賛歌を紡げぬ貴方へ
■-2
逃げなければならなかった。
汚点を認めたくないからだ。
全て自身が悪いのだと、重々認めながら。
「ただいま帰りました」
フレイアルトの声に出迎える言葉をかけようとしたクレイサは、何処か暗い表情の三人と殺気立ったレイノルエに固まる。様子に気付いた他のギルドメンバーも、帰還した五人へ不思議そうな視線を寄越した。
「どしたよ」
張り詰めた空気の中、カサヒラがあくまでも静かに問う。フレイアルトの微笑みは変わらないが、普段のそれには無い陰があった。
「皆さん。大事なお話がありますから、宿に場所を変えましょう」
其処にレイノルエの低い声が突き刺さる。
「そりゃ聞かれちゃ困るよな、化け物め」
「レイちゃん!」
たしなめるウルコールに耳を貸さず、レイノルエは厳しくフレイアルトをねめつけた。フレイアルトは微笑みを絶やさず、レイノルエの怒りを浴び続けている。当然だと語るように。
部屋を照らす明かりが頼り無く見える。宿の一室に狭苦しく十三人が集まり、窓辺に立つフレイアルトを見詰めていた。フレイアルトは全員を確かめるように見渡してから口を開く。
「お話は、俺自身についてです。おとーさんはね、皆さんみたいな人間じゃ、ないんです」
殆どが疑問の眼差しを向ける中、フレイアルトは徐に右腕を差し出した。普段と何も変わらないと思わせた頃に、異変が起こる。腕は鈍い音を立ててあらぬ方向へと曲がり、血を滴らせた。
「ひっ」
何名かが悲鳴を上げる前で、腕は瞬く間に元へ戻る。同時に出血の全てが消え失せた。
「これは、死体の一部です」
「死体……?」
呟いたレイノルエも事態が呑み込めずに眉根を寄せるが、フレイアルトは続ける。
「俺の事の前にまず、今日行った第五階層と、昔のお話をしなきゃいけません。今からする話は全部、誰にも話さないでください。皆さんが危ない目に遭います。それでも、聞いてくれますか?」
全員の頷きを確認し、フレイアルトも一つ頷いた。
「第五階層の名前は、新宿。何年も何年も昔、此処は新宿が地上でした。日本という国のほんの一部分で、都市の一区画でした」
突如として出た第五階層、ひいては世界樹の核心に疑念も追い付かないようで、メンバーは理解の難しさを表情で語る。しかしフレイアルトは一息に事を語るしか出来なかった。
「新宿がまだ地上にあった頃です。人間は科学……化け学だけではなくて、色々な知識の力を持っていました。昔の人間は今の人間とは違って、死んだら蘇生は出来ません。それで、人間達は確かに凄い力を持っていました。けれど科学の力は、自然を破壊する力だったんです。気付いて慌てた頃にはもう遅かった。生き物はどんどん死んでいきました。世界は滅んでいったんです。人間は最後の望みをかけた計画を立ち上げました。世界樹計画、世界樹という薬を造り、その浄化の力を使って大地を回復させる、そんな計画を立てたんです。その途中も、大勢の人が亡くなりました。それでも世界樹計画は進められました。そして漸く特効薬、世界に七つの世界樹を造ったんです。けれど世界樹は、ゆっくりとしか世界を回復させられませんでした。長い長い時間をかけて、世界樹は今みたいになるまで世界を回復させました。世界については、このくらいにしましょう」
区切るように蝋燭が音を立て、フレイアルトは次の話題に移る。
「その計画が始まるずっと前、まだ世界が滅んでいなかった頃ですね。二十歳になってちょっとくらいでした。俺はお金目当てに殺されたんです。馬車が決まったところに停まるでしょう、あの頃はあれが大きな建物になって、幾つもあるんです。其処に来るのは馬車じゃなくて、電車っていう大きな鉄の塊が、物凄い速さで来るんです。当然、停まるまでみんな離れて待つんです。俺も親と一緒に待ってたら、背中をどんと押されて。その時、其処には停まらない電車が来ていたんです。電車は急に止まれない。気が付いたら、真っ赤なものに服とか毛とか付いたような、変な形を近くで見てたんです。其処からごたごたして、その間中誰にも見えない姿で親の側にいたんです。そしたら、生命保険のお金が入ってきまして。保険金っていうのは、決まったお金を業者に払い続けて、なんか遭ったら治療費だとか処理代だとかを払ってくれるもので、死んだ場合もそれはあるんです。親は受け取って喜んでました。俺の生命保険が目当てだった訳です。こういうの保険金詐欺って言うんですけど、それは置いといて」
話しながら、隠し事の多さに自身でも苦々しくなる。
「解ったら妙に馬鹿馬鹿しくなって、復讐してやるとか思い付きませんでした。ぼうっとしていたら、鏡が目に入ったんです。俺は映ってなくて、何でだろうと思ったらいきなり映りました。ぼろきれみたいになった俺の姿でした。この体が思い込みでどうとでもなるって、その時知りました。そのあとの騒ぎはご想像にお任せします。それから暫くして世界が滅んで、世界樹が出来て、此処がエトリアになるのを、ずーっと、ずーっと見てました。それで……ホームシックって言うんですかね、ふるさとに帰りたくなって。最初から、皆さんの事を利用してました」
静まり返る室内で、フレイアルトは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。もうしません」
言葉の直後、フレイアルトの姿が突如として掻き消え、衣服が中身を失って落ちる。
「おとー、さん?」
静けさと混乱の中でも、少し間を置けばそれだけは理解出来た。二度と戻らぬ別れを告げられたのだ。
我先に部屋を出ようとするが、その背中へ大声が浴びせられる。
「みぃんんなぁっ!」
皆が振り返り、声の主であるキルキルがかぶりを振った。
「焦って、ばらばら、良くない。フレイアルトは、きっと迷宮、第五階層」
「そんな……」
未開の危険な場所では手分けのしようも無く、誰とも無く絶望に染まった声が漏れる。その様子を見て、全員の意志が一致していると判断したウルコールが口を開いた。
「もう一度行きましょう。みんなは待っていて」
ウルコールはレイノルエとキルキル、そしてフィエッセに目配せする。メンバーは満遍なく鍛えられてはいるが、捜索が失敗する可能性は高い。そうなった場合の損害を出来るだけ小さくせねばならなかった。しかしフィエッセだけは動かず、レイノルエが厳しくそのさまを睨み付けた。
「言いてえ事ははっきり言え」
怒りの滲む言葉にフィエッセは辛うじて声を出す。
「だって……信じられないよ……、信じられないよ!」
絞り出す程に言葉は溢れ、後は噴き出すだけだった。
「死んでた? 大昔に? それに、利用してた? どういう事だよ!」
未だ呑み込めない事態が多すぎる現実は意志を大いに揺さぶる。フィエッセの困惑も解らないものではない。しかしレイノルエはフィエッセの胸倉を掴んで詰め寄った。
「利用するだけの奴が、ご丁寧に頭下げるとでも思ってんのか。おめでてえな」
レイノルエとて事態の全てを呑み込めた訳では無い。しかし本質は其処ではなかった。
「この世はギブアンドテイクだろうが。奴が俺達を利用してたように、俺達は奴を利用してんだよ。頼ってくるお前らに、奴はしっかり応えた。俺達も奴も、同じ駒なんだよ」
レイノルエはフィエッセを乱暴に離し、それだけで終わる。殴りかかろうとする拳を強く握り締めていた。
「だっ、だって、あんな! 怖かったんだ! あり得ないんだ!」
フィエッセは涙を滲ませて思いの丈を喚く。
「あんな、殺されただなんて、それなのに、笑ってた! どうすればいいんだよ、俺に何が出来るんだよおおっ!」
崩れ落ちて嗚咽するフィエッセへ、キルキルが手を差し伸べながら語りかけた。
「フレイアルトの事、好き?」
フィエッセは何度も頷き、キルキルの手を取った。
「それだけでいい。それが一番、大切」
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