雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

2) 拒絶の言葉とA


 こんなに長い付き合いになるとは思わなかった、花京院の看護チームの責任者の男---今ではもう、50を過ぎているはずだ---が、初めて見るような穏やかな顔つきで、承太郎の目の前にいた。
 彼の部屋に足を踏み入れるのにも慣れてしまい、今では促される前に、あのひとり掛けのソファに腰を下ろしてしまう承太郎だった。
 承太郎が大学院を出て、いわゆる学者の卵のような立場になってからは、彼の態度も微妙に変化して、それ以前よりも、奇妙な親しみの態度を見せるようになっている。
 「心音も脳波も、普通の機械で測定できる値になっています。血圧が少し低くて貧血がありますが、これは投薬で改善できます。今のところ目立った問題もありません。ただ、体重が当時よりも10kg近く落ちているようですから、それを取り戻すのにしばらく時間がかかるでしょう。」
 「そんなに?」
 当然予想していたこととは言え、実際に数字を口に出されて、承太郎は思わず声音を険しくした。
 「年齢の割りに筋肉質だったようですが、それが全部落ちてしまったんでしょう。体力がある程度戻れば、運動でいくらでも取り返せます。ただ、時間が掛かるかもしれないということです。」
 男は、平静な声で言った。
 背中や肩が頼りないように感じられたのは、錯覚ではなかったのかと、顔の前に組んだ両手に額を押しつけて、承太郎はそこで聞こえないようにため息を吐く。
 それでも、ちゃんと立って動いているだけましだと、喜ぶべきなのだろう。何しろ、10年以上、死体にしか見えない仮死状態で眠り続けていたのだから。
 「ところで、彼はスタンドはちゃんと使えるのですか。」
 珍しく、おそらくそれだけは確かめておきたかったのだろう、男が承太郎に質問した。
 「きちんと実体化していた。実戦はまだ無理でも、スタンドを使うことには支障はないはずだ。」
 そうですかと、興味もなさそうな顔つきで相槌を打って---スタンドだけに対するあからさまな興味を、承太郎が嫌うと知っているので---、男はくるりを椅子を机に向けて、けれど何を取り上げるでもなく、また承太郎の方へ向き直る。
 それから、椅子の背に背中を落ち着けて、少しの間居心地悪そうに、唇を舐めたり噛んだりしていた。
 「彼の、これからのことなのですが。」
 男は一度、承太郎から完全に視線を外した。
 「まずは体力を取り戻すために、リハビリと、それから専属のトレーナーをつけて筋力トレーニング、その間に、おそらく英語の個人教授を受けてもらって、同時にカウンセリングも進めたいと思っています。」
 「カウンセリング?」
 精神分析医の、あのとらえどころのない雰囲気を思い出して、承太郎はわずかに眉の端を吊り上げる。
 「ひどい傷を負ったということもですが、10年以上、文字通り世界から隔絶されていたということに対するケア、それが何より必要かと我々は考えています。ようするに、彼の胸の内というのを、吐き出せるならそうしてもらおうと、それだけのことです。」
 それは役には立たないだろうと、思ったけれど承太郎は口にはしなかった。
 言葉の壁以前の問題で、たとえ母国語だろうと、あの花京院が、べらべらと自分のことを他人に話したがるとも思えなかった。穏やかに笑いながら、心は決して開かない。承太郎でさえ、花京院が実際に考えていることなど、すべてはわからない。
 好きにしやがれと、胸の中でひとりごちて、目覚めたからすべてが丸くうまく収まるというわけではない現実を目の前に突きつけられて、承太郎はひとり鼻白む。
 そんな承太郎に、男が静かに追い打ちをかけた。
 「彼が普通の生活に戻れるようになるまで、少なくとも、数ヶ月、あるいは1年程度はかかるでしょう。その間、我々はまた全力を尽くして彼の回復を見守ります。」
 我々、というのが、承太郎を含んでいないことを敏感に感じ取って、承太郎は目の前の男をちょっとにらんだ。
 「まだしばらく、ここからは出さない、ということか。」
 「・・・10年間以上、ここで彼を看護してきた研究員たちの努力に、彼自身に報いてもらいたいと思うのは、同じ学者のあなたなら、理解できるのではと思いますが。」
 いやな野郎だと、初めてはっきりと思って、ようするにスタンド使いの研究をしたいここの連中には、今は保護の必要な花京院は格好の材料で、そしてそれに逆らう言葉を承太郎が持たないことも、よく知っている。
 今すぐ花京院を連れて帰ると言えたらどんなにいいかと、軽くうつむいて、見えないように唇を噛んだ。それに気づいた男が、静かな声で、けれど念を押すような口調で承太郎に言った。
 「ご心配なく、彼は大事な患者として、これまで以上に丁重に扱われます。」
 単なる誰かの好奇心の対象としてな、と心の中で付け加えてから、承太郎はもう男の方を見ようとはしなかった。


 病室に戻ると、花京院は窓から外を眺めていて、承太郎に気づいて振り返ると、ベッドのこちら側へ回ってきた。
 「話は終わったのかい。」
 「ああ、ロクでもねえ話がな。」
 花京院が細い肩をすくめる。おおよそのことは予想がついているのだろう。承太郎は、ちょっと痛ましげに花京院を見つめてから、ベッドの端に坐るように、花京院を促した。
 「てめー、そんな格好で寒くねえのか。」
 え、と花京院が、自分の胸元と承太郎を交互に見た。
 目覚めた時からずっとその姿なのか、背中で数ヶ所結んでとめるだけの、薄い術着はふわふわと頼りなく、筋肉がごっそり落ちてしまったらしい花京院を、いっそう病人くさく見せている。
 承太郎は眉を寄せて、何かないかと病室の中を見回した。
 「着替えなんかないからなあ。後で、エジプトで着てた制服だとか、そんなもの全部持って来てはくれるらしいけど。」
 「仕方ねえな。」
 そう言いながら、承太郎はコートを脱いで、花京院の肩に羽織らせた。
 驚いた花京院が立ち上がって、そして、足首まで覆ってしまうそのコートの長さに、目を丸くする。
 「重いか。」
 自分の白いコートにすっぽりと包まれてしまった花京院の、予想以上の細さと薄さに、承太郎はちょっと慌てて、脱がせようかと手を伸ばしかけた。
 「大丈夫だよ。」
 花京院が、承太郎の態度をおかしそうに笑って、コートの前をしっかりとかき合わせると、またベッドに腰を下ろす。承太郎も、ようやくその隣りに腰掛けた。
 「君は、すぐ帰るのかい。」
 「いや、2、3日はここにいる。クリスマスの頃に、また戻って来る。」
 「そうか・・・。」
 コートの裾からそこだけ覗く足の甲が、とても骨張っていて、青い血管が浮いて見えていた。花京院の裸足が珍しくて、承太郎はそこに目を凝らして、親指の爪が少し伸びかけているのが、ほんとうに花京院が生きているのだと、自分に向かって示しているような気がした。
 少しうつむいた横顔は、ほんとうに、エジプトで別れた時のままで、そこだけ時間が止まっている。先に年を取ってしまった自分は、花京院の目にはどんなふうに映っているのだろうかと、承太郎は少し落ち着かない気分になる。
 「今は、ほんとうに、1998年の11月なんだな。君を見るまで、全然信じられなかったけど。」
 「11月ももう終わりだ。」
 「11月だけじゃない、1998年だってもうすぐ終わりだ。僕が眠ってる間に、ずいぶん何もかも、先に進んでしまったんだな。」
 花京院が、斜めに承太郎を見上げる。色の薄い瞳が、少しだけ潤んでいるように見えた。
 「君は、一体どうしてたんだ。今、何してるんだ。」
 承太郎は、大きく肩を動かして、深呼吸してから、花京院の方に体の向きを変えて、長い足を片方膝から折りたたむと、その足を、足首から手前に引き寄せるようにベッドの上に上げた。
 きちんと折り目の入った白いズボンの裾には、染みひとつなく、手入れのされているブーツの爪先に目を細めて、花京院は、承太郎の今の生活の一端を、そこから想像しようとする。
 「エジプトから戻って、大学受験して、4年で卒業して、アメリカの大学院に行って、今はイルカやサメの研究をしている。」
 「イルカにサメ?」
 「ヒトデの研究もしてみてえと思ってる。」
 「君が?」
 「・・・おかしいか。」
 花京院は慌てて首を振った。その拍子に、肩から承太郎のコートがずり落ちそうになって、慌てて襟元を合わせてつかんだ。
 「おかしくない。ただ、そんなこと想像もしてなかったから、びっくりしただけだ。」
 ちょっと憮然として唇をとがらせた承太郎を、花京院が思わず笑う。
 花京院の笑顔に、ふと心臓が跳ねたように思って、承太郎はちょっと肩を後ろに引いた。
 触れたいと、強烈に思いながら、髪や肩に手を伸ばすきっかけがつかめずに、ひどく幼く見える---やせたせいだ---花京院に、何を言っていいのかもわからず、承太郎は、無意味に指先だけを動かしている。
 承太郎の、大きくて長いコートにすっぽりとくるまっている花京院は、その中にいっそう身をひそめるように、肩と首を縮めて、何か思うように、ゆっくりと一度瞬きした。
 「承太郎、君、コロン使ってるんだな。」
 コートの移った匂いに気がついたのかと、承太郎は思わず、首をまわして自分の肩の方へ鼻先を近づけた。
 甘さのない、どこかに鋭さを一筋秘めた深い香りは、今の承太郎から受ける印象そのままで、そしてそれが、少年めいた男がつけても、決して似合わない匂いだと気づくと、花京院は、また承太郎を見つめて、そこに確実に見て取れる流れた時間の長さに、ほんの少し怯えた。
 承太郎は、ふっと暗く翳った花京院の瞳の色に、花京院の思考の流れを読み取って、少し唇を引き締める。特に深い意味もない、ここ数年の間に身に着いた習慣が、けれど花京院の目には、そのせいで自分がひどく大人に映るのだろうと、何か言い訳をするべきかと頭をめぐらせる。
 慰めるというのは、けれど何か違う気がして、承太郎は、結局何も言わなかった。
 突然、何かを思いついたように、花京院の肩が跳ねる。そうして、飛ぶような勢いで承太郎の方へ顔を向けると、ひどく切羽詰ったように、喉の辺りをあえがせたのが見えた。
 「承太郎、君、何か日本語の本持ってるか。」
 いきなり何だと面食らって、部屋の隅に置いたままの自分のカバンを見やってから、承太郎はああとうなずいた。
 「何持ってるんだ? 見せてくれよ。」
 口元が大きくほころんで、突然無邪気な表情が、顔いっぱいに広がる。
 承太郎は、ちょっと目を見開いて、数秒、うっかりそれに見惚れた。エジプトへの旅の途中にも、たまに見た花京院の、珍しい顔だ。あの頃は、それを無邪気だと思ったことはないように思って、また少しだけ承太郎は、寂しさを感じた。
 ベッドを下りてカバンを取ってくると、それをベッドの上に放って、口を開く。すぐ手に届くところに入れてある厚めの文庫本を、まとめて取り出して、花京院の膝の上に乗せた。
 「うわ! 日本語だ!」
 コートの中から手を出して、つるつると光る表紙に、花京院が指先を滑らせる。いとしげに眺めて、けれど中はまだ開かずに、表と裏を全部見て、まるでため息をこぼすように、唇をうっすらと開いていた。
 「読みたきゃ読め。置いてってやる。」
 「だって、君が困るじゃないか。」
 慌てて、ゆるんでいた唇を引き結んで、花京院が抗議するように承太郎に言う。
 「おれは他に読めるものがあるからな。それはてめーにやる。好きに読め。」
 でもと、口では反論しながら、もうしっかりと文庫本を引き寄せている。もう一度、心配するなと承太郎が言うと、ようやく肩をすくめてから、
 「じゃあ、お言葉に甘えるよ。」
と、しぶしぶのふりをして言った。
 「君、翻訳もののミステリーなんか読むんだな。」
 花京院の手の中にあるのは、言えば誰でも名前を知っている、有名な作家の作品ばかりだ。けれど花京院は、どれも読んだことはなく、その趣味を意外に思いながら、これもまた、自分の承太郎の知らない一面だと、もしかしてまだ眠ったままで夢を見ているのだろうかと、少し遠い目で承太郎を見た。
 「てめーが好きな作家はどれだ。」
 まだカバンの中に何かないかと覗き込みながら、承太郎が訊く。花京院は、本の間に挟んであったしおりを取り出しながら、ちょっと考えるように首を傾けた。
 「太宰治と川端康成かな。横溝正史は中学の時に夢中になってたよ。それから江戸川乱歩も。井上靖もけっこう好きだったなあ。それから、森村誠一と半村良と西村京太郎。吉川英治の三国志と宮本武蔵も、中学の頃一生懸命集めてたんだ。」
 ひとつ名前が浮かべば、次々と思い出すのか、滑らかに花京院の舌が滑る。承太郎には、どれも懐かしい名前ばかりだ。
 花京院が並べた、それぞれの作家の作品のタイトルを思い出しながら、承太郎は、10年前に引き戻されていた。
 「ルパンとホームズも、全集で持ってるんだよ。読み返したいな、全部。」
 花京院が、ごく自然に現在形を使ったのに、承太郎は胸に刺されたような痛みを感じた。
 息子はすでに墓の下と信じている花京院の両親が、今一体どこにいるのか、花京院の持ち物はすべてそのままにしてあるのか、承太郎にはわからないことだ。
 花京院典明という人間を形作っていた様々なものは、おそらく大半がすでに失われている。花京院がいとおしんだだろう、本や音楽やゲームや、形あるものはもう、どこにあるのかわからない。それを花京院が再び手にすることもないだろうということに、承太郎は、どこにも吐き出しようのない、憤りのようなものを感じた。
 それを悟られないために、花京院から視線をそらして、まだカバンの中を何か探しているふりをし続ける。
 手にした本のページを、明らかにうきうきとめくっている花京院に、承太郎は声の震えを隠して、話しかけた。
 「花京院、ツェッペリン聴くか。」
 「え、君今テープ持って来てるのか!?」
 「・・・テープじゃねえがな。」
 承太郎がそう言ったのに、花京院がわけがわからないらしく、眉の間にしわを刻む。
 承太郎がまだ手を突っ込んだままのカバンを振り返って、まさかそこにレコードなんか入ってるわけはないだろうと、ちょっと目を凝らした。
 カバンからようやく出て来た承太郎の手の中に、ほぼ真四角の、小さな携帯プレイヤーがあった。
 「何だいこれ、ラジオかい。」
 ウォークマンにしては小さすぎる。それともカセットテープは、大きさの規格が変わったのだろうか、そう言えば、カセットテープがはみ出す形で使うウォークマンもあったなと、花京院はそれにおそるおそる手を伸ばした。
 花京院がそれを取り上げると、承太郎はカバンの外側にあるポケットから、そのプレイヤーと同じくらいの大きさの、やけにカラフルな四角いプラスティックの、フロッピーディスクに似たものを取り出した。
 「何だいこれ。」
 花京院の手からプレイヤーを取り上げて、承太郎は、ディスクを、本体のふたを開けて中に差し込んだ。それから、小さなヘッドフォンを花京院の耳に片方だけ差し入れると、小さくて平たい再生のボタンを押す。
 ぱあっと、花京院の顔が輝いた。
 「すごい! 何だいこれ! テープじゃないのか。」
 「ミニディスクだ。多分そのうち、誰もテープなんざ使わなくなるな。」
 ヘッドフォンのコードの途中にあるリモートの、小さな液晶画面に、今再生中の曲名が出ているのを見せてやると、また花京院がとても驚いた顔をする。
 「・・・すごいな、信じられない。テープと音が全然違う。」
 音量を少し下げてから、もう1枚あるディスクごと、全部花京院の手に乗せた。
 「これも置いて行くから好きに使え。今度来る時は、もっといろいろ持って来てやる。」
 「え、じゃあ、スティング持って来てくれよ。まだ引退なんかしてないんだろう?!」
 ヘッドフォンを手で押さえて、勢い込んで花京院が言う。プレイヤーの小さな本体のあちこちを眺めて、ボタンの小ささにまたため息を吐く。
 「映画の主題歌で聞いたような気がするな、最近。」
 花京院の質問に答えてやりながら、プレイヤーの乾電池ケースと、予備の乾電池をようやく見つけて、承太郎は、それをまとめてころころとベッドの上に置いた。
 それから、もうひとつ、花京院のためにと思って持って来た、小さな辞書を取り出す。英和と和英が一緒になった、携帯用の辞書だ。載っている単語の数は少ないけれど、あれば役に立つこともあるだろう。特に今は、ここでは誰も日本語を話さないから、しばらく英語で苦労することになる花京院には、こんな小さな辞書でも必要なはずだった。
 承太郎がアメリカに来た最初の数年、常に手離せなかった証拠に、ケースは少し傷んで、辞書本体にかかっているカバーも、あちこち破れてしまっている。
 それを差し出してやると、泣き笑いの表情を浮かべた花京院が、それを両手で受け取った。
 「これ、君のかい。」
 「ああ、日本の大学でも使ってた。」
 ヘッドフォンを耳から外して、その辞書をケースから取り出す。破れたカバーの背を撫でて、それから、使い込まれた証拠の汚れた索引の部分に、花京院はとても愛しげに、何度も何度も指を滑らせた。
 「使い古しで悪いがな。」
 また花京院の隣りに腰を下ろして、少し照れくさそうに承太郎は言った。
 「君が使ったのだから、いいんじゃないか。」
 身の回りに、承太郎の気配のするものを置けることがうれしくて、花京院はまだ辞書を撫で続けている。
 花京院のその手を取りたくて、承太郎は、どうしようかと自分の膝の上で指先を遊ばせていた。
 手元に視線を落としている花京院の横顔を、長い間見つめた後で、少しずれかけているコートの肩を直してやるために、そこに手を伸ばして、承太郎は何気ないふうに口を開いた。
 「・・・まだしばらくは、ここからは出られねえそうだな。」
 コートの前をきちんと合わせてやると、承太郎の方を見て、花京院がちょっとせわしない仕草で瞳を動かす。
 「しばらくは無理だろうな。僕自身も、今すぐに外に出て行きたいとは、思ってない。」
 舌がもつれるような喋り方で、どこか苦しげに花京院が言った。
 承太郎は、思いもかけずに、花京院の言ったことに、傷ついていた。
 目が覚めれば、すぐにでも承太郎と一緒にここから出たいと、そう言うだろうと、心のどこかで期待していたから、花京院が、薄くなった体をいっそう縮めるようにして、外に出たくはないというのが信じられず、看護チームの誰かに何か言われたのだろうかと、そんなことまで考える。
 だから承太郎は、そう言った花京院の気持ちを忖度する前に、口を動かしてしまっていた。
 「・・・おれと、一緒でもか。」
 どれほど残酷なことを口にしたのか、瞬時に浮かんだ花京院の表情に悟って、承太郎はしまったと舌先を噛む。
 そんなことを答えさせる気かと、慄える花京院の唇が訴えていた。頬に走る硬い線に、ろくでもない失言だったと後悔しても、もう遅い。
 こんなふうに気持ちが先走るのは、中途半端なまま放り出されて、10年も待たなければならなかった自分の想いのせいだと、けれどそれを盾に花京院を責めることはできないから、承太郎は、少なくとも自分の感情をコントロールできる程度には自分が成長していることを、今ほどありがたく思ったことはなかった。
 誰が悪いわけでもない。ただ、運が悪かっただけだ。死なずにすんだ、失わずにすんだという幸運ゆえに、その運の悪さを受け入れるしかないふたりだった。
 「・・・悪かった。」
 ぼそりと承太郎が言うと、花京院はちょっと苦笑を浮かべてから、そばに置いていた携帯プレイヤーを取り上げ、それを承太郎の方へ差し出して見せる。
 「使い方教えてくれよ。変なことして壊したりしたくないんだ。」
 おう、と口の中で言うと、花京院の方へ手を伸ばして、ごく自然に、そこで指先が触れ合った。
 花京院は、それに気づいた様子さえなく、承太郎だけが、その指先の熱さに、ひとりうろたえている。
 目の前で揺れる花京院の髪から、懐かしい匂いがした気がして、花京院には見えないように、承太郎はゆっくりと3回、瞬きをした。


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