雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

5) 深すぎる想い@


 背の低いテーブルを間に向かい合わせに坐って、承太郎と花京院は顔を突き合わせている。
 「スタンドだらけじゃないかこの町は。」
 「考えたくねえがな。」
 テーブルの上に置かれた、承太郎が作ったらしい、この町で今まで出会ったスタント使いたちのリストを眺めて、花京院が感嘆したように言う。
 「ジョースターさんの息子の仗助くんがスタンド使いだろうっていうのは予想してたとは言え、こんなにスタンド使いがうようよしてるなんて、とんでもない話だな。」
 杜王町にとりあえず落ち着いた花京院は、ジョセフとともに、承太郎と同じホテルに滞在することにして、この町の状況について、承太郎からまず説明を受けた。
 承太郎からじかに聞くまで、SPWからは一切知らされたことのなかった、弓と矢の存在に花京院は戦慄し、どういう経緯かその弓と矢を手に入れた億泰の兄形兆、その後は、港で遭遇した例の音石が、町の人たちを無差別に矢で貫いてスタンド使いにしていたらしい、よって、一体誰がスタンド使いで、どんなスタンドを持っていて、その能力で何かろくでもないことを企んではいないかどうか、それを地道に調べてゆくしかないということを承太郎が説明し終わった時には、花京院は頭痛すら覚え始めていた。
 「DIO以上の悪党も、ザ・ワールド以上の能力も、この町には必要ねえ。」
 「スタンド使い自体が、この世には必要ないよ承太郎。」
 膝の上に片肘をついて、頬杖をついた花京院が、苦笑交じりに言う。承太郎は眉をわずかに上げて、かもなと言った。
 「僕や君にできるのは、望みもしないスタンド能力を与えられた人たちを、正しい方向に導くことだけだ。尋常でない力なんて、持ってていいことなんてひとつもない。」
 「それがてめーの見解か。」
 「生まれつきのスタンド使いである、僕のね。」
 花京院は、頬杖のまま、目の前の承太郎に向かって不敵に笑って見せる。それを受けて、承太郎もふっと唇の端を曲げる。
 笑みにつれてわずかに揺れた長い前髪の向こうに見え隠れした、テーブルの上に向けられている花京院の目元の辺りに、承太郎はふと強く視線を当てた。
 不自然に青白かった顔色は、会わない間に、承太郎の記憶の通りの色に戻っているように見えて、常に力強く引き結ばれている唇も、生きている人間の確かなぬくもりをたたえて、承太郎のどんな言葉にも鋭く応えようと、生き生きと身構えているように見える。
 どこにいようとでしゃばらずに物静かなその気配は、けれど今は生気に満ちていた。
 しなやかな強さの込められた言葉の端々に、承太郎は確かな手応えを感じている。卑屈でも自虐でもない、謙虚の素振りもあからさまでない分、驕りもない、ただ自然にスタンド使いであるという態度、自信のにじむそれを、生意気と取る人間もいるだろう。けれどエジプトでの旅をともに経験した承太郎は、確かな根拠に支えられた花京院の自信が、承太郎自身の自信をも支えて、身内を満たす力の感覚に、承太郎はひとり背筋を伸ばす。
 大事な仲間なのだと、改めて思う。言葉を尽くす必要のない、互いのことをすみずみまで知り合っている、友人であり仲間であり戦友であり、そして、もっとそれ以上の領域に踏み込んでいたことは、わざわざ思い出す必要すらない。
 とても懐かしい感覚だ。向かい合うだけで、わかり合っているのだと思える。説明の必要はない。承太郎は、久しぶりに、緊張の糸が少しばかりほどけてゆくのを感じていた。
 花京院が、指を伸ばして紙の上をなぞった。
 「今まで出会ったスタンド使いがすでに10人近く、その中には透明な赤ちゃんまでいて、君や仗助くんと仲間になった億泰くんや康一くんを含めると、サッカーのリーグ戦だってできそうだな。」
 「ルールのいちばん最初に、スタンド能力を使うのは禁止ってのを入れとくのを忘れるな。」
 真顔での応酬はとても冗談には思えないけれど、久しぶりに会って以来、ふたりはこんなやりとりばかりを、とても楽しんでいる。
 花京院は、音石の名前のところで、指先を止めた。承太郎がそこに視線を合わせて、ふたりは上目遣いに互いを見た。
 「・・・鼠か。厄介そうだな。」
 紙をとんと指先で叩いて、花京院が小さくため息を吐く。
 「狩り出すなら、てめーと一緒に行きたいところだがな。」
 SPWの執拗な追求に、ようやく根を上げた音石が、今頃になって、実は矢で鼠を射たことがあると自白したと連絡が入ったのが昨日のことだ。
 自白したその場にいたなら、一生顔の形が変わるほど音石をぶん殴っていただろうと思って、怒りを押し隠して報告を受けた後、承太郎はすぐに花京院の部屋に電話を入れた。
 探索なら、花京院のハイエロファントグリーンが最適だろう。けれど、矢を受けた鼠が、どんなスタンドを発現させているかわからず、万が一ハイエロファントの手に負えない攻撃力を持っていたなら、花京院の身が危険に晒されることになる。体の小さな鼠が近距離パワー型のスタンドを持つとは考えにくく、遠距離型スタンドなら、取り逃したなら、本体を見つけることはますます困難になる。遠隔操作で攻撃された場合、承太郎が時を止めても、本体へ攻撃を仕掛けるには時間が足りない。
 できれば生きたまま捕まえて欲しいというSPWからの要請だったけれど、一瞬で息の根を止めることも念頭に置いておかなければ、こちらが危ないかもしれないというのが、ふたりの一致した意見だった。
 そうなれば、攻撃力を重視した組み合わせで狩りに出掛けるしかない。
 3人では多すぎる。2人が最適だ。ひとりは承太郎として、後のひとりは、どんなスタンド攻撃を受けようと、その場で負傷を治せるクレイジー・ダイヤモンドを使う仗助しかない、クレイジー・ダイヤモンドなら、攻撃力もスタープラチナと変わらない。
 後は、実際の現場で、仗助がどの程度動けるかだ。
 スタンドとやり合うのは初めてではないし、そのどの時もそれなりに切り抜けてきた、それに仗助は、あのジョセフの息子だ。
 「土壇場での度胸はとっくに一人前ってとこだな。」
 「君がそう言うなら、心配することはないさ。きっとうまく行くよ。」
 鼠狩りのための道具のあれこれをリュックに詰め込んだ承太郎が、学校からそろそろ帰ってきているだろう仗助に会いに、部屋を出て行く途中で、花京院の方へ振り返る。
 「無事を祈ってるよ。」
 花京院が、承太郎のためにドアを開けながら、にこやかに言った。
 「てめーはどうする。」
 「僕はジョースターさんの部屋にいるよ。ジョースターさんひとりじゃ、赤ちゃんのお守りは大変だからね。」
 「・・・ジジイと赤ん坊の世話か。ご苦労なこった。」
 何もかも---自分自身も---を透明にしてしまう赤ん坊を、ジョセフと仗助が一緒に見つけてきた時の騒動を思い出したのか、承太郎がちょっと気の毒そうに、花京院に向かって肩をすくめる。
 「赤ちゃんのお守りは、別に初めてじゃないからね、大丈夫だよ。」
 何かを思い出しでもしたようにおかしそうにくつくつ笑って、花京院が珍しい仕草で、承太郎に向かって片目をつぶって見せた。
 その仕草に、肩を後ろに引くほど驚いて、承太郎は、帽子のつばの下で目元を赤く染める。それを見つからないように顔を伏せて、
 「後でな。」
 できるだけぶっきらぼうに言い残して、承太郎は部屋を出る。
 廊下に出てドアを閉める前に、エレベーターへ向かう承太郎に花京院が手を振ったけれど、それにはわざと振り向かなかった。


 承太郎は、思っていたよりもずっと早くホテルに戻って来た。
 ジョセフの拾って来た透明な赤ん坊は、思ったよりも手が掛からず、花京院が、うっすらと傷跡の残る両目を、強い日差しから遮るために持っていたサングラスをやけに気に入って、どこにあるか透けていてよくわからない目の辺りにかけてやると、きゃっきゃっと笑って喜んだ。
 花京院が風呂に入れ、服を着替えさせて、ジョセフがミルクを飲ませると、うっすらと輪郭の見える唇に親指らしきものを差し込んで、ちゅうちゅう吸いながら、おとなしく眠ってしまった。
 その後は、ジョセフとエジプトでの思い出話に花を咲かせ、あの時も赤ん坊の世話をする羽目になったことを、ふたりで笑い合った。
 外がまだ完全に暗くならないうちに、もう部屋に戻ったと承太郎から電話が入り、花京院はジョセフに断りを入れて、ジョセフの部屋を辞した。
 「ずいぶん早かったじゃないか。」
 脱いだロングコートを手に、ソファのそばに立っている承太郎に声を掛けて、花京院は、そのコートを受け取ろうとそちらに足を向ける。
 「日没前に何とか終わらせた。」
 「首尾は?」
 「案外と手間は掛かったがな。」
 花京院へ振り向く承太郎の微笑みは満足げで、疲れているようには見えたけれど、うまく行ったのだと読み取れて、花京院も微笑みで応えた。
 「1匹じゃなく、2匹だった。針を飛ばして、刺したところを溶かすスタンドだったが、仗助のおかげで、五体満足のまま戻って来れたぜ。」
 「やられたのかい、鼠に、君が?」
 上着を承太郎の手から取り上げて、花京院は承太郎の全身を、上から下まで3度眺めた。
 承太郎は、花京院の心配そうな顔を見下ろしたまま、
 「傷は仗助がきれいに治してくれた。仗助が頼りになるヤツで助かったぜ。」
 「的確な人選だったってわけか。」
 承太郎のコートを持って、花京院がドアのそばの、扉のないクローゼットのところへ行く。コートをハンガーに掛けながら、ソファの背に軽く腰を引っ掛けてブーツを脱いでいる承太郎に訊いた。
 「コーヒーでも飲むかい。夕食まだなんだろう。そう言えば、仗助くんは一緒に戻って来なかったのか。」
 丈の高い編み上げブーツの紐を全部外して、脱いだブーツを、承太郎がごろんと床に転がす。珍しく不精な仕草で、脱いだ靴下もそこへ放ると、承太郎は肩の凝りでもほぐすように、首の後ろに手をやった。
 「お袋さんが待ってると言って、そのまま帰った。」
 「なんだ、そうなのか。ジョースターさんが、君と仗助くんが一緒に戻って来るだろうから、そしたら一緒に夕食にしようって言ってたんだけどな。」
 「そりゃ残念だったな。」
 承太郎は、素足の爪先を、薄い絨毯の上に滑らせるように、音も気配も消して、花京院のそばに近づいた。
 歩きながら脱いだ帽子を、承太郎に気がついて顔を向けた花京院の手に渡す。イルカと太陽のバッジのついた白い硬い帽子を受け取って、花京院が物珍しげに、それを眺める。
 承太郎の胸に張りついている薄いシャツから、かすかに汗の匂いがして、そしてそこに、いつも承太郎がつけているコロンの匂いが交ざる。肩が触れそうな近くに立っている承太郎を、花京院は、まぶしげに目を細めて、斜めに見上げた。
 「鼠のせいで、あちこち散々引きずり回されたからな。草むらに畑の中に、ヒルのいる水たまりにも入ったぜ。」
 起こったことをすべて報告するように、承太郎が言った。まだ口元は微笑んだままだ。
 「じゃあ、とっととシャワーを浴びて着替えろよ。そしたら、ジョースターさんを誘って、一緒に夕食に行こう。」
 笑って言った花京院の頬に、承太郎の大きな手が添えられた。
 「・・・てめーも、一緒に浴びるか。」
 そう言った時には、承太郎の唇はもう目の前に来ていて、花京院が返事をする前に、親指が唇に触れていた。笑みを消して、少し体を硬張らせて、花京院は承太郎の唇を、久しぶりに受け止めていた。
 手にしていた承太郎の帽子が手から落ちて、床の上に転がった。
 軽く持ち上げられたあごから、承太郎の指先が喉を探る。壁際に追いつめて、そこから逃げられないように、腕の輪の中に花京院を閉じ込めて、承太郎の指が、花京院の制服の襟にかかった。
 花京院がどんな時も人前では外したことのない襟のホックに、内側から触れる。その外し方を、一瞬忘れていて、そう言えば、学生服になんか高校を卒業して以来触っていないことに、承太郎は今さら気がついていた。
 ようやくホックをかちりと外して、制服の最初のボタンを外す。案の定、首まできっちりととめられている、中の白いシャツの小さなボタンは、承太郎の大きな指先には少し余る。
 制服の内側に手を差し入れようかどうか迷ってから、代わりに、承太郎はもっと近く花京院に体を寄せると、壁と自分の間に花京院を挟むように押しつけて、花京院の頭を抱え込んだ。
 およそ12年ぶりの、花京院のあたたかな唇だった。
 SPWの研究所では、あちこちに監視カメラが設置されていて、互いに手を伸ばすことさえためらわれ、ひどく痩せてしまった花京院にそんなことを仕掛けるのに、罪悪感も湧いた。ずっと耐えていたものが、堰を切ってあふれ、触れることを拒まれないことを、確かめるだけのつもりだった接吻に、次第に埒外の熱がこもる。
 向き合っていれば、大人びた態度に変化はないのに、こうして腕の中におさめた花京院は、何だかひどく小さくなってしまったように思えて、受け身にしか反応を返して来ないのに、承太郎は少しばかり焦れる。待っていたのは自分だけだったのだろうかと、一人相撲を恥じながら、けれど費やした時間の長さを埋め合わせるように、承太郎は、いつのまにか我を忘れていた。
 花京院は、行き場もわからず壁に這わせていた手を、ようやく覚悟を決めて承太郎の腰に回す。薄いシャツの下の筋肉は、覚えているそれよりももっと確かに、花京院の指先を弾き返してくる。いっそう厚みを増したように思える承太郎の体に、もう自分の腕は回らないのではないかと、そんなことを考えながら、ただそこで震えていた。
 さっきよりも強く、コロンの香りが、鼻先に立った。大人の男の匂いだ。今の承太郎にとてもよく似合う、甘さは微塵もないくせに、匂った途端に、意識を奪わずにはいない香りだ。
 その香りに包まれて、承太郎に抱き寄せられて、ごく自然に承太郎の舌が割った唇を、花京院は、抵抗もなく開いてゆく。そうして、歯列をなぞった後で、承太郎が絡めてくる舌に、酔ったように体の力を抜いた。
 迷いのない承太郎の動きに、何もかもを絡め取られて、波にでも乗るように、すべてを任せていればいいのだと思いながら、それでも、こんなことにはもう慣れ切ってしまっているらしい承太郎の様子に、それを当然と思うと同時に、心をざわめかせている花京院がいた。
 花京院は、耐えるように、承太郎のシャツを握り込んだ掌の内側に、自分で爪を立てていた。
 ほんとうに、10年もの時が流れ去ってしまったのだと、今までのどの時よりも、承太郎の口づけに感じている。
 誰と、何人と、どのくらい、こんなことをしてきたのか。承太郎が今花京院に注いでいる接吻の深さに、花京院の知らない承太郎の10年間が、透けて見える。こんなふうに、ためらいも戸惑いもなく振舞えるほど、あの頃の、舌を触れさせる接吻の仕方さえ知らなかった承太郎は、花京院を置き去りに大人になってしまっている。
 あんな口づけの仕方を、承太郎に最初に教えたのは、確かに花京院だ。けれどその後に、一体誰と一緒に承太郎が10年を通り過ぎたのか、唇を重ねるだけではなく、熱を持った肌をこすり合わせるだけではなく、もっと親密に躯を繋げることも、承太郎は覚えてしまっているに違いない。
 承太郎は、花京院とふたりで必死になっていたことが、どれほど子どもの遊びじみていたか、思い知って、自分自身を笑ったろうか。あれはほんとうに、ただの子どもの遊びだったのだと、そう知って、あの他愛もない時間を、ただ懐かしさだけで思い出すようになったのだろうか。
 花京院はけれど、あの時間の中に、まだ子どものままで閉じ込められている。承太郎の口づけを、ただ震えて受け止めるしか術はなく、そして、大人の余裕であしらわれることを、心底嫌悪する気持ちが湧いた。
 ようやく唇が離れて、まだ自分を見下ろしている承太郎の、ひどくせつなげな視線をするりと外して、花京院は壁に背中を滑らせた。
 「・・・ジョースターさんの部屋で待ってるよ。早く、シャワーを浴びたらいい。」
 湿った唇を拭うようにしながら、花京院は、承太郎の腕を抜け出して、もう承太郎の方を見ようとはしない。
 「・・・花京院。」
 何か言いたげに声を途切れさせた承太郎をそこに残して、花京院は、足早に部屋を出た。
 廊下に出て、ドアが開かないことを確かめてから、承太郎が外した制服のボタンと襟のホックを、震える指先で元通りにする。そうしながら、自分の手元を見ている視界がうっすらと涙で歪み始めると、子どものような仕草で、ごしごしと目元を拭った。
 承太郎と、つぶやいていたのは、17の承太郎に向かってだったけれど、花京院は、それには気づかないふりをして、何事もなかったような無表情を作ると、ジョセフの部屋へ向かって歩き出した。


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