うたたねは君のとなりで 10
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ベッドに横たわりながら、詩季はスマートフォンを操作していた。
(勇気を出して良かった)
タロウとのいままでメッセージを見返す。あの柔らかい声音を思い起こして、頬が緩んでくる。
「マメー、俺の彼氏かわいいんだぞ」
ベッドに登ってきた愛猫に自慢すると、にゃーと返事してくれた。
(次の土日どうしよう)
恋人になって初めての休日だ。もちろん会いたい。タロウの財布の負担にならなくて、できれば二人きりになれる場所。しかしまだ梅雨は明けないため、選択肢は狭まる。
「家デート……?」
この部屋のラグに座っていつものように本を読むタロウを想像して、それだけでドキドキする。すぐに想像するのをやめた。
「マメに会わせるのはまだ先になりそう」
耳まで熱った詩季は、猫のように丸くなった。
*****
タロウは登校のバスに揺られる。
栞の挟まったページを開いたまま、ぼうっとしていた。藤の色が揺れる。
他の木にすがって、頂きまで伸びる蔓。
あの日、いつから好きだったかという問いに、詩季は、
「今思うと、あの丘で初めて会った日から特別に見えていたかも」
と答えた。
「……そう」
タロウにとっては、友だちになったきっかけの日。
「ありがとう」
お礼を言うと、彼は照れながら笑った。
(恋……。詩季は、僕の特別だよね)
ここ一か月、詩季のことばかりを考えてきた。すごく楽しかった。
今、詩季を思うと、――胸を絞めつけられるような感覚がある。
(うん。きっとこれは恋だ)
この息苦しさは、そのうち甘い恋の花を咲かす。
(大丈夫……)
正門を入り、体育館の歩道との合流地点。他の傘よりも高い傘。詩季が待っていた。
「タロウ」
嬉しそうに彼は隣に並んだ。
「……おはよう」
「おはよう」
少しうつむいていると、詩季の鞄が濡れているのが目に入り、手で雫を払った。
「平気だよ。ありがとう」
屋内に入ると、詩季はタロウの手をタオルで拭いてくれて、今度はタロウがお礼を言った。
(いつも通りだ)
タロウは少しほっとして、詩季と並んで教室に向かった。
昼休み、購買でパンを買い、響に戻らないとメッセージを入れて、渡り廊下で立ち食いした。
そのまま図書室に向かい、少女小説を読み漁る。一度読んだことがある本もあり、サクサクと読み進んだ。
主人公の女の子が、素敵な男性と印象的に出会う。目で追ってしまうような整った顔立ち。やがて内面の魅力も知っていき、事件を乗り越え、告白してハッピーエンド。
(告白……)
告白されたから、僕はもうハッピーエンドの中にいる?
一般レーベルも読んでみる。いままでは気にならなかったが、恋に注目すると、大人向けは話が飛んでいる感じがする。タロウに分からない暗号でも仕掛けられているのだろうか。
(ボーイズラブは置いていない……。あ、でも推薦棚のポップで、男同士の恋って書いてあるのみたことあるな)
スマートフォンで思い出せるキーワードを検索すると、タイトルが分かった。さっそく棚から持ってきて読む。
悲恋だった。
(いやだ)
……いつもなら上手くいかないこともあると思うけれど。だめだ。ハッピーエンド以外いらない。
――詩季が悲恋に見舞われるはずがない。そんな世界おかしい。それならはじめから恋なんていらない。詩季が傷つけられるなんてこと許さない。
(…………)
詩季のことばかり、頭の中をぐるぐる回る。世界の中心のように、そればかり。
タロウは呼吸を整えて、胸を撫でおろした。
(僕、詩季のことが好きなんだ)
本は好みではなかったが、タロウは少し頭の中の靄が晴れた。
「あ」
教室に戻ろうとしている時、ちょうど詩季と会った。嬉しい。
「詩季、今日一緒に帰ろう」
ついでにお願いをしてみる。
「えっと、……分かった」
詩季はなぜか緊張した面持ちで答えた。
「……? あ、体育館までのことだよ。部活はちゃんと出て」
「それでいいの?」
拍子抜けした様子の詩季が訊き返した。
「うん。詩季と少しだけ長くいたいだけ」
「タロウ……」
肩が少し当たる距離で歩く。
「昼休み、コート取れた?」
雨は止んでいないから、体育館は争奪戦のはずだ。
「半面取れたよ。バスケして勝った」
「すごい。さすがだね」
詩季がいつも以上に笑顔だ。バスケそんなに楽しかったんだ。見ていればよかったかも。
「じゃあ、頑張ってね」
「うん。また明日」
体育館まで詩季を見送って、タロウは一人で帰る。
「タロウー。バス停まで一緒に行かない?」
振り返るとベージュのチェックの傘を差した女の子がいた。ゆらだ。その後ろから響も歩いてきた。
「いいよ」
「これから響の家行くけど一緒に行く?」
「それは邪魔になりそうだからいいや」
「そんなことないってー」
「ゆら」
響に手を引っ張られて、
「うう、はい」
ゆらは誘いを引っ込めて、響の手をそっと外した。タロウはその様子を眺めていて、ゆらの鞄に揺れるチャームに気づいた。
「それ、お揃い?」
響の鞄にもついているのを見たことがある。
「そう。誕生日にあげたの」
「ゆらりんのは石が水色なんだ。綺麗だね」
「えへー、ありがと」
バス停で二人と別れた。仲良さそうな二人の背中を微笑ましく見送る。
それと同時に、一年の時に感じた淋しさを思い出した。
響とゆらが付き合いだしたとき、タロウは鼻高々だった。友だちの響がいい人に好かれたのだ。
けれど、二人の会話を聞いていると、タロウの知らないうちに二人は一緒の時間を積み上げていたことに気づいた。響の好きな音楽のことは、ゆらの方がずっと詳しい。響の親友面をしていたことが、なんだか恥ずかしくなった。響の家に、タロウは行ったことがない。
(……週末も雨かな)
そうしたら、すぐ思いつく行先は図書館だ。
(詩季の家も近いな)
栞の挟まったページは、朝から変わらないままだった。