私雨奇譚


■-2 黒風白雨

 遠い地、それは誰も憎まず、誰も愛さぬものでした。
 同時に悟ったのです、全てが牙を剥いているのだと。
 そんな中で、わたくしは生きてゆかねばならないのだと。



 土砂降りの日、わたくしは戦いを強いられました。
 獰猛な獣でした。未熟な剣一本で対処するには、厳しい相手でした。
 力が、牙が、体の骨を軋ませます。左腕は関節が故障して使い物になりません。
 間近に迫り、押し負けそうになった時です。



 しぬのですか。
 また。



 何処からそんな力が湧いたのか解りませんが、気が付けばわたくしは、座り込んで、唸りながら獣を刺し続けていました。
 その腹から、足が見えました。それも一緒に刺していました。
 獣達は殺されてしまいました。
 わたくしは返り血に塗れ、錆びたかのようです。
 やがて血の池に座り込んだ侭で考えました。
 わたくしは何の為、此処にいるのでしょう。
 答えはあります。
 この淋しさを癒す為に。
 この身を愛されたいが為に。
 生むものなどありません。
 しかしそのようなものが、何かを殺して生きる、それにどれ程の価値があるのでしょう。
 わたくしは生きていて良いのでしょうか。
 答えは、あるのでしょうか。



「わたくしは……」
 今漸く思い出したのです、わたくしには名が無いと。
 居る以上、相応しい名が付くのは摂理と思いました。
 わたくしはただの、災いを呼ぶものではないでしょうか。



「あやしのあめ」
 怪雨。
 それがわたくし。
 奇怪な災い。



「あーっはっははああ、ららららら、あはははっ」
 わたくしは怪雨。
「ららららぁ、ひはははっ、あっはっは、らららあーははは、ふあははははっ」
 この世の異常。
「ららららららっ、わたくしはぁっ、あやしのあめぇぇっ」
 降りしきる雨の中、わたくしは歌いました。
 初めて、生まれた気がしました。



 黒風白雨(こくふうはくう):「黒風」は砂塵を巻き上げ太陽を隠し辺り一体を黒くする程の旋風、「白雨」は黒風が吹き荒れる中に降る大粒の夕立

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