■-4 「0.333333333」

 自分を運ぶ男の目を、指で打ち抜けたのは少し後の事だ。
 激痛に苦しむ男の手から落ちた剣を、絡み付く血を見ると、がらくたの体は瞬時に直ったような感覚を伝えた。それに任せて、剣を取る。振り上げる。振り下ろす。この力が何処にあったのだろう、男の脳天を砕いて、胸まで斬り開いた。
 この力が無くならない内にと、来た道を急いで戻る。途中で体の何処かが折れたような甲高い音を立てたが、足はまだ思いの侭に動いた。
 部屋から出て、まだそれ程歩いていない。程無くして辿り着いた部屋の中を見る。
 一歩ずつ進んでいく度に、光景が揺れる。もう流す程の血液も拍動も無い、血に濡れた彼の姿があった。
 こんな事にしたのは誰だ。ぼんやりと考えて、彼の前に崩れ落ちる。彼は冷え始めている。血のにおいがする。彼の血と、先程の返り血だ。
 あの時負けていれば良かったのに。彼は死ななかったかもしれないのに。怨めしさが募る。彼に苦しみを与えた自分が、自分に苦しみを与えた自分が、怨めしい。
 掠れた呻き声が、確かな呪詛を紡ぐ。怨めしい、怨めしい、全てが、怨めしい。
 するとがらくたの体が、肉が剥がれ、崩れていく。落ちたものは掻き混ざり、そして波打つ。
 体が教えてくれた。それが何であるのか。
「ぎ」
 漏れた声に、沸騰するように怨念がざわめいた。
「ぎあああああああああああああああああああっ」



 薄ぼんやりと何かが戻る。戻る内に、目の前の何かへの認識が濃くなる。
 絶叫だ。判断出来た時、強烈な違和感に目を見開いた。
 見えたのは、汚泥の柱から、赤いような黒いような色をしたものが、天へ次々に撃ち出されている光景だった。天井を突き抜け、そしてまた天井を突き抜けて降り注いでいる。大きな針が降っているようだった。
 汚泥の中心に何かいる。ちらりと見えた翡翠色の、毛とは違う髪。あのがらくたなのだろうか。がらくたが絶叫して、奇妙な雨を降らせている。
 其処まで見ていて、丁度古ぼけた化粧台の鏡に自分の姿が映っている事に気付いた。降り続く針と同じものが一本、真っ直ぐ喉に突き刺さっている。其処から血は出ていないが、胸には大いに血の跡があった。
 刺された事を思い出して胸を触ると、確かに傷があった。焦って触った指は傷に入り込んだ。あまり痛くない。指は破れた心臓を触った。間違い無く死んでいるだろう。しかし意識が戻ったのはどういう事なのか。
 がらくたは一体自分に何をしたのだろう。
「さいか」
 呼んだ声は絶叫に掻き消えた。
「さいか!」
 今度は負けない程の声量で呼んでみる。絶叫が次第にやんでいく。汚泥も勢いを衰えさせていった。そして静けさが漂い、中のものが倒れて、姿が露わになった。
 腐った果実のような巨大な目玉を、頼りない金属の骨が貫いて支えている。頭だと判別出来る要素は少ないが、髪だけは前とあまり変わらない。破けた服から、金属を雑に束ねた体が見える。
 姿はおぞましいものに変貌していた。だが、あのがらくたなのだ。そんな意識が、がらくたに対する心を変えなかった。
 側に寄って汚泥から出してやり、呼びかけてみる。
「さいか」
「ひゅぅぅ、ひゅー」
 無い口では喋れず、首元辺りから空気の抜ける音が響いた。
 ふと、まだ汚泥がうねっている事に気付いた。やがて何かの形を成し始め、汚泥に色が付き始める。鮮やかで美しい、あの時見た花の色だった。
 完全に形となったものには、面影があった。
「……ごめんなさいね」
 告げられた言葉は解るが、自分が使っていた言語とは違う。
「この子は貴方が好きだった。だから怨んでしまったの。怨みは何処にも行き場が無いものよ。その怨みを受けた貴方も、行き場の無いものになったの」
 言葉を聞いて、自分が言いたい事を何と発音すればいいのかが、何故か自然と浮かぶ。
「怨みって、この針か」
 すると肯定の言葉が返った。相手の言語で会話が出来ている。
「話をしたいんだけど、此処じゃあ落ち着けないわね」
 階下では悲鳴や動揺の声が聞こえる。同じように怨みを受けたのだろうか。
 窓の外を見てみると、松明は一つも見えなかった。開かない窓なので仕方無く蹴破り、がらくたを抱えて桟に足をかける。
「おまえもいけるか?」
「大丈夫。足には自信があるのよ、その子と同じで、ね」



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