雰囲気的な10の御題/"哀"@loca
4) 記憶の断片@
杜王町は、住み心地の良さそうな、穏やかな街だった。
ただの通りすがりとして、ジョセフの息子である東方仗助をまず訪ねてみれば、予想通りスタンド絡みの事件が次々と起こり、承太郎は、この街から動くに動けない状態になっていた。
承太郎の前に姿を現すスタンド使いたちの能力は、どれも陰湿で狡猾で、殴り合いばかりだったエジプトへの旅が懐かしくなるほど、神経を疲れさせてくれる。
おまけに、億泰の兄形兆から弓と矢を奪って姿をくらましている、電気を使うスタンドの本体は、どうやら仗助たちと大して歳の変わらない高校生、あるいはせいぜいが大学生という辺りらしく、今時のクソガキどもはと、思わず承太郎はぼやいていた。
出歩いて、地道に街の噂話でも拾うしかない。仗助や億泰や康一たちが聞き込んでくる話をまとめて、推理して、本体を早く追いつめようとしているけれど、承太郎を恐れてか、なかなか尻尾をつかませない。
目立つなという方が無理な承太郎は、明らかにこの街に溶け込んでいるとは言いがたく、初対面から警戒されることには慣れているとはいえ、今はあまりありがたいことではなかった。観察と分析は承太郎の得意分野だけれど、人と会って話をするのは、苦手以前に好きではない。
辛抱強く追いつめるしかない。いずれあちらから動いて、必ず接触してくる。承太郎をこの街から追い出すためなら、何だってするだろう。
今いちばんの懸念は、承太郎を恐れるあまり、仗助や康一たちをまず先に消しにかかろうとはしないかということだ。4つの時にスタンドが発現したという仗助も、矢に射抜かれたせいでスタンド使いになった億泰と康一も、自分たちの能力を最大限利用して戦うということに、まだ慣れてはいない。卑怯さも厭わずに攻撃されれば、おそらくひとたまりもないだろう。
形兆を不意打ちで襲ったらしいあのスタンドの本体が、正直、正々堂々と戦いを挑んでくるとも思われない。
別の意味では頼もしい味方の彼らだったけれど、実戦になればあまり役に立たないだろうと、承太郎は思っている。そもそも、まだ高校生の彼らを、実戦に巻き込むこと自体、できれば避けたい。どんな怪我も仗助のクレイジー・ダイヤモンドが治せるだろうとは言え、命を落としてしまえば、その仗助の力さえ役には立たない。
やれやれだぜ、と承太郎は声に出してつぶやいていた。
戦力が足りない。承太郎ひとりきりでは、できることに限りがある。
この街に潜むスタンド使いたちを見つけながら、弓と矢の行方を追い、そして同時に、スタンドの攻撃から仗助たちを守る。どう考えても、この街の住民ではない、この街のことにはまだ不慣れな承太郎の手には、少々余る。
仗助たちには、くれぐれも気をつけろと、常々念を押している。スタンドの話も、あまり大声でするなと釘を刺している。それでも、自分たちの能力の特殊さに何の屈託もないらしい彼らは、それを身に着けてしまったことに悩む様子もなく、無邪気に承太郎のスタープラチナの能力の高さを、承太郎の目の前で賞賛する。承太郎が、それを面映いよりも、むしろ苦痛に感じていることを、人の心の機微を理解する聡さのまだない幼い彼らが、知るはずもなかった。
自分の16の頃を思い出して、あんなふうに幼かったかと、ずいぶん昔のことを思い返そうとしてみる。いやもう少し大人だった気がすると思うのは、おそらく錯覚ではないのだろう。過去は美化されるにせよ、スタンドが発現したゆえに巻き込まれたあの騒動を考えれば、その渦中で、今とあまり変わらない態度を常に崩さなかった、17の時の自分を思い出して、それと仗助たちを比べてみる。
能力の違いがあるとは言え、仗助たちが、承太郎と同じ状況に放り込まれて、うまく切り抜けられるとも思えない。何とかやるだろう。けれどそれは間違いなく、承太郎の助けがあってこそだ。
あの時の承太郎には、守るべきものがあった。その対象が、とてもはっきりしていた。
けれど今の彼らの守ろうとしているものは、この街と、自分たちの穏やかな生活という、漠然としたものでしかなく、彼らのあの妙な危機感のなさも、まだ高校生というだけではなく、現実味がまだ薄いせいだ。
それを責めるつもりはなく、承太郎はただ心配している。
もうこの世にはいないDIOとジョースターの、承太郎すら詳しくは知らない因縁に、運悪く巻き込まれてしまったこの街の普通の人々と、そして己れの力を悪用するつもりのないスタンド使いたちの善良さに、承太郎はうっすらと罪悪感を感じている。だからこそ、ただジョセフの代理としてやって来たこの街に今までとどまって、この街を、仗助たちとともに守ろうとしている。
正義の味方は自分の柄ではないと自覚していて、それでもその役ができるのは自分だけだと、承太郎はきちんとわかっている。
あの時は、ひとりではなかったと、承太郎は、エジプトへの旅のことを思い出していた。何をどうすると、わざわざ説明する必要もない、それぞれが己れの能力を熟知している仲間だった。
あの時とは違う。あの時は、まったく自覚したことすらなかった、自分の背にかかった責任の重さを、今はひしひしと感じる。自分のためには、誰も死なせない。自分のせいで誰かが傷つくことも、できる限り避けたい。仲間があんなふうに死ぬのは、もうたくさんだった。
仗助たちに出会って以来、花京院のことばかり考えている。無事に帰って来ていたなら、こんなふうに高校生活を楽しんでいたのだろうかと、いつも騒がしくはしゃいでいる彼らを眺めて、思う。
無理に連れて来なくてよかったと、思ったよりも深刻な状況を見て、思う。けれど同時に、こんな時だからこそ、ここにいて欲しいとも思う。
これは、淋しいという感情だと、冷静に理解しながら、そんなことを口にできる相手も、考えれば花京院しかいないことに気づいて、不意に現われた鏡の中に、自分の裸を見つけてしまった時のような気恥ずかしさを覚える。
暇を見つけては書いている、花京院への手紙の内容は、当たり障りのないものばかりだ。SPW財団への報告書以外に、事の次第を詳しく書くわけには行かず、まるで日記のように、何を見た、何をした、誰と話した、何を食べたと、そんなことを書き綴るうちに、時折、ふと魔が差して、会いたいと、書いてしまいそうになる。一度そうしてしまえば、書くことはすべてそんなことばかりになってしまいそうで、さすがにそんな弱音は吐けないから、書きかけるだけで、いつもやめる。
その代わりに、いつも持ち歩いている手帳のページの余白には、数ヶ所、花京院と書き殴ってあった。
まだ眠ったままだというなら、一緒にいられないことも仕方ないと我慢できる。けれど、自由に歩き回って、すっかり元の体に戻っているらしいと知れば、それならどうしてここに来ないと、理不尽だと知っていて、思う。
来て欲しいと思う気持ちと、危険な目に遭わせたくないという気持ちと、どちらがどれだけ強いのか、承太郎自身にもわからず、ここで辛抱強く、何かが起こることを待ち続ける日々に、余裕のない心は、今すべきことではなく、したいことに、ごく自然に魅かれてゆく。
イルカやサメを追って、見つけた彼らを眺めて過ごす生活が、すでに恋しかった。そして、そこに、花京院が一緒にいてくれたらと、思わずにはいられない。
広がる海の青に、心を埋没させて、けれど数瞬後には、承太郎は現実に戻って来ていた。
待ちの一手は、ここまでだ。
ようやく決心がついて、承太郎は電話を掛けるために立ち上がる。
最善の策ではない。けれど、弓と矢を、これ以上の被害が広がる前に見つけるために、どうしても必要なことだと、自分に言い聞かせながら、承太郎は床に爪先を滑らせた。
「承太郎さんッ! 現われたっスよッ! 億泰の兄貴をヤッたヤローがたった今ッ!」
興奮を抑えきれないらしい仗助の大声に、承太郎は、思わず受話器を耳から遠ざけた。
「テレビん中から出て来やがって、あのヤロー、ふざけやがって。」
「テレビの中?」
「あのヤロー、電気の通ってるところならどこでも神出鬼没ですよ。ヤバいっスよ。」
勢い込んで言う仗助の声に、いつもの茶化したような響きがなく、相当危ない目に遭ったらしいと察して、承太郎は一瞬息を呑んだ。
考え込んでから、耳を澄まして、雑音がないかと探すけれど、それらしい気配はなく、承太郎は仗助を落ち着かせるように、いつもよりも平たい声を使う。
「と言うことは、電話の会話も聞かれてるかもしれないってことだな。」
初めて、承太郎に電話をしてきた---杜王町から即刻出て行けと、効果のない脅しをかけてきた---時、受話器を壊せたのはそういうことだったのかと、あの時傷ついた頬の辺りに指先を触れさせながら思う。
なかなか厄介だ。
承太郎に指摘されて、初めてそのことに気がついたのか、仗助が向こうで黙り込む。受話器を見つめて、怒りで震えているのが、目に見えるようだった。
部屋の中を見回して、床近くに見せるいくつかのコンセントを見つけ、案外あそこから自由に出入りして、こちらの様子を逐一窺っていたのかもしれないと、あまり深刻には受け取らずに考える。
少なくとも承太郎がこの部屋にいる時に、うろちょろしていたとは考えにくい。それでも、電話を盗聴されていたのかもしれないというのは、充分に脅威だった。
「心配するな、どうせ電話で話したことは、大したことでもない。おまえがおれに連絡してくるのも、向こうはとっくにお見通しだろう。」
すぐに承太郎に伝わると、わかっているから仗助のところへ現われたに違いない。先手を打っておこうというつもりなのだろうけれど、相変わらず承太郎のところへ直接は来ないというところに、本体の小心さが現われているようで、承太郎は不謹慎に苦笑した。
「承太郎さん、ヤツは確実に力つけてますよ。その気になりゃ、好きな時に誰でも電線の中に引きずり込める。まだ誰かが、億泰の兄貴みたいに・・・。」
仗助が、ひどく苦しそうに言った。
億泰の兄、形兆の無残だった死に様を思い出したのか、向こうで声が止まる。それに同情している暇はなく、承太郎は仗助に、言うべきことをきちんと言った。
「仗助、このことは億泰には言うな。」
「え、だって・・・」
「どこでヤツが話を聞いているかわからん。口止めする人間の数は、少ない方がいい。いいな仗助。」
少し不満げな沈黙の後で、仗助がようやくうなずいた。
あのスタンドが現われたと知れば、億泰はその場で逆上するだろう。今は誰かに勝手な行動を取られるのが、いちばん困る。少なくともあと数日は、何もかも静かなまま、事が運ぶように計らいたい。
怒りに我を忘れるのも、眼が溶けるほど泣くのも、全部その後だ。
知らされなかったことにも、億泰は多分怒り狂うだろう。罵られるのは痛くもかゆくもないにせよ、罪悪感がないわけでは、決してない。泥をかぶるのも自分の役目だと知っていて、承太郎は仗助には聞こえないように、やれやれだぜとため息を吐いた。
心の底からほんとうに悲しめるのは、何もかもが終わった後だ。渦中にいる億泰に、今それが理解できるはずはないけれど、一度花京院を失いかけた自分も、同じように通った道だと、億泰を思いやってやりたい気持ちを、今は心の隅に追いやる。
そんなことを、表情にも声にも表さない自分は、おそらくひどい冷血漢だと思われているのだろうなと、承太郎は、電話の向こうの、年下の叔父の沈黙の意味を聞き取ろうとした。
「なるべく、電話で大事な連絡は取るな。街中であれこれしゃべるのも控えろ。しばらくの間は、どこにいる時も用心しろ。」
冷静な声で念を押して、ようやく落ち着いたらしい仗助に、気をつけろとまた言って、承太郎は電話を切った。
わざわざ仗助の前に姿を現したということは、図に乗っているということだ。捕まらないと思い込んで、こちらをからかって楽しんでいるつもりだ。慢心は、必ず油断を生む。油断は、確実に失敗に繋がる。その失敗を誘って、致命的にしてやるために、何が起ころうと冷静でいなくてはならない。
冷静だと自分を信じるために、承太郎は、花京院のことを頭の中から追い出した。会いたいと女々しく思うのは、すべてが終わった後だ。
絶対に見つけ出してやる。
目の前の電話を見下ろして、深く息を吸ってから、握りしめた掌に、爪が食い込む。
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