賛歌を紡げぬ貴方へ
■-3
逃げなければならなかった。
もう疲れてしまったからだ。
しかし何故、疲れるのだろうか。
「キタザキ先生」
他に誰もいない筈の施薬院の一室で突如聞こえた声に、思わず体が跳ねる。注意深く振り返ると、寝台用のカーテンで体を隠したフレイアルトがいた。
「約束です。俺の正体を見せに来ました」
「……ああ」
以前、体のおかしな構造を指摘され、その時はまだ秘していた正体についてだ。院長は佇んだ侭でフレイアルトを見据えている。
「まあ、こういう事です」
フレイアルトが言った直後、その体が弾け飛ぶ。大きな金槌に打たれたように壁へぶつかり、残骸となってずり落ちた。
「俺はですね、こうして死んだ、幽霊なんです」
発声出来る筈も無い体からフレイアルトの声が聞こえる。やがて死体は消え、飛び散った血も全てが消え失せる。そうしてまたフレイアルトの体が其処にあった。
理解の範疇を超える事象に院長は固まっていたが、やがて頭へ片手を遣って溜め息をつく。
「信じられないが、目の前で起こってしまった事は認めるしかないな」
「有り難うございます。それだけで充分です」
寂しげな微笑みは、約束を交わした夜と同じものだった。
「今日でお別れです。今まで済みませんでした」
フレイアルトが頭を下げ、院長が言葉に迷っていると施薬院の扉を叩く音がする。
「おとーさん……」
静かだったからこそ聞き取れた掠れた声へフレイアルトが振り向いた。焦りすら見えた仕草に院長が声をかける。
「私が出よう。あの子一人だったら、話をしてあげなさい」
出入り口へ向かう院長へ制止の言葉すら言えず、フレイアルトは患者用の寝台に座ると手で顔を覆った。
近付く人物へ、カーテン越しに尋ねる。
「どうして解ったんですか」
顔から手を外してみると、揺らめくローブが目に入った。
「他とは、違うものの跡を、辿ったら、此処に着きました……」
エンドリーアの掠れた声に責める色は無い。
「俺が生きていないって、知っていたんですか」
「少しだけ……、けれど、最初から、感じていました……」
「そうでしたか」
フレイアルトは苦笑して溜め息をつく。酷く疲れた溜め息だと自身でも思った。
「もういいんですよ、こんな死人に振り回されなくても。だからもう、帰れません。ごめんなさい」
言葉は最早行き場が無かった。寝台の軋む音と共にカーテンの中の影が消える。エンドリーアがカーテンを開けると、其処には誰もいなかった。
「行ってしまったかね」
部屋の扉の目に立っていた院長が尋ねると、エンドリーアは小さく頷く。
「前に、おとーさんは言っていたんです……。キルキルの時……」
モリビトである事を隠し続けたキルキル。その事実を知っているのは、イランイランのメンバー、モリビト達、そして院長だ。
「生き物はですね。時に罪を背負うくらいの事しなきゃ、解らない時があるんです。それは、他の人には止められません。止めたくてもです」
「たとえそれが、過ちでも……。過ちを犯して初めて、解る事があると……」
モリビトへの復讐心と対立がもたらした結末は虚ろだった。復讐したところで癒やされるものは無かった。
今のフレイアルトが果たしてそうなのかは解らない。それでも願うしかなかった。
「君達は、最大限出来る事をしなさい」
「はい」
掠れた声が確かな意志を告げた。
夜風に当たってくると伝えただけだ。そろそろ戻らねば怪しまれる。
今頃四人は迷宮へと潜っているのだろう。
モリビトとの戦いを止めなかったのは、決して正しくはなかっただろう。
人間からの依頼で正当に殺戮を成し遂げたキルキルは、金の怪鳥とモリビトの死体の前で叫んだという。
「あいつらに、酷い事、しても、どんなに酷い事しても! キルキルの苦しい事、何一つ、あいつらは解らない! 解ってくれない……!」
そしてフレイアルトは幕引きにこんな言葉を残した。
「これから重い罪を背負っていくんですよ。倒れたらいけないんです。その重さは、キルキル、貴方の分も一緒になって圧しかかってくるんですからね」
結末としては、血塗られた命を、己を含めた全ての怨嗟を、キルキルは背負い生き続けている。
それを見守る、過ちと知って止めないでいるのは、どれ程つらかったのかを現状に思う。
やがてエンドリーアの唇が言葉を紡いだ。
「おもちゃがおちた ころがった
いばらのなかへ ころがった
てのひら ずたずた やぶけても
おもちゃは だいじな あなたのもの」
届かぬものへ手を伸ばす。音の無い歌をいつか聴いてくれたように。
「よっす」
宿のエントランスでエンドリーアをカサヒラが出迎える。もう宿の部屋に戻り眠っているだろうと予想していたが、エントランスにはまだ全員の姿があった。
「いつになるか解んない分、みんな心配なんだよ」
「そりゃそうじゃん!」
カサヒラの言葉にクレイサが声を上げる。
「どうして、ですか……? みんなは、どうして、今もあの人を、心配するんですか……?」
エンドリーアの問いかけで、各々が己の思いを見詰め直し、答えを出した。
「だってまだ、お礼らしいお礼、出来てなかったし」
クレイサにカシラライドが続く。
「おとーさんが誘ってくれなかったら、私もクレイサも多分生きてなかったから……」
二人で所属ギルドを追放され、日々盗みで食い繋いでいた頃の生活を思うと、フレイアルトへの恩義という名の借りを返せている気はしなかった。
「そういうところ、本当に世話焼きですよね」
椅子に座って膝に頬杖を突いていたシッテタンゴが感慨深く言う。周囲と同じく採集の腕を求められてはいたが、充分戦える程の装備と鍛錬をさせたのはイランイランが初だ。
その側で床に胡座をかいているヌエノイは深く頷いた。
「世話焼きと損は切っても切り離せぬ。損をするようであれば利用も侭なるまい」
未熟だったヌエノイを本来ならば捨て置いても良かったのだろうが、鍛え上げたのもイランイランの環境である。利用するにしては労力をかけすぎていた。
「ああ言うなら、僕だって利用させてもらってるしなあ。それこそ利害の一致ってもので気にしなくていいのに」
モリビトに蔓延する異常、枯死症と名付けられた病を研究するマイノーリにとってイランイランの力は不可欠であり、故に解りやすい関係でもある。そうして過ごしている内に、マイノーリもまた自らの意思でイランイランへ根付いたのだ。
「こっちへのリターンが多いくらいですよ。もう迷宮よりも何よりも謎です」
元はフィエッセの同期であるタイチャスにおいても、自由に錬金術を突き詰めているのはイランイランへの甘えとも言えた。イランイランへ成果こそ出しているが、自由度の高さに釣り合うかは当人ですら不安に思う程である。
一通りの意見を聞いて、カサヒラはエンドリーアへ苦笑を向ける。
「俺もみんなと似た感じでさ。人を利用する計画に半端者が要るのかってね」
歌の才能より剣と共にありたいと願うカサヒラにとっても、イランイランは無くなられては困る存在だ。其処に自由はあるが、その自由は決して施しではない。だからこそカサヒラも自身の行動に責任を持つ事を学んだ。
「ふふ……、みんな、あの人が大好き、なんでしたね……」
この心は届くのだろうか。叶うならば届いてほしい、笑いながらエンドリーアは願った。
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