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 血と剣 前奏曲 4






 二回出したからもう絶対負けない。
 ロンはそう確信した。

 この後動けるか心配したが、ズボンと下着を取るためにクローゼットの前に立ったら、すっと熱が引いていった。
 どうにか走れそうだ。
(そういえば、吸われてからすぐに動いたことはなかったな)
 いつもなら体力を消耗して眠くなってしまうところなのだが、着替えたり靴を履いても特にだるさはない。先程は大した量を吸われなかったようだ。
(イアン様、もっと続けたいのかな)
 音楽は鳴り続けている。陽気な夜は終わっていない。
(祭りの気分、俺は昔から楽しんできて、今年は飽きたくらいだけど)
 イアンはこの街で最も尊い血を持つ人だ。気さくに微笑んでくれるが、どうしてもこちらが遠慮してしまう。
「……勝つ」
 イアンのご馳走として気合いを入れ直し、ロンは今度こそ見つからない場所を探しに向かった。


(どこに行こう)
 きょろきょろと辺りを見回すロンに、道行く同僚が声を掛けてくる。
「よう、またイアン様と遊んでいるのか」
 言わなくても分かるようだ。
「そうだけど、イアン様に俺がいたこと言わないでくれよ」
「ふーん、分かった。今日は何をしているんだか」
 この城の者はイアンの奇行に慣れている。戸惑わないでもないが、人に害を及ぼすことはないので、遠巻きにしていれば問題ない。
「大変そうだなー」
 同僚は言葉では労っているが、へらへらとした調子だ。完全に他人事である。
「なんで俺ばっかり」
 ロンだけはイアンの奇行の被害を受けている。口を尖らせて文句を言い、その場を離れた。
「俺だけ……」
 同僚に見えない場所で頬を緩ませた。


「そうだ。備蓄倉庫はどうかな」
 あそこは広くて物が多いので隠れやすい。何よりロンがよく構造を把握している。
 備蓄倉庫は兵舎の近くなのですぐ着いた。扉を開けて中を覗く。
「…………」
 暗い。
 兵舎も静かだったが、こちらは夜中となると本当に人っ子一人いない。急ぎの用で夜中に入ることは度々あるのだが、その時はランプを灯せる。今は灯すと窓から漏れる灯りで見つかってしまうかもしれない。
 ロンは怯んだが、
「いつもの場所じゃないか」
 意を決して、倉庫の中へと踏み出す。
 曲はとっくに切り替わっているから、イアンは探しはじめているはずだ。早く隠れないと。

 壁のように棚が並んでいる倉庫の奥で、樽が積まれていた。いくつかは空で軽いので簡単に持ち上がる。並べ替えて隠れ場所を作り、冷たい床に座って身を屈めた。
 隠れ終わるとあとは待つだけだ。
 しばらくは麻袋や木箱が整然と積まれた庫内を見渡していたが、やがて思考の中に入っていく。
(勝ったらご褒美……)
 最後まで逃げ切りさえすれば、お仕置きを免除してもらえる上に、イアンに願いごとを聞いてもらえる。
(何でも頼んでいいのかな……)
 暗闇の中、自分の唇に指先で触れた。

 その手を、別の手が掴んだ。
「見つけました」
「ひぎゃあああ!」
 びっくりして大声を出す。
「っ……」
 イアンは自分の耳を塞ぐために手を離した。
 そのわずかな隙に、ロンは本能的に樽を蹴り飛ばして、全速力で逃げだした。


 足を緩めず走る。やがてどうしようもなく息が上がり、近くの茂みの陰でしゃがみこんだ。
「はあっ……、どうして、簡単に見つかるんだろう」
 自分の部屋、自分の職場と、ロンの方が慣れ親しんでいる場所を選んでいるのに。
 ……それが悪いのだろうか。
「よ、予想できない場所を考えよう」
 だがこの城はそれほど広くない。ここで生まれ育ったイアンが探せない場所などあるのだろうか。

 茂みから次の隠れ場所の目星をつけていると、目を引く建物があった。
 聖堂。
 高く見上げる正面アーチ。壁は白く塗られて、繊細な装飾が施されている。城の広間なども豪奢だが、そういった政治の場とはまた違った美しさだ。
「年に一回も入らないなあ」
 代々綺麗に保たれているようだが、ロンには馴染みのない場所だ。イアンも祈りの習慣はないので、ほとんど行かないはずだ。

 華奢な窓枠を掴んで覗くと、中には誰もいない。
(吸血鬼って教えの中に言及があったっけ。悪魔の話はあるから、それと同じ扱いなのかな)
 イアンや代々の領主はここをどういう気持ちで眺めているのだろう。
(中に入るのはちょっと……)
 こういう世界と比べると、邪まなゲームだ。利用するのは管理している人に申し訳ない。

 裏手に回ると、城の庭園の一部である森と接していた。夜なのでもちろん誰もいない。聖堂の裏は高い位置に換気のための小さな窓があるくらいで、人目の心配はなさそうだ。隠れるのにちょうど良い。
 鬱蒼と重なる木々の奥を見つめる。
(森も城内だから範囲内ではあるけど)
 庭園の一部なので道は整備されているが、夜に入るのは避けたい。
(ここでも十分だ)
 聖堂の壁に寄りかかった。
 外はやはり音楽が良く届く。今夜の盛りとなる幾層もの音が流れてきた。

「ん?」
 石壁に寄りかかっていたら、服の裾が引っ掛かっている。ゆっくり揺らすと解けた。
 よく見えないが、でっぱりでもあるのだろうか。また引っ掛からないように壁に向いて位置を確認する。
 でっぱりの場所が分かった時、目の前の壁にロン以外の男の手が置かれていた。
「あ……」
 見知った手。月明かりのせいで、より青白くなっている。後ろから両腕が伸ばされて、ロンは気付かないうちにその檻の中にいた。
「先程よりは探しましたけど、油断しすぎではありませんか」
 ロンの耳より少し上から、主の声がする。
「うぅ……」
 何も言い返せない。
「それにしても外で待っているなんて、ロンは大胆ですね」
「大胆?」
「ここで私に襲われたいのでしょう」
 ―このゲームは捕まって終わりではない。出すまで……。
「ち、違いますっ」
 逃げようとしたが、後ろから両手を掴まれて押さえつけられた。
「……―」
 びくともしない。彼は細身に見えるが、ロンより圧倒的に膂力が上だ。
 体が密着する。イアンの低い体温でも、冷たい外の空気に比べれば熱く、触れ合っているのを意識してしまう。
 吐息が首に掛かり、かっと体が熱くなる。無意味であるにも関わらず暴れようとすると、股の間に片足を入れられて持ち上げられた。
「うわっ」
 体が浮いて、足が地面に着いたり離れたりする。細い椅子に座っているような形で、尻の割れ目にイアンの太腿が喰いこみ、動くたびに擦れ合う。
―ッ、下ろしてください……っ」
「駄目です。掴まる方が悪いんですよ」
 確かにそういうゲームだが、こんな不安定な体勢は初めてで、しかも屋外だ。ロンの中で、甘美な期待よりも、目まぐるしい混乱が勝ってしまっている。
「ところで」
 ロンの手を押さえつける手にイアンが力を込めた。少し痛い。
「先程はよくもやってくれましたね」
「な、何かしましたっけ」
「ほう、忘れたと」
 耳をかじられる。
「んっ―」
「耳元で叫ばれて、頭が割れそうになりました」
 唇が触れる距離で、吐息混じりに愚痴を零される。ぞくぞくと体が震えて熱を帯びていく。
(これ……、やだ……)
 従者として誇りに思っている主。その声が真剣みを帯びていれば、どんな内容でも拝命できるほど信頼している相手。
 今、彼の声は色香をのせてロンを苛んでいる。声を吹きこまれるたびに、体が高まっていく。
(外は駄目……)
 歯を喰いしばって耐えるが、また耳に温かく柔らかい感触が触れると、そちらに意識がいってしまう。
(今、何か囁かれたら……)
 ふっと息を吹かれた。
「ッ―……」
 息だけで、ロンの全身に痺れが走った。

 体の力が抜けて石壁にもたれ掛り、イアンの手と足で支えられた。
 動けないでいると、イアンの手がロンの下半身に伸びてきて、ズボンの合わせを緩めた。
「さすがのロンも三回目は簡単にはいきませんね」
 ロンの下着の中を覗いて、イアンはそう呟く。白いものは出ていなかった。

「ちょうど曲が切り替わりましたから、また仕切り直ししましょう」
 イアンはまだ放心しているロンをゆっくりと地面に座らせた。
 森の方を眺めて、
「やはり屋外は趣味ではないので、今度は建物の中でお願いします」
 そう言い残して、その場を後にした。


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