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◇◆  TIFA? 2 ◇◆
 始まっちゃったよ、レセプション。
 といっても、私の想像する宴会とは大きく掛け離れ、乾杯の音頭も何もないのだけれど。
 それでも、招待客の各々が、シャンパングラスを片手に、ご婦人を同伴しながら、あちらこちらで立ち話を繰り広げているのだから、これが開始だ。多分。
 克っちゃんは、此処に到着してからと言うもの私の傍にはおらず、宴会が開始されてからは、エスカルゴな彼女と腕を組み、フロアを回っている。
 何だかこれでは、場違い女決定だ。あれほどの食欲も消え失せ、ただ一人、壁に凭れて花と化す。

 宴会開始直後、石岡兄がその場を離れた途端、英語らしき言葉で声を掛けられた。
「Wow! ペラペ〜ラ、TIFA? ペラペラペラ、you!」
 すまん。サッパ、解らん。悪いが他を当たってくれ。って、英語でどう言うの?
 否、そうではなく、こうでもなく、私は日光の猿でした。
 というか又もや、ティファって聴こえるんですが。しかも疑問符仕様で。
 大体、何故私にゲームのことを聞くのだろう。私はゲーマーでなく、信用金庫の者ですよ。

 けれどそこに克っちゃんが現れ、そのお方と寸部違わない発音で、ペラペラと話し始めた。
「This is the robot ペラペラペ〜ラ」
「Really? ペラペラペラ」
 今、ロボットって言わなかったか。否、そう聴こえただけか。自信ないし。
 ということは、ティファとはロボットのゲームなんだな。自信ないけど。
「美也、俺の傍から離れるな」
 諸外国の方が去り、克っちゃんが、心配気に呟きながら腕を出す。
 安堵と嬉しさから、みるみる笑顔が広がって、差し出された克っちゃんの腕に捕まった。
 けれど、其処にエスカルゴな彼女が現れ、言い難そうに核心を突く。

「克也くん、それじゃ、レセプションにならないと思うの……」
 そうだ。この人の言う通りだ。これは克っちゃんの大切な授賞式でもある。
 英語の喋れない私では完全に役不足であり、却って克っちゃんの、足手まといになってしまう。
「克っちゃん、私のことはノープロブレム。ケーキが食べたいし、あっちに行きたい」
 そこで克っちゃんが、いつものような溜息を吐き出してから、命令の復唱を試みる。
「いいか、話しかけられても」
「答えません。勝つまでは」
「戦時中じゃないんだから……」

 といった具合で、今に至るのだけれど、やっぱり心細さが拭えない。
 それでも、あの場を退いて良かったと思う。克っちゃんみたいな男には、出来る女が良く似合う。
 私みたいな取り得の無い女は、一緒に居たら恥ずかしいんだな。って、言ってて虚しいけれど。
 でも、もうちょっとだけ、克っちゃんの隣に立っていたかった。
 否、珍しくこんなドレスなんて着てるしさ、お姫様気分を味わいたかったと思うのよ。
 だけど現実に、ビビデバビデブーは有り得ない。こんなドレスを着たところで、王子様に見初めてもらえるどころか、誰からも相手にされやしない。
 まぁ、所詮、私はいつもこんなものだ。何と言うか、蝿すらも寄り付かない女ね。

 不意に、あちらこちらで灯る、蝋燭の炎が靡き、プライベートガーデンへ続く、扉が開け放たれていることに気がついた。
 仄かな外灯だけの薄暗がりに、誘われた足は無意識に動き、人気の無い庭園の、これまた真っ白なベンチに腰を下ろす。
 手荷物は部屋に置きっぱなしだし、暇を潰す物が、此処にはまるで無い。
 せめて携帯さえ有ったなら、誰かとメールに勤しめたものを。って思うほど、淋しかったりする。
 何だか、今日の自分は不甲斐ない。否、これもいつものことか……

「で? 今日は、冷凍ティラミスなど無いですが、その涙の言い訳は?」
 一人呆然と、美しい庭園の芝を眺めているところに、格好の遊び相手が現れた。
 振り向かなくても、ツッコミ加減で誰だか解る。それでも一応、驚いたふりをしてやろう。
「ナ、ナナワ?」
 けれど、振り返って本当に驚いた。初めて思う。七和はセレブな男だった。
 やけにシャンパンが似合うのだから、癪でも認めざるを得ない。
「こんなことじゃないかと思った。やっぱり松本さんは、ハラハラ」
「失敬な。こんなことって何だ。こんなことって」
「ちょっと待て。ツッコミ処が違うだろ…そこはハラハラだよ。ハラハラ」

 ツッコミキングの突っ込みが、今日は何故だか心地良い。
 さらに、指摘されて初めて、自分が泣いていることに気がついた。
 なんだか最近、涙腺が緩くなった気がするよ。毎回必ず泣いているよね。似合わないのに。
 それでも、こう突っ込まれると、突っ込み返したくなるものだ。きっとこれは誰でも思うはず。
「ロボットが泣いてると、あちこちで囁かれてますよ」
「生きてるよ。息してるだろ。なんだロボットって」
 もしかして、克っちゃんはあの時、私をロボットだと言ったのではあるまいか。
 否、流石にそれは無いだろう。確かに歩き方は、ちょっと見苦しいけれど。

 そんな私の思考は余所に、突然何の前触れもなく、七和のトリビアが始まった。
「ティファレト。ユダヤ、カバラ思想における、美を意味する言葉…兄もニクイことをする」
 七和は能書きタレなだけあって、雑学を解り易く説明するのが通例だ。
 それなのに、今回ばかりは全く話が通じない。カバの思想って、何だそれ。
「はぁ? 克っちゃんが何だって?」
 だから、より詳しいトリビアを申請するけれど、七和はあっさりと話を変える。
「ほら、行きますよ。まだケーキを食べてないんでしょ?」
「おぉ。てんこ盛りにしてね?」

 七和のお蔭で食欲が出た。きっと、笑うとお腹が減るんだな。
 というよりも、七和のような学歴や家柄の男が、英語を話せないはずがない。それなのに七和は、何処までも日本語で押し通す。
 英語で問われたことを日本語で返すから、相手の放った台詞が私にも解るんだ。
 しかも、ふんだんにジェスチャーを交えることで、日本語なのに、相手に伝わる優れもの。
 七和はこの宴会の重要人ではないからこそ、そんなことが、まかり通るのだろう。
 それでも、この心配りが七和らしい。此れ見よがしな通訳をされるより、よっぽど気が楽になる。
 此処に来て初めて、物ではなく人間らしい扱いを受け、漸く肩の力が抜けたのは言うまでも無い。

 しかしまた、七和はどうして此処に来たのだろう。
 七和の実家は製薬会社であり、この業界とは無縁だ。仮に実家がスポンサーか何かだとしても、家を出た七和がその招待を受けることはない。
 ということは、あれだよね、あれ。御存知、秀和連絡網。
「で、本日は、誰に呼ばれてやってきたのさ?」
「石岡兄です。俺もこの業界を目指しているんで、こういった場に招いてもらえるよう、石岡兄にお願いしていたんですよ」
「へぇ。ナナワもゲーマーになりたかったのか」
「いえ、俺は既にゲーマーですよ? 誰かさんのお蔭で、愛するゲームの夢をぶち壊されたけど」

 誰に夢をぶち壊されたのかは知らないけれど、そんな話は初耳だっただけに、少しばかり驚いた。
 何かの志がある者にとって、秀和連絡網とは、画期的な人脈アイテムなんだね。
「石岡兄は、広報担当なんですよ。で、松本兄は企画開発。ちなみに俺は、そんな会社を経営したい」
 さらに続く、この言葉にも驚いた。だけど七和が言うと、実現しそうな按配が何やら怖い。
 人は夢を見る。けれど、そんな儚い夢を実現出来るのは、ほんの一握りの人間だ。
 私の周りには、その一握りの枠に入る人間が、いやに多いと思う。
 だから自分と比較して、更に落ち込むこと決定なのだけれど、私は何の努力もしていない。
 努力しない者が、努力を惜しまない者と比べること自体、可笑しいことなのだな。きっと。

 銀のトレーに並べられた、色取り取りのケーキを、片っ端から頬張った。
 ホールの真ん中辺りでは、極身近な人間たちが、各々の個性を光らせ、脚光を浴びている。
 本間は、色々な意味で人々の視線を釘付けにし、石岡兄は、飽く迄もスマートに紳士接客をこなす。
 そして克っちゃんは、優秀で美しい女性を従え、全ての中心で笑っている。
 もし此処に亮が居たら、亮もまた、きっと輪の中心に居るはずだ。
 さらに七和も、私さえ居なければ、あの輪の中に溶け込んでいるだろう。
 何だか、イソップ物語を思い出した。皆は蟻で、私はキリギリスなんだな。今更だけど。

「ねぇナナワ、私、英会話を習おうかな?」
 今からでも遅くは無い。私だって何か一つくらい、努力をして取り柄を作りたい。
 だから思いついた言葉を、七和に投げ掛けたけれど、えらく真顔で七和に言い返された。
「松本兄の隣に立ちたいから?」
「ち、違うよ。そうじゃなくて、なんか自分が情けなくなっただけ」
「話せて損はないでしょうけど、松本さんは松本さんのままで充分でしょ?」
 先頭に『不』が付く、充分だけどね。というかそれは、無理ってことかしら。

 けれど七和は、ホワイエに私をエスコートしながら、やんわりと問う。
「今の松本さんを、好きだと言ってくれる男が居るのに、何故無理をする必要が?」
「何だそれ? そんな男、何処にも居ないだろ」
「また、そんなこと言うと、亮に頭突きを食らいますよ?」
 それは勘弁して欲しい。亮の頭突きは痛い。序にデコピンも。
 それでも、今の七和の発言は可笑しい。それではまるで、亮が奇特な男のようだ。
「ナナワ、それは違うんだよ。亮ちゃんが私を好きなんじゃなくて、私が亮ちゃんを好きなの」
「はっ? 何言ってんだ、あんた……」
 へっ? 何言ってんだ、お前こそ。と言いたいが、ここは我慢我慢と。

「なんかさ、気分はシンデレラだよね。十二時になったら、魔法が解けちゃうの」
 言った後、恐縮しました。私の場合、万年、十二時過ぎの女でしたね。
 解ける解けないに関わらず、魔法が掛からない、バリア付きって感じで。
 ところが七和は優雅に笑い、この場に相応しい、ロマンチック発言を発動した。
「落としたガラスを靴を、誰に拾って欲しいですか?」
「お前が拾っとけ」
「なんて女だ。俺は、落し物係りじゃないんですよっ」
 やっぱり七和は、こうでなきゃ。そんな真顔で問われたら、恥ずかしいしさ。

「あ、でも、それはいい考えですね。じゃ、松本さん、靴を脱いで下さい」
「うおっ?」
「足が痛いでしょ? そろそろ、ロビーに王子様が着く頃だし」
「王子様って、亮ちゃんが来てるの?」
「えぇ。俺が此処に着いた時、本間さんが呼んでましたよ」
 何故、靴を脱がなきゃならないのかは知らないが、魅力的な話が聞けたのだから、それに従おう。
 堪らなく亮に会いたかった。それをずっと我慢していたのだから、靴くらい呉れてやろう。

 克っちゃんには、ちゃんと優秀なパートナーが居る。
 関係者でもない私が、此処から消えたところで、何の問題もないはずだ。
「帰るか? ちょっとばかし、早いけど」
 足首に巻きつく紐を解き、ガラスではなく、銀色の靴を七和に差し出した。
「本当に脱いだか…まぁ、厭な松本さんらしいけど」
「厭言うな。一言多いやっちゃなっ」
「だ、か、ら、やっちゃ言うなやっちゃっ!」

 ここが私の潮時だ。これ以上この場に居たら、七和にも迷惑をかけてしまう。
 なんて言い訳を心の中で唱えるけれど、結局は、立ち去ることが出来て嬉しいだけだ。
 ロビーで待っているということは、仕事関連で本間が亮を呼んだわけではない。
 多分、私が一人ぼっちなのを心配して、本間が気を遣ってくれたのだろう。
 全く、石岡兄の言う通りだ。無理をしたところで、碌なことはない。
 本間にも、珍しく感謝する。そしてそして、七和には、最大の感謝を捧げよう。
「ナナワ、今日は本当に有難う。今日ほど君に、感謝をしたことはないよ」

 素晴らしい謝辞を述べたにも関わらず、七和は鼻に皺を寄せて息を巻く。
「最後の最後まで、あんたって人は…どんだけゲーマーの夢をぶち壊すんだっ」
「な、なにがだよ。夢なんか食べてないよ。バクじゃあるまいし」
「バクの方がよっぽどマシだっつうの。もう、とっとと帰れっ」
 言葉は悪いけれど、七和は未だ。ではなく、此畜生だ。あんちくしょうでも許す。
 けれどもう、どうでもいい。堪らなく会いたかった人物が、視界の隅に入っちゃったのだから。
「ほんじゃナナワ、また木曜日にね!」

 七和へ軽く手を振った後は、振り返ることなく、目的の場所まで突き進む。
 だから、七和の後方に、克っちゃんが居たことなど全く知らないまま、私の宴会は終わった。
「七和、美也は……」
「帰りましたよ。残念でしたね。ティファを見せたかったんでしょ?」
「一体、何の話をしているんだ」
「惚けても無駄ですよ。あ、そうだこれ、シンデレラの落し物です。王子に渡すのは癪だったんで」
「……亮が迎えに来たのか」
「当然ですよ。あんな松本さんを目の当たりにして、本間さんが動かないわけがない」

 絨毯が敷き詰められた幅広の階段を降りながら、階下に佇む人物の名を呼ぶ。
「亮ちゃんっ」
 すると驚きに目を瞠り、明らかに語尾の上がった疑問符で、亮が私の名を呟いた。
「美…也?」
 そこまで露骨に驚かれると、無性に恥ずかしいのだけれど、何故か嬉しくもある複雑な女心。
 やっぱり少しは褒めてもらいたいものなんだよね。ドレスじゃなくて、中身をさ。

 タキシードは着ていないけれど、亮は何処に居ても何を着て居ても、王子様だ。
 カボチャの馬車もないけれど、この一瞬だけ、私だってシンデレラになれた気がした。
「プリンセスミヤって呼ぶべき?」
 私を抱き留めながら、亮が囁く。どうやら亮には、私がお姫様に見えるらしい。
 社交辞令だとしても、凄く嬉しい。それでもやっぱり、恥ずかしさが上を行く。
「えぇ? 私、炎からの脱出なんて、できないよ?」
「それは、テンコーだよね。でも、なんで美也は靴を履いてないの?」
 そう言われれば、そうでした。道理で、やけに足が軽いと思ったよ。

「ナナワが、シンデレラは、靴を脱ぐべきだって言うからさ」
 ニュアンスが幾分違う気もするが、まぁ、それはそれで。七和の戯言だし。
 けれど亮は、そんな七和の戯言に反応し、怪訝に目を細めて私に問う。
「で、そのガラスの靴を、何処に落としてきたの?」
 七和には答えなかったけれど、亮には答えたいと思う。
 だけど、どうも私は、この手の会話が苦手だ。なんと言うか、その、恥ずかしい。
「亮ちゃん、ちゃんと探してね?」
 多分これが、私の精一杯だ。それでも亮には、ちゃんと伝わってくれたらしい。

 非の打ち所がない芳顔を、綺麗に綻ばせて亮が笑う。
 その顔に見惚れ、さらに釣られて笑えば、亮が突然に懇願した。
「美也、キスしていい?」
「い、今? ここで?」
「うん。今、此処で……」
 目の前で、美味しそうな唇が微かに動く。
 この状況、局面、場合、場面で、拒める女性が居るならば、それ、世界的財産だよ。きっと。

 柔らかな唇が重ねられ、甘い吐息が広がっていく。
 流石に舌は絡んでこない。それでも、愛でるような優しいキスが、お姫様気分を上昇させる。
「美……」
 何処からか、克っちゃんの声が聴こえた気もするけれど、悪い。それどころじゃないの、今。
 会いたかったって囁いたら、舌が滑り込んできちゃったから、立っているのも、やっとなの。
 公衆の面前で、これは幾ら何でも顰蹙だと思う。でも、今日だけ。今日だけ、許して欲しい。
 こんなドレスなんて、もう二度と、着ることなど無いと思うから……

 近くで、鈍器が壁にぶつかる音がした。
 耳にそんな音が入っても、重なり合う唇は、離れることを拒み続ける。
 そして、克っちゃんの背中を見つめながら、囁き合う男が二人――

「あんな顔で壁を殴るくらいなら、手を放さなければ良かったのに」
「七和くん、それは違うんですよ。先輩は美也さんを守っただけです」
「え? あっ! そうか、あの人は日改の……」
「えぇ。ですから仕方なく手を放した。そして、こうなることも解っていた」
「報われないな、兄は……」
「そうですね。でも、そろそろ先輩も限界でしょう。そうなった時が怖いですよ……」
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