触れ合いたい2人に10のお題@空色アリス

3) 揺れる髪


 少しずつ、触れ方が上手くなってゆく。
 呼吸や筋肉の動きや、声の出し方で、互いの反応を読めるようになって、どうしてほしいのか、いちいち言わなくてもわかることが増えつつあった。
 お互いに馴れつつあるということ、お互いのやり方に馴染みつつあるということ、少しずつ、このことを愉しんでいるのだという自覚が、深まっている。
 この間、花京院はずいぶん久しぶりに、シャワーを浴びている最中に自分に触れた。承太郎とは同じ部屋ではない夜で、水音に声をまぎれさせて、これは本来、自分ひとりでやるべきものなんだと、何だか無理に自分自身に言い聞かせながら、けれど結局は、あまりうまくは行かなかった。
 もともと、自分で自分に触れるのは、あまり好きではない。他人の話を聞く限りでは、自分は極端に淡白な性質(たち)らしいと理解して、けれど別に心配もせず、もちろん相談できるような友達もいなかったから、悩むだけ時間の無駄だった。
 その夜、ぬるめのシャワーを浴びながら、直の刺激だけではうまくやれなくて、いわゆる想像力というやつを利用しようとして真っ先に頭に浮かんだのは、全裸で自分の前に坐る、承太郎の姿だった。
 それから、承太郎の大きくてぶ厚い掌の感触を思い出して、その後はもう大して時間もかからずに、あっけなく自分の手の中に果てていた。
 うそだろうと、花京院は自分の反応が信じられず、自分で汚した手をシャワーから離して見下ろすと、まだ少し真空部分の残っている頭の中で、この手がいつも承太郎に、そういうふうに触れているのだと、自分の声がした。
 まるで条件反射のように、躯がまた反応し始めて、自分を見下ろして、思い切り狼狽えた。
 あふれてくる熱を掌の中に収めて、シャワーを水にすると、さっきよりも大きくなりそうな声を、必死で殺した。
 2度目を終えて、肌は水のシャワーで冷えているくせに、まだひどく熱っぽい躯の中心を自分で持て余しながら、承太郎ももしかして、自分のことをこんなふうに思い浮かべることがあるのだろうかと、そんなことを思った。思ってから、花京院は、承太郎のことをそんなふうに思う自分を、少しだけ自己嫌悪した。
 承太郎の腕が、背中に回ってくる。ごつごつした背骨を、指先がなぞっている。そんなふうに触れられると、いつも首筋の辺りがぞくぞくする。花京院は承太郎の肩に額を乗せて、両手を差し出したまま、決して他のところへは触らない。触れるべきではないと、思っている。
 自分の裸を晒すのも、花京院の体を眺めるのも、抵抗がないらしい承太郎とは違って、花京院は、旅の一行の中でいちばん貧相に見える---だけだとはわかってはいても---自分の体に、今ではひそかに劣等感を抱いていたし、それを歳の変わらない承太郎に見られるのは真っ平だった。そして、承太郎の体に、視覚的に刺激を受けてしまうことを、内心とても怖れていた。
 承太郎の掌の感触に、素直に反応してしまうようになっている自分の躯に驚いて、そうなれば、承太郎自身を、ろくでもない想像の種にうっかり使ってしまうことに抵抗を失くしてしまったらどうしよう、もっと承太郎を見たいと、そう思ってしまうようになったらどうしようと、口にはできない悩みを抱え始めていた。
 マスターベーションは、実体のない誰かを相手にするべきものであって、相手が架空でないなら、現実に目の前にいて自分に触れていたら、自分もその誰かに触れていたら、それはもうマスターベーションなんかじゃないじゃないかと、そう思えば、だったら何だ、と自分の中で声がする。
 その答えを知ることが、怖ろしくて、承太郎が何をどうしようと、自分のしてることだけは、何が何でもただの手助けだと、それだけだと、必死で言い聞かせている。
 承太郎の右手が、ひどく優しく動く。高めるための動きが、追い立てる動きには繋がらず、まるで焦らすように、穏やかな動きに変わって、花京院をなだめるように動いている。
 承太郎から、両手は外さないようにしながら、もう少し強くと、知らずに、ねだるように、突っ張った脚で腰が浮いていた。
 何度も息を止めて、吐いて、声がもれるのを、承太郎の肩を噛んでしまわないように、自分の唇に歯列を食い込ませる。汗の浮いた額を、承太郎のくっきりと硬い鎖骨の辺りに何度もすりつけて、花京院は、それが承太郎を煽っているとも知らないまま、そこに熱い息を吐き出し続けていた。
 「花京院。」
 こんな時には、常以上に無言の承太郎に名前を呼ばれて、何か用かと、花京院はむりやり息を整えながら、顔を上げた。
 承太郎、と呼びかけようと少し開いた唇を、すくい取るように、承太郎のふっくらと暖かい唇が覆ってくる。
 承太郎のその唇は、湿っていて、柔らかかった。
 押しつけるだけの口づけは、それでもずいぶん長い間そこにとどまって、それ以上はどうしていいのかわからないらしい承太郎の戸惑いが、唇越しに花京院にも伝わった。
 逃げたつもりはなく、少しあごを突き上げて、顔をずらすと、花京院は自分から唇を外してやった。
 何だか、少し傷ついているように見える承太郎の顔が目の前にあって、そう言えば、いつも正面から抱き合っているのに、お互いの顔をこんな間近に見たこともなかったと、今さら気づいてみる。
 「承太郎。」
 呼びかけると、承太郎が軽く唇を噛んだ。その唇が動きから視線をずらして、花京院はあさっての方を見ながら、承太郎をこれ以上居心地悪くさせないように気をつけて、声音を選ぶ。
 いつのまにか、互いから手は離れていた。
 「承太郎、僕らは、マスターベーションを、してるんだよな? 互いに利害が一致したから協力し合おうって、そういうことなんだろうこれは。そうじゃないのか?」
 問い詰めるような、そんな口調ではないつもりだった。けれど承太郎がまた唇を噛んで、あごを引いて上目遣いに花京院を見た。
 「・・・何が言いたい。」
 「・・・キスしたりはしないんじゃないのか、だったら。」
 承太郎の前に、大きく開いている膝を閉じ気味にしながら、花京院は、否応なく剥き出しになっている自分の体を隠すように、さり気なく両手を下腹の辺りに置いた。
 てめえと、あまり迫力のない声で、承太郎が言葉を続ける。
 「・・・おれとキスするのがいやならそう言え。」
 「いやじゃない。」
 うっかり即答して、びっくりして赤くなったのは、けれど承太郎には見えなかったらしかった。
 「だったらなんで、わざわざ文句を言う。」
 「・・・文句を言ってるわけじゃない。ちゃんと、確かめようと思っただけだ。」
 むきになって、ぎゅっと唇を噛んだ花京院の頬に、承太郎の左手が伸びてくる。何をするのかと、ちょっと肩を引いて、承太郎の手の行方を、瞳だけで追った。
 長く垂れた前髪をそっと持ち上げて、ぶ厚い手が滑り込んでくる。頬に触れて、それから、首を滑り落ちると、鎖骨の少し下で止まった。
 そこで手をいっぱいに広げて、花京院を見つめたまま、承太郎が訊いた。
 「おれにさわられるのが、いやか。」
 「いやじゃない。」
 心臓からは、少しずれたその手の位置に、たった今激しく打ち始めた鼓動の音を聞かれずにすんだと、花京院は声が震えないことを必死で祈る。
 花京院が体の前に引き寄せていた腕を、承太郎が掴んで、自分の胸に触れさせた。ちょうど、心臓のある辺りだった。花京院は導かれるままに、そこに掌を乗せて、もっと触れたいと思う自分などいないと、試すように、指先を強く押しつける。
 「おれにさわるのが、いやか。」
 「・・・いやじゃないよ。」
 間を置かずに答えた声が、ほんの少しうわずって、けれどそれは、触れた承太郎の胸が、とても熱いせいだ。
 押さえる承太郎の手が離れても、花京院は、承太郎の胸から手を外さなかった。
 鎖骨のくぼみに指先を添えてから、承太郎の手がまた、花京院の頬へ上がってくる。親指で軽くあごを持ち上げられても、花京院は目をそらさなかった。
 「だったら、黙れ。」
 選んだ言葉それ自体の響きに似合わず、ささやくような承太郎の声が、唇に優しくかかる。重ねて、押しつけるだけの稚拙な接吻を、また受け止めながら、花京院は、両腕を承太郎の首に巻きつけていた。
 ここまでは拒まなかった花京院の、けれど意思を一応は確かめるように、戸惑いを多大に含んで、承太郎の手が、花京院の膝を軽く開く。そうして、脚の内側を撫でて、下腹に触れて、それから、腰に腕を回すと、思い切ったように自分の方へ引き寄せる。
 花京院の腿の内側が、承太郎の脇腹を滑って行った。
 開いた両脚の間で、ふたりが直に触れ合っていた。
 柔らかくて、硬くて、熱くて、ふたりは今は、両手を忙しく腕や髪に滑らせていたので、そこへは手を伸ばさずに、ただ互いの熱に触れ合わせて、そこで交ざる湿りだけを頼りに、どういう術かもわからないまま、敏感に張りつめた皮膚を、互いにこすり合わせ始めている。
 引き結んでいた唇がゆるみ、歯列の見える程度に開いた唇の、唾液に濡れている辺りが、重なっては離れる。舌を差し出すことには思い当たらずに、ふたりは、一緒に揺れていた。
 ふわふわと、視界をただよう自分の前髪越しに、熱に潤んだ承太郎の深緑の瞳を見て、花京院はもっと承太郎に触れたくて、早鐘のような心臓の位置も重ねてしまおうと、反らした胸を、承太郎に預けて行った。


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