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 うたたねは君のとなりで 7






 先々週、バスケットボール部の夏の大会のレギュラーが決定した。コートに立つ選手は五人。それぞれのポジションのスタメン候補に選ばれたのは、三年生三人と二年生の詩季と山村だった。この五人を基本として大会に挑むことになる。

 その日の練習の後、詩季は校庭の片隅で立ち聞いてしまった。
 ―お前がいなければ……!
 山村が、三年生の一人に詰め寄られているところを。

「気になったけど、ヤマは何も言わないし、次の部活で先輩と気まずくなっている様子もないから、何も言わなかった」

 だが金曜になって、山村は言った。
 ―俺、試合出ないよ。
 詩季は止めようとしたが、
 ―出られないんだよ。この話は終わり。
 と山村は走り去った。

「次の日の休日、いつもより走ろうと思って、それであの丘でタロウと」
「…………」
 詩季はあの日から悩んでいたんだ。
「意外だった」
「意外?」
「ヤマは気にしないと思っていた。相手も上手い人だから交代はあるだろうし、少なくとも譲ることはないと……」
 眉根を寄せた詩季の顔に、後悔を感じた。
「俺、去年のことなんだけど、一年でスタメンになったんだ。他の人にも交代あるだろうと気にせず出ていたんだけど、接戦が続いて、負けて大会が終わってから、一人の三年生が一度も出られなかったことに気づいた。俺がもっと点を取れていれば、交代する余裕ができたはずなのに」
「それは……、詩季のせいだと思えない」
 部活には詳しくないけれど、違うと思う。タロウはペンを握る手に力を込める。
「ありがと。あの時、ヤマに同じことをこぼしたんだ。そうしたらタロウと同じように否定された」
 詩季の手がそっと触れて、タロウは手の力を抜く。

 ―年下だからってお前だけもっと貢献しろってのか。そんなこと思う人たちじゃないだろ。
 ―俺は次の大会こそ試合に出るんだから、二、三年への遠慮なんか持たないぞ。

「去年、そう言われて気持ちが楽になった。でも」
 詩季のノートを撫でるペン先は完全に止まり、
「あれは、本心だったのかな……」
 窓から入る風だけが詩季の髪を揺らしていた。

(そんなことがあったんだ)
 これが、詩季が最近落ちこんでいた理由。
(でも……山村くん、全くそういう暗さがないような)
 いつも通り、にぎやかで明るい。タロウは違和感を覚えたが、
(人は外面だけでは分からないよね)
 勝手な憶測を持つことはやめた。

「あいつに気にするなって言いたいのに、俺が気にしないようになれた理由があいつの言葉だから、……気持ちがまとまらない」
「詩季……」
 今度はタロウが詩季の手を握る。
「試合、土曜は駄目なんだよね。他の日は観られない? 二回戦以降」
―えっと……、日曜も、相手決まっていないけど多分駄目。でも観客席を設けられる県立体育館でやるときがくれば観られる」
「三回戦以降か」
「それまで勝っていれば」
「勝って」
 二人の間で、手を祈るように包んだ。
「詩季が試合しているところ観たい」
 頼みこむタロウの瞳に、沈んでいた詩季の瞳が合わさった。吸いこまれるようにまっすぐと視線が重なり合う。
「分かった」
「やった。楽しみにしているね」
 お互い微笑んだ。そう簡単に迷いがなくなるとは思えないが、詩季の微笑みから少し硬さが取れた気がする。
「……タロウに観せるため」
 本当は詩季自身が楽しんでくれることが嬉しいが、
「頑張る」
「頑張って」
 他人のためとはいえ気合を取り戻した様子に、タロウは心の中で安堵した。



 バスの中、インターネットでバスケットボールのルールを調べる。来週は中間テストなのだが、その後のご褒美に期待が込みあげてくる。
(交代回数、制限ないんだ)
 ではベンチ入りしている選手で、なおかつ詩季が上手いと言っていた相手ならば、出番がくる可能性は高そうだ。山村に譲らせなくてもいいように思うが、スタメンに選ばれることが重要だったりするのだろうか。
(詩季が楽しく試合できますように)
 七夕はまだ先だが、星空に祈った。



 土曜日がきてしまった。
(……進展なし)
 あれから山村に挨拶や会話を交わして親しくなり事情を訊きだそうとした。
 だがタロウの社交性では挨拶から先に繋げることは難しく、不審な言動をすることが限度だった。

 溜息をつきながら、校門をくぐる。今日は学校の図書室に借りた本を返しにきた。昨日息抜きにと思って読んだら、いつのまにか読み終わってしまったのだ。続き、借りよう。
 ジャージの生徒たちが体育館や部活棟に向かっている。テスト前でも土曜午前の枠なら部活可能だ。
(詩季、もう会場に着いたかな。……あれ)
 駐輪場に原付を止めている生徒が、ヘルメットを外した。その顔を見て、タロウは目を丸くする。
「山村くん!」
「おー、おはよう」
「何でいるの! バスケ部の試合は?」
「出ないよ。補習だし」
 補習……?
「聞いてくれよ。せっかくのスタメン―」
「詩季に言った!?」
「え、顧問には言ったよ。ナツはどうだったかな」
「詩季知らないよ! 言って。メール……いや、電話!」
「えー、もう始まるだろ」
「だからだよっ」
 タロウは自分のスマートフォンで詩季へ電話を掛けて、山村に渡した。


 *****


 ユニフォームに着替えた詩季は、憂鬱な気持ちがまだ振り払えていなかった。山村はまだ来ていない。
(勝たないと)
 荷物をロッカーにまとめていると、鞄の中で着信のランプが光っている。
(タロウ!)
 まだ時間はある。声が聞きたい。詩季は通話に切り替えた。
「よう」
「ん……?」
 期待した声じゃない。だが聞き覚えはある。
「俺、山村」
「なんでこの番号……。お前、来ないのかよ」
「行かないってコーチや部長には言ったぞ。あと松木先輩にも」
 副部長である松木先輩は、山村が降りたことで今日のスタメンになるはずだ。
(来ない……)
「俺としてはこんな時間に電話する気なかったんだけどさ、タロウがしろっていうから」
「タロウと会っているの? どこで」
 休みの日にどうして。ここ数日、タロウは山村によく話しかけていた。ちくっと胸が痛む。
「学校」
 良かった。学校の外で会ったわけではないようだ。
「休みなのにどうして」
「補習」
 補習……?
「なんでそんなもの! 期末でもないのに」
「数学が一時間目だから寝坊しすぎて、出席日数みたいなのが足りなくなりそうなんだよ」
「呆れた」
 肩の力が抜ける。
「松木先輩は関係なかったのか」
「かずちゃんがなんで。あ、松木先輩がなんで」
「かずちゃん?」
「なんでもねーよ」

 山村を問い詰めたところ、松木先輩は同じ町内に住む従兄で仲が良いそうだ。嫉妬はたしかにされたが山村も言い返して、結局あの後ジュースを奢らせてチャラにした。かずちゃん呼びは学校では恥ずかしくて隠していたらしい。
(……解決していた)
 ―俺、試合出ないよ。
 あの言葉は、
「土曜は今週来週出られない。日曜は出るよ」
 という意味だった。

「……補習のこと、俺に誤魔化していただろう」
 自分の勘違いだけでなく、今思えば山村もそれとなく話題を避けていた気がする。
「え、え、そんなこと」
「誤魔化した」
「いやぁ、ナツ、授業真面目に受けないと怒るじゃん」
「ばーか」
 つい悪態をついてしまう。
「なんだよっ。お前が去年上位入っていれば、バスケ部すごいってなって、補習日をずらす交渉もうまくいったのに!」
「俺のせいじゃないよ」
 朝練ない日だから遅刻したんだろうな。毎日朝練させよう。

「今日出ないことは分かったよ。タロウに代わって……」
 そう言おうとした時に、ドアの外で部長の集合の声が聞こえた。
「始まるから、またあとで」
 詩季は通話を終え、ホールへと向かう。
(タロウが気に掛けてくれた……)
 心の重しが消え去ったのを感じる。
(絶対勝つ!)
 タロウが応援に来られる試合まで。詩季は気合を入れて臨んだ。


 *****


 昼休憩にしようかと思い、タロウが図書室を出た時、詩季から勝利の報告がきた。
『やったね。おめでとう!』
『ありがとう。タロウはまだ学校にいるの?』
『午後もいるつもり。これから休憩に本ちょっと読む』
『ほどほどにな。特に本』
『はい』
 ついでに山村の自主トレーニングの監視を頼まれた。詩季がくれた山村のトレーニングメニューの量に、タロウは慄いた。

 校庭の隅の縁石に座り、本をめくる。
 運動部の活動は終わったらしく、広い校庭はがらんとしている。山村や他数人がトレーニングをしているのをぼんやりと眺めた。
 青く広がる空、わずかにそよぐ風が気持ちいい。
 ふと、手元に影が落ちた。
「あ、おかえり。詩季」
「ただいま」
 憂いの晴れた詩季の微笑みは、とても綺麗だった。


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