うたたねは君のとなりで 12
「綺麗だね。店のコーディネートみたい」
「まあ、片付けたから」
詩季の部屋はぴしっと整っていた。アースカラーの色合いも落ち着いている。
ローテーブルに詩季がお盆を置くと、コップの中で氷がカランと音を立てた。
(詩季の部屋……)
ラグに座ってきょろきょろしていると、詩季がベッドの前にクッションを置いてくれた。
「寄りかかっていいよ」
言われた通り、ベッドに寄りかかる。おお、ちょうどいい感じ。
「エアコン寒くない?」
「涼しくて気持ちいい」
極楽のようだ。
「分かった」
くすっと笑った詩季がノートを広げている気配がするが、まだもたれ掛かっていたい。
「ここに住みたい」
「っ……!」
静かだ。
呆けていると、詩季がいる位置とは別の場所から、何かが動く音がした。
「……マメ。来たんだ」
「マメ?」
身を起こすと、詩季の影に隠れてこちらをうかがっている黒猫がいた。写真で見ていた子が、目の前にいる。実際に会うとさらにかわいい。毛や体のほんのりとした動きが、柔らかく温かそうだ。
「わあ……」
詩季がマメを抱っこする。タロウも撫でてみたいが、小さくて折れてしまわないか不安で、見ていることしかできない。詩季の腕の中に収まったかと思ったマメはするりと抜け出し、タロウの太ももを踏み越えて、ペット用の小さなドアから去っていった。
「踏まれた」
嬉々として詩季に伝える。
「あれ、でも嫌われたのかな」
ちょっと落ち込む。
「いや、気分次第だから。わりと気に入っていると思うよ」
「そっか」
「後でおやつあげてみる?」
「あげる!」
やっぱりここ、住みたい。
「ノートを広げるには狭いね」
お盆は棚に置き、ようやくペンを手にする。書く体勢になると、正面に座った詩季の顔が近くなった。
(綺麗……)
何度も見た顔に、改めて見惚れる。優しい言葉をくれる口元、たくさん微笑んでくれる目。見ているだけで幸せになる。
(二人きりっていいな)
誰も来ないという点で、あの丘と同じくらい落ち着く。緊張していた頃が、もう遥か彼方だ。
「しないの?」
見ていたのが見つかった。
「するよ」
「あ、別にのんびりしていてもいいんだよ」
「する。成績上げるんだ」
「へえ、目標はあるの?」
「詩季と同じ大学目指せるくらい」
「……っ」
「分からないとこ、教えてね」
「いっぱい教える」
一時間ほど経って休憩にする。詩季がアイスティーを入れなおしてくれた。美味しい。
「マメ来ないね」
「マメが好きな温度よりは室温低いからな」
タロウは無言でリモコンを手にして温度を二度上げた。
「マメが来たら集中できないだろ」
「今日は遊ぶのも目的だよ」
「あはは、そうだったんだ」
夏休みにどこかに行こうという話題になった。並んでベッドに寄りかかり、詩季のタブレットで思いつくまま検索する。
「前より高い山登りたいんだっけ」
「うん。でもまだ初心者向けがいいかな」
「途中から登れるところとかどうだろう」
「いいかも」
肩を寄せ合い相談する。詩季の予定が少しずつタロウで埋まっていく。
満足するまで話して、タロウは詩季の肩に頭をのせて力を抜いた。
……あの丘も、この部屋も、とても居心地がいい。
けれどやはり、詩季に触れているのが一番落ち着く。
「タロウ」
「何?」
「……キスしていい?」
詩季を見上げた。口を引き結んだ横顔が、とても赤い。
ああ、そういうこともするのか。
(キス……)
「気持ちの準備ができていないなら、もちろん待つ……」
至近距離の詩季を見ながら、少し考えた。よく分からないが、これといって抵抗があるわけではない。
「どっちでもいいよ」
詩季のしたいことならば。
タロウは微笑んだ。
詩季は、悲しげに眉を歪めた。
「…………」
「詩季?」
悲しくなることを言っただろうか。
「……タロウ」
詩季が悲しむのは悲しい。タロウは緊張して耳を傾ける。
「どちらでもいいのか」
「? うん……」
何か、違うのだろうか。
「……俺、……タロウの本当の気持ちを教えてほしい」
本当の……。
「タロウにとって俺は、友だちじゃなくて恋人だよな……?」
――――。
耳鳴りが頭に響いた。
……友だちじゃない……。
息が苦しい。喉が締めつけられるように呼吸が乱れる。
「……タロウ?」
辛そうだった詩季の顔が、心配そうに変化する。タロウの視界が、涙で歪む。
「ごめん……っ」
振り絞った声は小さかった。タロウは自分の教科書とノートを鞄に押し込む。
「……ごめん……」
詩季の方を見られないまま部屋を後にした。