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◇◆ Barista 2 ◇◆
 アイちゃんが、モフモフっとした真っ白なクリームの上に、マジシャンもビックリな手際の良さで何かを描いていく。
 わき目も振らず、小さな鼻歌混じりに描かれていくそれが、人の顔だと気がついたときには作業終了。
「はい、できた。どうぞ鈴ちゃん」
 にこやかな笑顔と共に、中身の入ったカップをソーサーの上に置き、ついっと私の前に差し出した。
 おっかなびっくり中身を覗き込めば、チョコレート色の大きなハートの中に、私の顔を絵で描いたら、 こんな感じだと思われる似顔絵が浮かんでいる。
 スケッチのような、細かいラインが描かれているわけじゃない。
 いわゆる一筆書きのような独特のラインで描かれているのに、私を連想させる何かがあるんだ。
 だけど私の勘違いってこともあるから、とりあえずアイちゃんに確かめた。
「こ、これ、私?」

「そっくりでしょ?」
 私の問いかけに、少し気分を害して眉毛をピクッと動かすアイちゃんが、表情とは裏腹にのんびりと答える。
「い、いや、だって、勘違いだったら恥ずかしいでしょ?」
 失礼なことを言ってしまったと、慌てて取り繕う私に
「恥ずかしいのは、これからだけどね」
 聴こえるか聴こえないか程の小さな声で、アイちゃんが独り言をつぶやいた。
「え?」
 そんなアイちゃんの独り言がバッチリ聴こえたものの、どういう意味かがわからず聞き返せば
「こっちの話」
 きっと営業スマイルとは、こういうものなんだと思われる、輝かしい笑顔でサラッと流された。

「それより鈴ちゃん、早く飲まないと絵が沈んじゃうよ?」
 崩れることのない笑顔で、アイちゃんが実にうまく話題を逸らす。
「でも、もったいなくて……」
 もったいぶっているのは私の口調だと思いつつ、まごまごと言い訳をする私に、確信めいたアイちゃんのセリフが投げられた。
「大丈夫だよ、中はココアだから。鈴ちゃんは、カプチーノが苦手でしょ?」
 飲まなかった理由をズバリ言い当てられて、口を半分開けたままアイちゃんを見上げれば
「クリームは冷たいけど、下のココアは熱いから、火傷しないようにね」
 私の驚く顔を無視して、アイちゃんが言葉を繋げた。

 アイちゃんに逢ったときからずっと、どうも何かがひっかかる。
 夢に登場した男の子とアイちゃんは、本当に瓜二つなんだけど、「私の夢に出てきませんでしたか?」なんて聞くわけにはいかない。
 まして、「あなたはカプチーノ国の王子様ですか?」なんて聞いちゃったりしたら、孫の代まで笑われそうだ。
 だからつじつまが合わないことだらけの会話に、多分きっとこうだと勝手なつじつまを作り上げる。

 私の名前を知っていたこと、私がカプチーノを苦手としていることは、ここに通いつめている私の友達に聞いたんだ。
 似顔絵が正面顔なのは、定休日の特別ってことで描いてくれたんだ。
 さらに、似顔絵を描くとき、私のことなど全く見ていなかったのは、 一目見ただけで、その人の特徴を掴むことができる洞察力を、アイちゃんが持っているからなんだ。
 コクコクと一人で頷き、握り締めたこぶしを小さく上下に振って
「そうだ。これで全ての謎は解けた」
 そう一人心地につぶやけば、カウンター越しに私の顔を覗きこむ、不思議そうなアイちゃんのドアップ。

「鈴ちゃんは、楽しそうでいいよね」
 小刻みに体を震わせながら、鼻をヒクヒクさせたアイちゃんが囁いた。
「は、はずかし〜」
 真っ赤になってうつむく私を、ビシっと指差して
「だ、か、ら、それは、これからだから」
 結局またさっきと同じ、『こっちの話』を断言するアイちゃん。
 どうせまた、聞き返したところで教えてはもらえないだろう。
 だからその言葉は聞こえなかったことにして、温かいカップにそっと手をかけた。

 ようやく口をつけたココアは、今まで飲んだどんなココアよりもおいしくて、 思わずこぼれ出たホウっという溜息の後、感激の声を上げる。
「これ、すっごくおいしい!」
 けれど、私に背を向けて、カウンターの中で何やら作業をしていたアイちゃんが、顔だけ振り向かせてシレっと言った。
「だって、媚薬が入ってるもん」
「またまたぁ! そうやって、何人もの女の子を口説いてきたのね」
 なぜかテーブルを叩く勢いで豪快に笑いながら、オバサンくさいセリフを言い放っているのは私で、 おかしくもないのに、笑いがこみ上げて止まらない。
「あら、入れすぎちゃった?」
 アイちゃんが私を見ながら、クソ真面目ってなほど真面目な顔で、そう言うのがまたおかしくて
「いやだ、アイちゃん! 笑わせないで〜!」
 今度こそ本当に、テーブルを叩きながら笑い転げる私。

 そこからの記憶はほとんどなくて、気付けばカップの中のココアは空っぽで
「鈴ちゃん、おかわりは?」
 遠くから聴こえるアイちゃんの声に、フワフワとした高揚感に包まれたまま、のんびりと言葉を返す。
「ううんいらない。もうおなかいっぱい、胸いっぱい。なんちゃって〜」

 頭の隅っこで、聞き慣れた声が小さく響く。
『オヤジギャグを言ってる場合じゃないんじゃない? 時間は大丈夫なの?』
 それが自分の声だと気がつかないまま、頭の中の声に、声を出して返答する。
「あ、そうだった。帰らなきゃ」
 けれど焦点の合わないうつろな眼で見上げれば、遠くにいるはずのアイちゃんの顔が、今にもくっつきそうなほど近くにある。

「鈴ちゃん、大丈夫?」
 心配そうに囁くアイちゃんの声は、とっても遠くから聴こえてくるのに、両手で目を擦ってからもう一度見上げても、 やっぱり近くにあるアイちゃんの顔。
「目が、双眼鏡になっちゃったみたい……」
 同じように両手で何度も瞼を擦りながら、自分でもよく解らない言葉をつぶやいて、今度こそはとゆっくり瞼を開ける。
 けれどそれでも、息が掛かるほど近くにあるアイちゃんの顔。

 エスプレッソのような深くマットな色の髪と瞳、カプチーノ色をした滑らかな肌。
 コーヒーが苦手な私でも、これだけは解る。アイちゃんは、とってもおいしそうだ。
 そんなアイちゃんの唇が目の前で小さく開き、中から苺みたいな舌がチロっと現れた。
 そして、その舌の先に、ちょこんと乗った黄褐色の塊。
 琥珀の原石みたいなその小さな塊を、ボーっとした顔でしげしげと見つめて問いかける。
「それ、なあに?」
 一旦、舌を引っ込めたアイちゃんが、一瞬クシャっと笑い
「中双糖(ちゅうざらとう)だよ。鈴ちゃんも食べる?」
 それだけ言い終えると、中双糖とやらを乗せた舌をまた出した。
 カラメルのような、甘い香りがアイちゃんの舌の上から漂ってきて、いつも以上にとぼけた私の頭は、 おいしそうなエスプレッソとカプチーノにお砂糖が加われば、私にも飲めるかもだなんて考えて
「うん、食べる……」
 眠そうな声で、そうつぶやいていた。

「んっ」
 舌を突き出したままのアイちゃんが、はいどうぞとばかりに差し出すそれを指で摘み取ろうとすれば、アイちゃんが突然に舌を引っ込めた。
「鈴ちゃん、それはルール違反だよ。口で差し出されたものは、口で受け取らなきゃ」
 小学生を諭す先生のような口調で、アイちゃんがもっともらしく告げるから、叱られた子どものように身を竦めてから謝った。
「そうだよね、ごめんなさい……」
「では、今度こそちゃんと。んっ」
 解ればそれでいいといった具合に頷いてから、さっきと同じように舌を差し出すアイちゃん。
 だから今度こそは怒られないようにと、その小さな塊を、アイちゃんの舌ごと口で包み込んで受け取った。

 口の中に、甘くてほろ苦い味が広がっていく。
 けれど小さなその塊は、あっという間に溶け消えてしまうから、唇を突き出してブスッ垂れれば
「もっと食べる?」
 微笑みながら首を傾げて、アイちゃんが私に問いかける。
 無言のまま何度も大きく頷くと、さっきよりも少しだけ大きい塊を舌に乗せて差し出され、その大きさにちょっと喜びながら、 結局また口で受け取った。

「おいしい……」
 満面の笑みを浮かべてそうつぶやいたところで、突然アイちゃんが言い出した。
「鈴ちゃん、やっぱり返して」
 大切なおもちゃを奪われてしまうような気持ちに見舞われて、首を横に振りながら断言する。
「いやだ!」
 けれど、もっともな言い分をアイちゃんが告げる。
「だって、それ僕のだよ?」
 それでも返したくない。だから誰にも奪われないように、舌の下の奥深くにそれを隠し
「もう食べちゃったもん!」
 そう言い放ってから、アイちゃんにも中が見えるように口を開いた。
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