有漏路の幽鬼
■-18
「あーあ」
うんざりしたこの声は何度目だろう。
変わった事、あの生きていた頃と変わった事を思ってみる。
太陽の光はずっと見ていない。空は灰色の侭だ。水は黒く濁り、もう水ではないのだろう。その水さえ、最近は見ていない。雨の一粒も降らないのだ。地面は段々、赤と黒を混ぜた色に変わってきた。空気が汚れているのか、息をすると少し苦しく、ほんの少し霞んだように見える。
考えを巡らせていると、静かになった事に気付いて、片手の指と爪の間に針状の体を打ち込んでやった。叫びが上がる。
「死なないで下さいねー、久し振りの遊び相手なんですから」
捕まえた人間が呻く。確かめてみると女だった。
正常な生き物の姿も見なくなった。死んでいるものが大半で、生きていても、体が変色したり変形したり、まともな外見をしていない。奇病でも流行っているのだろうか。
女を締め上げるのは、体中の血と膿が汚らしかったのでやめておき、取り敢えず両手両足の骨を叩いて折った。動けないようなので、恐らくちゃんと折れているだろう。
刺し込んだ針を動かしてやると、絶叫が聞こえる。この単純な場所でのた打ち回る程苦しむ事は、少し前に知った。色々試すのも大変だった。実験台がいない。
女が涙と膿を流し、血走った眼球をぐりぐりと動かしている。
「ひぅぅぅぅぅぅぅっぎゃああああがああああ……ひうぅううううっぎああああああ」
喉の鳴る音、絶叫。やはり暇で仕方無い。
此処に来たのはいつ頃だっただろう。来る途中、海を見た覚えが無い。何ともないので解らなかったが、人は皆歯を鳴らして震えていたので、恐らく寒いのだろう。人が吐く息はあまり白くなっていなかったので、水分も無いらしい。
世界は汚れてしまった。本当に何もかも。そんな世界は酷くつまらない。面白くない。
暇は人を殺す、などと誰か言っていたと思うが、それならば自分はどうなってしまうのだろう。
長く、長く、息を吐き出して、声も上げられない女を化け物の手で掴み、勢い良く地面に叩き付けた。落ちて割れた水風船のように、ぱっと体が散る。散った血の色もどす黒い。
ぼんやり見詰めていると、解りにくかったが、地面にぽつりと点が出来る。何だろうと思った瞬間激痛が走った。降ってきた。痛みが増える。素早く全身を化け物に変化させる。何にも負けない体。その筈だったが、痛みが消えない。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。体が崩れる。
気を失った事は、目を覚まして気付いた。実体化が切れたらしい、雨が死体をすり抜けている。
あちこちで煙が上がっている。そう激しくないこの雨は、強酸か何かか、とにかく全て溶かしてしまう雨らしい。周囲に物が無い。地面まで煙を上げて抉れてきている。微生物までも死んでいるのだろうか。
世界が殺しにかかってきたのか。いや、違う。
人間の所為で、生き物を生かしていた世界が、完全に壊れたのだ。
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