ナゲキバト


■-5

 う、う、う。
 う、う、う。
 誰かが何かを言っている。
 う、う、う。
 う、う、う。
 誰かが何かから出てくる。
 う、う、う。
 う、う、う。
 誰かは、だれなのか。



 一ヶ月が過ぎた。
 アキリーズとユリシーズの強さには目を見張るばかりだった。四人が弱いのではないが、二人は極端に突出して強かった。
 しかし気になるのは、アキリーズが偶に酷い体調不良を起こす事だ。明らかに異常だと見えるのだが、当人が詳細を語ろうとしないので何も出来なかった。



 丸いテーブルを六人はぐるりと囲んでいる。
 シーシアスが持ってきた一枚の紙。それに一部が目を輝かせていた。
「これ本当だよな?」
 パーシアスが驚きを隠さずに訊く。
 老夫婦が依頼人だ。二泊三日の旅行中に家を警護して欲しい。食事は用意され、設備も自由に使用可能、人数は三人以下が望ましい、報酬は一人銀貨二千。
 随分と裕福な依頼だ。依頼人の金銭感覚にけちを付けるような事が出来る身分でもなければ、そのような事をして自らの首を絞める事が出来る身分でもない。
「感謝してくれたまえー。昨日の博打で一発当てたんだぜ」
 この輝く依頼を賭けて昨夜行われたカードゲーム優勝者は、こんこんとテーブルを指で叩く。
「今夜ばかりはお前に尽くしてもいいぞ、シーシアス」
「おっ、嬉しいねえハーキュリーズちゃあん」
 にやにやと笑う両者を見てパーシアスは溜め息を吐き、言葉の意味を遅れて理解したジェイスンが酷く動揺した。
「ばっ……、そんな事」
「そんな事がどうしたって? ジェイスン少年よ」
 シーシアスのからかいにジェイスンが赤くなって黙り込む。そして取った行動は、隣に座るアキリーズの服を摘まんで引っ張る事だった。その行為に反応してユリシーズの目付きが鋭くなる。
「アキリーズからもなんか言ってくれよ」
 恐らく大人の対応を求めて助けを請ったのだろうが。
「別にいいんじゃないかな?」
 期待とは違う大人の対応が返ってきたので、純真な少年はがくりと首を垂れた。
「さって。皆様、お忘れじゃありませんか?」
 こんこんこん、シーシアスの指が紙を叩く。その指の下にはしっかりと、人数は三人以下、の文字がある。
「三人だけか……」
 パーシアスが唸る。裕福な報酬から推測するに待遇も良いのだろう。行きたい、という考えを持った者から重い空気が生じる。それにアキリーズが口を開きかけた時、シーシアスが空気を霧散させた。
「その辺抜かり無いのよ? くじ引き作っときましたっ」
 懐から細い紐の束を取り出す。意外と几帳面に揃えられた長さの六本のうち、三本は先に黒インクが付いている。
 あの中から『外れ』を引いてしまったら。
「アキさん」
 ユリシーズが訴えるように言う。それを静観していたハーキュリーズが口を開いた。
「どうした」
 疑問しかないその言葉が、胸に突き刺さる。
 怯えている、怯えているのだが、いつまでも。
「おまえに――」
 解るものか、とユリシーズが言いかけてアキリーズの上げた手に止められる。
「……くじ引きに従うよ」
 口を開きかけた先程とは違う心地で言葉を零す。
「アキさん」
「いいんだよ。シーシアス、始めておくれよ」
 陽気な返事をしてシーシアスはテーブルの下で手を動かす。再び上がってきた右手には、拳に端を隠された六本の紐。自分は最後に引く、と言ってテーブルの中心に拳を浮かせた。
「こっから時計回りに選んでくれや」
 言われてシーシアスの隣に座っていたパーシアスが摘まみ、ユリシーズが摘まんで、アキリーズが手を伸ばす。ユリシーズの力なら解るかもしれないが、欠片程度の力を持つだけの自分にはこの小さな密閉空間の中を知る事は出来なかった。
 手前の紐を摘まんだ時、ユリシーズの顔色が明らかに変わった。
 それにはただ笑顔を向けて、ジェイスンに選ぶよう促した。そしてハーキュリーズも紐を摘み、最後の一本をシーシアスが左手で摘まんだ。
「皆さん見合って、待った無しよ……せーの!」
 拳が広げられ、各々が紐を引き寄せる。
「おおおお!」
 声を上げたのはパーシアスだった。指にはしっかりと、黒インクの付いた紐。
「残り物には福があるってねえ」
 シーシアスがぶらぶらと当たりの紐を揺らす。その二つ隣で、ユリシーズがアキリーズをじっと見ていた。テーブルに置かれたユリシーズの手には、黒インク付きの紐がある。
「大丈夫」
 ユリシーズへ笑顔を向けてはいるが、微かに強張っていたのも自覚していた。
 本当に大丈夫なのか、自信は殆ど無かったが、一つの考えがあって駄々を捏ねるのはやめたのだ。



 いつまでもユリシーズを縛る訳にはいかない。
 さもなければ。その可能性が突き動かした結果である。
 少しは独立しよう、そう思い立ったのだ。



 依頼を受けて三日目、三人が戻る日だ。
 ジェイスンとハーキュリーズは階下の食堂で話をしている。
 アキリーズは一人、寝台に横たわってぼんやりと投げ出された腕を見詰めている。白い包帯の両腕。何故だか解らないが、先程から手首がざわつくのだ。何かしようとすれば剣を取りそうで動けないでいる。
 皮と肉の間を何かが蠢いているような気がする。気分は、あまり良くない。
 暫くすると話し声が聞こえてきた。いや、話しているのは一人だ。
「……て……」
 部屋の扉の向こうから聞こえてきた。か細い震えた声だ。
「……おね……」
 声は今にも消えそうだ。意を決してアキリーズはベッドから降りてみる。大丈夫だ、歩ける。確かめるように思った。
 そっと扉に近付いてみる。
「お願い……手伝って……」
 声が力を振り絞って訴える。女の声だ。泣いている。
 警戒しながら扉を開けてみる。確かに女が座り込んでいた。
 見覚えがある。知っている。
 商人で荷物を載せた馬車に乗っていた。天候は穏やかな晴れだ。今回もたんまりと儲けた証拠の袋が積んである。
 そしてどうなったのだったか。
「……あ?」
 強烈な違和感を感じた時、女が飛び付いてきた。
「手伝って!」



 ジェイスンはちびちびと酒を飲みながら、ハーキュリーズの話を聞いている。
「当てる時は大物を当てるが、外す時は大外れしてくるな」
「強いんだか弱いんだか……」
 シーシアスの事である。毎晩のように博打をしているが、実際の強さの程はどうなのか。
「借金を作らないのがポリシーだそうだ」
「そうじゃないと俺達巻き添え食らっちまうよ」
 呆れたように息を吐いて、残り少なかった酒を流し込む。
「まあな」
 ハーキュリーズは酒の入ったグラスをゆらゆらと揺らしている。魔法生物は本来食物を必要としないらしいが、食事の楽しさを覚えてからは周りと同じように食べているのだという。
 飲み物が無くなり口寂しくなったジェイスンの視界の隅に、階段を下りてくる人影が映った。
「ん、アキリーズ」
 小さく合図の手を振ったがアキリーズに反応は無い。何故か剣を持っていた。
 何処か出かけるのだろうかと思っていると、しっかりした足取りでジェイスン達を横切り、出口に近いテーブルに座っていた冒険者の団体の前で止まった。
「俺達になんか用かい?」
 竜殺しの一件で有名な人間に、冒険者は少しだけ何か無いかと期待する。
「ちょうが、ない」
「ちょう? 虫の?」
 何の事やら解らず、尋ねた瞬間。
 鮮やかな赤が散った。
 腹を斬り裂かれた冒険者が声も出せずに椅子から転げ落ちる。悲鳴とどよめきの中、治癒の力を扱える者が駆け寄って傷を癒そうとする。
 ジェイスンとハーキュリーズも何事かと振り返り、息を呑んだ。
「アキリーズ!?」
 冒険者達が次々と武器を構える。その中で、顔色一つ変えずにアキリーズが呟いた。
「わたしのちょうをかえして……」
 一人がアキリーズに斬りかかった。それに叫びが浴びせられる。
「わたしのちょうはどこぉぉっ!」
 襲いかかった剣を異常な強さで弾き返す。吹き飛ばされて冒険者が人とテーブルに突っ込んだ。
「アキリーズ!」
 庇おうにも庇えない状況だが、それでも敵にはならなかった二人はアキリーズに駆け寄る。しかしそれをアキリーズが剣を振って牽制した。
『銀髪の奴。あいつが。あいつが』
 頭の中で響く。目がふらふらと彷徨い、偶然にもいた銀髪の女に視線を固定する。女が気付いて武器を構える。
「おまえがあああああああっ」
 怒号を上げてアキリーズが女に斬りかかる。その形相は戦士も怯える程の化け物染みたものだった。
『ちがう……』
 思考の隅で何かが弾ける。
『僕はまだ死んでいない!』
 有らん限りの声で叫んだ。実際に声として出てはいない。
 全ての動作が止まる。
 女が一瞬動揺し、その後に敵を見据えた。それにハーキュリーズが気付く。
「よせ!」
 ハーキュリーズの声も空しく、女が剣を薙ぐ。アキリーズの体はほんの少し反応して後退ったが、腹を深く斬られてその侭後ろに倒れ込んだ。
 其処へ壁になるようにジェイスンとハーキュリーズが駆け寄ったが、アキリーズは倒れた侭、目をぎょろぎょろと動かしていた。
 腹圧で内臓がはみ出している。
「誰か、誰か治癒使えるやつ、いないか!」
 ジェイスンが蒼白になって叫ぶ。ハーキュリーズは集中し、治癒の力を発動させようとしたが、突如として伸びた腕がはみ出たものをがしりと掴み、ずるずると引き出す。驚いて腕の付け根を見ると、疲れた顔でアキリーズが笑っていた。
「あった……あった、ふふ、あった……ふふ、ふふふ、ふふふ……」
 妙に小気味良い声音でそう喋ると、内臓を掴んでいた手が落ちる。目はもう閉まっていた。



 アキリーズが暴れ出した。
 何とか傷が塞がり、部屋に寝かせておいたところ、目を覚ました途端に喚き散らし始めたのだ。
 奇妙な事を口走り、あちこちを叩いて物を投げ付ける。幸い魔力を行使する程の判断力は無いらしく、傷で弱った体もあり二人がかりで抑えられた。
 この侭では他の者から更に敵視され、アキリーズの身が危険だと判断したジェイスンとハーキュリーズは、宿の亭主に物置部屋を借りた。部屋の柱にアキリーズを括り付け、喚く口に布を噛ませる。気を失わせる方法が二人には無く、抑制方法はこの程度しか無かった。
 扉を閉めきってしまえば、座って投げ出された足の動く音、微かな呻きしか聞こえない。
 部屋に戻り、それぞれが自分の寝台に腰かけて溜め息を吐く。
 今、どの言葉を言っても、アキリーズを見放す言葉にしかならないのだろう。しかし言葉は零れてしまった。
「何なんだろう」
「解らない。危険な事は確かだ」
 ハーキュリーズの抑揚の無い声音が有り難かった。
「……怒る、よな、ユリシーズ」
 それについて、ハーキュリーズは少し考えた。
「あの二人はやけに執着し合っていると思わないか」
「んー、確かにべたべたしてるけど」
「色恋という段階ではない。アキリーズに何か変化があればユリシーズは必要以上に近付くし、アキリーズはそれを求めている、異常なまでにな」
 今一つ解らない様子でジェイスンが唸る。仕方無いので取り敢えずハーキュリーズはこの話を打ち切った。
 赤くなってきた空は、血よりは濃くなかった。



 銀貨の詰まった布袋を揺らしながら、シーシアスは鼻歌を歌っている。
 依頼を達成し、宿へと戻る道を三人で歩く。ユリシーズは飛んで戻りたかったが、アキリーズに行動は共にするようにと言われて従っている。
 三人に待っていたのは絢爛な待遇だった。勝手に出てくる豪勢な食事、毎日湯を沸かして入れる風呂、温かく柔らかなベッド。束の間の富豪体験を二人は精一杯楽しんだ。ユリシーズは邸の上空で警備するだけだったが、どうしたところで不満だったのだろう。
「もうちょっといたかったよなあ」
 しみじみと語るうちに宿が見えてきた。二名が心に寂しさを覚えながら歩き、入り口まであと数歩のところでユリシーズがつと歩を止める。すぐ隣にいたパーシアスがそれに気付いた。
「どうかしたのか?」
「ん、なんかあったか?」
 シーシアスも振り返ってユリシーズを見る。しかしユリシーズは目を合わそうともしない。
 風が流れてくる。何故あんなところに。何をされて。
 ユリシーズが怒りの形相を浮かべた途端、突然その姿が消える。消えたのは体だけで、着ていたものは支えが無くなり其処に落ちた。
 それを目にした瞬間、突風が吹いた。
「うわっ!?」
 何事か解らず、そして一瞬の内に収まった風へ茫然としたが、風の吹き抜けた方向を見遣る。宿の出入り口だ。
「もしかして、今の風がユリシーズなんじゃねえか」
 風の精霊だし、とシーシアスが言う。パーシアスはそれを肯定して、ユリシーズの行動理由を探る。
「……取り敢えず入ってみねえ?」
 立ち止まっていたパーシアスにシーシアスが提案する。
「そうだな」
 捨て置かれたユリシーズの服を拾って、宿の中へ入った。



 その手が私の首を絞めた、その手が私の体を潰した、その手が私の体を刺した。
 恨みをぶつける相手は何処にいるのか。ぶつける相手がどういうものであっても構わない。其処にありさえすればいい。
 手首は縛られた縄に擦れて赤々と染まる。痛みが走る。此処にいる。その確認の悦楽がひりつく。
 いたい、くるしい、きもちがいい、やめてほしい、頭の中がうねる度に体が妙な反応を示す。
「アキさん」
 微かに、だが確かに聞いて、己の意識が浮上した。



「……しょうもねえわな」
 シーシアスが顔に手を当てて言葉を漏らした。
 宿屋の二階、自分達の部屋。急いで来る途中、一階で冒険者達から睨まれた。その理由、一部始終を聞いて二人は深い溜め息をついた。
「ユリシーズは物置部屋に行ったのかも」
 ジェイスンが不安げな顔付きで言う。アキリーズの奇行を目にしておきながらも心配しているのだろう。
「ちょいと代表で行ってくるわ、宜しいかい」
 シーシアスは、暗い考えは取り敢えずまだ出さず、努めてジェイスンに同調して提案する。
 アキリーズの言っていた致命的欠点とはこの事か。スリルがあってもいいと言ったのは自分だが、此処まで危ない道だとは。
「ああ、俺達は此処で待とう」
 どかりとベッドに腰を下ろしたパーシアスが了承の言葉を出す。それに他から何も反応が見られなかったのを見てから、シーシアスはユリシーズの服を持って部屋を出た。
 いつものように階段を下りる。この音に反応するなど余程の事があった時だ、足音に視線が向けられた。一階の食堂があからさまに静かになる。しかし今の自分にはその警戒を和らげる術が無い。シーシアスは冒険者達に立てた手を向けて、小さく頭を下げた。
 亭主へ挨拶の代わりに謝罪をして物置部屋に向かう。距離はあまり無い筈なのだが、食堂からの声がやけに小さい。ひそひそと話しても此処まで小さくならないだろう。気の所為なのかもしれないが。
 角を曲がって二歩進んだ時だった。すぐ前方に見える物置部屋の扉が開き、石膏人形のようなユリシーズが出てきた。中にいる時から解っていたのだろう、姿が見えた時から鋭い目付きでシーシアスを捉えている。そしてその口元に付いているもの。
「信用しようがしまいが関係ねえよ。お前は服着てうがいをしてこい。身形は整えてやったか」
 ユリシーズが振り向いたところを見てシーシアスは続けて告げた。
「今回は俺が整えてやるよ。俺が首賭けてやりたいのはそれだけだ」
 ふん、とユリシーズが突き放すように鼻を鳴らす。シーシアスが腕を伸ばすと、其処にあった服を引っ手繰った。
「……おまえの風、嘘ついてない、乱れてない」
 そう言って、しかし視線は外さず、ユリシーズは通路の端に寄るだけだった。脇を通り抜け、シーシアスは物置部屋へ入る。
 ばたりと扉を閉めると、何とも言えない饐えたにおいがした。明かり取りからの光の隅に、縄を解かれたアキリーズが力無く座り込んでいる。若干呼吸が乱れていた。目を閉じて動かないところ、気を失いでもしているのか。
 懐から粗末な布を出して、処置をしてやる。両腕の包帯に染みた血液が目に留まり、随分暴れたものだと思いながら傷口を確認する為に包帯を外すと、思わず困って呻いた。文字を彫ろうとしてもこのようにはならないだろう。
「何処の苦労人だい、お前さん……」
 疲れた顔は何も答えなかった。



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