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 血と剣 前奏曲 2






 湯気の籠った浴室。ランプを灯し、浴槽近くの台座の上に置いた。
「イアン様、寒くはありませんか」
 ロンの背後で衣擦れの音がする。
「ええ」
 イアンがこちらに来る気配。
「そ、それでは、何かありましたらお声掛けください」
 彼から目を逸らしながらすれ違う。骨張りつつも筋肉がのった足が目に入る。息を飲みながら、仕切りの向こうに戻った。
(……風呂は慣れない)
 用意や片付けは使用人たちがしてくれるので、ロンは待機しているだけなのだが、何度も性的に意識してしまった相手が裸ですぐ側にいるのは緊張してしまう。

 二人きりの室内に水音が響く。入浴中は湯気を逃さないように、窓は最低限しか開いていない。滴った水音が一つ、また一つと反響する。
 ランプが壁を照らしていて主の影が映っている。いつも結んでいる長髪を下ろしていて、重なる影が体の線を隠しているような、視線を誘っているような……。
 やがてイアンが湯に浸かった音がした。時が止まったように静かになる。

ロンは仕切りの向こうを想像してしまうのを止められない。
(他のこと……他のことを考えるんだ)
 この後は、イアンが眠るまで近くで待機。
 先程までは、イアンに手ずからご飯を食べさせてもらっていた。
(明日も……明後日も……って駄目だ、違う。他のことを何か……)

 目の前には、小さめのランプと藤椅子が一つ。それと、イアンの服が二組。脱いだ方の服の上に、今日一日彼の髪を縛っていたリボンが載せられていた。
(イアン様の……)
 湿った空気の中、思考まで霞が掛かる。
 手を伸ばして指を絡めると、軽いそれは簡単にロンの手にすくわれた。
(イアン様の髪に……)

 今日、主の後について移動するたび、その背で柔らかく揺れていた。思わず触りたくなるような……。

 その面影が手の中にある。
 顔に近づけて息を吸った。
―……」
 湯気の清らかで温かい香り。それともこれはイアンの香りだろうか。
 どちらか知りたくて、もっと嗅ぎたくて、両手で掴んで鼻を埋めて、何度も吸った。
 下半身が震えて、立っていることが難しい。
(あの髪に埋もれて……)
 妄想が具体的になっていく。あの髪が濡れていて、その細い一房が綺麗だけど陰のある印象の頬に掛かっている。ランプの光が艶やかに照らして……。

「何をしているんです」
―!」
 妄想ではなく、目の前にイアンがいた。
 湯から上がった音に気づかないほど夢中になっていた。
「あ……、え……あ」
 リボンを手にしたままロンは固まる。
 イアンは髪を軽く絞り、乾いた布で拭った。肌色の悪さからは想像しがたい引き締まった体も拭いていく。
 心の中ではすごく焦っているのに、
(裸……っ)
 股間の熱が引かず、目も逸らせない。悪い慣れを覚えてしまった体は、制御できずに高まっていくばかりだ。

 イアンが寝衣となるローブを羽織った。その体が隠れても、ロンの体は落ち着く気配がない。
 藤椅子に座ったイアンが、ロンに視線を投げた。
「ここへ」
 目の前の床を指差す。
「は……、はい……」
 命令されたことで、ようやくのろのろと体が動くようになった。言われた通りイアンの前に跪くと、膝が少し濡れた。リボンは濡らさないよう、さっとまとめる。
 彼が片足を上げて、ローブの裾が開いた。その足がゆったりとこちらへと伸ばされる光景に、ロンはただ見蕩れる。
 そして、
「粗相はもうしないと言っていませんでしたか。ロン」
「はい……、ッ―」
 ズボンの上からも分かるほど膨らんだそこを、踏みつけられた。
「何をしていたのです」
「んッ……、あ……っ」
「どうしてここを大きくしたんですか」
 心境の窺い知れない落ち着いた声に、問い詰められる。
「ふっ……あ、イアン様のリボンの匂い、嗅いでました」
「へえ、どんな匂いがしましたか」
「わ、分かんないです……ンッ―。石鹸の匂いとか、お湯の匂いとかで……。だからもっと嗅ぎたくて」
「そんなことされると恥ずかしくなってしまうのですが」
「ご、ごめんなさい……うぁッ……」
 足の動きはぞんざいで、時折痛みを伴う。かといって萎えるほどでもなく、ロンの体は心地良い刺激と受け取り、尻尾を振ってしまう。こんなにしっかり触ってもらったことは初めてなのだ。
「いいのですか、ロン。自分から擦りつけたりして。出してしまったらもっと酷い罰が待っていますよ」
「はぁ……っ、あ……」
 ロンの口も頭も、もう言葉を紡げる状態ではない。
 伸ばされた足が、一筋の救いにさえ思えた。にじり寄るように腰を動かして甘美な圧迫感を享受する。
 羽織っただけのローブの隙間から、イアンのそこが見え隠れする。
 ……兆しもないのにロンのものより大きい。その足の先で、ロンは踏みつけられている。
 ぞわぞわと快感が押し寄せてきた。
「イアン様ぁ……!」
 堪えようもなく、彼の足の裏と密着した状態で、ズボンの前を滲ませた。

 息を整えるロンの上に声が降ってくる。
「十回目ですね」
 妖しい艶を含んだ声音が、密室に響いた。

 立ち上がったイアンはローブの前を整えて、今度は帯をしっかり結んだ。
「ロン、立てますか」
「はい……」
「片付けをお願いします」
 ふらふらと立ち上がり、ズボンの感触に違和感を覚えながらも、手近な窓を換気のために開き、浴槽の側に置いたランプを消した。後のことは他の使用人がしてくれる。
「お待たせしました。その、この後は寝室にお戻りですか?」
「その前にロンに罰を与えようと思うのですが」
「……はい」
「どういう内容にしましょう」
 イアンはどこか機嫌良さげに首を傾げた。
「ッ……」
 尋ねられたことで、妄想がまた湧き上げてくる。
 息が上がってくる。
 股間は躾けてもらったが、まだいつものように首を噛んでもらってはいない。
「イアン様……、あの」
「ところで」
 ロンの言葉を遮って、彼は浴室の奥の窓に目を留めた。
「祭りの演奏ですが、ここまで聞こえるものなんですね」
 窓を大きく開けたせいか、耳を澄ますと確かにかすかに聞こえてくる。城を下り、お屋敷通りを抜けた先の地区から音楽は許されている。
「ねえ、ロン。収穫祭の日に十回目を迎えたこと、何かの縁だと思いませんか」
「え……」
 目を輝かせたイアンが言う。
「追いかけっこしましょう」
 ―追いかけっこ?
 大人同士の会話ではなかなか出てこない言葉で、一瞬単語の意味を掴みかねた。
「どういうことでしょうか」
 こんな夜中に、そんな子どものような遊びをなぜ。
(まあ、イアン様は夜が遅い方だし、たまに子どもっぽいところも……)
 理解しようと頭を巡らしていると、イアンの綺麗な顔が近づいた。
「収穫祭らしくありませんか。ロンが城の中を逃げ回って、私が捕まえたらご馳走になってください」
「ご馳走とは」
 近い距離に赤くなりながら訊きかえす。
「つまり、噛みついて血を吸います」
 ちらっと見えた彼の犬歯に、背筋が震えた。ロンの体が、覚えのある刺激を求めている。
「最後の曲が終わるまで逃げ切ることができたら、ロンの勝ちです。今回は許しましょう。それと年に一度のお祭りですから、願いごとの一つくらい聞いてあげますよ」
「……っ」
 願いごと。
(俺から、イアン様に……)
 イアンに個人的な願いなど、ロンは言える立場ではない。それでも優しい主だから、何も願わなくてもそれなりに満ち足りた日々を送っている。
 ―けれど欲しいものがないわけではない。
 イアンを見つめる。
 彼の薄く弧を描いた唇。それが開いて、再び犬歯が見えた。
「ですが再び堪えきれず出してしまったら、お仕置きが増えます。どうです。追いかけっこ勝負を受けますか」
 浴室に立ち込めていた靄は窓の外に消えてしまい、秋夜の冷たい空気に入れ替わっていた。
「……はい」
 残された小さなランプは光源としては乏しい。
 ロンの決心をイアンが嘲笑したかのような、そんな幻を見せた。

 イアンは新しいリボンで髪を緩く結んでいる。
「私はしばらくしたら探しに行きますから、ロンは先に隠れてください」
「かしこまりました」
 ロンは隣の部屋への扉を開けた。
「では、ゲーム開始です」


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