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 5. 呪法師






 水面に魚が浮き上がってくる。理は息を飲んだ。

「これ……、私も車を離れたら丸焦げにされるね……」
 牢に付けた雷を受け流す機能がなければ、人間が無事でいられる電圧には見えない。現に少し触れただけの晶は、まだ立ちあがれないでいる。

『ならば―』
 エイは車を動かし、シーカに近づく。誘引力の元が近づき、シーカが少しバランスを崩し、踏みとどまった。警戒を露わにしている。

「祈、逃げて! 車に近づかないで! 俺は回復したら追いかける!」
「……ッ。―ん!」
 祈は晶から離れて走った。本当は置いていきたくない。けれど牢の誘引力に捕まったら、万全の晶でも対処できない。今は逃げないと、打つ手がなくなる。
 晶は少しずつ体を起こしている。多分あと数十秒で歩けるように

 シーカが晶を通り過ぎて、祈に向かってきた。

「うわあッ!」
 シーカに銜えられて、祈は高く持ち上げられた。

「離せ!」
 暴れて手を振り回すが、映像をスカスカと擦り抜けるだけ。シーカから一方的に触れることしかできない。噛む気はない力加減だが、それでも痛い。

 その時、突然何かがシーカの胴に当たり、よろめかせた。

「よし! 当たった!」
 理がランチャーをこちらに向けている。そこから対妖衝撃弾を放ったのだ。

 ガルル―……ッ!
 シーカは唸り、祈を銜えたまま、理の方へと飛び掛かった。

「ああぁ……ッ」
 祈の体が重くなる。同時にシーカも、自身の体と、銜えている祈にかかる牢の重さに、動きを封じられる。巨体のシーカでも、至近距離では牢の力が勝るのか、ずるずると引かれていく。

「やだ……、やだよ……」
 ミサキには戻りたくない。

「二人で帰るんだ……。晶の帰る家に……」
 晶の痺れが収まるまで、どうにかしないと。どうにか……。
 祈は、思いつきに賭けた。

「水の妖、戻ってこいっ!」

 ♪♪――――!

 祈は歌った。
 水の妖でも、他の妖でもいい。誰か、場を荒らしてほしい。もっと危険になる可能性はある。その可能性はかなり高いかもしれないが、

「時間さえ稼げば、晶が何とかしてくれる!」
 祈が今するべきことは、車に入れられないこと。理達の目的であるシーカと共に牢に入れられたら、そのまま車で連れ去られる。そうしたら晶でも追いつけない。
 目を瞑り、なるようになれと精一杯歌った。

 ♪♪―♪――――!

 祈の行動に、理達も焦った。

「くっ、あと少しなんだ。何も来るなッ……、―?」

 変化は、他でもない。シーカに訪れた。牢に引きずられていたはずのシーカが、立ち止まっている。
 祈も変化に気づく。目を開けると、全身が雷に包まれていた。

「雷―!」
 牢に吸われたシーカの雷が、復活している。

「ッ―、……? 痛くない」
 シーカが帯同している者には影響が出ないのだろうか。バチバチという音が恐ろしいが、祈は負けじと歌声を張り上げた。
 シーカの雷はさらに大きくなる。明らかに、祈の声に反応してその力を増している。
 牢が上手く放電していたはずが、だんだんと吸収されず、車の周りに閃光が走るようになってきた。装置が異常発熱と異音を起こしている。

「これ以上は……!」

「もっといけー!」

 祈は今は何も考えず、シーカに歌を聴かせ続けた。
 シーカは最大限に溜めた雷撃を、一気に牢へと送りこもうとする。
 だが、その光はシーカを離れようとしたときに、衝撃とともに目の前で拡散した。

「わあ!」
 シーカに銜えられながら、祈は身を縮こまらせる。

「な、何……?」
 シーカの前……、いや、全身を包むように、光のシールドが現れていた。外へ出ようとするシーカの雷を、内側に留めている。
 シーカは咆哮をあげて、自ら地面に全身を叩きつけた。光の膜を割ろうとしているが、光るだけでびくともしない。

―……!」
 祈はただ振り回されるしかなかった。





 一方―。

 シーカに吹っ飛ばされた水の妖は、海中へと沈んでいた。距離ができたため可視化装置の影響は薄く、時折キラッと光りながら深くへと落ちていく。巻き込んでいた船は、一つ、また一つと剥がれていった。

 ♪♪――――!

 ドクンと水が振動する。
 妖の耳は、たとえ水中だろうと祈の歌声に反応した。意識を取り戻した妖は、咆哮をあげた。

 ―……!

 妖気の爆発的な解放。
 ―だがそれを、こちらでも光のシールドが現れて抑えた。

 …………!!!

 妖は怒り狂っているのか、のたうち回って奔流を生み出した。それと同時に、一度剥がれた船を巻き込み、また列となって大蛇の形を作る。

 水飛沫をあげて水上へ出た。
 そして近くの岸に、怒りのまま船をぶつけ回った。倉庫が立ち並ぶ埠頭の被害が拡大していく。船に引っ掛かっていた子供用携帯が、高所から落下した。

 ……ようやく落ち着いたのか、この岸にシーカ達がいないことに気づいたのか。体勢を整えて、再度シーカ達のいる岸に渡ろうとした。

 ――――。

 だが、水の妖は、妖気を向けてこちらを狙っている者の存在に気づいた。
 シーカの放つ突き刺すような凶暴な妖気でなく、まとわりつくように探る妖気。人間だ。その性質を嫌悪し、挑発に乗った。

「晶はどこだ」
 水の妖が振り返った先。倉庫の間の路地から、男が出てきた。壮年の和服姿―。
 晶が連絡を取っていた、桜剣《さくらつるぎ》だった。本来は物腰柔らかい彼が、険しい表情をしている。
 携帯の位置情報の最後の発信があった公園には手勢を向かわせて、自分は派手な水柱が見えたこの埠頭を確認しにきたのだ。

「すでに戦闘をしてきたな」
 剣は蛇の頭にあたる船ではなく、腹のあたりを睨んでいる。妖が水のどこに潜んでいるか、”見えて”いるのだ。

 船の壊れ具合……、晶が相手には見えない。この大妖を真っ向から相手にするほど無謀な子ではないと、剣は理解していた。それなら他にも妖がいて戦ったのか。だが近くにはいない……。

 その時、対岸の白い輝きに気づいた。剣は知らないが、シーカの雷だ。

「こちらの岸は外れか」
 剣は手を前に伸ばして構える。急いでこの妖を倒して、向こうに行かなければいけない。

「魔喰《まぐい》!」

 剣の腕に妖気が漂い、前方、水蛇へと紫がかった黒い煙が放出される。煙の中から、滑らかな巨石が現れてくる……。石ではない。それは、巨大な人の髑髏《どくろ》だった。笑っているかのように、歯をカチカチと打ち鳴らしている。

「喰らいつくせ!」
 顎を最大限に開けて、船ごと喰らえそうな巨大な口で水蛇に迫る。水蛇は船をまとめて前方に送った。気脈は後ろに逃がし、盾にしたのだ。
 だが、ドクロは船を擦り抜けて、

「はぁッ!」
 さらに加速して後方まで飛び込み、妖の気脈に喰らいついた。物理攻撃に見えたが完全に妖気での攻撃だったのだ。
 水の中の鱗を光らせている妖は、そのままドクロの口の中へ飲み込まれていこうとしていた。

―? これは! ”殻”持ちか。厄介な……」
 しかし、シールドのような光が蛇を包み、ドクロの喉奥へ放り込まれることを防いでいた。巨大な歯で噛み切ろうとしても、シールドの硬さが拒む。

 ――――ッ……!
 妖が唸り声をあげる。怒った妖は、体を振り回し、その勢いで船を投げつけてきた。

「くっ……」
 妖気でできたドクロは、物理攻撃の盾にはならない。剣は自身の身体能力で躱す。船は地面のコンクリートをえぐり、後方の倉庫へとぶつかって破損した。

「実体と妖体の攻撃が同時に来る。戦いにくいな……」
 妖は、剣が物理攻撃が苦手と見たようだ。距離を取って、千切れたパーツを投げつけてきた。剣が避けると、さらにその場所に鉄塊を投げつけてくる。剣は避ける一手だ。

「…………」
 観察していると、投げたパーツを水で攫って回収しているが、陸上深くにいってしまったパーツは回収していない。

「まずは船の方を削るか。行け!」
 船体に苛烈な一撃を喰らわす。妖は大きく後ろにのけぞった。
 そして、

「埋伏!」
 ドクロは荒れたコンクリートに溶けるように吸い込まれていく。その跡には、黒い沼地のような妖力溜まりが地面にできる。
 妖は起き上がり、船を一隻、勢いづけて投げてきた。

―力界転生!」
 妖力溜まりから、気が噴出し、再びドクロの頭頂部が現れてくる。先程までの灰白色ではなく、黒光りしていた。鋼の鎧のような厚い板の重なりに変化し、さらに物々しくなっていた。剣は出現しかけているドクロの後ろに隠れる。
 今度はドクロは鉄塊を擦り抜けさせず、弾き返した。この形態のドクロ―魔喰に物理ダメージを与えることは困難だ。

「これでどんな鉄塊も通さない」
 ドクロは近くに倒れた船に口を運び、一噛みでねじ切って、倉庫の方へと振り投げた。水蛇のさらなる一撃も、空中で噛みつき、同じように放り投げる。
 もう二撃繰り返したが、そこで水の妖は攻撃をやめた。

「効かないと分かったか。冷静であれば知性がかなり高い……、―!?」
 妖は船と共に巨大な水の蛇を作り、剣に向かってきた。剣は口を開けたドクロを前に出して受けとめようとするが、

「ぐぁッ!」
 妖は妖気の本体でドクロを擦り抜けて、剣に体当たりしてきた。とっさに自身の妖気を腹に纏ってかばったが、剣は衝撃で後ろへと下がった。


「こちらの弱点に気づいたか?」
 剣は呪法師―祓い師だ。妖との戦闘はあまり得意とせず、十分に儀式の準備を整えてからの祓いを得意としていた。襲ってくる相手を躱しながら、実体と妖体に同時に対応する、というのは、剣と魔喰が苦手とするところだ。
 転生―つまり形態を変化させることで、魔喰は物理攻撃か妖気の攻撃のどちらか片方に対応する。しか使えないのだ。その隙が痛い。
 魔喰のパワーは信頼しているが、今回はそれも”殻”に拒まれている。


 水の妖はさらに妖体で剣を襲う。剣は衝撃で体が痺れていて、一瞬対応が遅れた。

――――!」
 大怪我を覚悟して、せめて体の中心に妖気を集中して盾を作った。
 大きな水音が鳴り響く。


 しかし、衝撃は襲ってこなかった。
 代わりに目の前には、黒い詰襟姿の背と、そこに描かれた大きな家紋があった。

「波音を騒がせていたのは、あなた達か」
 詰襟の学生服の裾が、風にはためいている。漆黒の瞳がこちらに向けられる。それは夜の街の煌めきを映しこみ、余裕に満ちた表情とともに、見る者を惹きつけた。

「銀河君……」
 若き呪法師、潮銀河《うしおぎんが》がそこにいた。


 潮によって飛び散った妖の水が、しゅるしゅると海に戻っていく。また船と水を寄せ集めているようだ。

「剣さん、早く倒さないと周りの被害が大きくなりますよ。呪法五家《じゅほうごけ》の筆頭たる桜の当主が、遊んでいるのですか?」
「…………」
「ああ、すみません。相性の悪い敵もいますよね」
 謝りながらもその口調は楽しげだ。剣が決定的な攻撃をできないことをからかっている。

「この妖は俺が倒しますよ」
 潮は水の妖の潜む海へと向き直った。

「君一人では……。協力を」
「黙って見ていてください」
 歩みを進めて、水の上へと飛び降りた。沈みはしない。呪法で水の上に立っている。

―すぐですから」

 形を取り戻した妖が、再び襲ってきた。
 だが、潮の放つ妖気に阻まれて躊躇した。辺りを満たしていく妖気が、静かに妖を包囲していく。

―渦よ。我に並びて、その円環に留まれ」
 だが、潮が呪文を唱えると、妖気が水を巻き上げて潮と妖を囲んだ。妖の起こす荒々しい水流とは違い、戯れるような静かな水の流れ。

「渦よ。我に溶けて、その静寂《しじま》を知れ」
 妖の動きは完全に止まった。その水の体の中で、水泡がゆっくりと登っていく。
 潮は静かに、そして完全に妖を支配している。潮の華やかな見た目とは裏腹に、その呪法は繊細さを極めている。長年使役してきた妖ならともかく、初対峙の妖とこうも同調《シンクロ》するとは。
 辺りの波が消えて、今は水鏡のように静かだ。

「水よ。我を離れ、自らに戻れ……」
 潮が呪文を言い終えると、水が形を失った。巻き上げられていた船ごと海に沈み、消えていった。

「流れを操ることにおいて、この潮銀河に適うはずないだろう」
 潮は不敵に言い放った。


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