Index|Main| Novel|Cappuccino | フォントサイズ変更 L … M … D … S |
◇◆ Chess ◇◆
|
|
カプチーノが、人間界の通貨で買い取ったこのマンション。
エースだけが暮らしていたときは、ここまで厳重な警備ではなかったが、 鈴が共に暮らすようになってからは、その警備体制はバール以上のものになっている。 なぜここまでする必要があるんだと訝しんでいたけれど、アルファードから聞かされた内容でようやく理解した。 考えてみれば、俺にも疑問は多々あった。 それでもベルとビオラの転生は、姉貴が仕出かしたことに変わりがない。 だから湧き上がる疑念に首を捻りながらも、それを深く追求せずにここまで来た。 けれどそこに、エースやアルファードが考えているような事実が、隠されているのであれば話は別だ。 ベルを、鈴を守りたい。 思うことはただそれだけなのに、二人を出し抜くことしか考えられなかった俺の行動は、全てが裏目に出てしまっている。 今の自分は、ただ躍起になっているだけだ。だから何をやっても、俺は空回りばかりを繰り返す。 もっと冷静な判断をできるようにならなければ、鈴は守れない。 これじゃ駄目なんだ。あれほど何度も、ベルに言われていたのに…… 俺たち二人を見てとったマンションのドアマンが、驚きで目を見張る。 けれどアルファードは静かに微笑みながら、そのドアマンに声を掛けた。 「リュード、君が居るのなら、ここは確実に安全だな」 「殿下、もったいないお言葉を……」 リュードと言えば、カプチーノ国の歴代近衛隊長名だ。 ココア国とカプチーノ国は昔から仲が良いとはいえ、隣国の近衛隊の顔まで掌握しているアルファード。 きっと、我が国マキアートの近衛隊に対しても、この人はここまでの対応ができるだろう。 さらに投げかける言葉ひとつひとつが、相手の心を癒す。 俺には、逆立ちしても真似できないことばかりだ。 この人の持つ視野は太陽だ。光が届くところまで気を配り、それが誰もを魅了する。 貴公子アルファード。誇り高く、気品、風采、頭脳に秀でた男。 劣るものが何もない。ケチのつけようがどこにもない。比すら見つからない。 俺はこの人に、勝ちたいなどと思ったことは一度もない。今でも思っていない。 ただ、同じ王子という立場に置かれた者として、同じ舞台に立たせて欲しいと願っていたんだ。 兄弟が居る者は、少なからずも比較されて育つ。 ましてそれが、アルファードのように優れた兄ならば、ベルの比較中傷は半端じゃなかっただろう。 俺もそうだ。俺にも、ハープという才色兼備な姉貴が居る。 言葉では言い尽くせない劣等感。 そんなものを抱きながら育った俺には、同じ境遇で育つベルが、いつも笑顔でいることを不思議に思った。 「ベル、ベルはアルと比べられて、嫌じゃない? 悲しくない?」 幼かった頃の俺の馬鹿げた質問に、ベルは驚きながらも自分の考えを口にした。 「自分のことを言われるのは我慢できるわ。でも、ハープのことで文句を言う人が居たらどう?」 「なんでハープが、文句言われなきゃならないの!」 ムキになって言い返す俺の髪を、そっと撫で付けながら、瞳を覗きこんでベルが囁く。 「ほら、バンバンもそう思うでしょ? 私もそれと同じ。アルの文句を言う人が許せないと思うの」 ベルのそういった考え方に、最初は戸惑ったと思う。 けれど、同じような質問を繰り返すたびに、ベルが伝えたかったことが分かるようになっていった。 太陽は何個もいらない。 けれど、太陽になりたいと願う者よりも、太陽になってしまった者の方がつらいんだ。 ベルの回答は、いつもここに辿りつく。 だから渋々、姉貴と張り合う自分を省みて、ベルと同じ視点で姉貴を見た。 そのとき初めて、姉貴のつらさが分かったんだ。 汚点を作ることのできない境遇。いつも輝いていなければならない状況。 重箱の隅を突くように、小さなミスさえも大々的に叩かれてしまう。 それでも姉貴は笑っていた。 肩に圧し掛かる重圧を一手に引き受けて、小さな俺のことまでを守っていた。 どんなに俺が気楽に見えただろう。 なのに姉貴は、決して俺が羨ましいなどとは口にしなかった。 今なら分かる。アルファードもきっと、そうやって生きてきたのだということが。 だからベルは言ったんだ。太陽になってしまった者の方がつらいんだと。 そして姉貴はアルファードに恋をした。 誰よりもアルファードの辛さが分かったから。誰よりも自分の辛さを分かち合える人だから…… あの日、ベルとビオラが転生をしてしまった日、我が国マキアートで園遊会が開かれていた。 姉貴はいつものように、代々伝わるルビーのネックレスをつけていたけれど、 そこからアルファードの肖像画だけが、消えてしまったことに気がついた。 眠るときも、湯浴みのときでさえも、そのネックレスを外すことのなかった姉貴。 肌身離さず持ち続けていたはずなのに、こんなことは有り得ないと、姉貴は半狂乱になっていく。 ベルがまた新しいものを持ち寄ると姉貴に告げたけれど、姉貴はそれじゃ駄目なんだと、その申し出を退けていた。 そこから二人は姉貴の自室に引き上げ、園遊会から姿を消した。 俺はここまでの話を、唯一知っている者だった。 もしこの話を聞いていた者が、俺ではなくアルファードやエースならどうしただろう? きっとここで、何かを考えつき、自ら行動に移したはずだ。 けれど俺は、そこまでの気が回らなかった。目先の園遊会のことで、頭がいっぱいだったから…… この時点で、既にいくつもの疑念が浮かび上がっていた。 誰がいつ、どこで、なんのために、姉貴のネックレスから肖像画を抜き取ったのか。 そして、取り扱うどころか、製造することすら禁止されている禁忌の媚薬を、姉貴の自室に置いたのは誰なのか…… 眠る姉貴の前に鈴を連れて行けば、姉貴は目覚めるのだと思っていた。 けれどそれは大きな間違いで、姉貴が目覚めるどころか、鈴の身体を破壊してしまうほどの失態に終わる。 あそこにエースが現れてくれなければ、鈴はきっと命を落としていただろう。 今回のこともそうだ。 目先のことに囚われて、何も知らなかった俺は、何かが起きたとき、鈴を守れたかどうかさえ危うい。 後悔は先に立たない。それでも、後悔ばかりを繰り返したくはない。 あの時、俺がこうしていれば…… あの時、俺が気付いていれば…… こんな想いを味わうのは、もう充分だ。ベルが転生してしまったとき、そう痛いほど感じたことなのに、 俺はまた同じ事を繰り返している。 今はエースやアルファードに、対抗意識を擡げている場合じゃない。 頭を下げて真実を告げ、これ以上の事が、鈴の身に起きないようにしなければならない。 きっとこれが、今の俺にできる、君を守る精一杯の方法。 男としては情けないほど悔しいけれど、そんな意地よりも君が大切だから…… 「アルファード殿下! これはこれは、お久しゅうございます」 「やあレスタ、やはりあいつは、君をここに呼び寄せたのだね」 「坊ちゃまは、私でないと扱いきれませぬゆえ」 「確かにその通りだな」 アルファードが親しみを込めて話すこの白髪の紳士は、エース専属の執事であるレスタだ。 俺たちのような生まれの者は、国王、女王である両親よりも、乳母や執事、侍従と過ごす時間の方が遥かに長い。 二人の会話では、呼び寄せたのはエースと言うことになっているが、実際のところ、レスタの方が居ても立ってもいられずに 人間界へ来たのだと思う。 それほどまで、専属の執事や侍従と王子たちの絆は深い。 現に俺の執事であるチェイスも、レスタ同様、呼んでもないのに人間界へ現れ、あれこれ世話を焼き続けている。 「キャラバン殿下も、本当にお久しぶりでございます。チェイス殿も、こちらに出向いていらっしゃるのですか?」 「あ、うん。なんだかんだ小うるさいけど、あいつが居ないと落ち着かないんだ」 俺のその返答に、レスタの口元が嬉しそうに綻んでいく。 俺は、アルファードのような機転が利かない。 それでもこうやって、レスタが笑ってくれたことに、俺自身がはにかんだ。 「ところでアルファード殿下、是非一度、わたくしめとチェスのお相手をしてくださいませ。エース殿下は、ちっとも相手をしてくれませんで」 「あいつにとっては、つまらぬ遊びなんだろう。なんせ、直感だけで打つからな」 「それが、カプチーノ流なのですよ」 アルファードは、チェスの名手でもある。 何十手も相手の先を読み、長期戦にもつれることなく相手を封じ込む。 けれどそんなアルファードを苦戦させる人物が居る。それがエースだ。 エースは、アルファードのような緻密な計算など施してはいない。 アルファードの言う通り、ほとんどを直感だけで押し通す。 わがままで、強引で、配慮なく我を通す男。物事は、自分中心に回っていると信じて疑わない男。 ところがそれはエースの本質を知らない者が囁く台詞であり、エースの直観力と判断力はアルファードをも凌ぐ。 だからレスタもリュードも、そしてカプチーノ国民も、エースを慕い、エースを信じる。 そして、完璧だと思われるアルファードさえも、エースを信頼するんだ。 そんなエースの体内から、微かな媚薬の匂いが放たれていた。 バールに迷い込んだ鈴が、エースの腕の中で眠っていた時、俺はその媚薬の香りに初めて気が付き戸惑った。 今までその香りに気付いたことはなかったけれど、その時のエースが裸体だったことが要因だと思う。 あの媚薬は、転生の媚薬同様、禁忌の媚薬として製造することを禁止されているものだ。 『愛を抜き去る媚薬』 恋人を愛する、家族を愛する、花を愛する、そんな愛しいと思う気持ちを、抜き取ってしまう媚薬。 なぜそんなものが、エースの体内から香るのかは分からない。 本当に、服毒したのかすら定かではない。 でも、もしその媚薬を飲んでいるとすれば、ベルに対しての仕打ちも納得がいく。 媚薬の存在に気がついたとき、俺は自業自得だと思わずにはいられなかった。 ベルを蔑ろにしたから、邪気に扱ったから、こんな罰を科せられたのだと思った。 それよりも何よりも、転生したにも関わらず、鈴がエースの腕の中に居ることが悔しかったんだ。 だから俺はまた、そのことに気がつきながらも、それを伏せておざなりにした。 けれどもしこれも、仕組まれたことだとしたら? 俺はアルファードだけにでも、このことを告げるべきだと考えた。 だからエレベーターに乗りながら、このことをアルファードに切り出した。 けれどアルファードから放たれた言葉は、予想に反したものだった―― 「やはりお前の嗅覚は、それを嗅ぎ取ったか。あれは、俺が飲ませたんだ……」 |
|
← BACK | NEXT → |
Index|Main|Novel|Cappuccino |