無間の幽鬼
■-3
暗い場所で寝ている。
気付いた瞬間には飛び起きていた。頭が警告している。此処は危険だ。理由など教えてくれない。見えたのは、砂埃の舞う荒れた土地。
頭が繰り返す。此処は危険、此処は危険、危険、危険、危険、危険。頭が満杯になっても止まらない。頭が痛くなる。胸が締め付けられる。怖い、怖い、怖いならば、逃げなければ。しかし何処へ、砂埃は周囲を隠している。
砂以外に見えないその場を走った。走れるだけ走るが、恐怖は増すばかりだった。何処にいるかも解らないが、段々近付いているように感じた。本当に逃げているのだろうか、自分から突っ込んでいるのではないか。そんな気もするが、本当のところは解らない。
こんな筈では。こんな恐怖のただ中にいる筈ではなかったのに。何か大事な事を忘れているのにも気付けなかった。ひたすらに現状を呪う。
汗が出そうで出ない。涙が出そうで出ない。息が変に荒くなるだけで、体が苦しみを訴えている。もう恐怖に耐えきれない。
叫び声は掠れた声にしかならなかった。動かない心臓を常に掴まれているような気がする。砂のにおいは変わらない。
足が震えて止まる。立ち尽くす。寒くもないのに歯が鳴っている。ごうごうと重い風の音が、耳の奥にずっと残っている。
何とか立っていると、急に前方から音が聞こえた。近付いてくるのは、砂を踏む音、何か硬いものが鳴る音、それが複数だ。
どう対処して良いのか全く解らず、怯えて立っているしか出来なかった。黒い影が幾つか見えてくる。何かは解らないが、自分より少し大きめの影だった。影自体はよく解らない。だが、それがマシンガンを向けた事はすぐに解った。何故か武器だけはしっかりと見えた。
そして、軽い炸裂音が続く。
「ぎっああっあああっあっああああっあああっ」
体がおかしな踊りをする。弾き飛ばされた体が回る。たたたたた、たたたたた、あまりに軽い音が却って恐ろしい。
痛い、痛い、痛い、ちくしょう、ちくしょう。復讐の心がやっとの思いで立つ。
「何するんですかああああっ」
ばけものと化して、腕で影を薙ぎ払う。血が散るが、音は止まない。痛い。音を潰しているような気分だった。次はあの音を、次はあの音を。そしてきりが無い。
「ちくしょうっああああああっ」
そして腕を目の前で振り払った時だった。急に薄明るくなる。さわさわと風が草を揺らす音が聞こえる。茫然と立ち尽くし、やっと思い出した。自分は寝ていたのだ、あの砂埃の中になどいなかった、あれは夢だ、解った瞬間気が緩んだ。だが体が痛い。その体を確認しようと、下を向いた時だった。
血溜まりだ。その中心には、足を折られ、腹を裂かれ、頭を掴まれてその侭引き千切られたような、少女。
「あ」
自分の手には、血と、引き摺り出したであろう内容物がこびり付いていた。
「あっ、あっ、あああっ、ぎゃああああっぎああああっうあああっああああっ」
血のにおいが教えてくる。この手がやってしまったのだ。何もかも失くした気がした。そしてそんな気も狂いそうな程の悲しみが襲う。
集中が途切れ、姿が死体になる。蹲って頭を掻き毟る。どうすれば良いのか、自分の心をどうすれば良いのかさえ解らない。
出来る事は叫ぶ事だけだった。叫びが出るだけまだましなのだろうか。目の前が暗くなっていく。目がおかしい。
思考が出来ない。
だからこそ良かったのかもしれない。
「フレイアルト」
言葉を、声を聞いて、弾かれたように顔を上げた。血に塗れてはいたが、確かに、目の前にはセメンツァがいた。崩れていない少女が。
セメンツァの体は、強度こそ人間と然程変わり無いが、再生力は凄まじく高いらしい。肉片となっても再生するだろう、とは言うが、あくまで予想であり、傷付けたくもない。
セメンツァから話を聞くと、自分の行動はまさに奇行だった。
突然立ち上がり、覚束無い足取りで遠くへ歩いていったのだという。何事か言っていたが、よく聞き取れなかったとの事だ。
それを追いかけて、話しかけても止まらず、やっと止まった瞬間血を噴き上げて痙攣し、次にはばけものの姿になった。そして無差別な攻撃に巻き込まれたのだという。
結論からして、たちの悪すぎる夢遊病だった。暴れ回り、危うくセメンツァを殺してしまうところだった。
「ごめん、なさい、ごめんなさい」
恐怖がのしかかり、悲しみに潰されて、言葉が上手く出てこない。
「ごめ、なさい、ごめ、ん、なさい、ごめん、なさ」
やっと溢れた涙は冷たい。そんな体を、セメンツァは抱いてくれた。
「フレイアルト……、フレイアルトは、わるくない……」
頭にきちんと言葉が入ってこない。何処か遠くで声を聞いている心地だった。
もし繰り返したら。もし、セメンツァを殺してしまったら。今はそれだけが怖い。自分が存在する限り続く恐怖だった。
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