不愉快な自我
■-3
幸い増水の程度は軽く、また川沿いを進む。
水分の残る地面を歩き続け、日が少し傾き始めた頃だ。林の奥から誰かの声が聞こえる。耳を澄ますと険悪な声音もあり、言葉は聞き取れないが徐々に剣呑な雰囲気を増した。
「回り道したほうがいいかもな」
ランドが小声で提案する。仮に仲裁に入ったとしても、特に奇妙な姿であるランドが無事で済むとは限らない。最悪の場合は異形として討伐対象にされるかもしれず、レグレルグもそれを悟りランドへ頷いた。
だが進む内に大声がこちらまで響いてくる。
「逃げられると思うなよ!」
「えーっ、嫌だぞ!」
声は拒否の言葉の後、何故か歌い始めた。
「なんだ?」
思わずランドが旋律の方向を振り向いた直後、其処から暴れるような物音と呻き声がする。歌声の中で誰かが戦っているようだ。
「これは――」
レグレルグが疑問を呟きかけた瞬間、歌声の方角から高速で飛来するものがあった。
「ひえ!?」
悲鳴を上げたランドのすぐ側を過ぎ去り、木に突き刺さったそれは一本の矢であり、矢尻には引き抜けなくなる細工が施されている。ランドに刺さるのかは謎だったが、当たらなかっただけ良いのだろう。しかし驚いて声を上げた失態は大きな問題だった。
「誰か、其処にいんのか?」
歌声の主が歌唱をやめて二人へ問いかける。レグレルグは意を決して応える事にした。
「僕達は貴方に危害を加えません、偶々通りかかったんです」
告げながら気付く。漂ってくる血のにおいがあり、やはり戦闘が行われたようだ。ランドもそれに気付いて顔をしかめた。
「そうなのか?」
「それより、貴方は大丈夫ですか、怪我していませんか」
「おれは大丈夫だぞ! でもこれ、どうしよっかな」
悩むような言葉でレグレルグはランドを見遣り、ランドは一つ溜め息をついた。
「お前って本当にお人好しだな……。俺は後ろに下がってる」
「有り難うございます」
ランドへ軽く頭を下げてから、レグレルグは声へ向き直る。
「ちょっと待っていてください」
レグレルグが声の方角へ歩を進めると、やがて六人が血溜まりへ倒れている中に一人佇む人物を見付けた。その腕部は濃緑の鳥の翼であり、腰から脚部は赤い魚の鱗で覆われ、足先はまた鳥の形をしている。大きな袋を携えており、荷物を狙われたのだろうか。
「おっ、ありがとな」
「一体何があったんですか」
辺りの惨状を見ながら問うレグレルグに疲れた声で答えが返る。
「こいつら、おれの事逃がしてくれなかったんだぞ。話聞かれちまった、とか言ってたっけ」
倒れている六人の身形からして身分は高くなく、聞かれては困る話となると何らかの悪巧みでもしていたのだろう。
「そんで、斬りかかってきたから仕方ねえやって、歌でこいつら戦わせたんだぞ」
外見の特徴に加えて歌声で他者を操る性質から、知識がこの人物の種族をセイレーンであると教えた。そして六人の内一人が弓矢を持って倒れているところ、先程の矢は流れ弾らしい。
「大変、でしたね」
苦さの滲むレグレルグの労いにセイレーンは長い藤色の髪を揺らして頷いた。セイレーンは整った顔立ちをしているが、語調や所作には何処か未熟さ、幼さを感じさせる。
「おう。で、これどうしよっかなって」
転がる六人を見ながらセイレーンが呟いた。問答無用で襲いかかってきた相手であり、まして町中でもない。セイレーンは適切な対応をしただけだ。だが問題は罪より別にある。
「貴方については大丈夫だと思いますが、この侭だとこの人達が悪霊化するかもしれませんから、せめて弔いましょう」
憎しみを抱いて死した者の魂が悪霊へと変貌する事は珍しくない。その為に弔慰が必要になり、出来る限りであってもそれらは欠かせなかった。
「そうだなー、後で困っちまうのは嫌だしな」
「良ければお手伝いしましょうか」
レグレルグの申し出にセイレーンが不思議そうな顔をする。
「それって、あっちのやつもいいのか?」
言葉に茂みの向こうから気不味そうな声が響いた。
「うっ……、そりゃばれるよな」
「だってさっき聞こえた声と違うし、こいつが僕達って言ったからなっ」
セイレーンの指摘にレグレルグが慌てたところ無意識だったらしい。
「まあ手伝いはいいけどさ、絶対に俺の両腕に触るなよ、死ぬぞ」
ランドは観念して縮んでいた体を元に戻し、セイレーンに姿を見せた。するとセイレーンは目を丸くした後、表情を輝かせる。
「おまえ、それなんだ!? すっげーな、きらきらしてる!」
混沌を翼で指し示して明るく言われ、ランドは気圧されるように後退った。
「え、お前も怖がんねえのかよ……?」
「怖くねえぞ? みんなは怖がんのか?」
「まあ、そうだった、けどさあ」
偶像にまだ慣れも無かった頃、ランドは一度だけ他者に見られた事がある。化け物と罵られ石を投げられた記憶もまだ新しく、それから人里離れた場所で過ごしていたところで、レグレルグとの出会いがあった。それを思うと今の居心地が嘘のようにすら思えてくるが、現実も捨てたものではないらしい。
「まあ……お前みたいな反応も悪い気はしねえよ」
ランドの返しにレグレルグが小さく笑う。
「ふふ、素直じゃないですね」
「ぐ、うるせえよ」
混沌で軽く宙を払うような仕草をして、ランドは照れ隠しをした。
三人で遺体の姿勢を正して一列に並べ、その魂へ安寧を祈る。埋葬や火葬などは出来ないが、怨嗟を無視され悪霊化する可能性が格段に減るのは確かだった。弔慰を怠った為に悪霊が大量発生した事例も過去に存在し、その知識が少なくともレグレルグやランドにあったのは幸いといえるだろう。
祈り終えるとセイレーンは人懐こい笑顔で二人に尋ねた。
「おまえら、どっか行くのか?」
レグレルグはランドへ目配せし、促すような混沌の仕草を見てから答える。
「はい、海を目指しています」
「こっからだと一番近えのはカガシュカラ海域だなっ、おれのふるさとだぞ!」
「やった、海あるんだな……!」
思わぬところで情報が手に入り、ランドはつい言葉を零した。レグレルグはランドへ頷き、セイレーンに向き直る。
「貴方のふるさとなら、きっと綺麗なところなんでしょうね」
「おう! 陸の道が難しいからみんな通る海で、綺麗で優しいぞっ。おれも寄り道してからだけど、カガシュカラに帰るんだ!」
言葉にレグレルグとランドは顔を見合わせたが、ランドからは苦笑が返った。
「お前の好きにすりゃあいいさ」
「有り難うございます」
そうしてレグレルグは短い会話へ首を傾げているセイレーンへ尋ねる。
「もし良かったら、僕達もカガシュカラ海域までご一緒していいですか」
「けどおれ、寄り道すっぞ?」
「構いません。お役に立てるかは解りませんが……どうでしょう」
するとセイレーンは考え込みもせず、レグレルグの片手を両翼の先で取り上下に振った。握手のつもりらしい。
「じゃあ決まりだな! おれはネイネイエ・スズリンランってんだ、みんなはネイって呼ぶぞ!」
擽ったい心地は羽毛の柔らかさの所為だけではないのだろう。レグレルグは朗らかなネイネイエにつられて笑った。
「レグレルグ・レグリエダです、レグで構いません。こちらはランドランドール・ランドラさん、ランドさんで構わないそうです」
「そんなとこだ、宜しくな」
レグレルグに紹介されたランドが混沌を差し出すと、ネイネイエは臆さずに掴んで同じように振る。遠慮の無さに混沌の持ち主であるランドですら気圧されるようだった。
「へへ、二人共宜しくな!」
其処でネイネイエの腹が鳴った。空はそろそろ夕方であり、レグレルグも空腹に気付いて腹に手を当てる。
「そういえばお腹が空く頃ですね。すぐ近くの川で魚でも捕りましょう」
レグレルグの提案へ二人も賛成の意を表し、三人で川のある場所へと歩き出した。その足跡の残り方、残るか否かも三者三様だ。
川に辿り着くと、魚の捕獲をネイネイエが申し出る。
「さっきのお礼だぞっ」
「そんじゃお言葉に甘えっかな」
「宜しくお願いします」
ランドに続き、レグレルグは軽く頭を下げた。ランドはこれまで混沌を銛代わりにして、レグレルグは大きな石を川の石へぶつけて魚を気絶させる事で捕らえてきたが、ネイネイエはどうするのか興味が湧く。
「じゃあいくぞっ」
言うなりネイネイエは歌を歌う。すると水中にいた魚達の一部が跳ね回り、やがて続々と陸へ打ち上がった。
「おおー、すげえもんだな。それじゃ捌くか」
ランドが魚を手早くまとめ、混沌を使い腹を割いて内臓を処理していく。その様子を見てネイネイエが無邪気に歓声を上げた。
「すっげー! さっき持った時切れなかったよなっ」
「まあ調整してっからな、今触ると危ねえから気を付けろよ」
「おう!」
素直に返事をするネイネイエは、ふと自身が持っていた袋を漁り出す。硬いものがぶつかる音を立てながら、やがて取り出したのは小瓶だった。
「あった!」
「それは?」
首を傾げるレグレルグへネイネイエが小瓶を開けてみせると、白い粉末が詰まっているさまが見える。
「塩だぞっ、味付けしたらもっと美味いぞ!」
「これが塩ですか、食べるのは初めてです」
其処にランドの声が飛んだ。その側には炎が単独で燃え盛っており、ランドの生成した熱源であると物語る。
「へえーっいいな、俺も食ってみたいな」
「おう! みんなで食ったほうがきっと美味いぞ!」
ネイネイエの言葉を聞きながら、レグレルグは食事の楽しみ方を今まさに知っている最中なのだと悟った。そうでなければ行為に胸が弾む筈も無い。
火を囲んで魚の塩焼きが出来上がるのを待つ。魚は芳ばしい香りを漂わせ、三人に生唾を呑ませた。今までも魚を焼いて食べていたが、塩を振っただけのものがあまりに美味そうに映る。やがて焼き上がったものにそれぞれがかぶり付き、広がる味に思わず表情が緩んだ。
「うんっ、やっぱり美味いな!」
ネイネイエの隣でランドがしみじみと言葉を零す。
「うんまー……、調味料って大事だったんだな……」
「本当ですね、同じ魚とは思えないくらいです」
感動する二人へ、ネイネイエは焦げた魚の鰭を齧りながら首を傾げた。
「二人共塩も食ってねえって、今までどうしてたんだ?」
問いにレグレルグとランドは顔を見合わせ、それぞれがまだ燃えている炎を見詰める。
「少し長くなりますけれど……」
「そうだな、それくらい話しとくか」
そうしてレグレルグとランド、それぞれが出自とこれからの目的について話した。話す内にネイネイエの表情から笑顔が消え、魚を食べる手も止まる。
「二人共、大変だったんだな……」
「そんな暗くなるなよ、今こうして此処にいるのを良かったって思えるしな」
沈んだ表情へと変わったネイネイエへランドが最後の一口を食べながら告げる。レグレルグもランドの言葉に頷いてから天を仰いだ。沈みゆく夕日が空を複雑な色に染め上げており、夜の訪れを示していた。
「僕達は今、自分としての生き方を探しているんでしょうね」
レグレルグが感慨深く言うと、ネイネイエはまた快活な笑みになる。
「自分らしい生き方、見付かるといいなっ」
「有り難うございます。その為にも頑張らないといけませんね」
其処でランドから疑問が飛んだ。
「そんで、ネイはなんでまた故郷に帰ろうと思ったんだ?」
問われて一瞬ネイネイエが固まったのを二人は見逃さなかったが、その真意までは判別出来ず、そして言及する事も出来ずに話が進む。
「おれは、ねえちゃんに会いたいんだ。寄り道もねえちゃんの為なんだ」
「へえー、姉ちゃん思いなんだな」
ランドの言葉に頷くネイネイエの笑顔は何処か硬く、レグレルグが尋ねてみる。
「お姉さんと離れてから長いんですか?」
「おう。すっげー淋しいから、おれが頑張らないといけないんだ」
「頑張る……、そういえば寄り道って、何をしに行くんですか?」
するとネイネイエは元の明るさを取り戻したように明朗に告げた。
「こっから二日くれえ進んだとこの谷に住んでるやつの鱗が欲しいんだっ、白くてきらきらで、綺麗だって聞いたぞっ」
明かされた内容にランドが唸る。
「うーん、それだと剥ぐって事だろ。簡単にはいどうぞって訳にゃいかねえかもな」
「おう。戦いになっちまうかもな」
ネイネイエの言葉を聞きながらランドが横目を遣ると、案の定レグレルグが悩むように俯いていた。まだ肉塊の制御も侭ならない事を気にしているのだろう。
「レグ」
ランドに呼ばれてレグレルグは弾かれたように顔を上げる。表情にはやはり不安があった。
「こいつはチャンスだって思え。自分の身を守るのも立派な戦いだからな」
実戦で制御を習得せよとの、ランドからの提案であり激励である。
「はい」
レグレルグはそれを理解し、力強く返事した。絶望の水底から浮上せねば、思い描いた未来は無い。
「レグの戦いも上手くいくといいな!」
「はい。きっと成し遂げてみせます」
ネイネイエの前向きな姿勢にも勇気付けられ、レグレルグは二人に支えられている自身へ気付く。その温かさに胸中までも温まるような心地がした。
そうして来たる夜がもたらすものが安らぎである事を願う。願いが闇に呑まれないように、希う先は解らない。
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