雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

7) その一瞬にA


 いやにもたもたと、上着を奪おうとしているその手に、ハイエロファントグリーンを伸ばそうとして、花京院はふと思い直す。
 それよりも今は、死んでしまっている店主の口の中で、突然またキュルキュルと不気味に動き出した戦車の方が気になって、自分よりも先に、上着の方へ走り出そうとした康一を、花京院は咄嗟に自分の腕の中に抱え込んだ。
 店主の口の中で、キャタピラの動きを止めた代わりに、カチカチと、戦車が時計のような音を立てる。まさかと思って、それに背を向ける形で体をひねった瞬間、大きな爆発音とともに、店主の体が吹き飛んだ。
 戦車のスタンドの爆発は、焦げた跡や匂いを一切残さず、そして、ふたりが思わず伏せた床から体を起こしてみれば、店主の体も跡形もない。薄い煙だけ-- -それもおそらく、スタンド使いでなければ見えないのだろう---が、爆発の名残りのように、わずかに立ち昇っているだけだった。
 あの戦車は、爆弾のスタンドだったのだ。目標に突っ込んできて爆発する。おそらく重清少年も、こんなふうに攻撃されたのだろう。今は影も形もない店主の、死体が転がっていた辺りを、康一が呆然と眺めている。重清少年が、かき消えたように姿を消したのは、こういうことだったのかと、花京院はその爆弾スタンドの見事な仕事ぶりに、形の良い眉を寄せる。
 その爆発にまぎれて、ドアの向こうにいた上着の持ち主---殺人鬼は、まんまと証拠を手に、姿を消してしまったのか、洋服掛けに残っているのは、今は空になって揺れるハンガーだけだ。
 半分開いたドアの向こうで、必死に駆け去る音が聞こえた。
 「ヤッ・・・ヤツが逃げるッ!」
 その音を追って前へ動いた康一を、花京院はまた慌てて引き止めた。
 「康一くん、追うんじゃない!」
 つかまれた肩を振り払うように、必死で体をねじる康一を押さえて、花京院はまだ店の中に目を配ることをやめない。そうしながら、まだ暴れる康一を自分の傍に引きつけて、どうして止めるんだと、にらみ上げてくる康一に、ひどく冷たい声を使った。
 「ヤツは多分、間違いなく近距離パワー型スタンドだ。でなければ、あんなもたもたした動きで、僕らをあそこへ誘おうとする必要はなかったはずだ。」
 「誘う・・・?」
 ようやく、ばたばたと動くのはやめて、けれど疑り深い目つきのまま、康一が繰り返す。
 「上着を引っ張っていた時だ。あれは明らかに僕らを近くへおびき寄せようとしていた。」
 康一が、今は決して自分から離れたりしないように、そして防御のために、花京院は足元に這わせているハイエロファントの気配を完全に消して、何かがまた襲ってくることを予想して、そこから一歩も動かない。
 「僕らが近寄って来ないと見ると、今度は逃げ出した。だが、15年以上も殺人を犯し続けて逃げ延びているのなら、絶対に僕らも今確実に消そうとするはずだ。」
 花京院が言おうとしていることを悟ったのか、康一がまたさっと青冷める。
 本体は去った。けれど、ふたりをここで消してしまうために、あの殺人鬼は何かを残して行った。
 「あの爆弾スタンドッ!」
 思わず叫んだ康一が、また花京院にしがみつく。怯えたように、今はしんと何の音も気配もない、破壊の跡すらない店の中を、お化け屋敷のように見回した。
 あの、キュルキュルという音はどこからも聞こえず、一緒に耳を澄ましたふたりは、背中合わせに、数秒、身じろぎもしない。
 そうして、背中越しに、康一が、早々と緊張を解いた気配があった。
 「・・・花京院さん、何にも、襲ってきませんよ。」
 花京院が、すでに注意深く店全体にハイエロファントを這わせて、爆弾の位置を探っていることを知らない康一は、もう身構え続けることに飽きて、花京院の方へ振り返る。
 「それより、ヤツを追った方が・・・。」
 大袈裟じゃないかと、自分の声に応えもしない花京院を見上げて、それから、殺人鬼の去って行ったドアの方へ視線を移した。エコーズを飛ばせば、まだ近くにいるだろう犯人を見つけられるかもしれない、そう思って、スタンドを出そうとドアの方へ身構えた。
 その瞬間を狙っていたように、康一の正面の、靴を並べてある台の下から、靴を弾き飛ばしてあの戦車が飛び出してきた。
 靴の革の破片が辺りに飛び散って、戦車はまるで康一の喉に噛みつくように、鎖骨の辺りに飛び掛って、そこから昇り進んでくる。回るキャタピラが食い込んで、頬の辺りの皮膚が裂けた。
 「うわああああああああ」
 康一の悲鳴に振り返った花京院は、床に這わしていたハイエロファントの触脚を、素早くその戦車に向かって絡みつかせる。
 「ハイエロファント・グリーンッ!」
 戦車を引き剥がそうと、必死になっている康一を助けて、ハイエロファントが戦車に手を伸ばす。突然目の前に現れた花京院のスタンドに驚いて、康一が一瞬腕の力を抜いた。
 コッチヲ見ロッ!
 戦車は、ギュルギュルと康一の髪とキャタピラに噛みながら、容赦なく顔の皮膚を裂こうとする。
 ハイエロファントは懇親の力を込めて、康一の目にまで噛み進んでしまう前に、ようやくその戦車を康一から引き剥がして、床に叩きつけた。
 戦車は、ひびも入らずに床を丸く砕いただけで、少し歪んでしまったキャタピラをギュルギュル鳴らしながら、よたよたと体勢をまた整える。
 「エメラルド・スプラッシュ!」
 こちらに向かって来ようとする戦車に向かって、花京院は、エメラルド・スプラッシュを集中させて発射した。無数の翠の光が、束になって戦車に降り注ぐ。戦車は撃たれて傾き、そこから弾け飛んだ。
 血の流れるこめかみの辺りを押さえて、康一が花京院のすぐそばに寄って来る。
 「や、やった・・・?」
 わずかに弾んだ康一のその声の調子を裏切って、戦車は、何事もなかったかのように、また床の上をギュルギュルと走り始めた。
 「なんてヤツだ・・・。」
 花京院は眉をひそめた。
 ダメージがなかったわけではない。戦車のキャタピラはすでに片方は外れて、外側の装甲部分も、明らかに一部が壊れて内側が剥き出しになっている。それでも戦車は、ふたりに向かって、ギュルギュルと走ってくる。
 花京院は、また、エメラルド・スプラッシュの集中放射をかけた。
 2度3度、この爆弾のスタンドが、もう動けないほど壊れてくれることを祈りながら、何よりも、自分たちに近づかせないために、けれどいくらエメラルド・スプラッシュを浴びせても、戦車の進撃は止まることがない。
 たいていのスタンドは、エメラルド・スプラッシュの直撃を受ければ、ただではすまない。人間でいうなら、肉を裂いて骨を折る程度のダメージは、必ず与えられる。この戦車も、間違いなくその程度のダメージは受けているはずなのに、突っ込んでくるスピードは変わらず、今では、店の内部の方が損傷が激しい有様だ。
 その執念深さにぞっとしながら、これはようするに、本体がそれだけ自分たちふたりを消すのに必死ということだと、そう思って、花京院は額の汗を拭った。この爆弾スタンドは、おそらくどこまでも自分たちを追ってくるだろう。自分たちが、この世から確実に消滅するまで、このスタンドは決して攻撃を止めないに違いない。厄介なことになったと、花京院は、康一の肩に手を置いた。
 「康一くん、聞いてくれ。」
 言いながら、またこちらに飛びかかってくる戦車を、ハイエロファントの触脚で編んだネットで受け止める。そうして、なるべく遠くへ、店の正面の窓ガラスに向かって放り投げた。
 ガラスを破って、道路まで出て行った戦車は、腹を見せてしばらく引っくり返っていたけれど、勢いをつけて元に戻ると、またギュルギュルとこちらへやって来る。けれど店の中に戻ってくるまで、ほんの数秒は、間が稼げるはずだ。
 花京院は、康一を引き寄せてから、動くなと短く言って、辺りにするすると結界を張った。天井から床まで、すき間もないほどほどいたハイエロファントを張り巡らせて、少なくともこれで、結界に触れれば発射されるエメラルド・スプラッシュで弾き飛ばされる戦車は、少しの間は、ふたりのそばへは寄って来れない。
 康一が、辺り一面に、蜘蛛の巣のように張られた、光る翠の触脚に、驚きの目を見張る。
 「康一くん、僕がこれから言うことを、よく聞くんだ。」
 久しぶりの闘いに、もう息が上がっている。思わず腹の傷跡を押さえながら、花京院は、必死で息を整えた。
 「あの上着の持ち主、残念ながら名前は読み取れなかった。だが、服の大きさから、おそらく僕と大して変わらない体格だろう。あれは、承太郎くらいの歳の、大人の男が着るデザインだった。ボタンを付け直すくらいでこんな店に預ける程度には裕福な、ひとり暮らしの男か、そんなところだ。」
 「だ、だから?」
 康一が、こんな時に何を言っているのかと、花京院を見上げた。
 壊れた窓ガラスを乗り越えた瞬間、戦車は、結界に触れて発射されたエメラルド・スプラッシュに、また外へ弾き出される。
 花京院の結界に守られて、戦車がまだ襲っては来れないことに、よかったと息を吐いた康一の隣りで、けれど花京院は、結界を張り続ける体力を、すでに失いつつあった。
 「ヤツを今逃がしても、それだけわかれば、承太郎や仗助くんたちが、きっとヤツを見つけてくれる。でもそのためには、それを承太郎たちに伝えなければならない。康一くん、僕は全力で君を守る。これから何が起ころうと、君はちゃんとここから無事に逃げて、承太郎たちにそれを伝えてくれ。ヤツの、このスタンド能力のこともだ。君は、自分の身を守ることだけを考えてくれればいい。この爆弾のスタンドは、僕が何とかする。」
 何か手があって、そんなことを言ったわけではなかった。だるい手足が、もう思い通りに動かなくなっているのに、胸の中で歯噛みしながら、康一だけは、たとえ完全に無事ではなくても、この場から逃がさなくてはと、花京院は、そろそろ自分から離れた辺りから、ぽろぽろと結界が崩れ始めているのを見ていた。
 康一が、戸惑った表情で花京院を見て、それから、またこちらへ向かってくる戦車を見て、意味もなくそれを指差す。崩壊した結界は、エメラルド・スプラッシュを発射もできず、目の前まで迫った戦車を止めるために、花京院は結界を完全に解いてハイエロファントを自分の前に戻すと、康一を向こうに突き飛ばした。
 咄嗟に、ハイエロファントが戦車を組んだ両腕でガードし、もうぼろぼろのくせにまだギュルギュルと回り続けているキャタピラが、その腕を容赦なく噛む。
 制服が引き裂かれ、花京院の腕からも血が滴った。
 「花京院さんッ!」
 「来るんじゃないッ!」
 コッチヲ見ロ。
 不気味な声が聞こえた瞬間、カチカチと、あの時計のような音が重なった。危ないと、ようやく腕を振って、空に放り上げた戦車が、そこで大きな爆発を起こす。ハイエロファントが、かばように花京院に覆いかぶさって、けれど肩の後ろに衝撃を受ける。
 「・・・触ってると、爆発するんだ・・・。」
 康一が呆然と言った。
 花京院は、よろよろと床から起き上がると、かすむ視界の中に、忌々しいほど元気な戦車の動きを、ぼんやりととらえていた。
 「花京院さん! このままだと、いつか爆破されるッ!」
 ずたずたに裂かれた腕を伸ばして、顔を真っ赤にして叫ぶ康一をその場に止めて、
 「僕から離れていろ、康一くん。」
 花京院はまた立ち上がりながら、もう力の入らない声を、それでもしっかりと低くして、念を押すように言う。
 康一を先に逃がしたかったけれど、万が一、ここで仕留め損ねれば、爆弾はきっと康一を追って行くだろう。花京院自身がこれほど手こずっているこのスタンド相手に、康一がひとりで無事に逃げ切れるとはとても思えない。逃げ出して、すぐに承太郎や仗助たちと合流できるという保証でもない限りは、康一をひとり行かせるわけにも行かなかった。
 承太郎がいてくれればと、考えても仕方のないことをふと考える。
 ふらりと立ち上がって、今は離れている自分たちの、どちらを戦車は先に襲う気かと、痛む肩を押さえて、花京院は待った。さすがに、もう大半が外れてしまっているキャタピラのせいで、進むスピードは少しだけ落ちている。
 「か・・・花京院さん。」
 体力と一緒に血も失いながら、もう呼吸もまばらな花京院とは対照的に、康一は興奮気味にやたら手足を振り回して、戦車の動きにだけ集中しようとしている花京院を、必死に自分の方へ振り向かせようとした。
 ちらりと視線を送った花京院に、康一が勢い込んでしゃべり始める。
 「遠くから操作するスタンドは、決して強力なパワーでは動けない、でも、こいつの今の攻撃のパワーと爆破衝撃、本体が近くにいなくっちゃあ、とても納得できない破壊力です。」
 戦車が、ギュルギュルと、また近づきつつあった。
 「10メートル以内に本体がいなくては、あれほどのスタンドパワーは出ないと思うんですッ!」
 ハイエロファントが、エメラルド・スプラッシュを集中放射した。戦車は弾け飛んだけれど、もう店の外へ追い出せるほど、ハイエロファントにパワーがない。
 「それで?」
 平たい声で、康一の方をもう見もせずに、花京院は言った。
 じれったそうに、康一が眉の端を上げて、殺人鬼が去って行ったドアの向こうを指差しながら、またいっそう興奮したように声を張り上げる。
 「10メートルですよッ! この建物の近くにヤツが潜んで、あいつを操作しているのは間違いないッ! ぼくのエコーズは射程50メートル、犯人を探せますッ!」
 一瞬だけ、うつろに康一を見やって、花京院は、残った力を振り絞って、戦車の道筋に、小さな結界を張った。もう、それが精一杯だった。
 そうやって、戦車を引き止めておいてから、康一の方へ振り返る。
 「言ったはずだ康一くん、君は、自分の身を守ることだけを考えていればいい。よけいなことはしなくていい。」
 血を流しながら、爆弾を目の前になす術もなく、けれどきっぱりとそう言った花京院に、康一は明らかにむっとして反論してくる。
 「なぜですッ! 爆弾スタンドを倒す方法があるんですかッ! 本体をやっつければいいじゃあないですかッ!」
 結界に阻まれながら、それでも爆弾は変わらない動きで、ふたりを襲おうとこちらに向かってくる。何度か発射されたエメラルド・スプラッシュは、もう戦車を転がすほどの威力もない。
 息を吸い込むたびに、肺の辺りがぎりぎりと痛む。呼吸を止めてしまいたいと思いながら、花京院は、あくまで静かに康一に向かって頭を振った。
 「ヤツはもう近くにはいない。これは遠隔操作のスタンドだ。だから、パワーはあっても、向かってくるだけの単純な動きしかしないんだ。」
 康一は黙り込んだけれど、花京院の言ったことにきちんと納得した表情ではなく、かと言って今、延々と言葉を費やして康一に状況を正しく理解させる時間などなく、目先のことはとにかくこの爆弾スタンドだ。
 元々、ハイエロファントにはこの戦車を破壊できるだけのパワーがないことに歯軋りしながら、動けなくなるまでダメージを与え続けるだけだと、もう大して威力もないエメラルド・スプラッシュを集中放射するために、花京院は結界を解いて、またハイエロファントを自分の前に引き戻した。
 すっと、寒気が首の後ろを襲った。揺れた肩を、倒れてたまるかと必死で元の位置にとどめて、足を踏みしめる。
 爆弾のスタンドが、ギュルギュルと不気味にふたりに迫ってくる。


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