようとしてか、彼の父親は、鈴美に手を振りながら、億泰を何度も心配そうに見上げていた。
 じゃあな、元気で、口々に皆がそう言うのに、ありがとうと言うように、そっとうなずいて、鈴美は、少しずつ透明になり始めていた。
 鈴美にぴったりと寄り添い、これからも絶対に離れないと、そんな様子で、けれど鈴美と一緒に透明になっているアーノルドも、まるで礼を言うように、全員に向かって頭を垂れた。
 歩き出すように、鈴美が、上へ向かってゆく。
 空は晴れていたけれど、白い雲がたくさん散らばっていた。その雲にまぎれるように、鈴美の透ける姿が、そこへ少しずつ同化してゆく。
 上を見上げて、ジョセフが義手の方の右手を振る。
 「あんたはりっぱな女性じゃ。あんたの事は、ここにいる誰もが忘れはしないじゃろう。」
 承太郎と露伴は、揃って鈴美の行く方を見上げて、けれど無言のまま、深い敬意を込めた視線を送った。
 露伴の目に、涙が見えたような気がして、ひどく淋しげに鈴美を見送るその横顔を、花京院は何度か横目に見た。
 もう、雲の中にかき消えかけている鈴美が、ほとんど聞き取れない声で、下に向かって別れの言葉を残す。
 「ありがとう、みんな・・・さようなら・・・みんな・・・」
 鈴美の姿が、どこにも見えなくなるまで、全員が空を見上げていた。
 これで、ほんとうに終わったのだ。
 ようやく、顔を元の位置に戻して、それぞれが、どこか淋しげに笑みを交わして、ひとり、あるいはふたり、あるいは3人と、勝手な方向へ散らばってゆく。
 承太郎は、ジョセフに何か小さな声で言って、ちょっと首を傾げた後で、ジョセフは振り返って、花京院に手を振り、少し困惑を交ぜた笑みで、そのまま仗助と肩を並べて歩き出した。
 閉じてしまって、もうきっと二度と開くことはないのだろう幽霊の小道の前で、残っているのは承太郎と花京院だけだ。
 もともと、あまり人通りはない道だ。昼間も夜も明るさの変わらないコンビニエンスストアの傍で、承太郎と花京院が向かい合っていても、通行人の邪魔になるということはない。
 承太郎の、伸ばした腕の長さ分だけ距離を取って、ふたりはしばらくの間、黙って見つめ合っていた。
 「じじいが、てめーをジョースターの養子にするつもりだったって話は、聞いたか。」
 突然、承太郎が口火を切る。花京院は驚いて、笑って、さり気なく承太郎から、一度視線を外した。
 「僕が、仗助くんやホリィさんと兄弟ってことになるのかい? すごい冗談だな。」
 帽子のつばの陰に視線を隠して、口元だけで承太郎も笑う。花京院は、わざと承太郎の視線をとらえようとはしなかった。
 「おれも同じことをじじいに言った、これ以上わけのわからん叔父が増えるのはごめんだってな。」
 やれやれと言いながら、承太郎は軽くうつむいて、帽子のつばに指先を掛ける。
 珍しく、冷静さを欠いている、承太郎の仕草だった。花京院は、承太郎の視線の行方が自分の方ではないことを確かめてから、耐え切れずに笑みを消した。
 「・・・てめーと、血のつながりがなくても親戚なんざ、冗談じゃねえ。」
 声が震えている。怒りではない、ただ、ひたすらに困惑して、狼狽している、そんな声だ。花京院は肩の力を抜いて、両腕をだらりと体の脇に下げた。
 「もっとも、その方が、てめーと一緒にいる口実にはなって、おれには都合のいい話だったがな。」
 花京院は、承太郎を見ていた。承太郎は、自分の足元を見ていた。
 自分が呼吸する音を聞いて、花京院は、ゆっくりと言った。
 「・・・ジョースターさんに、聞いたのかい。」
 2拍置いて、承太郎がやっと顔を上げる。両手をコートのポケットに入れて、少し胸を反らすように、一度、まるで涙を耐えるようにあごの辺りを震わせながら、花京院に伸びた喉を見せて、頭上を振り仰いだ。
 答えはしなかったけれど、それは肯定の仕草だった。
 顔の位置を元に戻して、今度は花京院を正面から見て、承太郎が、ふっくらとした唇を引き結ぶ。
 花京院は、承太郎に向けて、淋しげな微笑みを薄く浮かべた。
 「この街は、僕自身だ、承太郎。」
 どこから、何を、どんなふうに話していいのかわからなかったけれど、深く考え込んで、言葉にする機会を失ってしまうよりは、たとえ支離滅裂でも、何かを言ってしまった方がいい、そう思って、ゆっくりと唇を動かす。
 何か言うたびに、承太郎を傷つけるのだと、それだけはしっかりと自覚しながら、花京院は言葉を続けた。
 「この街は今、とても深く傷ついている。満身創痍だ。この街が元の姿に戻れるのに、一体どのくらいかかるのか、誰にもわからない。僕は、この街が癒えていくのを見守ることで、僕自身の傷を癒やしたいんだ。僕の言っていることが、わかるか承太郎。」
 なめらかではないしゃべり方で、ずっと考えていたことを、ようやく言葉に変える。そのひとつびとつを、なるべく正確に承太郎に伝えたくて、花京院は知らずに必死になっていた。
 承太郎は、不機嫌に見える表情で、相槌も打たずに、花京院を見つめているだけだった。
 言わなくても、伝わることはある。けれど、言わなければわからないことも、同じほどたくさんある。
 承太郎に向かってしゃべりながら、花京院は、自分自身に語りかけてもいるのだということに、気がつき始めていた。
 「一度壊れたり、傷ついたりしてしまったものは、どんなに必死に直しても、元の通りにはならない。それでも、形を変えて再生してゆくものが、必ずある。一度壊れてしまったからこそ、新しく生まれるものもあるんだ。」
 承太郎の目を、きちんと見た。
 「僕と君のことは、あの時に、一度終わってしまったのかもしれない。でもこれから、新しい形で続けてゆくという選択があるんだと、僕はようやく気がついた気がする。だから僕は、この街に残るということを、選ぶことにした。」
 気のせいだったのかもしれないけれど、承太郎の口元が、かすかに動いたような気がした。
 何か言ってくれるかと、少しの間待ったけれど、相変わらず承太郎は無言のまま、花京院は、失望を押し殺して、話を続ける。
 「あの幽霊の彼女は、自分が為すべきことのために、死んだ後もここにとどまっていた。彼女は、死んだ後も、辛抱強く戦い続けていた。何もかもが終わって、彼女はやっと、本来在るべき場所へ行けた。だが承太郎、僕は死んではいない、僕はちゃんと生きている人間だ。僕はどこへも行かない。君の手の届かないところへは、行かない。僕はここにとどまるんだ。彼女は逝った。だが僕は行かない。僕はここにいる。彼女と僕は、とてもよく似ている。違いはただひとつ、彼女は去ったが、僕はどこへも去らないということだ。」
 鈴美のことを、そんなふうに思っていたのかと、自分の言葉に驚きながら、花京院はしゃべり続けた。承太郎に伝えるために、そして何より、自分自身に理解させるために。
 「承太郎、僕はもう、どこへも行かない。君を置いて行ったりは、しない。」
 ここにとどまる、承太郎と一緒には行かない、つまりはそういうことだ。だから、どれほど言葉を尽くしても、説得力はないのだろう。承太郎が腹を立てているのだとしたら、その一点のせいだと、思って、花京院は、一生口にすることはないだろうと思っていたことを、戸惑いながら、舌の先に乗せた。
 「承太郎、僕は、君が好きだ。」
 言ってしまった途端に、後悔のようなものが足元から這い上がってきて、それが全身の筋肉を硬張らせる。舌が、上あごに張りついて、動かすのに苦労した。
 承太郎が、奥歯を噛みしめたのが、頬の線に現れて、そうして、無意識なのか、落ち着こうとした仕草か、下唇を噛んだのが見えた。
 「今なら言える、僕は、ずっと君が好きだった。そして今も、君が好きだ。今の君が、好きだ、承太郎。」
 17の承太郎ではない、今の、大人になってしまった承太郎を真っ直ぐに見つめて、花京院ははっきりと言った。
 腹を立てていたわけではなかった。驚かなかったと言えばうそになる。花京院が、このままこの街にとどまることにしたらしいと、そうジョセフから聞いて、最初に感じたのは、混乱と困惑ばかりだった。
 なぜ、と思った。承太郎には、花京院がこの街に残りたいという理由がわからず、結局は、何が原因にせよ、自分と一緒にはいたくないということだと、そんな陳腐な結論しか思いつけなかった。
 17で出逢って、今まで、自分の生きてきた時間の半分近くを、すべて否定されたと、そう思った。
 何もかもが、花京院のためにあった自分の時間が、つまりは無駄だったのだと、そう花京院が言っているのだと、そう思った。
 今、こうして、花京院の口から事の次第を聞けば、自分の底の浅さと、きっと17の頃からちっとも変わってはいないのだろう幼稚さに、確かに花京院を待ち続ける間に、自分はまるで成長していなかったのだと、恥じる気持ちばかりが湧く。
 承太郎が大事にしていたのは、花京院ではなく、花京院への、自分自身の想いだ。自分の身勝手さを、承太郎は、ほんとうに、心の底から、思い知っていた。
 この街で、あの時受けた傷を癒やさなければならないのは、花京院だけではない。承太郎もだ。この街は、確かに傷ついている。花京院と同じほど、傷ついている。そして、自分も同じように傷ついているのだと、承太郎は初めて、自分の傷の痛みを自覚していた。
 花京院を失ったことで、自分がどれほど傷ついていたのか、この街は自分自身だと言う花京院を目の前に、花京院の腹の傷跡を思い出しながら、承太郎は、その傷に自分自身を重ねていた。
 自分の傷は、自分で癒やすしかないのだ。花京院は、もうそれに気がついている。そして承太郎も、やっとそれに気がつき始めている。
 この街が癒えるのを見守ることで、花京院は自分の傷を癒やし、そして承太郎は、花京院の傷が癒えることで、自分の傷を癒やすのだろう。
 承太郎は、自分の傷の深さを見つめて、その深さは、花京院への想いの深さだと、そう思った。痛みを感じることなく花京院を想えるようになるために、血を流すことなく、互いを求め合えるようになるために、花京院の傷が癒えることだけを願うのではなく、自分自身を救い上げて、癒やさなければならないのだと、ふと、腹の辺りに掌を当てた。
 10年を越える時間の長さを耐えたのは、確かに意地と執着だった。けれどそれだけではなかった。どれだけ、花京院を求めていたか、どれほど、花京院を大切に思っていたか、今、花京院を抱きしめるには少し遠い距離で見つめ合って、承太郎はようやく自分の胸の内と、真正面から向き合っている。
 この街は、花京院自身であり、そして、承太郎自身でもある。承太郎は去る。けれど花京院はここに残る。とても筋の通った話だと、承太郎は、決して負け惜しみではなく、思った。
 承太郎が無言のままでいることに、不安を感じるのを止められないまま、それでも、言うべきことはすべて言っておこうと、花京院は、少しだけ必死に、やわらかく微笑んだ。
 「仗助くんたちが、君と一緒に守ったこの街を、僕はこれからもっと好きになる。君が守った街だからこそ、僕はここにとどまって、この街をもっと好きになりたい。この街は僕自身だ。そして承太郎、君は、この街を、守ってくれた。」
 こんなふうに、自分の思っていることをすっかり吐き出したことなどなく、花京院は、軽く虚脱している。
 どれほど承太郎に伝わっただろうかと、そればかりを考えながら、花京院はまだ辛抱強く、承太郎が反応するのを待っていた。
 承太郎は、やはり何も言わないまま、突然力が抜けたように苦笑をこぼすと、ぐいっと帽子のつばを引き下げた。
 「・・・やれやれだぜ。」
 こんな時に、承太郎のその口癖が出るとは思わずに、花京院は面食らって、思わず片足を後ろに引いた。
 それに引き寄せられたように、承太郎が一歩分、爪先を前に滑らせ、自分の方へ近寄った承太郎が、なぜかそのまま脇をすり抜けて行こうとするのに、花京院は慌てて、狼狽をあらわにそちらへ体をひねる。
 「てめーに後で話がある。先にホテルに戻ってろ。」
 すれ違いざま、花京院に平たい声でそう言い捨てて、承太郎は爪先に視線を落としたまま、歩き去ろうとした。
 「おい承太郎ッ! どこへ行くんだッ!」
 こんなに、何もかもを話させておいて、何の答えもないなんてそれはあんまりじゃないかと、思わず引き止めようと、ハイエロファントグリーンを出しかけた花京院に、承太郎が横顔だけで振り返る。
 「ひとりにしやがれ。」
 低く短く吐き捨てて、ちょっと肩をすくめ、頬の辺りが、青冷めているように見える承太郎の横顔に、花京院はもう何も言えず、唇を開いたまま、呆然と去ってゆく承太郎の背中を見つめていた。
 永遠に閉じてしまった幽霊の小道の前に、花京院が、ひとり、何かの暗示のように取り残されていた。


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