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 10. 十年後






 作業場の壁に吊られたカレンダーが風に揺れている。
 この世界に来てから、十年が経っていた―。

「奏、この大きさで接合できる? ……、そっか、助かる」
 理は手先の器用な奏に、装置の精密部分の接合を頼んでいた。奏は受け取って、早速作業を始める。

 昼の作業場は開放部からの光で穏やかに照らされている。
 その入口に、もう一人、大人の背丈の影が差した。

「ただいま」
 十八歳になった祈だった。

「おかえり」
「理、この石珍しいなと思ったんだけど、何かの鉱石?」
「んん……、調べてみる」
「任せた。久しぶりに新しい発見だといいなあ」
 そう言って祈は、穏やかに微笑んだ。のんびりとした場所で奏と修行しながら育った祈は、幼い頃の柔らかさを残したまま、てきぱきと二人の研究を助けていた。

 作業中は基本的に洋服を着ている。理の作った手回しミシンを気にいって、奏が色々作ってくれるのだ。

 祈はカレンダーがクリップから外れかけていることに気づいて直す。

「十年……」
 向こうの世界と同じ時間が流れているなら、晶は高校三年の夏を過ごしているはずだ。

「ねえ、気になることがあるんだけど」
 理は立ち上がって伸びをしながら、声を掛けてきた。

「何?」
「私、齢を取ってなくないかい」
 のんきな口調で言ってきた。

「大人だから変化が少ないんじゃない?」
「いや、さすがに十年は分かるでしょ」
 祈は理をじっと見る。じっと……。

「……理にあまり注目していなかったから分かんない」
「ぐっ」
 祈はちょっとだけ申し訳なく思った。昔のように嫌いなわけではないのだけど、好きかと言われるとそうでもない。

「もしかして、すでに死んでいるのかなあ」
 少し物憂げな理に、もう一人の不老である奏が紙を差しだす。
『意』
「いや、分からないよ」
「意……、意識……、意思?」
 意思という言葉に奏は頷く。知識のついた祈は、奏と大分話せるようになった。

「じゃあ、僕は齢を取りたくて、理は齢を取りたくない。それが実現する空間になるよう、世界が調整しているってことかな」
 また頷く。

「そうだね。大人の方が晶を守りやすそうだから、僕は齢を取りたいのかも」
「守られるような子じゃないだろう」
「戦う手段はいくらあってもいいから」
「うー、あの時抵抗さえされなければ、こんなところに十年も……」
「やっぱり理嫌い」
 理が奏に頬をつねられているのを横目に、

「花畑の方で休憩してくるね」
 祈は外に出た。

 庵から少し歩いた場所に色とりどりの花が咲いてる。枯れない一年草の群れ。
 この種を分けた、優しく笑う男の子を思い出す。

「晶……」



 ――――ッ。
 祈の背に、悪寒が走った。

「何……?」
 周りの音が消えて、聞きなれない音がする。琴じゃない。理の作る電子音に近い。けれどただ機械的なだけでなく、―美しい旋律をしていた。
 そして、視界にも靄が掛かっていく。

「奏―っ!」
 助けを呼んだ。いつものシーカの襲来ではない。こんな現象は見たことがない。目を凝らして靄の中を警戒する。

「……誰?」
 靄の中に、誰かいる。サラサラの黒髪が、風に揺れている。”彼”を美しい旋律が包んでいる。そのことに、無性に胸がざわつく。
 ぐっと胸を抑えると、ひらひらしたものが目に入った。

「着物の妖!」
 祈の周りで着物の襞が揺れていた。ずっと姿を見せず、研究しようとしても反応を返さなかった妖が、力を発現している。光が溢れて、それは橋の形になった。

「う、動けない」
 また飛ばされる。音楽も、彼の格好も現代的なものだ。飛んだ方がいいのだろうか。けれど、奏と理はどうする。

「祈!」
 遠くから理の声がする。ならば奏も気づいただろう。

「着物の妖! 早く来て! ―わっ」
 力に引っ張られていく。

「待って! 二人も一緒に……っ」
 光が溢れて、完全に周りが見えなくなる。足が地面から浮きあがる。

「まだ……ッ」
 二人を待ちたいのに、向こう側へどうしようもなく引っ張られる。”彼”へ惹かれる気持ちと、それに纏わりつく”音”を引き離したい気持ち……。

 何かが、光の中に飛び込んできた。

「奏!?」
 間に合ったかと思い、喜びの声をあげた祈の前にいたのは、

―シーカ!」
 凶暴な雷獣だった。
 驚いているうちに、理の呼び声が完全に途絶えた。





「んっ―!」
 光が消えて、祈は地面の上に放り出された。

「痛っ……。ここは?」
 コニファーに囲まれたウッドデッキだった。テーブルと長椅子のセットがあり、そこに誰かいる。若い男が、壁に背を預けて目を閉じていた。

 サラサラの短い黒髪を風が揺らす。耳にイヤホンを付けて、彼は眠っていた。伏せた睫毛は長く、目を閉じていても、とても整った顔立ちであることが分かった。

「晶……?」
 どことなく、大好きな友達の面影があった。


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