触れ合いたい2人に10のお題@空色アリス

5) 焦るな


 承太郎の唇は、いつも柔らかくてあたたかい。
 目の前にそれが、ほとんど息のかかりそうなほど近くへ来ると、うっかり見惚れて、けれど自分から口づけを仕掛けたことはなく、承太郎が押しつけてくるその唇を、黙って受け止めているだけだ。
 その夜、承太郎の並びのいい歯列が当たって、唇を切るかと思ったことが3度、さすがに、痛い、と声が出た。
 花京院の、思わず出した声に、承太郎が素早く反応して、弾かれたように顔を離す。誰かを素手で殴り倒してもそんな顔はしないだろうという表情で、痛む唇を撫でる花京院に、少しばかり狼狽たえている。
 「・・・もう少し、落ち着けよ、承太郎。」
 大したことではないと、そう伝えるために、苦笑を吐いて、少し腫れかけた唇で花京院が笑って見せると、承太郎がいっそう頬を赤くする。
 「もうしねえ。」
 慌てたように、やけに子どもっぽくそう言った承太郎に、花京院は本気で吹き出しかけた。
 まだ、今夜は一度も終わってはいなくて、直ではない触れ方が多くなった近頃は、抱き合っているだけのこともある。そのせいで、口づける回数は増えているけれど、一向に上達する様子もなく、それはそれで別に構わないと、花京院は思っていた。
 接吻はいやではないし、承太郎とのそれなら、少々の不味さは気にもならないと、けれどそう言うには、今夜は唇が少々痛む。
 花京院は唇を撫でるのをようやくやめ、確かめるように痛む辺りを舌先で湿すと、承太郎のあごに両手を伸ばした。
 「・・・ちょっと、力抜いててくれ。」
 ふっくらとした唇を少し曲げて、それでも覚悟を決めたように---妙に、悲痛な顔つきに見えた---、頬に添ってくる花京院の掌の中に、おとなしく収まると、じっと花京院を見返してくる。その承太郎の、やけに真剣な視線に照れて、花京院は思わず顔を横に向けた。
 「・・・頼むからちょっと、目を閉じるとか、してくれないか。」
 憮然として、ちょっと花京院から逃れるように肩を引いて、それでも承太郎は、素直に目を閉じながら、けれど憎まれ口は忘れない。
 「・・・いちいち、うるせーヤツだなてめーは。」
 照れているのはお互いさまだと、承太郎の口の悪さを気にしないことにして、存外長い睫毛を、言われた通りに伏せた承太郎の唇に、まずは指を這わせる。揃えた人差し指と薬指と、弾力のあるその紅い、つやつやとした皮膚が押し返してくる感触を、ちょっとの間楽しんで、気をつけながら、唇の合わせ目に、そっと差し入れてゆく。
 さっき花京院の薄い唇を噛みかけた、健康そうな歯並びに、爪の先が当たる。その合わせ目も、花京院の意図を察したらしい承太郎が、自分から招き入れるように開いた。
 濡れて、唇よりもいっそう暖かい舌が、花京院の指先に触れる。
 目を閉じている承太郎に見えなくて助かったと、花京院は自分の頬が火照るのをなだめながら、おとなしく続きを待つ承太郎の唇に、まだ差し込んだ指先はそのままで、ようやく自分の唇を近づけて行った。
 少し濡れてしまった指先を、わざと承太郎の唇で拭うように抜き取りながら、そこへ、自分の舌先を滑り込ませてゆく。
 びくんと、怯えたように、承太郎のあごの辺りが少し震えた。けれど、花京院の唇からも舌からも逃げずに、うっすらと開いた唇をそのまま、ただどうして良いかはわからずに、花京院の舌が自分の舌を誘うのに、戸惑っている。
 承太郎の様子をうかがいながら、熱くて厚い筋肉の先を尖らせて、ところどころ、溶けるほど柔らかかったり、切れそうなほど鋭かったりする口の中を探る。唇の裏側を舐めると、承太郎が、抗うように、花京院の腕を掴んだ。
 唇をほどいて、顔を離すと、承太郎の真っ赤に染まった頬や首筋が見えた。怒ったように、濃くて太い眉が上がっていて、花京院はちょっと申し訳ない気分になると、濡れている自分の唇を舐めないように気をつけて、承太郎に向かって言った。
 「ごめん、気持ち悪いならやめるよ。悪かった。」
 承太郎が、自分の目の前で唇をごしごし拭い始めても、決して傷ついたりしないようにと、自分に言い聞かせながら目を伏せようとした時に、
 「そうじゃねえ。」
 きっぱりと否定する承太郎の声が聞こえて、また顔を上げると、まだ頬の赤い承太郎が、あさっての方を見ながら、ぼそぼそと小さな声で言う。
 「・・・もっとやれ。」
 照れれば照れるほど、無愛想になる承太郎は、こんな時にふさわしいはずもない命令形で、目の前にいる花京院に、やっと届くだけの声だった。
 ここで笑ってしまったら、やたらと高い承太郎のプライドを傷つけて、きっと一生許してもらえないに違いないと、花京院は微笑みだけを気をつけて浮かべながら、まだあちらに向いている承太郎の顔の向きを自分の方へ変えると、今度は待ち受けるように、すでに半ば開いている承太郎の唇に向かって、舌先を差し出して行った。
 ふっくらとした、ただでさえ目のやり場に困るような唇の中に、若干色味の違う舌が濡れて見えるのは、承太郎がおそらくまったく無意識だろう分、よけいに扇情的で、花京院は慌てて目を閉じて、覆うように唇を重ねると、雑念を払うように、舌を絡めて行く。
 今度は、承太郎の舌も動いた。ぴちゃ、と濡れた音が聞こえたような気がして、自分を抱き寄せにくる承太郎の腕に一切抗わずに、花京院は自分も、承太郎の首に両腕を回した。
 舌が行き交ううちに、唾液があふれて、息が濡れる。体液の交換は、稚拙な動きにも関らず、それだけでふたりを煽る。結果の不器用さはともかくも、器用に動く舌は、うっかり唇が外れてもほどけはせずに、どちらがより深く相手を取り込めるかと、そんな淫靡な争いになってゆく。
 いつの間にか、胸も腹も、すきまもないほど重ね合って、ふたりは一緒に揺れていた。
 長い脚を、狭いベッドの上で持て余し---特に承太郎は---ながら、坐って、正面から抱き合っている姿勢に、物足りなさを感じているのは、ふたり言わずに一緒だった。
 もっと深く触れ合いたいと思って、どうしていいかわからずに、自分の方へ招き入れていた承太郎の舌の先を、花京院は焦れたように、軽く噛んだ。返すように、舌までほどいた承太郎が、花京院の唇を優しく噛む。
 それからまた舌を触れ合わせて、唇を舐めるように、舌をしゃぶるように、あふれる唾液は、もうどちらのものとも分からずに、それがいいのだと、ふたりともぼんやりと考えている。
 唇は、互いのため---と、自分自身のため---に開かれたままで、今にも口の中が溶け出すような気がして、そんなことはないと、確かめるように、相手の喉の奥まで探る。動く舌は、意外な動きをして、思わぬ絡まり方をして、粘膜というのはこんなに熱いものなのかと、とっくに密着している腰を、舌と同じほどこすり合わせようとするけれど、舌先ほどはうまくは行かない。
 それでも、背骨に馴染んだ慄えが走って、もう、それだけで果ててしまいそうになって、ふたりはようやくまともに息を継ぐために、少しの間だけ体を離す。
 重なっていた鼓動が別れて、けれど、離れがたいと言いたげに、承太郎は折れるほど強く、花京院を抱いた。
 「花京院・・・。」
 少し長い花京院のうなじを覆う髪に、太い指を差し込んで、耳元で名前を呼ぶ息が、熱い。
 その声の甘さとせつなさに、みぞおちの辺りがひどくうずいて、花京院は思わず目を閉じた。
 もっと、親密で濃密な触れ合い方はできないかと、最初の目的を忘れきった頭の中で、花京院は考える。
 承太郎の舌の熱さを思い返しながら、まだ濡れている自分の唇を舐めて、これはもう、ふざけ合いでも何でもないと、ようやく自覚して、それを受け入れて、それを承太郎に伝えるために、花京院は、自分の首筋に顔を埋め込んでいる承太郎の肩を軽く叩くと、今までのどんな時よりも色の濃くなっているように見える承太郎の唇に、触れて、押しつけるだけの接吻をした。
 もっともっとと、先を焦る躯の中で、熱だけが激しく燃えていた。


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