雰囲気的な10の御題/"哀"@loca

7) その一瞬にC


 康一は、落ち着いた仕草で電話を取った。仗助の声が聞こえた瞬間、さっきまでの冷静さは少し失くして、傷ついた花京院を振り返りながら、送話器の中に声を送り込む。
 「花京院さんが重傷なんだ・・・ぼくのせいでそうなったんだけどスグ来て! 承太郎さんと一緒に、早くッ!」
 ---イキナリ言うな! 話が見えねーぜッ!
 ちょっと戸惑った沈黙の後に、何の前置きもない康一に向かって、仗助が向こうから怒鳴って来る。
 「とにかくスグ来てッ! 殺人鬼と出会ったんだッ! ここにヤツのスタンドを捕まえているんだッ!」
 康一に説明を求めている仗助の声を聞きながら、ふと妙な音が聞こえて、そちらへ顔を振り向ければ、さっき勘違いでスイッチは入れたものの、役には立たないとすぐに切ったはずの電気コンロが、今頃温まり始めていた。
 そこはどこだと訊く仗助の声も、送話器を耳から遠ざけてしまえば届かず、康一は驚いて電気コンロの方へ寄った。
 「スイッチを入れた時はすぐに熱くならないで、切ってから今ごろドンドン熱くなって来るぞ!」
 震える手をかざして、その熱さを確かめる康一に、まだ仗助は、電話の向こうでそこはどこだと怒鳴り続けていた。
 康一がそれに気がついたと同様、爆弾のスタンドも、エコーズの文字よりも熱くなっているコンロを察知して、正面についている髑髏の空ろな眼窩が、不気味に光る。そうして、康一がすぐ傍に立っているコンロの方へ、いきなり向きを変えた。
 「まずいッ! 文字を無視して突っ込んでくるッ!」
 思わず叫んだ声が仗助にも聞こえたのか、仗助も負けじと声を張って、また怒鳴って来た。
 ---康一ッ! そこはどこだ?! 早く言えッ!
 康一は、コンロに向かって突っ込んでくる戦車から逃げるために、受話器に叫びながら花京院の方へ走り寄った。
 「くつのムカデ屋だよッ! 承太郎さんはホテルにいるはずだから、早く一緒に来てッ!」
 電話を投げ出して、花京院を引きずって外へ出ようとしたところで、戦車がコンロに激突した。コンロの下に突進し、そこで爆破を起こした戦車は、背中にくっついていた康一のエコーズの尻尾文字も破壊してしまったのか、爆発の衝撃で、軽く外へ吹き飛ばされてしまった康一の背中が、ばりばりと音を立てて裂ける。
 血の吹き出す背中の痛みに、康一は思わず悲鳴を上げた。
 花京院の体は、すぐそばに横たわって、相変わらずぴくりともしない。
 破壊された店の台所から、弧を描いて、戦車が飛び出して来た。相変わらずギュルギュルとキャタピラの回転を止めもせず、背中の傷で地面に這いつくばっている康一に、正面を向けて来た。
 「ま・・・まただ・・・また追ってくる・・・。」
 もう、エコーズの尻尾文字は使えない。花京院は動かない。どうやってひとりで闘うかと思案しながら、とりあえずエコーズを呼び戻そうとした。
 しんとした周囲に、爆破の煙が薄く上がり、そこにはあの凶悪な爆弾スタンドが康一を狙っているだけだ。
 エコーズが現われないのに、康一は辺りを見回すけれど、そこにはあの馴れた気配が感じられず、一体何があったのかともう一度辺りを見渡して、ようやくそれを見つけた。
 真っ二つに割れたエコーズAct2が、そこに横たわっていた。
 康一は真っ青になって、爆破にやられたのかとそちらへ駆け寄ろうとする。そうしてから、スタンドがやられてしまったのなら、本体である自分も無事ではすまないはずだ、とっくに死んでいるはずだということに気がついて、以前エコーズが突然成長を遂げた時のことを、やっと思い出していた。
 あの時と同じだ。エコーズが死んでしまったと思った。けれどそうではなかった。だから、これもそうだ。あの時と一緒だ。
 康一に向かってくる戦車の後ろから、小さな人影がこちらへ向かって走って来ていた。その人影は、戦車の真上に浮かび上がると、康一の目の前に、その姿をはっきりと現した。
 自分自身を写したようなそのスタンドは、まるで考え込んでいるような姿勢を取ると、そこから康一を見上げて、Act3と、とてもくっきりとした声で名乗る。
 目の前に迫る戦車のことも忘れて、康一は、その堂々とした姿に思わず、
 「さん、でしょうか? あなたは・・・ひょっとして・・・。」
 妙に丁寧な言葉遣いで話しかけていた。
 命令シテ下サイ。康一そのままのように、Act3も丁寧に、けれど自信に満ちた声で言う。
 そう言われても、自分のスタンドとは言え、一体どんな能力があるのかまったくわからない。とりあえず考えている時間はなかった。ギュルギュルとこちらにやってくる戦車を指差して、康一は、自分の分身であるAct3に、
 「ぼくらの身を守れッ!」
と、叫んだ。
 一瞬の間の後、ワカリマシタと答えたAct3は、突風を起こしながら、康一の目の前に滑り込んでくる。その凄まじい風圧で、康一の制服はボタンが弾け飛び、康一自身も後ろへ吹き飛ばされた。ズボンの裾に切れ目が入る。かまいたちみたいだと思いながら、向かってくる戦車の前に立ちはだかるAct3の、小さくても頼もしい背中を、康一はじっと見守った。
 Act3は、戦車に向かって拳法のような構えを取ると、腕を伸ばし、掌を重ねて、真っ直ぐにした指先を戦車に突きつけ、何やら叫んだ後で、無数のパンチを繰り出した。けれど当たったはずのそれは何のダメージも与えず、戦車は方向も変えずに、Act3に噛みかかって来る。
 戦車の勢いに跳ね飛ばされて、Act3はころころと地面を転がった。
 「えッ?! お、おいAct3、なにしてんだそれは?」
 はあはあと息も荒く立ち上がるAct3は、見た目と態度に似合わない、とても下品な英語を口にした。
 手ゴワイナ! ダメデス、S・H・I・T、押シ負ケテシマイマシタ。 
 さっきの、あの自信に満ちた声と態度と、そして奇妙な構えは何だったんだと、自分のスタンドにつかみかかる勢いで、康一は思わず声を荒げた。
 「ふざけてんじゃあないよッ! Act3、ぼくらの身を守れって言ってるんだッ!」
 そのまままた突っ込んでくる戦車を指差す康一に、まるでサイボーグのような外見のAct3は、それによく似合った落ち着いた声で、守ることなら、命令通りにすでに完了していると、やけにデジタルな響きで言った。
 戦車の動きに変化はなく、Act3がすでにやったというその攻撃も、まったくどこにも気配はない。康一は、自分の分身が信じられずに、役立たずと憎まれ口を必死に叩きながら、また花京院を引きずって逃げようとした。
 地面に伸びた花京院の爪先に、爆弾のスタンドが触れようとしたその瞬間、康一がもう上げる悲鳴もなく目を閉じた時、突然、戦車が地面に沈み込んだ。どうしたのか、キャタピラを地面にめり込ませて、まるで上から何かとても重いものを乗せられたかのように、そこからもう動けずにいる。
 康一は、詰めていた息を吐いて、まだ戦車をにらんだまま、花京院を引きずって後ずさり始めた。
 一体何をしたのかはわからないけれど、これがAct3の能力らしい。その場だけを重くして、その物体を動けなくする、けれどしばらく後ずさった後で、戦車は地面にめり込みながらも、またよたよたと、しつこく康一たちに接近し始めた。
 アマリ遠クヘ離レナイデクダサイ・・・射程距離ハ5メートルデス。
 戸惑っている本体の康一に向かって、Act3が丁寧に説明を始める。自分のスタンドと話をするというのも奇妙なことだと思いながら、康一は宙に浮いているAct3を見上げた。
 Act3は、パワーを得たことにより射程距離を失い、本体が5メートル以上離れれば、物体を動けなくしている重さは消えてしまうのだと言った。近ければ近いほど重くできる。30センチくらいに近づけば、この爆弾スタンドの動きを完全に止められるかもしれない。けれど花京院を引きずっている康一は、そこまで戦車に近づくことの危険を考えて、Act3に向かって首を振った。
 「この間合いで十分だよ・・・早く仗助くんたち来てくれないかなぁ。」
 仗助の家のある方角を見やって、相変わらずもう健気にも見える執拗さで、ギュルギュルとキャタピラを回している戦車を見て、康一は、ようやく少しだけ緊張を解いた。
 もう少し待てば、仗助がやって来て、きっと花京院を治してくれるだろう。承太郎が到着すれば、こんな戦車くらい、スタープラチナですぐに破壊できるに違いない。花京院に重傷を負わせた自分の失態には相変わらず冷や汗が出るけれど、ここまでひとりで逃げ切ったことだけは、誰が誉めてくれなくても自分で自分を誉めようと、康一は額の汗をそっと拭う。
 じりじりと近づいてくる戦車との間合いを計りながら、康一もじりじりと後ろに下がる。引きずる花京院の体は重くて、もう地面に残る血の筋もない。
 大丈夫かと、前へ折れたその首筋に指先を押し当てて脈を測ることすら、おそろしくてできなかった。
 一体どれほどそうしていたのか、突然こちらに向かっていた戦車に、ばきばきと音を立ててひびが入る。一箇所ではなく、深い亀裂が戦車全体を覆って、そこから血のようなものが吹き出し始めた。
 花京院のエメラルド・スプラッシュもまったくダメージらしいダメージを与えられなかった爆弾のスタンドにひびが入るということは、何か本体の方に起こったということだ。Act3の攻撃が効いたのだろうかと、康一は、ちょっと弾んだ気分で戦車の方へ身を乗り出す。
 戦車は、このまま完全に壊れてしまうのだろうかと、康一はAct3と肩を並べて、成り行きを見守っていた。
 そうして、何もかも静まり返ったそこに、ゆっくりと姿を現した男がいた。
 道路の向こうから、そこに長々とある塀で体を支え、肩の辺りを引きずりながら、のろのろとこちらへやって来るその男の左腕からは、だらだらと血が流れている。
 男は、破壊された店の裏口、康一たちの目の前までやって来ると、荒い息を吐きながら、斜め後ろを振り返った。
 身なりのいいその男は、平凡な会社員のように見えて、比較的整った顔立ちといかにも金の掛かった髪形---けれどあくまで平凡な---をしていた。
 その横顔を、何事かと見ている康一の前で、彼は突然スポーツジムがオープンするという話を始める。
 康一たちの通っているぶどうヶ丘高校の近くにできるらしいそれに、体力作りのために通うことを真剣に考えたと言いながら、あんなところで会員になる連中が、きちんと清潔かどうかわからないじゃないかと、康一には、男が一体何を言っているのか、まったく理解できなかった。
 何か、肩に重いものでも乗せられているように、男は体を前屈みに、血を流す左手を、右手で必死に支えている。その左手に着けている時計を見て---手首を返すのも、大変そうだった---、ここまでは3分で来れたけれど、横断歩道を渡るのがいちばん大変で、ほんとうに体力のなさを実感したと、奇妙な微笑みを浮かべて言う。
 康一は、ようやく悟り始めていた。それは驚きとともにやって来て、男を指差しながら、肝心の声が出ない。
 男は、そんな康一に構う様子もなく、ひとりでまた勝手に喋り始める。
 これからここに誰が来るんだねと、まるで教師のような口調で男は訊いた。
 仗助と億泰の名前を出して、彼らの家がここからいちばん近いということを男は知っていて、由花子のことも、エステシンデレラのことも知っている。
 康一は、ごく自然に、男に向かって身構えていた。
 「ボタンの着いた上着は・・・おいて来たよ・・・あとで取りにいく・・・君を・・・始末してからね・・・!」
 男は、康一に指を突きつけた。
 想像していたよりも、普通の見かけだと思った。けれど、平凡に見えるその顔の後ろ側には、どす黒い殺人鬼の顔が隠されていて、そこだけはやけに冷たく見える瞳には、どれほどのおぞましい行為を焼きつけているのか。男の、荒れているようには見えない、爪もきちんと手入れされているらしい手は、一体何人を殺して来たのか、何年もの間。
 鈴美と重清少年のことを思い出しながら、康一は背中が震えるのを止められなかった。
 殺人鬼が、康一の目の前にいた。


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