あなたを追った、わたしがいた


■-2

 翌日、消費した物資の買い出しに手分けして出かける。シーシアスは武具を扱う店へ足を運ぶ道中で、人目を警戒している自身に気付いた。偽者が何かをしているならばこちらへ刺さる視線もあるだろうが、今のところそれらしきものは無く肩透かしを食らう。
 気にしすぎなのかとも考えたところで目的の店の扉を開けると、店主が不思議そうに声をかけてきた。
「んん? 忘れ物かい?」
「へ?」
 目を白黒させるシーシアスへ、店主は鍛冶をする証でもある太い腕を組んで首を傾げた。
「だって今出てったばかりだろう」
 顔から血の気が引くのを自身で感じ取りながら、シーシアスは店主へ詰め寄る。
「その時の俺はなんかしたか!?」
 あまりに肉薄するシーシアスに店主は言葉を失ったが、辛うじて首を横に振った。そのさまを見てシーシアスは我に返り、焦る己の額を片手で押さえて俯く。
「あー……、済まねえ、なんもねえならそれでいいんだ」
「らしくないねえ。らしくないといえばさっきもさ。静かすぎて不気味だったよ」
「……そんだけ?」
 恐る恐る顔を上げて尋ねるシーシアスこそらしくないが、それ程に必死であるとは店主へ伝わったようだ。
「それだけだけど?」
 言葉にシーシアスは長く溜め息をつき、息を吐き終えると居住まいを正す。
「ありがとな! また後で来るわ!」
 身を翻して一目散に店を飛び出し、シーシアスは周囲を見回した。やや往来の多い通りだが、人探しが出来ない程度ではない。まして自身の姿は見間違える筈も無かった。しかしそれらしき姿は見当たらず、手当たり次第通行人を情報を求める。その中で背後から声をかけられた。
「シーシアス?」
 振り向くと馴染みの露天商がおり、大荷物を見るところこれからやっと市場に行くらしく、寝坊でもしたのだろう。シーシアスが口を開きかけた時、答えはあった。
「何で此処に?」
「見たのか、俺を」
 厳しい面持ちと低い声音に剣呑な事態を察知したのか、露天商は怖じ気付いて短い悲鳴を上げる。
「ひ……、なんかやばいのか?」
「あんたはどうってことねえよ、問題は俺のほう。何処で見かけたんだ?」
「それなら向こうさ、あれは広場に向かってたんじゃないのか」
「まじかよ……っ」
 声を上げるなりシーシアスは手の中のものを露天商へ素早く握らせ、脇をすり抜けて駆けた。見る見る内に遠ざかる姿が途中で気付いたように振り返る。
「ありがとな!」
「ま、まいど! 無理するなよ!」
 受け取った情報料の貨幣は熱が篭もり、焦りを語るようだった。



 殴り合いの喧嘩をした。それは子供の力だが、子供にとっては脅威だ。しかし力の使いどころは既に学び、理解している。だからこそ、喧嘩は学んだ力を出さずに終えた。ルーノは密かに自身を誇る。
 力は命の遣り取りに活かすもの、大切な誰かを守る為に、自身を守る為に使うものであり、同時に相手の命を奪う業を背負うものだと、いつかシーシアスは語った。これを早い段階で理解出来たのはやはりシーシアスがきっかけだ。戦闘で負った傷からの出血が滲む姿は生々しく死を予感させ、蒼白のルーノへ告げた言葉が焼き付いたように今も記憶に残る。
「戦うってな、こういうこったよ」
 傷とも戦い、今も命を繋いでいるシーシアスの言葉の重みは、ルーノの精神を鍛える鎚となった。そうして此処まで学んだのだからとルーノはシーシアスを師匠と呼ぼうとするが、気恥ずかしさでかなわずにいる。それだけでまだ己が未熟であると思い知らされる気分だった。
 今回の喧嘩に至る経緯はさておき、内容は報告に足るものだろう。そして其処まで考えると思考のほとぼりも冷め、後で相手に謝ろうとも思えてきた矢先だった。往来の中に姿を見付け、足は逸早く駆け出す。
「シーシアスのあんちゃん!」
 一呼吸置いてからルーノを見たのはシーシアスだったが、瞬間的にそうではないと直感した。あまりに静かな雰囲気が別人だと語る。そしてルーノの表情を見た相手も、自身の正体について勘付かれたと察知したようだ。きびすを返して人混みに紛れようとし、ルーノは必死に人をすり抜けてその背を追う。
「待てよ!」
 人の波が何度目かの足止めをしたのを見計らって、ルーノは手を伸ばして相手の手を掴んだ。途端に伝わる冷たさに驚いたが、辛うじて手は離さずにいる。
「誰だよ、お前」
 得体の知れないものに声が震えた。懸命に出した勇気が警鐘のような胸の拍動で砕けそうになる。
 相手から返る言葉は無かったが、代わりに冷たい手を軽く引いた。逃げようとしてではなく、付いてこいと語っているのだろうか。睨み付けるルーノへ一つ頷いて、徐に歩き出す。
 敵意を感じないのは姿の所為だけなのだろうか。ルーノは警戒をその侭に、手を繋いで歩いた。



 広場に辿り着き情報を集めて程無く、ルーノと手を繋ぎ何処かへ行った己の姿を指摘される。シーシアスは悔恨を短く吐き捨て、まだ未熟な冒険者の姿を探し回った。何の目的でルーノを連れていったのか、ルーノは何故抵抗しなかったのか、謎が足取りを鈍くさせるが止まる訳にはいかない。
 表街道から裏街道の隅まで探すも見付からず、気付けば夕日が沈もうとしている。額に滲む汗は微風に吹かれるとやけに冷たい感覚を寄越し、徒にシーシアスの不安を掻き立てた。
 最後に公園へと足を踏み入れる。暗さは訪れていた人々を住居へと帰したらしく人影は疎らだが、その中に探していた人物を見付けてシーシアスは走りながら叫んだ。
「ルーノ!」
 振り向いたルーノの頭から爪先までを見るが、特に怪我は見受けられない。しかし直後にはその場に力無く座り込んでしまう。
「大丈夫か、おい!」
 ルーノの側に屈んでシーシアスが肩を揺すると、ルーノは安堵と疲労に小さく息を吐いた。
「なんかされたのか、済まねえ、俺の所為だ」
 矢継ぎ早の言葉にルーノは首を横に振る。その手には何かを握り締めていた。
「違うよ」
「ほんとか?」
「うん、ちょっとびっくりしただけ。それよりさ、これ」
 ルーノが握っていた手を開いて中を見せる。今し方木から取ったような小さな緑色の葉が一枚あり、青白い光を仄かに放っていた。
「こいつを貰ったのか」
「うん。握ってみて、聞こえるから」
 言われるが侭に光る木の葉を受け取ると酷く冷たく、握り込むとやがて掠れた声が聞こえ始める。
『ごめんなさい。悪い事だとは思った、けれど他に、出来なかった』
 敵意の無さが言葉と声音に表れており、シーシアスはひそめていた眉根を戻した。
「あんた、なんで俺を模倣したんだ?」
 答える声はかなりか細いが、迷いは感じられない。
『わたしは、愛されてみたかった。けれどわたしには、わたしが無い。だからあなたを借りた。あなたは強く愛されていた』
 意外な告白にシーシアスは一瞬面食らう。
「おいおい、俺にゃ敵もわんさといんぜ?」
 人々全てに気に入られる事は不可能だ。そして顔が広ければ広い程に、その影で敵対心は育つ。だが声からはすぐに答えがあった。
『そんな気持ちより、あなたは強く愛されていたから』
「そりゃあ……ありがてえこって」
 改めて言われると照れ臭く、シーシアスは苦笑する。事は大きいが、目的の切実さと相手の誠実さに免じて言及せず、残る謎を問いかけた。
「目的は解ったけどよ、なんでルーノをこんなとこに連れてきたんだね」
『あなたがこちらに来ていたから。あなたがわたしに出会えば、きっとわたしはあなたに、害をもたらす』
 他者の姿を模倣する種族特有の効果は、当人に制御出来るものではないらしい。そして回避しようと努力した裏には悲しみもあったのだろう。そうでなければ、シーシアスの存在に取って代わっても良かった筈だ。
『ただ、伝えたかった。謝りたかった』
「そうかい……」
 シーシアスが重々しく納得の声を出すと、様子を見守っていたルーノが怯む様子も無く口を開く。
「そいつ、その侭じゃあんちゃんに会えないんだよね」
 会話は聞こえていなかったようだが、話題についてはルーノも知るところのようだ。
「そうみてえだな。……あんた、会うのは背中合わせでもいけねえのかね」
『少しでも、危険は、避けたい』
「解った。……やめとけとさ」
 答えを聞いたルーノはシーシアスの握られた手を見詰める。先程まで聞いていたか細い声には、痛い程に覚えのある感情があった。シーシアスには恐らく悟られていない、抱えてきた闇色の感情だ。
「なあ、あんちゃん」
 もし、その闇を払えるのならば。まだ小さな手に有らん限りの覚悟を握り締めて、ルーノは決心した。



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