■-5 「-2」

 雪道を歩く中で前のように寒さを感じる。
 街道付近まで辿り着くと雪は殆ど無くなった。近くの林に身を隠し、漸く腰を落ち着ける。そろそろ空は白んできていた。
「自己紹介をしなきゃいけないわよね」
 鮮やかな色をしたものの声には、何処か物悲しい色があった。
「私は……そうね、怪雨 零、とでも名乗ればいいでしょうね。零でいいわ。貴方は?」
「朝霧、朝霧・シュルフル。確かこうだった」
「確か?」
「滅多に呼ばれなかっただけだ」
「そうね、呼ばれないと忘れてしまうものよね。私もついさっき呼ばれて思い出したわ」
 朝霧の腕の中にいるがらくたを見ながら、零は言う。存在は謎ではあるが、敵ではなく、敵になりたくもないのだろう。
「私の事を説明するには、その子の事を話さなきゃいけないの。長くなるけど、聞いてくれたら助かるわ」
「話してくれたほうが俺も助かる。何一つ解らない」
 利害の一致に零は微笑んだ。やはりあの微笑みと似ていた。



 怪雨 催花という名前を聞いた時、遣りきれないような感情が湧いた。怪物の一種であり、元は零と似た外見をしていたらしい。名残しか知らないが、さぞ鮮やかな色合いだったのだろうと想像も出来た。
「催ちゃんはただの傘だったのよ。けれど理不尽に壊されて、怨みが魂になって、催ちゃんが出来上がったの。催ちゃんは日常の中で怨みを綺麗にしていったわ。その綺麗になった怨みの一部が、私。色んなものを得た催ちゃんの中で、静かにしていられる存在だったの。出来事があって、私と催ちゃんが会う機会もあったけど、最後には催ちゃんの中に戻ったわ」
 腕の中の催花は静かだ。力尽きたのかは判断付かない。
「今回催ちゃんは、今までになかったくらい強く怨んでしまったの。自分も何もかも怨んで、ぐちゃぐちゃになったわ。でもお人好しよね、私までぐちゃぐちゃにならないようにって、無理矢理叩き起こしてくれちゃってね……」
「お人好しなのは俺にも解った」
 小さく零が笑った。
「やっぱり。言葉が通じてない時から、そうじゃないかしらって思ったわ」



 言葉が通じるようになったのは、催花の怨みを受けて情報が追加された事が原因であるようだ。追加された情報が言語のみ、ともすれば辛うじて言語が伝わったのは、言葉を交わす事が催花の望みであったからではないかと零は言う。零にも想像しか出来ない部分があるようだ。
「催花は治せるのか」
「回復はもう無理ね。魂そのものが削れているもの」
 零は変わり果てた催花を見遣る。
「本当なら、怨みを降らせた時に消滅していてもおかしくなかったの。きっと、貴方に呼ばれたから、踏み留まったのね」
 すると零の大きな目に薄く涙が溜まる。
「嬉しかったわね……」
 それは催花への言葉、そして代弁だった。
 零は涙を軽く拭い、朝霧へ向き直る。
「……踏み留まったけれど、もう限界は近いわ」
「そうか」
 言うなり、朝霧は立ち上がる。
「付いてきてくれ」



 朝霧は街道脇を進む。日が昇りきり、人に見られるかもしれないが、異様なものを持った異様な姿でも、臆さずに歩いていた。
 零は朝霧の後を追いかける。そうして言葉を交わす事無く歩き続け、見えてきたものがあった。
 朝霧が漸く止まる。小さな花畑だった。
「催ちゃん、探しにいったものね」
 零の呟きに朝霧は頷いた。そうして色とりどりの中に催花を横たえ、傍らに屈む。
「催花」
「ひゅー……」
 何かを言おうとしているようだが、やはり声にすらならなかった。
「おまえといる理由が見付からない」
 朝霧は静かに告げた。
「だから俺は、おまえを愛したのかもしれない」
 すると催花の指が微かに動いた。手を握ると、酷く弱い力だったが、確かに握り返した。
 催花の体が炭のように変わり始める。砕け散り、消えていく。
 ふと一陣の風が吹き、その風で全てが砕けた。



「どうしてそう思ったの?」
 催花が消滅して暫く経ってから、零が尋ねてきた。
「嫌いじゃなかった。好きでもなかった。離れたくなかった。こんなものを他にどう一言で表せばいいのか、俺には解らない」
 それに零は微笑む。
「解らないにしては、的確なのね」
「俺はそうする事をよく知らない。催花は知っていたように感じた。俺は催花に教えてもらったんだろう」
 朝霧は瞼を伏せた。瞼の裏で思い出す。たったあれだけの時間が途方も無く濃密だった。希薄な日々に突如として差した彩りだった。
 目を開けると、花々が風に揺れていた。
「今俺が出来る事は、感じられるようになった事を感じる、それだけだと思う」
「今貴方が感じているものも、解るようになったのね」
 朝霧は一つ頷いて、溜め息をつく。
「そうなんだろう。今までこれっぽっちも解らなかったのに、今までよりずっと淋しいなんていうのも、解るようになった」
 感情に漸く色が付いたような気分だった。



「行き場が無いって事は」
 歩きながら朝霧が言った。
「何処に行くも自由って事だ」
「うふふ、言うわね。でも好きよ、そういうの」
 もうこの場所に、世界に留まる必要も無い。世界を渡ろうと、その場所を目指す。
「つらい事も、あるでしょうね」
「かもしれないし、それも自由ってやつだと思う」
「それじゃ、謳歌するしかないわね」
 それに朝霧が小さく笑った。零もつられて笑った。



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