有漏路の幽鬼


■-16

 男から出される食事は、昔で言う下手物だった。虫や爬虫類、それが何か聞かなければ良かった、と思うものばかりだ。しかし、断っては生物として怪しまれる。吐きたい気持ちで食べた。味の方は、酸味、甘味、久しいもので、不覚にも美味いと思ってしまう。
 何にせよ貴重な食材だろう、何よりも男に弱まれては困るので、出されたものを更に小食に留めた。
 短く他愛も無い会話。言葉が通じるだけで充分だった。人間一人では生きてゆけないとはこの事だろうか。
 嬉しくて楽しい。そんな毎日。
 続くと思っていた。また。



 男は昼に出て、夕方に戻る。大人しくしていろ、と自分に言って、血の付いた服と武器で出かける。ぼろ布に包まって待っていると、時に負傷して、時に血に塗れて、時に所持品を増やして、時に所持品を減らして、戻ってくる。無愛想な顔だが、それが帰ってくると心が弾む。
 そんな男が、自己紹介をしたのは、恐らく十日程経った頃だ。自分は、昔人に思われたハーフだという事にしておいた。段々と気が緩んできたのだろうか、戦前の思い出を、尋ねもしていないのにこちらへ言うようになった。解らない、何より興味の無い事が多かったが、解る言葉を聞くという事の貴重さに癒される。
 しかし、人は慣れると、貴重さを見失うものだ。
 いつしか男の話に飽きを覚えていた。



 いってらっしゃい、の声をかけた後、ぐったりと横たわり、暇でごろ寝をしていた時だ。
 重い、そして体の芯に響く大音がした、と思った瞬間、地面が揺れた。何かの破壊音。落ちる音。何だろうと外に出る。右の方に、煙を上げている瓦礫があった。破片が飛んできている。そして聞こえる呻き声。声の方へ駆け寄ると、あの男がいた。右足が赤く、短い。
「お前、もど、れっ」
「どうしたんですっ」
 エンジンの重低音に混ざって妙な機械音がする。身を隠してくれている瓦礫から窺うと、初めて見る戦車が何台かいた。
「この侭、だと、死ぬぞ、逃げろ」
 男の声は頭に入ってこなかった。ちくしょう。折角の人間を、折角の楽しみを奪ったな。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。
 思うが否や、足に力を込めて高く飛んだ。砲台が向く。重い音。体の半分以上を吹き飛ばされる。痛い痛いちくしょう貰ったぞちくしょう。
「撃て」
 肉の垂れ下がる指先から、幻が生まれたのは一瞬の出来事だった。衝撃、轟音、爆発。戦車は戦車で壊れた。しかし満足しない。体を化け物に変化させ、一気に滑空する。拳の一撃が戦車を潰した。撃たれて体がもげるが、仕返しばかり考えている所為で怯まなかった。次々に、弾き飛ばし、踏み潰し、蹴り倒し、全てを壊す。中には逃げ出す人間もいたが、それも握り潰して壊す。
 全て潰し、燃える音のみになった場で、さて戻ろうと思い振り返る。
 炸裂音と共に頭が欠ける。何故だ。音の方向に敵がいる。あの男がいる方向だ。
 近付くと、同じ音が体を撃った。三発で止まる。すると今度は小型の銃で目を潰される。
 男がこちらを見ている。
「お前が化け物だったのかっくそっ騙されたっ死ねっ死ねっ死ねよっ何で死なないっくそっ死ねえっ」
 垂れ流される言葉に、心が冷えていく。
「死ねよっ死ねっ死ねよ死んでくれよっ」
 もう弾が切れた銃を見ながら、男に対する感情が消えていくのを感じる。
「騙してません」
 狂乱の男に言う。
「約束していないでしょう?」
 指を差し、それを伸ばして刺し貫いた。腹を貫通して、まだ生きている男へ付け加える。
「あと、もう死んでますからっ」
 裂けた口が笑い、変形した指が内側から棘を広げた。全身を貫かれ、男は絶命する。その体から、微かな痙攣、そして温かな体温が伝わる。
 指を元に戻す。落ちた体など、どうでも良かった。
 もういい。この世界は嫌いだ。最初から好きではなかったが、今はっきりと解った。
 嫌いだ。



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