雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

4) 記憶の断片A


 ジョセフが杜王町にやって来るということは、当日まで伏せられていたにも関らず、案の定、電気を使うスタンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーとの鬼ごっこに成り果てた。
 わざわざ、電気のないところでと街の外の野原に仗助たちを集め、ジョセフの到着を告げたその場に隠れ潜んでいたスタンドを取り逃してしまえば、後はもう、港に着く前にジョセフを全員で守るしかなく、承太郎は、それでも、その程度のことは予想していたと、慌てふためきもしない。
 うろたえる康一たちをなだめて、承太郎は皆と一緒に、ジョセフの船が到着する港に急いだ。
 レッド・ホット・チリ・ペッパーは、おそらく何らかの手段を講じて、ジョセフの船に、承太郎たちよりも先に乗り込もうとするだろう。先に乗り込まれた場合、老いたとは言え、いまだスタンド使いとしては現役のはず---もう何年も、実践に関ったことはないにせよ---のジョセフが、せめて自分の身を守るくらいのことはできるかもしれない。けれどおそらく、船に先に乗り込まれた時点で勝負は決まると、承太郎は、小さく舌打ちをしそうになったのを止めた。
 本体は必ず港のどこかに隠れて、承太郎たちの様子をうかがっているはずだ。
 承太郎たちは、船が港に入るのを待たずに、ボートで先に乗り込みにゆく。おそらくほぼ同じ時に、船に向かうだろうチリ・ペッパーを、先に船に乗り込んで、ジョセフを守る形で迎え撃てれば良し、もしチリ・ペッパーの方が早ければ、陸地で迎え撃つしかない。
 ジョセフを無事に迎えるために、本体を見つけ出し、船に向かわれる前に叩くことが、最善だった。
 ろくでもない競争だなと思いながら、スタープラチナに、こちらに向かうジョセフの船の、港までの距離を測らせる間に、仗助と億泰に、ボートのバッテリーにチリ・ペッパーが潜んでいないかと調べさせる。
 準備はできた。後は、幸運を祈るだけだ。
 ボートに乗り込んで船へ向かう承太郎と億泰、港に残って本体を探して叩く仗助と康一、そう役割を割り振ると、案の定仗助が、不満そうに承太郎に噛みついてくる。
 守るべき対象が、仗助の父親であるという以前に、チリ・ペッパーの本体を、船に向かわれてしまう前に確実に見つけ出して叩くためには、射程距離の長い康一のエコーズと、近距離パワー型の仗助のクレイジー・ダイヤモンドの組み合わせが、今はいちばん理にかなっている。スタンドの能力の高さはともかくも、自分の感情をコントロールするのが下手で、後先考えずに暴走する恐れのある億泰は、承太郎が一緒にいた方がいい。だから、億泰と承太郎はボートで船に向かい、その間に、仗助と康一は、チリ・ペッパーの本体を見つけて叩く、あるいは、陸地で迎え撃つ羽目になるかもしれない事態に備える、そこまで噛み砕いて説明してやると、仗助はやっと事態の深刻さ、一刻を争う状況に気がついたのか、不安気に、承太郎に向かってうなずいた。
 やれやれだぜと、帽子のつばを引き下げて、その陰で小さくつぶやいてから、承太郎はボートに下りる。後を追ってくる億泰が、そこに残る仗助と康一に向かって、軽く手を振る。
 エンジンをかけてボートが走り出すと、港のふたりは、みるみるうちに小さくなった。
 ポルナレフにさえ、ここまで丁寧に説明が必要だったことはなかったなと、理性よりも感情が常に勝っている今の仲間たち、若いというよりも率直に幼い彼らの飲み込みの悪さに、責めるつもりもなく、少しばかり苦笑する。頼むから、黙って言うことを聞いてくれと思っても、大人のいうことなど素直には聞きたがらないのがあの年頃だと、承太郎はこっそり白いコートの肩をすくめた。
 まだ船の姿は見えない。そして、チリ・ペッパーの気配も、どうやらない。
 「まだ何にも見えねえよォー、承太郎さん。」
 走るボートの上から、辺りを見回している億泰が言う。
 「船に着くまで油断するな。見つけても慌てる必要はない。」
 途中でチリ・ペッパーを見つけたら、億泰のザ・ハンドで空間を削り取り、瞬間移動させて、射程距離内に引き寄せたチリ・ペッパーを、スタープラチナで叩くという手もある。億泰がうまく動いてさえくれれば、まだ勝算はある。けれどそれを今説明して、逆に、そんなん楽勝っスよォーといつもの調子で高をくくられると困る---とは言え、野原でチリ・ペッパーを取り逃した原因になったという失態を覚えていれば、それなりに反省して行動してくれるだろう、と思ってはいる---ので、承太郎は黙ってボートを走らせ続けた。
 「仗助と康一、うまくやってんかなァー。チリ・ペッパーの野郎よォー、やっぱあのふたりだけじゃ心配だぜェー。」
 左右上下を、何度も何度も見渡しながら、億泰がぼそりと言う。
 エンジンの音がうるさいのを言い訳に、承太郎は聞こえないふりで相槌も打たずに、前方だけを見ていた。
 考えないようにしながら、けれどまた花京院のことを考えている。今ここにいてくれたら、どれほど自分の気が楽かと、ジョセフの船にたどり着くまでの時間を、今は1秒1秒数えながら、思う。
 これはようするに、信頼の問題だ。スタンド能力の高さだけではなく、それをいかにうまく使いこなせるか、スタンドに依存しすぎず、己れ自身の能力もきちんと発揮しながら、状況に応じて臨機応変に、最良の結果を求めて行動することができる、そう信じて、事態を安心して任せられるかどうか、問題はそこだ。
 承太郎が頼るには、仗助も康一も億泰も、あまりにも幼くて未熟だ。彼らの年齢を考えれば、それは当然のことで、責める筋合いのことではない。若いからこそ、成長めざましい彼らのことを見守りながら、けれど成長しきることを待っている時間は、今はない。事態は急を要している。
 そこまで考えてから、ジョセフが、エジプトへ承太郎と花京院を伴ったことに、承太郎は改めて驚く。承太郎は血縁だからある意味当然だとしても、DIOのことを直に知っているという以外には、さしたる理由もなかった花京院を、自ら志願したとは言え、一言も言わずに仲間に迎え入れたその懐ろの深さに、当時は思い及ぶこともなかった。
 歳よりもずっと大人びていたふたりではあったけれど、波紋もスタンドも使える、歴戦の勇者たるジョセフから見れば、ひよっ子どころの話ではなかったろうし、味方の数は多い方がいいという本音もあっただろうにせよ、つまりはあのジョセフに、一応は信頼されていたということだと、承太郎はそのことに思い当たって、決して口にすることもなければ、わかるように表現したこともない、祖父であり、長い戦友であるジョセフへの尊敬の念を、いっそう深くしていた。
 歳若い連中を信頼できるというのは、それだけ大人だということだ。
 そうすると、おれはまだまだってことだな。
 その通りだ。だから、花京院を頼ることばかりを考えている。
 ジョセフがここにやって来るのは、直接の戦力になるためではない。仗助に会いたい、そしてできるなら、そばにいて守りたいという気持ち---だけでも- --からだ。少なくともチリ・ペッパーは今、ジョセフを消そうと懸命になっている。これから先も、誰がジョセフ---のハーミット・パープル---を脅威と見なして襲ってくるかわからない。それを守るのは、承太郎と、そして仗助の役目だ。
 「承太郎さんッ! 船だッ!」
 承太郎の隣りで、億泰が興奮したように前方の船影を指差した。
 ここまでは追いつかれていない。どうやら仗助と康一は、港で本体、あるいはチリ・ペッパーを見つけて、うまく食い止めているらしい。あるいはもう、本体を捕らえてしまっているのかもしれない。
 楽観的になるには、まだ少し早すぎる。船の中でジョセフに会って、そして無事に港に着くまでは、終わらない。
 「億泰、気を抜くな。まだ油断はできん。」
 承太郎の言葉を、きちんと聞いているのかいないのか、周囲を見張る動きをやめずに、けれどうなずく億泰の声は上の空だ。
 ひとまず、ここまではすべて承太郎の杞憂に終わり、ボートは無事に船の横腹にたどり着いた。縄梯子の垂れている甲板の上に人の気配はなく、承太郎はまだ油断なく辺りに目を配りながら、億泰を先に上がらせる。
 「用心して乗り込め。待ち伏せされている可能性もないわけじゃない。」
 「・・・いたらタダじゃおかねェぜー、あのヤロー。」
 細い眉を吊り上げてはやる億泰を、またなだめるように、承太郎はそれを無視して、低い声で指示だけ与えた。
 「上がったら、すぐに縄梯子を元に戻せ。おれはスタープラチナで中に上がる。」
 何事もなく船に乗り込んだ億泰が、縄梯子を完全に引き上げたのを確かめてから、承太郎はスタープラチナとともに船の横腹を飛び上がると、ひょいと甲板の縁を乗り越えて船に乗り込んだ。
 「仗助のオヤジさんて、どこにいるんスかねェー。」
 すたすたと中に入ろうとする億泰の、制服の襟を突然つかんで、承太郎はそれを止めた。
 「待て、億泰、誰かいるぜ。」
 そこを曲がれば、船室へのドアがあるのだろう。その角へ目を凝らして、承太郎は自分の肩の後ろに億泰を隠すようしながら、すっと体の位置を少し下げた。
 「誰かって、チリ・ペッパーの野郎かよッ!」
 「・・・違う。だがジジイの気配でもねえ。大体ジジイなら、気配を消す必要もないはずだ。」
 まだ引き戻していなかったスタープラチナを前に出して、承太郎はすきなく身構える。
 億泰にも、スタンドを出せと言おうとした時、人影が、音もなく承太郎の視界に姿を現した。
 勇んだ億泰が、人影を捕らえるために空間を削り取ろうとして、ザ・ハンドを出す。承太郎が咄嗟にそれを止めさせようとするよりも早く、ザ・ハンドの、振り上げようとした右手と、左腕にも、緑に光る触脚が、背後から絡みついていた。
 ふたりの前に静かに現われた人影が、同じほど静かに、口を開く。
 「さすがだな、承太郎。完全に消したはずのハイエロファントの気配も、スタープラチナには隠しきれないってわけか。」
 「花京院ッ!」
 億泰をまだ解放はせずに、花京院が、ふたりの前で微笑んでいた。


 用意された制服に、ゆっくりと袖を通す。
 つるつるとした裏地に、おろしたばかりの白いシャツがすれて、しゅっと心地良い音を立てた。
 シャツのボタンは、いちばん上の首のところまで、きっちりとめてある。解放感とは真逆の感覚が、ぴしりと気分を引き締めてくれる。背筋を伸ばして、両袖とも通してしまった制服を肩に馴染ませて、そして、金色のボタンを、いちばん下からとめてゆく。
 そうして、ややあごを上げ気味にして、両方から近づけた襟のホックを、ゆっくりとかちりとはめた。
 あごの線に沿う、硬い襟の感触。ああ久しぶりだと、思わず微笑んでいた。
 制服の二の腕を肘まで撫でて、そこに確かにある筋肉の手触りに、一応は満足してから、花京院は口元から微笑を消した。
 裾の長い緑の制服は、兵士の戦闘服のようなものだ。
 すでに承太郎が滞在して、数ヶ月が経とうとしている杜王町に、ジョセフが乗り込むと言っているから、それに同行してくれないかと、SPW側から要請があったのが2週間前だ。高齢で、しかもスタンド使いに狙われる可能性が高いと聞けば、否のはずもなく、エジプトの時に着ていた制服と同じものが欲しいと、真っ先に言った花京院に、看護チームは妙な顔をして、けれど理由は聞かずに、要求通りに仕立てられた制服を届けてくれた。
 あの時の花京院典明に、完璧に戻るために、その制服が必要なのだと、花京院は知っていた。
 ここで与えられた私服を脱ぎ捨てて、制服に身を包む。儀式に過ぎないはずのその行為が、けれど確実に、花京院の内側に変化をもたらす。
 外の世界を恐れていた気持ちが、拭ったように消えてゆく。これから、戦いに赴くのだと、そう思った瞬間に、全身に熱く血が巡るのを感じた。
 戦いにゆくのだ。承太郎とともに。未知の危険に、心が騒ぐ。これが、ほんとうに自分の求めていたものだったのだと、思い知って、けれどそんな自分を恥じる気持ちはなかった。
 適材適所という言葉が相応しいなら、スタンド使いのいるところは、スタンドを必要とされるところというわけだ。生まれながらのスタンド使いにとっては、それこそが己れの存在意義だと、どこか自分を納得させるように、花京院は思う。
 殺伐とした命のやり取りの日々の中で、承太郎と過ごした時の穏やかさは、何よりの安らぎだった。けれど、それだけが日常になって欲しいと願わないのは、花京院がまだ、あの旅の途中にいるからだ。
 死んで終わったはずの旅は、あのまま続いていて、目覚めた花京院は、まだ現実の中に戻りきれない。あの旅を終わらせるために、もう一度戦う必要がある。承太郎と一緒に。
 戦いの中でしか癒やせない傷があるのだと、花京院は、着たばかりの真新しい制服の、腹の辺りをゆっくりと撫でた。
 花京院は、あの旅で、恐怖を乗り越えた。乗り越えた後の現実で、けれどまた新しい恐怖に対面している。その恐怖を乗り越えるために、これから、ひとりでここを出てゆく。
 承太郎に連れ出されるわけではない。自ら選んで、ここを出てゆくのだ。
 いずれまた、杜王町での事件にけりがつけば、ここへ戻ってくるのかもしれない。けれどそれまでは、あの時の花京院典明に戻って、今の花京院典明が抱いている恐怖を乗り越えるのだと、そう心の中で誓う。
 また同じだと、花京院はひとり苦笑した。
 エジプトへ向かう時は、承太郎の母ホリィを救うためという名目で、今回も、承太郎の祖父であり、仲間でもあったジョセフを守るという名目で、けれどほんとうのところは、純粋に自分自身のためだ。
 自分から逃げないために、花京院はそこへゆく。自分を追う恐怖から逃げるためではなく、立ち向かうために、ある場所へ赴く。承太郎が、自分を見守ってくれているのだと、そう自覚できる場所へ。
 それでも、戦うのは花京院自身、ひとりきりだ。
 ゆっくりと深呼吸した、今は以前と同じにたくましく制服の下で盛り上がっている胸が、吸い込んだ空気で膨れて、その動きを下目に見てから、花京院は、鳥籠のような部屋を眺めてから、静かにそこを後にした。


 花京院は味方だと説明して、まだ事態をうまく飲み込めない億泰を落ち着かせてから、承太郎は、花京院にハイエロファントを引かせるように言った。
 やっと自由になった億泰は、まだ目を白黒させて、微笑んでいる花京院と、対照的に、珍しく驚きをあらわにしている承太郎を交互に眺めて、戸惑いを隠せないでいる。
 呆然としている場合ではないと、ようやく承太郎が我に返って、
 「ジジイは中か。」
と、震えを押し隠した声で訊いた。
 うなずく花京院から、億泰に振り返って、承太郎は花京院の背後を指差すと、船室へ行くように億泰に言う。
 「億泰、船室に行って、ジジイのそばにいてくれ。港に無事に着いて仗助たちと合流するまでは、気は抜くな。」
 努めて厳しい声を出すと、落ち着かない仕草でうなずく億泰が、言われた通りに承太郎の背後から、花京院の方へ歩き出す。
 まだ承太郎と花京院を交互に見ながら、億泰は少し怖気づいた様子で花京院のそばをすり抜けて、船室の方へ姿を消した。
 そうしてようやく、承太郎が花京院の方へ一歩寄る。
 「来るなら来ると、一言くらい入れやがれ。」
 なじるように言う承太郎に、まるで堪えないようにまだ微笑を崩さず、花京院も承太郎の方へ歩み寄った。
 「ジョースターさんがこの町に乗り込むこと自体、秘密だったんだろう? 僕のことは誰も知らないにせよ、わざわざ教えて警戒させることもないじゃないか。敵を欺くにはまず味方からってね。」
 「・・・相変わらず食えねえ野郎だなてめーは。」
 「君にそう言ってもらえて光栄だよ、承太郎。」
 承太郎が何を言おうと、花京院は柳に風と受け流す。こんなふうに交わされる会話は、ひどく久しぶりだと、承太郎はそうとは知らずに目を細めていた。
 SPW財団の研究室に半ば監禁された状態で、外へは出たくないと、怯えたように言っていた花京院は、今はどこにもいない。
 そこにすらりと立った、ずっとその姿しか知らなかった緑の制服姿でいる花京院に、強烈な既視感を覚えて、承太郎は、エジプトへ旅した、あの50日間に引き戻されている。
 承太郎の記憶の中にいる花京院そのまま、花京院が目の前にいた。薄い唇に、かすかな、不敵にも見える笑みを浮かべて、隠しているはずの自信がにじむその姿は、目の怪我から回復して戻って来て、突然街角に姿を現した時にそっくりだ。
 安堵や懐かしさや嬉しさの、ごちゃごちゃと混ざった気持ちの中に、けれどあの時は、あのままDIOと対決して、あの長い仮死状態に陥る羽目になったのだと、そんな余計なことまで思い出して、承太郎は少しの間、無言になった。
 それでも、姿を現してからずっと微笑みを絶やさない花京院に、ようやく再会したのだと、そう思って、抱きしめるために腕を伸ばそうとした時に、港の方角から飛んできた康一のエコーズが、承太郎に向かって叫ぶ声が、甲板に響いた。
 「本体は倒したよッ! チリ・ペッパーの本体は倒したよ、承太郎さんッ!」
 ふたりは同時に、エコーズの方へ目をやった。


 ジョセフを乗せた船は、ついに無事に港に着いた。
 億泰に付き添われて船室から出て来たジョセフは、よろめく足元も危なかしく、船から下りようとして、案の定途中で転びかけた。
 それまで、まるで他人事のようにそっぽを向いていた仗助が、腕を差し出しかけた康一や億泰や花京院よりも早く、倒れかけるジョセフを受け止める。
 「足もと・・・気をつけねえとよー、海に落っこちるぜ。」
 そう、苦々しげに言う頬が、うっすらと赤い。
 港で引き止めたはずのチリ・ペッパーの本体、音石明が、仗助と康一のすきをついて船に忍び込み、ジョセフを襲おうとした時に折れてしまった杖を、ジョセフはまだ未練がましく手にしていた。
 気まずさと気恥ずかしさを隠せない仗助が、ジョセフの手を取る。
 手を繋いで、肩を並べて、寄り添うように歩き出した、初めて会った父と子ふたりを、全員がそこから見送った。
 「あれがジョースターさんの息子か。君によく似てると思ったけど、でもやっぱりジョースターさんにそっくりだなあ。」
 任務を、ひとまず全うした安堵を隠せない声で、花京院が承太郎のそばで言う。
 その声を聞きながら、ついさっき、忍び込んだチリ・ペッパーを見つけた億泰が、本体である音石を殴り倒した現場に駆けつけた時、その後に続いた億泰の台詞に、花京院が思わず吹き出したことを、承太郎は思い出している。
 2人ともブン殴るつもりだったんだよ。
 SPW財団の制服に身を包んで変装していた音石は、確かにその場にいたSPW財団の男と、億泰にはどちらがどちらと見分けがつくわけもなく、それなのにずいぶんと自信満々に音石を殴った後で、億泰はそう言い放った。
 エジプトの時も、同じようなことがあったなあ。覚えてるかい、承太郎。
 花京院は耐えられないように、承太郎の背中に隠れて、声を殺して笑っていた。
 自分のそばに、寄り添うように誰かが立っていることが、ひどく久しぶりだ。こんな距離まで近づくほど親しい人間の数も極端に少なければ、承太郎の方で寄せつけることも滅多としない。ごく自然に、何の迷いもなく、肩の触れそうな近さに立っている花京院の体温を感じて、承太郎は、心の一部が、確実に10年前に引き戻されているのを感じている。
 あの時のままだ。あの時のままの花京院と、あの時に戻りつつある承太郎が、そこに並んで立って、ゆっくりと小さくなるジョセフの、老いて丸まった背中を、初めて会った息子の仗助が隣りで支えて、一緒に歩いてゆくのを、じっと見守っている。
 「あんまりボケてて、驚いたんじゃねえのか。」
 遠ざかってゆくジョセフの背中の方へあごをしゃくって、承太郎が言う。相変わらずの口の悪さに、花京院が笑顔で承太郎を見上げる。
 「ぼけてるなんて、ひどいなあ。ジョースターさん、僕のことはちゃんと覚えててくれたよ。」
 「当たり前だ、てめーのことを忘れるようじゃあ、本気でヤバいぜあのジジイ。」
 花京院が声を立てて笑う。承太郎が、それを見下ろして、うっすらと微笑む。
 そんなふたりのやり取りを、遠巻きに眺めていた康一が、億泰の制服の袖をそっと引っ張った。
 「ねえ億泰くん。」
 億泰の後ろに隠れるようにしながら、自分の方へ体を傾けてきた億泰の耳元に、康一は背伸びをして小さく訊く。
 「あの人、誰なんだい。」
 承太郎たちに聞かれないように、こっそり質問した康一の気遣いなど、もちろん億泰は気づくわけもなく、まっすぐに承太郎と花京院の方を見て、いつもの声で答えた。
 「あー、あの人ー、オレもよォーよくわかんねェんだけどよォー。」
 億泰の声の大きさに、康一が慌ててまた袖を引く。幸いに、気づかないのか、聞こえていて気にもしていないのか、承太郎も花京院も、お互いとの会話以外に興味もなさそうな様子を崩さずに、そちらを見もしない。
 康一は唇に指を当てて、声を低めてと億泰に合図をすると、質問を続けた。
 「でも、承太郎さんとすごく親しそうだし、仗助くんのお父さんと一緒に来たってことは、ふたりともと知り合いってことなのかな。」
 「そうじゃねーかー? 承太郎さん、よく知ってるみてェな雰囲気だったしよォー。」
 「ふーん、どういう知り合いなんだろう。ぼくらと歳は変わらないみたいなのに、承太郎さんとあんなに親しそうなんて。」
 「もしかして、仗助みてェーに仗助のとーちゃんの別の隠し子とかかなァー。」
 「やめなよ億泰くん、失礼だよ。」
 康一に失言を指摘されて、億泰が慌てて口を閉じて、頭をかく。
 その間も、承太郎と花京院は、聞こえたところで、康一と億泰にはまったくわからない話を続けていた。
 ようやく会えたのが、ジョセフと仗助だけではないことを、康一と億泰は知らない。承太郎と花京院も、ようやく再会できた---ほんとうの意味で---のだと、それを、口にはしないまま、ふたりが喜び合うのに夢中になっているのだと、誰にわかるはずもなかった。
 康一と億泰は、こんなに笑みを絶やさない、楽しそうな承太郎は初めてだと、承太郎にそんな表情をさせる、自分たちとそう歳の変わらない外見の、緑の制服に身を包んだ---とても大人びた---少年を、ただ不思議そうに眺めている。
 他人の入り込めそうにない、承太郎と花京院の周りに漂う空気を敏感に感じ取って、億泰よりは聡い康一は、けれどその意味は汲み取れずに、ひたすらそこで息を呑むばかりだった。


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