有漏路の幽鬼
■-22
見える。見える。地上には、幾つもの動くもの。生き物の姿が見える。空を行く羽を止め、漂って観察を始める。
どんな生き物なのだろう。何を食べているのだろう。気になり始めた事は、最終的に自分で試そうと考えていた。
まず、ある程度の群れはあるようだ。喜怒哀楽があるかまでは解らないが、何度か打ち合わせのようなそぶりを見る。此処にいるものの外見は、小柄な頭と胴と足のみ、色は緑やら紫やらを変に塗ったような斑、口は確認出来たが目が解らない。爪や牙はあまり無いようで、凶暴な印象もそれ程受けなかった。
そうして生き物ばかり見ていたのだが、地上の変化に漸く気付く。地面が盛り上がっている箇所が幾つかある。まるで血管のように、枝分かれして前後左右遠くまで走っていた。
前にあんなものは無かった筈だ。あれは何なのだろう。気になって一本を目で辿る。ずっと前方へ伸びている。しかし向こうから枝分かれが始まっているので、前方から伸びているのか。
羽を動かして、再び空を行く。目標物を見失わない速度を維持しながら、あれは何なのだろうと考えを巡らせる。飛ぶ距離が長くなるにつれ、枝の数が減り、太さは増していく。そして不思議な事に、目にする生き物の数が減ってきていた。
何か住めない理由でもあるのだろうか。空気は解らないが、地上は枝が減ってきた以外に変化は無い。
枝はかなり太くなってきた。人一人の幅くらいだろうか。
そして、何度か向こうと手前を行き来していた目が、巨大な化け物を捉えた。枝の元はそれだった。
アンモナイトから身を少し出したようなものが、地上にぽつりと一人でいる。大きな目玉が一つあったが、瞳は三つもある。口と思われるものからは赤い触手が何本も垂れており、胴体部はつるりとしている外殻の間から、蠢く肉質が見えた。そしてあれは尻尾だろうか、ふさふさとしている毛の束が、胴体のやや上の方から生えていた。
このような外見をしていたのだが、彼は奇妙さよりも純粋に、きれいだと思った。
薄いピンク色と紫色をした頭と外殻。瞳は全て紫色。そして、赤、黄、青、緑、紫、まさに虹色をした尻尾。このような優しい色を見たのはいつ振りだろう。そんな色の印象が、この化け物に対する負の感情を全て取り払ってしまった。
旋回して様子を窺っていたが、それをやめ、化け物の正面に回ると、ゆっくりと高度を下げ始めた。空から降ってくる何者かに反応して、化け物の三つの瞳が中心に集まる。化け物はそれ以上動かなかった。地に降り立ち、不完全な人の形を取る。あくまでもゆっくりと歩き、化け物の目前で止まった。大人二人分の身長よりも少し低いくらいだろうか、遠くで見たよりも化け物は案外小柄だった。
暫くはじっと見合っていたのだが、つと化け物は赤い触手を一本、緩慢な動作でこちらへ伸ばす。恐る恐る、といった印象を受けた。彼の前まで来ると、触手は止まる。払いのけられる位置だ。
何かしたいのだろうか。
怖々伸ばされたそれを払う理由は特に無い。彼は無抵抗の印に目を閉じた。
とん、と頭に何かが当たる。そっと目を開けてみると、あの赤い触手が目の前にあった。頭に乗っているのはこれらしい。別に痛くもなく、痒くもない。
そうして何分が過ぎただろう。恐らくあまり経っていない。触手が離れ、また二人で向かい合う。今のは何なのだろうかと考えていた時だった。
化け物の目玉の下部に、透明な液が溜まる。上と下の瞼を合わせて、その雫を落とした。これはもしや泣いているのか。
何度かまばたきをして、涙を流す化け物から聞こえてきた。
「あ……あ……、ありがとう……」
か細い少女のような声だった。驚いて思わず尋ねる。
「言葉、解るんですか」
「いま……あなたから、おしえてもらった……」
あの触手は情報を取っていたのか。幽霊の自分からよく取れたものだ。
歩を進め、化け物の側へと寄る。垂れ下がる口元に手が届いた。触ると温かく、弾力ときめ細かさを持つ心地良い手触りだった。
「それで、どうして泣いてるんですか」
ぽろぽろと流れる涙は清水のようで、懐かしいものさえ覚える。
「しらなかった……」
今にも消えそうな声で化け物は語る。
「こんなに、かなしくて……、こんなに、さみしくて……、こんなに、こわいもの……」
化け物の言うものは彼の過去なのだろうか。
「ごめんなさい、嫌なものを見せちゃったみたいですね」
化け物が正直に伝えてくるので、何やら申し訳無い心地になる。
「こんなに……ずっとずっと、あなたがいたことを……、わたしは、しらなかった……」
抑揚の少ない声が、酷く弱々しい。そんなか弱い声が、何故か抵抗無く沁みる。
「俺は……いいですよ、もう死んでます」
温かな、泣く化け物を見る。
「生きられもしない、『ばけもの』なだけですよ。だから、そんな事で泣かないでください」
そっと寄り添って、化け物をあやした。
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