Index|Main| Novel|AROMA | フォントサイズ変更 L … M … D … S |
◇◆ Anatomy ◇◆
|
|
SIU本部、医療棟地下に設置される死体解剖室を、組織員はアナと呼ぶ。
解剖という言葉を意味する『アナトミー』がその語源だが、墓に入る人間、つまり『穴』に入る人間が訪れる場所。 さらに地下にあることから、この名で呼ばれるようになったと聞く。 SIUのアナに足を踏み入れることは、医療班主任の岡田でさえ数えるほどだろう。 ここは大学でも、警察のような公の機関でもない。だからこそ、素性を表に出来ない者が運ばれる。 そう、組織員が死なない限り、アナの扉が開かれることがないからだ―― 午前二時過ぎ、人影まばらなSIU本部内の、フロア壁面に設置された電光掲示板が、『2』の文字を点灯させた。 非常事態を知らせるために設けられたこのスイッチを、基地外部から操作した者が居る。 『2』 それは、苅野長官の自宅を意味するものだ。 「おいおい、長官がお呼びだぞ? 今度は何の御用でしょうか?」 事件のファイルを岩間と見直し続け、一息入れた矢先の出来事に、 コーヒーカップを片手にした岩間がしかめっ面で言い出した。 「解らん。だが、この時間の作動確認は考え難いな」 スイッチの存在を、把握しているのは本人しか居ない。つまり作動させたのは長官本人だ。 けれど岩間がこうものんびりとしているのは、以前にも長官がスイッチを作動させたことがあるからで、 大きな事件が起きる度、作動確認と称した騒動を起こす。 堀内が死んだ直後だけに、その行動は有り得ないことではないが、組織員がまばらになるこの時間の作動確認は長官らしくない。 もっと派手に、大々的に、救出作戦が決行されることを好むからだ。 手近なデスクから、警備に繋がる内線ボタンを押す。 「呉埜だ。長官の自宅から、非常スイッチが作動された。大至急確認してくれ」 「了解しました。……司令官、長官宅の警備システムは、全て作動していません」 当直警備のその言葉で、思わず岩間の顔を見た。そして岩間もまた、俺の顔を見ながら別の内線ボタンを押した。 「岩間だ。機動、長官の自宅へ部隊の出動を頼む」 「了解。竜崎・加藤・松丸・吉野の四名で出動させます。十分で到着可能かと」 「解った。GPSを作動させろ。こちらから確認する」 モニター上に映し出された四つの点が、立体地図の中を突き進む。 それと同時に別のモニターで、衛星にて捉えた長官自宅内をサーモグラフで映し出す。 「三宅を呼ぶか?」 岩間の言う通り、戦闘が起きるようであれば、三宅の技術が必要だ。 けれどサーモグラフを見る限り、長官宅に確認できる人間は一人しかいない。 「いや、木村が先だ」 「お前それじゃ……な、なんだこの色は……」 サーモグラフィが捉えた人物の、体温色が物語る。 この人物の体温は、三十度を優に切っている。つまり生存の確率は、極めて少ないということだ。 けれどこの人物が苅野長官だとすれば、そこに大きな矛盾が生じる…… 「長官自宅前に到着しました」 機動班から、現場に到着した知らせが入る。 「衛星で確認してはいるが、念のため二手に分かれて突入しろ」 「了解です」 岩間の指揮の元、機動班が二手に分かれて家内を進み始める。 けれどサーモグラフで映し出される人物付近まで近づくと、班員の悲鳴に近い絶句が漏れた。 「現状クリア。い、いや、こ、これは!」 「映像をこっちに回してくれ」 「うっ、いや、はい……」 機動班員の肩に備え付けられたカメラから、現場の映像がモニターに映り出す。 その光景を目にしたまま携帯に手を伸ばし、明らかに寝起きといった具合の相手へ言葉を吐いた。 「木村、悪いが至急動いてくれ」 「呉埜か? 何があった?」 「苅野長官が殺された――」 ◆ SIU 統括本部―― 「苅野長官が、自宅で何者かにより殺害された」 現在時刻、午前五時。大臣から発表された内容に、その場に居た誰もが息を飲む。 「この件は、警視庁に了解を得てSIUが取り仕切る。このような事態だ、 私の一存で申し訳ないが、呉埜くんを長官代理、岩間くんを統括本部長に急遽据える。この事件の解決に全力を上げてくれ」 重苦しい溜息と動揺が会議室を覆う。 組織員である堀内が殺害され、そのまた直後に組織トップが殺害された。 自分の身の安否を気遣う者が居ても不思議ではない。 この事件には、多かれ少なかれAMIKAが関わっているだろう。 堀内が死に、長官といえどもIDカード紛失の追及が、明日に控えた段階での出来事だ。 けれどそれ以上に、心に燻り続ける事柄がある。 非常スイッチを押した者は、一体誰なんだ…… 「呉埜くん、ちょっと」 会議室から退室するという時、大臣に呼び止められた。 「お呼びでしょうか」 「実は、数日前から矢部と連絡が取れないんだ。すまんが、矢部の捜索を極秘単独で行ってもらえるかな」 矢部元長官までが行方不明。 組織を退いたとはいえ、矢部さんが長官であった事実は、調べようと思えば調べられるものだ。 まして望月がAMIKAに居ると解った時点で、それは公になっていると考えた方がいいだろう。 「……解りました」 何事もなければいい。だが状況からして、そういうわけにはいかないだろう。 大臣にそう返答しながらも、この時、俺は既に最悪な事態を想定していた―― 一足遅れてアナに足を踏み入れると、そこには岡田をはじめ、木村、岩間が雁首を揃えて俺を待っていた。 既に岡田の初見は終えている。 ステンレス製の解剖台に横たわる長官の亡骸を全員が囲み、淡い水色の白衣を着た岡田が見解を述べ始める。 「鋭利な刃物で左右の頚動脈を一発だ。こいつは相当手だれているぞ」 長官の喉下に走る左右二本の傷。現場写真から推測しても、死因は明らかに頚動脈切断による失血だ。 だが通常この手の犯行にあるはずの、喉頭や気管に深い傷が見当たらない。 さらに岡田の見解を踏まえれば、答えは簡単にでる。 「広頚筋を弛ませたのか」 「そうだ。慣れない者が頚動脈を切ろうとすると、大概は頭を仰け反らせる。だがこいつは逆に、下向きにさせて切った」 動脈は静脈と違い、外膜、筋肉、内膜と三層の壁に守られている。 さらにその上に静脈が走り、首の筋肉、脂肪、表皮がそれを守る。 そこで岡田の言う通り、頭を仰け反らせて首筋を伸ばした状態で切断しようとすれば、張った筋肉に阻まれそれは困難になる。 けれどそれは、医学的知識を持つ者か、戦闘を熟知しているもの以外には余り知られていない事実だ。 長官を殺害した犯人は、そのことを熟知している。 警備システムを解除させて家内に侵入していることからも、一筋縄ではいかない相手だろう。 木村が大判の現場写真を俺に手渡しながら、捜査記録を補足する。 「現場の飛沫に障害物はない。つまり犯人は、返り血を浴びていないってこった」 傷口に目を走らせる岩間が、木村のその言葉に反応した。 「後ろからか……傷口は右から左? だとすれば左利きだな」 「だが傷が浅い。ためらいはないが、非力だ」 岡田の非力だと告げる部分に、犯人が女の可能性だと匂わせる雰囲気があった。 「長官の薬物検査の結果は?」 「まだだ。だが、薬物反応が出ていなくとも、女かも知れん」 長官は粘着テープで手首足首を椅子に固定され、その状態で殺害された。 例え、薬物等で長官の自由を奪ったとしても、恰幅の良い長官を女性が椅子に座らせることは困難だ。 それでも岡田は、そう言い切った。そしてそれを裏付けるための言葉を続けた。 「傷口に付着していたサンプルを、ラボに回したんだが」 その言葉を聞いて、木村がファイルを開くことなくブラブラと揺さぶりながら切り出した。 「結果は、ニトロセルロース、トルエン、酢酸エチル……」 「マニキュアか」 「ご名答。だが粘着テープ同様、量産品ならば、メーカーが解ったところで無意味だがな。 せめて爪の一部でも、残っていてくれればどうにかなったんだが……」 ところがそこで、岩間が唐突に口を開いた。 「岡田、右手は最初からこうだったのか?」 「あぁ、だが、何かを握っていたわけじゃない」 「でも、この硬直の仕方はおかしいな」 岩間もまた、医師免許を持つ男だ。 だからその岩間が放った言葉で、岡田の眉間に縦皺が寄る。 「俺は何かを見落としたか?」 岩間が指摘した右の手のひらを、手袋を嵌めた岡田が少し力を入れて開いていく。 ようやく広げられた手のひらに、極少量の砂粒が付着していた。 手の皺に付着しているわけではない。 薬指と小指の根元、その盛り上がった部分に、何かで張り付いているといった具合だ。 「岡田、ブラックライトを当ててくれ」 俺の申し出に、岡田が無言で頷きながら蛍光灯のような一本の電灯を翳す。 「ブラックライトインクか……」 途端に浮かび上がる蛍光色の物体を見て、木村が顔を顰めた。 けれど岩間が手のひらを食い入るように見つめ、浮かび上がる物体の意味を突き止めたとき、話は急激に進展していく。 「文字か? B…27…053?」 正確には、B2の7の05の3だ。 地下二階駐車場の七番ゲート、その五番に駐車する人物は三番通路を通る。 「大臣通用門だ」 「危険物の可能性が高いな。俺が行こう」 木村の言葉に頷きながら、携帯で三宅の番号を呼び出す。 「三宅、大臣通用門の監視カメラをチェックしてくれ。すぐ行く」 そして岩間が、間髪いれずに機動班を動かした。 「処理班編成で地下駐車場へ急げ。木村がそこに合流するまで待機だ」 「了解です」 「気をつけろよ」 そう言葉を発する岡田の声を背に、俺たちはアナを後にした―― |
|
← BACK | NEXT → |
INDEX|MAIN|NOVEL|AROMA |