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 友人






 夜の闇に、陽光がブレンドされていく。
 カーテン越しの光はとろんと甘く、微睡みから脱出するには優しかった。

 けれど褐色肌の少年は、ゆっくりと伸びをしただけで、ぱっちり目を覚ました。
 隣を向くと、麗しく清らかなアリエルの寝顔がある。

 アッシュは窓から外を覗き、陽の高さを確認する。
(アリエル様はまだ寝ていていい時間)
 再びカーテンを閉めて、アリエルの頬にキスをしてから寝室を出た。

 扉を開けるとホールの二階。
 吹き抜けを貫いて、木が枝を伸ばしている。
 不思議なくらい堅く乾いた木なのだが、窓から入る日差しに照らされていると軟らかく生き生きとしてみえる。
 ホールの壁でカーブしている階段を降りる。
「にゃんこ」
 書斎兼居間に置かれたソファで、家探しの時に出会った紫耳の黒猫が寝ていた。

 この黒猫は魔法を使う。
 アリエルが言っていた通りだ。
 引越し後、二人で床拭きしていた時、窓の外に黒猫がいて、窓を開けて入れてあげようとしたら、閉まった窓をすり抜けて入ってきたのだ。
 アリエルはその後この家を防護結界で覆ったが、黒猫は通すようにしてある。

 アッシュに気づいた黒猫は、その足に擦りついてくる。
 キッチンで干した小魚を一尾あげた。
「にゃんこは魔法が使えていいね」
 朝食と弁当を作るアッシュ。
 食べ足りないのか黒猫はまだ離れない。
「待ってね。すぐできるから」
 一品一品、手際よく完成させていく。
「このあたりの魔法道具、全部アリエル様が使いやすく改造してくれたんだよ。いいでしょ」

 料理が出来たら庭へ出て、植木鉢二つに水をあげた。
 春にしてはがらんとした庭。
 草刈りして、レンガや物干し場を磨いただけの状態だ。
 今はアリエルとアイデアスケッチを見せ合って、構想を練っているところである。
 ただそれは時間が掛かるので、春の花の時期が過ぎてしまう。
 今年も少しくらい楽しもうと苗を買った。
 それがこの植木鉢だ。
 寄せ植えの花の色が、庭の印象を明るくしてくれた。

 ちょうどいい時間になったので、アリエルを起こしに向かう。
 朝の一番の大仕事だ。
「おはよー!」
 大声で呼びかけたが、このくらいではアリエルは起きない。
「起きろー!」
 アリエルを背負って朝の体操をする。
「くぅ」
 まだ可愛い寝息を立てている。
 着替えさせて階段を降りきったところで、ようやくアリエルはふにゃふにゃと目を開けた。





 学校の昼休み。
 アリエルはアッシュと手を繋いで、食堂に向かった。
 今日は魔法クラスで仲良くなった友達と一緒にランチする約束だ。
 食堂に着き、待ち合わせのメンバーを探す。

「あ。あそこにランドがいる」
 サラサラの金髪が綺麗に切り揃えられた、まあるい後頭部。
 クールな表情と姿勢の良い姿が貴族らしい。

「お待たせー。この子がアッシュだよ」
「ランドだ。よろしく」
「よろしく」
「ラティ君は?」
「料理を受け取りにいっている」
 人に行かせるんだ。さすが高位貴族。

 ちょうどフーシーとマッドも来た。
「二人は学食なんだね」
 フーシーはさっぱりした見た目の鶏ライス。
 マッドは色とりどり野菜がゴロゴロ入った煮込み料理。
 対照的な色合いだ。

 アリエルはアッシュの作ってくれた弁当を広げる。
「わあっ。今日のお弁当、綺麗だね」
「春野菜のサンドイッチだよ。アクセントに塩魚も入ってる」
「美味しそう」

「お待たせっしたーっ」
 崩れた敬語が聞こえた。
 ラティが重そうな籠を持ちながら、軽快な足取りで近づいてきた。
 縦に長いその籠からは、陶器の皿が複数出てきた。
「これ学食?」
 美しく繊細に盛られた料理。
 こんなメニューがあるのか。
「いいや。ラブグレイブ家から届いたものですよ」
 ラティが答えてくれた。

 ラブグレイブ家は、ヘイゲン王国の指折りの大貴族だ。
 リリアンクにも立派な屋敷があり、留学中のランドとラティはそこに滞在しているという。

「これが貴族の食事……」
 アッシュはランドの皿をしげしげと観察している。
「アリエルも貴族ではなかったか」
「僕の家、通いの使用人が一人だったから、あまり豪華な料理は出てこなかったよ」
「そうか」

「それじゃ、ごゆっくり」
 ラティはそう言って離れていき、他のテーブルに一人で座った。
「え?」
 アリエルとアッシュは首を傾げる。

 戸惑う二人を見て、ランドが指示する。
「……ラティ。学園では同じ学生として振舞うといい。隣へ」
「分かりました」
 するとラティは戻ってきた。
(……そうか。主人と従者だから)
 他国の友人とは同席しても、同じヘイゲンの身分構造の中にいるラティとは、幼馴染であっても同席しないようだ。

「ラティも一緒で嬉しい」
 穏やかなマッドの声にはっとして、アリエルも何度も頷いた。


 六人揃ったので食事を始める。
 食べながらそれぞれ自己紹介した。

「俺はフーシー。リリアンク生まれで初等部から魔法学園にいる」
 一番手はフーシー。
 レベル3クラスでアリエル、ランドと三人で話す時はフーシーがさりげなく仕切ってくれる。
 兵団を目指しているだけあり身体能力も優れていて、バランス良く戦闘をこなせそうだ。
 魔法も武芸も、市内の道場で習ったそうだ。
「魔法学園の先輩も卒業生もいるから色々聞ける」
「いいなー。僕も仲良い先輩ほしい」
「アリエル様……!」
「?」
 アッシュが食べる手を止めて、頬を膨らませている。
 アリエルは疑問に思いながら、
「あーん」
 サンドイッチをアッシュの口に持っていった。
 するとアッシュは目を輝かせて口を開けて、ぱくっと食べた。
「大きい口開けられてえらいね」
「ふふー」
 二人の様子に目を瞬かせるランド。
「次はランドいい?」
「あ、ああ」
 フーシーはアリエル達は放って、ランドに次を促した。

「ランド・ラブグレイブ。ヘイゲンから来た」
 ヘイゲン帝国の名家ラブグレイブ家の次男。
 レベル3の魔法クラスで、風や衝撃魔法が得意だ。
 寸分の隙もなく揃えられた金髪がとても似合っている。
「風魔法が得意なの、フーシーと同じだね」
「使い手が多い魔法の一つだから」
「授業で見た感じ、ランドは広範囲に放つことができて、フーシーは正確な操作が得意だったよ」
 二人とも洗練されていて、繰り返し使ってきたことが分かる。
「愛想がない人だけど仲良くしてあげてくださいね」
「うん、分かった」
「ラティ」
 ラティが口を挟んでランドに咎められている。

「ランド様に仕えているラティ・ライト。よろしく」
 慣れた様子でウインクしてきた。
 アリエルもウインク返ししてみたが、上手くできない。
 隣のアッシュから「ひゃあぁ……」という声が聞こえた。
 ラティはラブグレイブ配下の貴族の子で、ランドの従者として幼い頃から側にいるそうだ。
 六人の中で一番背が一番高い。
 通常の年齢での入学のため、一人だけ一つ歳上だ。
「留学試験、大変じゃなかった? 三十番以内ってさー」
「僕は五番以内って言われた」
「え、ほんとに? それを突破したのか」
 ランドは怪力や疾風の魔法が少し使えるそうだ。
 それと魔法干渉の魔法がたまに発動するそうだ。
 ただ魔力量が少なく、そのせいでどちらも発動が安定しない。
 そのためレベル1で基礎から習っている。

「マッド・マデリン。ミスティア生まれだよ。よろしく」
 魔法道具を扱っている大企業、マデリン商会の末っ子。
 朱のカチューシャ型のヘアバンドが華やかだ。
 制服は六人唯一のローブタイプ。
 魔力は全くないが、魔法が大好きでどうにか使えないか色々試していると話した。
「魔力がないんだ。アッシュとはまた違う……」
「うん。でもアッシュの役に立つ方法があるかもしれないし、知っていることは教えるよ」
「わあっ、ありがとう」
「マッドは座学の成績は、内部入試トップだよ」
 初等部が一緒のフーシーが教えてくれた。
「頭良いんだ」
 熱い期待を込めた目で見ると、ちょっと焦っていた。
 マッドが額に手を置いた時、既視感がある気がした。
「そういえば、入学式で壇上にいた?」
「そう。代表挨拶は内部進学で魔法が一番の子だったけど、一緒に花や校章を受け取っていたでしょう」
 そう。一年生は女の子が代表で、もう一人魔力のない男の子がいた。
 ヘアバンドが着けてなかったから印象が違うが、マッドだったのか。
「そのキラキラした校章、ただの趣味じゃなかったんだ」
「まあね」
「ヘアバンドは?」
「趣味だよ」
 結構自由な校風なようだ。

「アリエル・ハロウです。ミスティアから来ました」
 アリエルはあまり家名は名乗らないのだが、今回は皆に合わせて名乗った。
「アリエル様はたくさんの種類の魔法が使えるんだよ! あと優しくって、僕にいっぱい魔法道具を作ってくれるの。この護身具もそうだよ」
「へえ」
 今度はマッドが興味深々だ。
「それから綺麗で頭がよくて運動もできるんだよ」
「もうっ、アッシュ」
 アッシュの止まらない褒め言葉を止める。
「ハロウという名は聞いたことがある。ミスティア王の最も信頼の厚いと云われる臣下が、その名だったな」
 ランドが言った。
「え?」
 アッシュの口を覆いながら、アリエルは間の抜けた声を出す。
「違う人じゃない? 僕の家、貴族としては下位だったから。にゅ、入城禁止になった人もいるし」
 そういえばハニアスタはミスティアでも罪人だった。
 詳細は知らないが。
「その同じ名前の人ももしかしたら親戚かもしれないけど、親戚付き合いが薄かったから分からないや」
「そうか」

 最後にアッシュの番だ。
「アッシュ……ハロウ? です。アリエル様の仲良しです!」
「えへへ。アッシュはね、なんでもできるんだよ。今日の料理も上手でしょ」
「そうだね」
「歌を歌えば天使の歌声。絵を描けば繊細優美の極致。作文を書けば豊かな情景が広がる名文を生み出すよ」
 うっとりと讃えるアリエルと、嬉しそうに照れるアッシュ。
 マッドとフーシーは張りついた笑みを浮かべている。
 それに対し、ラティはピッと手を上げた。
「それを言うならランド様だって、形の良い後頭部には自信があるっ!」
 張り合ってきた。
「何の話だ」
「わあ、僕もそう思ってたっ」
「!?」
「それと冷たく見えますが、馬には優しいっす。すぐに懐かれるし、俺の休憩は忘れても、馬を労ることは忘れません」
「素敵だね」
 アリエルが幼馴染の仲の良さを微笑ましく思っていると、
「いや。それは褒めているか」
 フーシーがツッコんだ。

「アッシュは養い子って言っていたけど、ハロウの名前をもらっているんだ」
「うーん?」
「なぜ首を傾げるんだ」
「そういえば入学や入国申請の書類、なんとなくアッシュ・ハロウの名前で出しちゃったね。お父様がサインくれたから、別にいいんだと思うけど」
 アリエルの話に、ランドが顔を引き攣らせる。
「当主がいいなら……あ。当主ってお父様でいいの? おじい様だったりする?」
「よく知らない。どっちだろうね」
「嘘だろう……」
 アッシュとアリエルの会話に、ランドは理解が追いつかない。
「ミスティアは貴族が治める国では、ヘイゲンに次ぐ大国だろう。そんなことで親戚や周りが何も言わないのか。本家は何をしている」
「親戚とはほとんど会わないもん。本家は……どこだろう」
「お土産が美味しかったのは、お母様の方のお祖父様お祖母様」
「とろけるようなお肉だったね」
「初対面なのに僕達の好みを熟知してた。できる人だから本家かも」
「名推理!」
「土産で決めるな。しかも母方はハロウ家ではないのでは」
「……たしかに!」
「ミスティア貴族って……」
「僕達、平民が多い初等学校だったから」
「それだけが原因かなあ」
 商家のマッドが疑問を呈している。

 そういえばアッシュに会う前に家庭教師が「ご自身の家のことはご両親に聞いた方が正確でしょう」と説明を省いたんだった。
 もちろんその後、聞く機会なんてなかった。

「ミスティアでは身分であれこれ言われたことないな。国王様に失礼なことしなければ、あとは普通にしていれば大丈夫だよ」
『国王様』のワードに、アッシュがまたビクッとしている。
「『貴族が治める国』っていう言葉はちょっと危ないかも」
「なるほど。悪かった。覚えておく」

「ミスティアのこと分かった?」
「そうだな。君の口から聞く、君や君の周りの話は信用できないということが分かった」
「ええ?」
「アリエルとアッシュって、教室で初めて見掛けた時は神秘的な美少年だと思ったけど」
「そうそう。二人だけの世界があって、入り込めない雰囲気だった」
「でも話すと結構とぼけているんだな」
「!?」

 友達との友好が深まった。のかなあ。



 その日の帰り道。
「貴族って複雑な家もあるんだねー」
「アリエル様……」
「なぁに?」
「僕、アリエル様に敬語使った方がいい?」
「? 今のままでいいよ」
「ん……」
 どうしたのだろう。少し沈んだ様子だ。
 敬語かあ。
「ちょっと聞いてみたい」
「え……」
「あ」
 声に出してしまった。
「じゃあ……、敬語、使います。どうでしょうか……」
「っ―! 可愛い!」
 慣れない口調で頑張るアッシュ。可愛くないはずがない。
「どっちも可愛いから、どっちでもいいと思う!」
 興奮するアリエルを見て、アッシュは目を丸くした。
 そして、ふわっと微笑む。
「それでは今日は敬語にします」
「はいっ」
 アリエルまで敬語になると、アッシュは声を立てて笑った。


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