雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

5) 深すぎる想いC


 承太郎はその日、学校の外で仗助を待っていた。
 億泰や康一と、正門をくぐって出て来たところをつかまえて、ひとしきり、3人のおしゃべりに付き合う羽目になった。
 「昨日、花京院さんに会ったんスよッ!」
 やけにうれしげに億泰が言う。そうなんですと、目を輝かせて康一が承太郎を見上げた。
 数分、どんなことを話したと、わざわざ億泰と康一が承太郎に伝えてくるのに、ちょっと肩をすくめている仗助に目配せして、ほどほどのところで止めさせるのに、さらに3分かかる。
 「あいつがそんなにしゃべるのは珍しいな。」
 承太郎は、努めて感情を込めずに、それだけ言う。
 億泰が、それを反応してもらえたと勘違いしたのか、また勢い込んで人差し指を顔の前に立てる。
 「そうなんっスよ! オレらもびっくりして、でも楽しかったよなァー、康一ィー。」
 「うん、いろいろ聞けて面白かったよね。」
 承太郎が、ちょっと頬の辺りを硬張らせたのに、仗助だけが気づいて、慌てて億泰を小突くと、
 「オメーら、いいから先帰れよ。オレ、承太郎さんと話あるからよォー。」
 なんだよォと毒づきながら、それでも素直に口をつぐむと、億泰はじゃあと手を振り、康一も連れ立って、
 「承太郎さんさようなら、花京院さんによろしく。」
 手を振りながら帰って行った。
 ふたりの姿がずいぶん小さくなってから、承太郎はようやく仗助の方へ向き直る。
 「あいつと、どこで会ったんだ。」
 不機嫌ですらない、まるきり感情の読めない平坦な声に、仗助がちょっと戸惑って、頭の後ろに手をやりながら、歯切れ悪く応えた。
 「カフェ・ドゥ・マゴで、花京院さん見かけて、花京院さんひとりだったから、オレらもいいっスかってテーブルに押し掛けて・・・億泰と康一は先に帰ったんスけど、オレはその後もいろいろ・・・。」
 広い肩を縮めて、まるで叱られているように、仗助が上目遣いに言う。
 何も言わない承太郎に、仗助が突然思いついたように、慌てて顔の前で手を振った。
 「あッ! でも別にマズイこととか聞き出したりとか、そんなことしてないっスよ! 康一がエジプトの時のこと聞きたそうにしてたの、オレちゃんと止めたんスからッ!」
 「・・・そんなことは心配してない。」
 ぶっきらぼうに言い捨てて、仗助を促して、承太郎は先に歩き出した。
 足早に肩を並べてくる仗助に、前を向いたままで話を始める。
 「昨日は、特に変わったことはなかったのか。新手のスタンド使いを見かけたって話は?」
 「なんッにもないっスよ。学校でも変な噂も聞かねーし。あの、オレそっくりに化けて、承太郎さん狙ってたスタンドのこと覚えてます? 間田ッつーあいつ、なんか最近康一に懐いてるッつー話だし、オレが相当痛めつけといた、マンガ家の岸辺露伴てヤツも、そろそろケガ治って、でもおとなしくしてるみたいだし、平和なモンっスよ。」
 「・・・何もないならその方がいい。ただ、油断はするな。」
 「ういーッす。」
 どこへ行くと定めているわけでもなさそうだったけれど、迷いのない承太郎の足の運びに、少し足を速めてついて行きながら、仗助はちょっとふざけて返事を返す。
 横断歩道をふたつ渡って、街中へ入った辺りで、承太郎が不意にさり気なく訊いた。
 「花京院とは、どんな話をしたんだ。」
 仗助は、少しの間、うっかり足を止めた。
 さり気ない訊き方だったけれど、承太郎は明らかに花京院と自分たちのことを気にしていて、どんな時も汗ひとつかかない承太郎に似合わないそんな素振りに、仗助は思わず呼吸を奪われる。
 「どんなッつーか・・・じじいが、エジプトですごかったっていう話とか、花京院さん、すげえじじいのこと尊敬してるとか。」
 ちょっとあごに曲げた指を当てて、舗道に足を止めたまま、自分を見つめている承太郎に、仗助は必死で言葉を選ぶ。
 承太郎は、いつものように背筋を伸ばして、表情すらろくに読めないけれど、それでも、何か穏やかでない空気が、その厚い肩の辺りに漂っているのがはっきりと仗助には見えた。
 「あとは、エジプトに行くまでに出会ったスタンドのこととか、あッ! 目の傷も見せてもらったんスよ!」
 自分の目元を指差して、仗助は、秘密を分け合うように顔を近づけた時の、こちらの頬に触れそうだった、花京院の長い前髪のことを思い出していた。
 帽子のつばの下で、承太郎がにらむように目を細めたのに気づかずに、他には何があったかと、また考え始める。
 承太郎は、ちょっと肩をそびやかして、また歩き始めて、慌てて後を追ってくる仗助に、今度は顔を振り向けることもしない。
 歩く道が、少しばかり混んでいる。ふたり並んで歩けなくて、カフェ・ドゥ・マゴの前を通り過ぎるまで、仗助は承太郎の後ろを歩いた。ドゥ・マゴを通り過ぎた時に、承太郎が、誰かを探すように、顔をそちらに向けて、まるで腹を立てたように唇の辺りを歪めたのを、仗助は確かに見た。
 自分---たち---が何かしただろうかと、珍しい承太郎の不機嫌な様子に、仗助はちょっと青くなって、あれこれ原因を考える。
 とりあえず何も思いつけずに、あるいは、ありすぎてどれかわからず、機嫌の悪さが過ぎて殴られるなら、クレイジー・ダイヤモンドで応戦するだけだと、勇ましいことを考えている間に、ようやく歩調をゆるめた承太郎が、長いコートのポケットに両手を差し込んで、うつむいて、仗助と肩を並べてくる。
 「あいつは、他のケガのことは、何か言ったか。」
 「長いこと入院してたって大ケガのことっスか? 別にー。ただ、無茶すんなって医者に言われたって、言ってたくらいで。」
 「・・・そうか。」
 わずかにショックでも受けたように、横顔を硬張らせたのは、そのことをまさか承太郎が知らなかったのか、あるいは、花京院がまさか仗助にそんなことを言うと思っていなかったからなのか、どちらかと訊くわけにも行かず、仗助は、承太郎と花京院は、そう傍目に見えるほどは親しくないのだろうかもしかしてと、そんなことまで考え始めていた。
 承太郎が、花京院のことを話題にしたがっているのは確かだと、その自分の判断に従って、仗助はとりあえず話題を変えることにした。
 「花京院さんて、兄弟とかいないんスか。」
 ふと思いついただけの、意味もない質問だった。
 「さあ・・・どうだったか、おれは知らん。」
 深く考えもしない様子で承太郎が答え、仗助が、その答えに、うっかり声を上げて驚いていた。
 「え、承太郎さん、知らないんスか、花京院さんに兄弟いるとか、そういうこと。」
 仗助が驚いているのに驚いて、承太郎がまた足を止める。
 ひとり息子---仗助もそうだけれど---の承太郎は、そもそも、知り合った人間に兄弟がいるかどうかを気にする習慣がない。それでも、仗助の様子から、その程度のことは当然知っているくらいに、花京院と承太郎は親しいはずだと、仗助が思っているのだと知れて、承太郎は初めて、花京院について知っていることを心の中で数え上げようとしてみた。
 その試みは、始まる前に、数えるのに指すら必要なさそうだと察せられて、承太郎は、自分にますます腹を立てる前に、それをやめた。
 「知らんな。おれもあいつも、そういう話はしたことがない。」
 動揺していることを悟られないように、必死で声の震えを隠す。それでも、聡い仗助は、承太郎の心の動きに気がついて、ひどく淋しそうに眉の端を下げる。
 「・・・親友なのに・・・?」
 仗助の押し殺したような声が、ひどく胸に響いた。
 知らずに、耐えるように、拳を握りしめていた。
 他愛もないことを話し合えるほどの時間すら、自分たちに与えられたことはなかったのだと、そう仗助に言い訳しても、仕方のないことだ。
 それでも、自分を慰めるために、口を開かずにはいられない。
 「10年も前に、2ヶ月一緒にいただけだったからな・・・。」
 血の繋がりゆえなのか、承太郎の心の機微にだけはやけに敏感な仗助が、承太郎の---理由まではわからない---胸の痛みを写したように、目の前でしょげ返っているのを見て、ようやく年長者の余裕を少しだけ取り戻すと、承太郎は仗助の肩を抱き寄せて、仗助自慢のその髪を壊さないように気をつけながら、頭の後ろを撫でてやる。
 「仗助、トラサルディーに行くぞ。おごってやる。」
 え、と顔を上げた仗助を置き去りにして、作った笑顔だけを横顔で見せながら、承太郎は先にさっさと歩き出す。
 「承太郎さんッ! 待って下さいよッ!」
 仗助が走って来て、承太郎の背中に飛びつくのを受け止めながら、こんなふうにじゃれ合うことすらまだない、花京院との関係を、承太郎はまた考えていた。


 仗助を送ってホテルに戻って、自分の部屋へは向かわずに、まずジョセフの部屋へ行く。
 思った通り、中からドアを開けたのは、花京院だった。
 「お帰り承太郎。」
 部屋の奥では、ジョセフがソファに坐って、相変わらず腕にあの赤ん坊を抱えている。
 「なんじゃ遅かったな、何かあったのか。」
 承太郎がそばに行くと、言葉はともかく、いたわるようにそう訊いてくるジョセフは、歳を取って、あの包み込むような笑みが、ますます深い。
 「なんでもねえ。今日も何もなしだ。」
 赤ん坊に気を使って、静かに隣りに腰を下ろし、ソファの背に首を伸ばした。
 「コーヒーでも飲むかい。どうせ夕食はすませて来たんだろう?」
 言いながら、もう、小さな冷蔵庫の上に置いてあるコーヒーのポットを、取り上げたカップの方に傾けている花京院を見やって、承太郎は素直にうなずいた。
 「ここしばらく、妙に静かじゃのう。何だか、嵐の前の静けさとでも言うような、そんな予感がせんか、承太郎。」
 昔よりもずっと通りの悪い細い声で、ジョセフが、けれどしっかりとした口調で言った。
 「縁起でもねえこと言うんじゃねえジジイ。」
 即座に口悪くやり返して、この祖父と孫のやり取りは、10年前から一向に変わる様子もない。
 花京院が、音もなく近づいてきて、承太郎の前にコーヒーのカップを差し出す。
 「でもジョースターさん、これだけスタンド使いが現われた後なら、もしかして、この街のスタンド使いはこれで全部で、もう何も起こらないってことも考えられませんか。」
 「どうかのう。その考え方は楽観的すぎるとワシは思うぞ、花京院。」
 「そうでしょうか・・・。」
 こうして揃うと、まるでエジプトの時のようだ。どれだけ緊張を解いて、談笑しているように見ても、常に辺りに気を配って敵からの襲撃に備えている。ごく自然に、そうなってしまう3人だった。
 外にいる時よりも、確かに気は抜いているのに、神経はきちんと立っている。1秒もかからずに戦闘態勢に入れるように、3人とも、ちりちりと焦げるような、ぴりぴりと痺れるような心地良い緊張感は、絶対に忘れない。
 それを心地良いと感じてしまうのは、けれど決して誉められたことではないのだろう。
 承太郎は、ふたりには見えないように苦笑をこぼして、まだ自分のそばに立ったままの花京院を、不意に見上げた。
 「仗助や億泰たちにつかまったらしいな。」
 少しばかり苦労して、笑いを含ませてそう言うと、途端に花京院の口元がほころんだ。
 「ああ、仗助くんたちに聞いたのかい。」
 昨日のことを思い出しているのか、承太郎から数瞬視線を反らして、花京院は笑みを顔いっぱいに広げた。
 「彼ら、僕のことをただの高校生だと思ってるから、僕に、この町の高校に編入すればいいって、そんなことまで言うんだ。」
 「それはいいかもしれんのう。」
 間髪入れずに、ジョセフが言った。
 丸い老眼鏡の向こうで、もう昔ほどは力のない目を、いっぱいに輝かせて、ジョセフが明るい声で続ける。
 「本当ならおまえはまだ高校生なんじゃし、もし学校に行きたいなら、SPWにワシが話して、手続きしてもいいんじゃぞ。」
 うきうきした口調が、孫の入学を喜ぶ祖父そのままの口調のようで、花京院と承太郎は、思わず揃って微笑んだ。
 「何も、ワシに1日中付き合わんでも、仗助たちと一緒に学校に通わんか。」
 昔なら、そこで言いつけるような、そんな口調になったはずの語尾が、今はあくまで、花京院の気持ちを聞きたいと言う、そんな優しさばかりの声音になっている。それに気がついた花京院は、ジョセフの老いように、ほんの少し淋しさを感じて、けれどそれは微笑みの後ろにきちんと隠すだけの節度を、忘れるはずもない。
 「お気持ちはありがたいんですが、ジョースターさん、学校に行く話は、何もかもが終わってから考えます。今は、承太郎や仗助くんを助けて、この街が元通り静かになるようにするのが先ですから。」
 ふたりのやり取りを、承太郎は黙って聞いている。
 承太郎とジョセフは、血は繋がっていても、一緒に暮らしている家族というわけではない。花京院は、赤の他人だ。10年前に、エジプトに一緒に行ったというそれだけの関係が、実の親子や兄弟のそれよりも、もっと親 (ちか)しいものとして感じられるのはどうしてだろうかと、実の孫のように、花京院のことを思いやるジョセフを見て、承太郎はひとり考える。
 エジプトへの旅は、それほど自分の中で意味深いものとなったのだと、もうずっと感じていることを、改めて思う。
 縁という、ひどく曖昧なものの存在を、ふと信じる一瞬に襲われて、承太郎はゆっくりとまた花京院を見上げた。
 「もう1杯、飲むかい?」
 承太郎の手の中のカップを指差して、花京院が訊く。それに、どうしてかまぶしげに目を細めて、承太郎はようやくああとうなずいた。
 あの50日が、自分たちをこれほど深く結びつけたのだと、そう自分に言い聞かせて、だから、他の誰かに嫉妬する必要はないのだと、承太郎は思おうとした。
 カップを差し出して、それを受け取る花京院の指に、わざと触れる。そのぬくもりに、承太郎は、花京院が今生きてここにいるのだということを、今までのどの時よりも強く感じている。
 抱き寄せたいという衝動を抑えて、くるりを背中を向けた花京院を、今はやるせなく見つめるだけの承太郎だった。


    戻る