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 循環する白い水路に水が流れる音。
 円形の青々とした芝生の周りを、黄色い小さな花が囲んでいる。
 その宙に水の塊が現れ、少しずつ大きくなり、パンッとはじけて花々を潤した。外れた水滴は水路へと落ちて波紋になった。

「水魔法できたー」
「すごーい。上手っ」
「えへへ」
「じゃあ次のページ、氷魔法を覚えようか」
「はーい」
 アッシュとアリエルは『初級魔法教本』を手に、魔法の修行中だ。

 春。
 アッシュが魔法を使えるようになって半年。
 二人は二年生になっていた。
 現在アッシュは八系統の魔法を使えるようになった。
 天才!

「……なんで化け物が増えるんだ」
 大人の男性の声がくぐもって聞こえた。
「? ゴーリーさん、何か言いましたか」
 十賢ゴーリーが水路を一つ挟んだ向こう。通路の広めの縁に座って書類を読んでいた。
「いや。順調だな。魔法の練習」
「ゴーリーさんが練習場所を貸してくれたお陰です」

 ここはガラスのドーム。
 中は人工的な美しさを持つ庭園となっている。
 ドームの向こうには青空が表示されているが、実際のここは魔法学園の地下だ。
 南国めいた木の葉の影から、鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 アッシュの修行に際して、二人は場所に困った。
 彼の魔力量を考えると、暴発に備えて広い場所を借りた方がいい。
 だがあの後アッシュとアリエルは修練場の使用を禁止された。
 頻繁に郊外の草原に行くのは大変だと思っていたところ、ゴーリーのお付きの人が訪ねてきて、ゴーリーに会わせてくれたのだ。ゴーリーはアリエル達の現状を察していたようで、この場所を使わせてくれた。

「この場所のことは皆には内緒にしてくれている?」
「もちろんです。ゴーリーさんの隠れ場所の一つですから、リリアンクの重要機密ですもんね」
 防衛システムの管理者であるゴーリーは、有事には安全な場所に身を隠さないといけないのだ。


 冬の頃、このドームを使い始めてすぐに約束したことを思い出す。

「ここの場所はもちろん、ここでの私との会話の内容も秘密にしてね。ほら、頻繁に会っていることを知られると、この場所を追跡されるかもしれないから」
「あの、マッドやフーシーにも駄目ですか」
 リリアンク人の二人なら許してくれないだろうか。
「アドバイスもらっている友達だっけ。うん。秘密にしてね」
「はい……」
 協力してくれている友人に悪いとは思ったが、ゴーリーの重要な立場を慮って二人は約束を受けいれた。


 アッシュが氷の魔素を取りこんでいる。
 アッシュの魔力回路に氷の魔力が生まれていく。
(綺麗にできている。やっぱりアッシュの魔力操作は抜群だ)

「アリエルには何が見えているんだい? アッシュの周りは今どうなっている」
 ゴーリーは一枚のガラス板を手にして、それ越しにアッシュを見ている。
(あのガラス、何だろう)
 と思いながら、アリエルは答える。
「氷の魔素が集まってきています。アッシュの中に魔素が入って、表面でも魔素が氷の魔素になっていっています」
「さっきの水の魔力は?」
「少しずつ魔素に戻って、ごく一部の魔素は氷の魔素に変化しています」
「そんな少量の変化も見えるんだ」
 ゴーリーはガラス板を置いた。

「アッシュと他の魔法使いに違いはある?」
「アッシュの魔力回路は体の外にもあります。だから許容量が跳ね上がっています」
「そうだね。それ以外に特徴は?」
「特徴……。あ、魔力操作が上手で、ちゃんと目的の種類の魔素や魔力を選べます。だから純度が高い魔力を作れるんです」
 リリアンクに来てたくさんの魔法使いと出会ったから分かったのだが、アリエルとアッシュ以外の魔法使いはほとんど魔素や魔力の種類を選ばない。全ての魔素を魔力に変えて、そのほとんどは使われずに魔素に還る。特に適性が広い魔法使いほどその傾向にある。
 ゴーリーはおそらく広い適性を持つが、純度はそれなりに高い。だがアリエル達には遠くおよばない。

「純度ね……」
「アッシュは僕より得意で、じっくり集めれば百パーセントに近くなりますっ」
 アリエルは意気込んで自慢したのだが、
「そりゃすごい」
 ゴーリーは気のない語調で返事した。
「他の人はどうして純度を高めないんですか」
 生成スピードの低下や体力消耗を招くと思うのだが、誰も改善しようとしない。
「んー……。難しいんじゃないかな。ほら、アッシュが魔法が使えなかったのだって」
「そっか。純度を高めると弊害もあるんですね」
 マッドの仮説。あまりに澄んだ魔力は魔法を発動しにくい。
 修行を重ねるアッシュは、その仮説の信憑性は高いと感じているそうだ。
「かもね」

 ゴーリーはふわっと浮遊し、アリエル達の側に降り立った。アッシュの集中を切らないよう静かに。
 ゴーリーはポケットから手に収まる程度の円筒形の器を取り出した。
 その蓋をそっと開ける。
「この中には何が入ってる?」
「なんだろう。見たことない魔素ですね。分かりません」
「少しも?」
「はい。使ってみてもいいですか?」
「ああ」

 アリエルは器の上に手のひらを置いた。
 手の魔力回路に謎の魔素を取りこんで、魔力に変えてみる。
「器ごと壊してもいいよ」
「はい」
 ゴーリーはアリエルの次の行動を予測している。さすが話が早い。
 アリエルは思いつくまま適当に魔法を使おうとイメージする。
 だがその魔力は反応しなかった。

「何も反応しません。ヒントっていただけますか?」
「呪いで住人全員が倒れた屋敷にあったよ」
 すごく物騒。
「ありがとうございます。じゃあもう一度」
 この魔力で魔法を発動したら危険そうだが、防御のエキスパートのゴーリーなら大丈夫なのだろう。
 アリエルは今度は呪いから連想する魔法をイメージした。

 ボウッと魔力が広がる感覚があった。発動したのだ。
 アリエルの手先が重く硬くなる。
「わっ、えっと……」
 アリエルは魔法の効果に干渉し無効化していく。
「ゴーリーさんは大丈夫ですか」
「ああ」
「よかった。それでは、これは物を硬化する魔素です! 合っていますか」
「うん。合っているんじゃないかな」
「やったー」
 四散した魔力と魔素をもう一度集めてみるが、
「変化しやすい魔素のようですね。大分減ってしまいました」
「へえ」
「アッシュにも覚えさせてあげたいんですが、習得するには残った魔素だと少ないかも。もっとありますか」
「もうないや」
「あう」
 今度見掛けたら教えてあげよう。

(悪い魔法を一つ覚えた)
 こうやって知識を増やしていけば、いつか隷属魔法を解けるようになるかもしれない。



「ありがとうございました」
 ガラスのドームを後にして、迷路のような道を通り、やがて人通りのある廊下に出た。セントラルタワー二階の回廊だ。大階段を降りて、正面口から外へ出た。
 春の暖かさが二人を包む。
「じゃあ買い物して帰ろうか」
「うん。明日はご馳走だもんね」


 そして翌日。
「誕生日おめでとー!」
「十二歳だー」
 今日はアリエルとアッシュ、それとくまのメイプルの誕生会だ。
 ガーデンテーブルに豪華な食事が並んでいる。
 そして、二人の身長より高くラッピングされたものが庭に置いてある。自分達へのプレゼントだ。
「開けるよ」
「うんっ」
 二人で造ったので中身は知っている。

「ハッピーバースデー、プシュケ!」
「我が家へようこそー」
 現れたのは丸太を継いだ木製の魔法人形だ。
 プシュケと名付けた。この家で庭師をしてもらうのだ。
「じゃあ早速草刈りしてもらおう」
「がんばれー」
 プシュケはしゃがむ。伸びている芝に対して直角に手刀を構えて振った。
「おおっ」
「あ……」
 芝だけでなく、その先に咲いていた花も切ってしまっていた。
「……刃物の使用は見送りで」
「うん」
 とりあえず芝刈り機能を封印し、プシュケも座らせた。
 全員同じ誕生日の四人で、楽しくお祝いした。

「アッシュの今年の目標は?」
「冬の大会優勝!」
「そうだねっ。頑張ろう!」
「打倒クリフ!」
「打倒ノアバート先輩!」
「おー!」





「わーっ!」
 アッシュが空を飛んでいく。
 郊外の草原でクリフと対戦し、クリフの魔法に吹っ飛ばされたのだ。
「アッシュー!」
 アリエルは空高く飛んでいくアッシュを追いかけて、春の草原を駆けた。



「ぐぬぬ」
 中等部食堂のテーブルに顎をのせて、歯噛みするアッシュ。昨日の負けを引きずっている。

「マッド、隣いい?」
 大盛りランチのトレーを持ったクリフが、マッドに訊いている。
「駄目!」
 とアッシュが拒絶した。
 マッドに近づこうとするクリフと、遮るアッシュ。
 じりじりとした通せんぼが始まった。

 ちょうど隣にいたクラスメイトが小声でマッドに囁く。
「よくクラッセン商会の息子に喧嘩売れるな。アッシュの奴」
「いいんじゃないかな。もうアッシュとクリフは友達だし」
 マッドは我関せずの顔で、のんびりとちぎったパンを口にしている。
「本人がよくても、親は何も言わない?」
「不当に突っかかりでもしないかぎり、子供の喧嘩に口を出す人たちじゃないよ」
「そっかー」
(不当……じゃない……よね?)
 アリエルは不安を覚える。
 クリフを威嚇しているアッシュが、がるるっと唸った。可愛い。


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