苦しみよ解き放たれ給え
■-4
六日目。
噴水の淵に腰かけていた。
民が集まって騒いでいる。ちらちらと自分を見る。
「やっぱりあんな子供では駄目だったんだ」
「あんな化け物にされるなんて」
「可哀想に……あれでは人間ではないよ」
「あれは外法だ」
「許してなるものか」
もう何度この言葉を言われただろう。
緩んだ糸のような視線で集団を見詰めていた。それを集団の目が次々と捉える。正確には、捕らわれていた。
立ち上がる。槍を片手に。それが合図だと、集団は決起したのだ。
一人の異形の青年が、武器を手にした民を引き連れて宮殿へと歩く。途中で邪魔するような兵士は、民が抑え付けてしまった。何故か。
「皇帝は何処にいる!」
民が叫ぶ。青年の歩みは止まらない。民は付いていく。玉座の間に辿り着く。民は扉を乱暴に開け、代表だと青年を前に突き出して叫んだ。
玉座の間には皇帝が立っていた。何故か。何故か民に容易く兵が屈し、皇帝が無防備で此処にいるのだ。
何もかも、解っていたのか、この少女は。
罵倒の声が響く中、青年はゆっくりと、皇帝に近付く。皇帝は動かない。彼をただ、じっと見詰めている。
倒れたあの日以来の再会だった。
六日目か。
何から、眠りを許されなくなってから、蔑みの目を向けられてから、奇異の目を向けられてから、化け物と罵倒されてから、あの日から。
初日でいきなり無に帰すところだった。眠ってはいけない。今度こそ脳の活動が全停止すると警告された。それから興奮剤を晩に服用している。これも術法をかけ合わせた薬だ。眠りが無くなる事は、元々不眠症だったからか、然程苦痛ではなかった。
皇帝の心はどんなものだろう。それを思うと、途端に切なくなり、涙を零しそうだった。合わせる顔が無い。だが、この侭では何もかも潰えてしまうのも確かだった。
この場で、今にも泣きそうな、初めて出会ったあの日と同じ、淋しい目を見て確信した。
歩みを止め、そして槍を置き、跪く。
喧しい罵倒が消えた。その中で、思いの丈を話した。
「有り難うございます、陛下。このようなつまらぬ命を、御身を賭けて御救いくださった事、感謝しきれぬ思いです。この姿を、人は化け物と呼び、怯えます。しかし貴方だけは、そうしなかった。こうして、真っ直ぐに向き合ってくださった。この体にした貴方を恨んで殺めても良い、という、此処におられる覚悟、有り難き幸せです。貴方は間違ってなどおりません。わたくしめが、今此処に証明致します」
全てを捨てる覚悟で、自分を救った少女の思い。それがどれ程に、この少女へ苦痛をもたらしただろうか。
槍を取って立ち上がり、振り返ると槍を構えた。その目には牙を剥く獣が宿る。
「どいつもこいつも、何も解っちゃいないお前らに、陛下を傷付けさせるものか! このふざけた事を続けるようなら、俺がそのどてっ腹に穴を空けてやるよ! それとも化け物が怖いか!?」
民は我先にと逃げ出した。追いかけようとした兵士を、皇帝が止める。何も咎めないと。自分の為に。
皇帝に向き直り、跪いて目線を下にするが、見えずとも感じた。自分から片時も目を離さずに、皇帝は緩々と口を開く。
「みんなが貴方をなんて言っているか知ってる? 合成獣、キマイラだとしか言わないの」
自身がした事だという事実が胸に刺さっていた。それでも、それでも、と呪文のように繰り返していた。
別段、いつも会っていた訳では無かった。親交は、どちらかと言えば浅かっただろう。だが彼だけなのだ。彼だけが、淋しい自分に気付いてくれた。淋しい自身を許してくれた。
そして気付いた時、先帝達が喧しかったが、大人二人をねじ伏せる力を持つようになっていた。紛れもないアメジスト自身の成長だった。
「けれど、私は思うの」
少女は青年の右手を取り、両手で包み込む。
「貴方は、私の、たった一人の大切な人。キマイラなんかじゃない、高潔なユニコーン。私の苦しみを払ってくれた人。……そうでしょう? ジェイスン」
戦士に傷んだ小さな両手は、青年を温めていた。
明日、私室に来いと言われた。本当ならば今日にでも呼びたかったのだろう。何も起こらなかったが、事件の処理に追われて暇が無いのだ。
今夜も興奮剤を飲んで一人、寝台に座って月影を見る。興奮の仕方は様々で、まず己を律する事から始めなければならなかった。どうしようもない、破壊、食、様々な欲、最も抑えなければならなかった欲、それらに耐える夜を送る。四日目で何とか、それを捩じ伏せるこつを掴んだ。
文字通り眠れぬ夜を、半ば思考停止状態で過ごす。半分はまだちらつくのだ、あの心地良くおぞましい思いが。
これだけは、どうしようもない。
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