IndexMainNovelCappuccino フォントサイズ変更   L M D S
◇◆ Shaman ◇◆
 マホガニーの木を用い、脚部にロカイユのモチーフが彫刻された猫脚のベビーベッド。
 そのベビーベッドを取り囲むように、父上と母上、そしてカプチーノの国王と女王が、顰めき合いながら佇んでいた。

 聞いてはいけない会話。
 幼心にもそう直感し、その場を立ち去ろうとしたが、カプチーノ王から俺の名が発せられて、思わず退く足を止めた。
「セル、私たちに隠しても無駄だよ。この子は、アルよりも力が上だね?」
「……そうなんだ。どうやら似なくても良いところまで、私に似てしまったらしい」
 カプチーノ王に問われた父上が、躊躇いながらも真実を告げる。
 その言葉と同時に、母上がベビーベッドの中へと腕を伸ばし
「エースちゃんが、この子を拒んだらどうしよう……」
 そう心配気に囁きながら、むずがり始めたベルを抱き上げ背中を摩る。
 そんな母上に、ベルの頬を指で突くカプチーノ女王がのんびりと言い切った。
「フルート、心配しなくても大丈夫よ。二人は出逢った瞬間に、化学反応を起こすから」

「ネットの言う通りだ。相対する力は引き合うよ。互いの暴走は、互いでしか止められないからね」
「今はアルファードがエースの力を止めているが、それもいつまで保てるか分からない。まるでベルは、 エースのために生まれてきたようなものだな」
「そう、全て予言通りだ。だがこのことが、隣国にばれたら問題だぞ」
「あぁ、ベルの争奪戦になるだろう……」

「そ、そんな……この子は物じゃないのに……」
「バールの仕来りを使いましょう。強引にでも、二人を結ばないと」
「それで、他の子どもたちが苦しまなければ良いのだが……」
「そうだな。けれど、それしか方法はないだろう――」

 あの頃の俺には、この会話がどんな意味をもたらすものかなど、全く理解ができなかった。
 ただそこで分かったことは、俺よりも妹であるベルの方が、大きな癒しの力を携えて誕生したこと。
 そしてエースもまた、驚異的な力を秘めているということだけだった――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 カプチーノは、予言の国だ。
 占星術、手相、タロット、数々の方法で未来を占い、それを予言する。
 中でもカプチーノ王は、その者に触れるだけで、大まかな未来が見えるという。
 そしてカプチーノ女王は、その者が発するオーラで、未来を感じ取るという。
 そんな二人の間に誕生したエースは、鋭い勘を生まれながらに持ち合わせていた。
 直感、第六感、インスピレーション。
 瞬間的に思い浮かべた着想を、実行に移して成果をあげる。
 だからあいつは、『迷う』ということを知らない。
 巨大な迷路に閉じ込められたとしても、最短記録でそこから脱出することができるだろう。
 チェスに関しても同じだ。考え悩む必要のないあいつにとって、チェスはとても退屈なゲームに過ぎない。

 ところがエースの能力は巨大過ぎ、通常では見えない『もの』が見えてしまうというおまけがついていた。
 神霊・精霊・霊魂。そう言えば聞こえは良いが、実際はそういった美しく神に近い類のものばかりではなく、 悪しき死霊と呼ばれるものも存在する。
 エースは小さい頃から、突然奇声を発したかと思うと、首を掻き毟ってもがき苦しんだり、 見えない何かに向かって剣を抜き、やたら滅多ら振り回したりもした。
 何も見えない俺にとって、そんな発作を起こすエースの姿は滑稽ですらあった。
 けれど、我が国ココアは癒しの国だ。
 気のようなものを放出し、相手の気をなだめることもできる。
 だから小さな発作のときは俺が。俺では手に負えないほどの大きな発作のときには、父上がエースを止めた。

 今考えれば、エースはシャーマンとしての能力を備えていたことが分かる。
 シャーマンとは、霊と直接的に交わり、口寄せや召喚、予言や悪魔祓いなどが出来る者を指す。
 それでも未だかつて、バールにシャーマンが誕生したことがない。
 だから、誰にも理解することのできない発作を繰り返すエースを見て、カプチーノの民ですら、この国の未来が怖いと囁いた。
 けれどカプチーノ最高と謳われた預言者が、臨終の床で最期の予言を告げる。
「カプチーノの民よ、安心するが良い。南の国に癒しの鐘が鳴り響くとき、バール最大のシャーマンが誕生するだろう」
 そして我が国に姫が誕生し、その名をベルと名付けられたことを知ったカプチーノの民は、ベルこそが予言の『鐘』であると疑わず、 エースの発作は、シャーマン故のものなのだと納得するようになっていく。

 予言通り、ベルがこの世に誕生してからというもの、エースは発作を全く起こさなくなった。
 エースはそのことについて何も言わないが、霊が見えなくなったわけではないと思う。
 ただ、悪しき霊が、エースに襲い掛かることをしなくなったのではないか。
 訳もなくベルの腕を掴み、深呼吸を繰り返すエースの姿を何度か見たことがある。
 そしてそんなエースが凝視する方向を、ベルが微笑みながら見つめていることもあった。
 これはあくまでも俺の予想だが、ベルもまた、見えないものが見えるのではないか。
 そしてベルは、霊までをも癒す力が備わっていたのではないだろうか……

 秀才と天才。そんな言葉の違いがあるように、どんなに努力を積み重ねても、 極めて優れた才能を、生まれつき備えた者には敵わないときがある。
 エースはその生まれ持った鋭い勘をうまく使いこなし、その地位を不動のものにした。
 羨ましいと思う反面、あいつが背負う能力に同情もする。
 けれど、ベルに対してはそう簡単に思うことは出来なかった。
 俺が一年かけて習得した術を、ベルは誰に習うことなく一度で使いこなした。
 俺の中に、複雑な気持ちがこみ上げる。
 兄として、時期国王として、自分の非力さと情けなさを痛感し、それと比例して、自分が欲しくてたまらなかった能力を持つベルを、 羨み、妬み、疎ましくさえ思うようにさえなっていく。

 癒しの力が強い者は、その国に多大なる恩恵を与える。
 こと武道の国エスプレッソでは、流派同士の内戦が頻繁に起こるため、ベルの力を欲しがるだろう。
 けれどそれは、エスプレッソだけに限らず、マキアートでもカプチーノでも同じことだ。
 敵に攻め込まれても、城ごと結界を張ってしまえばいい。
 傷を負った戦士に、癒しの力を注ぎ込めばいい。
 だから父上はベルの身を案じ、ベルの力をひた隠した。
 そして、弱き力しか持たない俺を、ココア最大の能力継承者だと発表した。
 誰もがそれを疑わなかった。ベルまでもが、そうだと信じ込んだ。
 でも俺にとってそれは、多大なる重荷でしかなかったんだ……

 そんなとき、回廊ですれ違いさまに、ハープがそっと囁いた。
「アル、あなたは誰よりも立派よ……」
 ハープは、誰よりもベルと仲が良い。だからベルの大きな力に気がついていた。
 そして俺には、そこまでの力がないということも悟っていたはずだ。
 それなのにそんな言葉を囁かれ、驚き振り向けば、頬を染めたハープがそこに居た。

 全てを知りながら、ハープは俺を好いてくれた。
 嬉しかったんだ。
 今にも剥げそうなメッキで飾られた俺ではなく、中身の俺に気がついてくれたことが、何よりも嬉しかったんだ。
 だからハープにだけは心を許せた。素の自分を見せることが出来た。そして誰よりも俺にはハープが必要だった。
 なのに、仕来りが俺たちの邪魔をした。
 エースとベルを、婚姻させるためだけに施された仕来り。
 エスプレッソを納得させるために、関係のない俺たちまでを巻き込んで、計画された婚姻予約。

 カプチーノの王家継承者は、エースしか居ない。
 そして、エースの力の暴走を止められるのはベルだけだ。
 ベルが居なければ、エースは壊れてしまう。エースが居なければ、カプチーノが滅びてしまう。
 そんなカプチーノが滅びれば、バールの未来が危うい。
 だから、二人の婚姻が政略された。そしてそれに反発するであろう隣国を納得させるため、バールの仕来りを利用した。
 二人は何一つ悪くない。頭ではそう分かっているのに、歪む惨めな俺の心。
 そんなものさえなければ、俺とハープは婚姻できた。
 エースとベルさえ居なければ。いや、ベルさえ居なければ……

 そんな矢先に、ベルが突然倒れた。
 ありとあらゆる方法で治療を施したが、ベルの体調は一向に良くならず、それと同時に、エースが十数年ぶりに発作を起こして発狂した。
 目には見えないエースの力。
 コントロールすることができず暴走してしまったその力を、誰も止めることができなかった。
 発作が治まるまで、エースは厳重に隔離された。
 けれど暴走したエースを隔離などできるはずもなく、解き放たれたエースは、我がココアに向かう。

 エースを止めようと、真っ先に出迎えた俺。
 けれどそんな俺の首を、見えない何かが締め上げる。そして俺の耳元で、見えない何かが囁く。
「いらぬ邪魔立てをするな……」
 震え上がるようなその声に、息のできない苦しさに、俺は初めて気を失いかけた。
 後から駆けつけた父上ですら、まるで悪魔に乗り移られてしまったようなエースの前では無力だった。

 警備を容易く振り切って、エースが迷うことなくベルの部屋に飛び込んで行く。
 そして、動くことも目を開けることもできないベルが、エースの存在を感じ取って涙を零す。
 まるで、助けてくれと懇願するかのように。
 来てくれて有難うと、感謝するかのように。
 エースが理解し難い言葉を狂ったように喚きながら、ベルの額に手を翳す。
 するとベルが突然すっくと立ち上がり、吸い込まれるようにエースの胸の中へ収まった。
 途端に辺りの気配が静寂を取り戻し、その場に居た全員が、全てのものから解放されて床に崩れ落ちた。

 その光景はまるで、悪魔が悪魔を退治したかのようだった。
 何が起きたのかなど、俺には分からない。
 ベルの発作が先なのか、エースの発作が先なのか、どちらがどちらを呼び寄せたのかすら分からない。
 けれど二人の強大な力と、惹かれあう姿を目の当たりにして、俺は今まで以上に打ちのめされた。
 そして痛切に感じた。
 この二人は、一緒に居させなければならない。国王や女王の決断は正しかったのだと……

 自分の置かれた境遇に、耐え切れなかった。努力をすること全てが、無駄だとさえ思えた。
 俺の願いは、何一つ叶うことはないだろう。
 それでも国のために、自我を殺し続けなければならない。
 だからベルを憎んでしまう前に、愛しいハープの想いを断ち切るために、闇の商人から手に入れた禁忌の媚薬、『愛を抜き去る媚薬』を手に取った。

 ところが、何かを予感したエースが、そこに現れ叫ぶ。
「お前はこんなものに自分の未来を託すのか? 自分の未来は自分で切り開けよ。それが出来ない男じゃねーだろ!」
「うるさい。お前には、俺の気持ちなどわからん!」
「だったら俺がこれを飲んでやるよ。飲んで尚、ベルを愛してみせるさ」
「や、やめろ、エース!」
 媚薬の小瓶に手を伸ばすエースを止めたけれど、そんな俺の身体を見えない何かが拘束する。
「いいかアル、このことは誰にも言うな。俺が必ず証明してやる。心が忘れても、身体があいつを覚えてるはずだ……」
 そしてその言葉を最後に、エースが小瓶に詰まった媚薬を飲み干した――

 その日以来、愛する心を失ったエースは媚薬を飲んだことも忘れ、ベルを邪気に扱うようになっていく。
 それでも、惹かれあっていた頃を忘れていないベルは、そんなエースの態度に戸惑いながらも、一途に想い続けた。
「仕方がない」
 残酷なほど無感情で放たれるエースの言葉に、ベルが悲しげに笑う。
 そんなベルの顔を、何も告げられずに見ていなければならない俺。
 証明など出来るはずがない。ベルが傷ついていくだけだ。
 この二人の全てを俺が壊した。俺の抱く邪な想いが、この二人の全てを壊したんだ。

 ところが俺の罪の意識とは裏腹に、エースは断言通り事を進め始めた。
 元々、直感で動く男だ。心を失ったとしても、勘は残る。
 それでもエースがベルを愛する想いは、禁忌の媚薬ですら完全に消し去ることができなかったのだと思う。
 ベルが誰かに触れるだけで、エースは怒りを露にする。
 ベルが危険な目に合うと、愛など消え失せたはずのエースが真っ先に動く。
 エースは、自分の直感の成せる業だとのたまうが、それは違う。
 愛は執着という名に形を変えて、エースの中に留まったんだ。
 そしてその行動は、時を経るごとに強く表れ始めた。

 エースが媚薬の呪縛から解き放たれるのは、時間の問題だろう。
 そう思われたある日、ベルが忽然と姿を消した。
 カプチーノはベルを占うが、誰も居場所を予言することができなかった。
 既にバールから離れ、鈴として転生してしまったベルを占うことが出来なかったためだ。
 ベルを失ったエースは、壊れ始めていた。いつもの直感も、全く働かなくなっていた。
 そしてエースが暴走しないようにと、父上が片時も離れずエースの傍につき、共にベルを探し続ける。
 けれどカプチーノ王が、ベルはバールには居ないと断言した。
 そこで範囲を広げての占いが開始され、人間界に転生したと予言が出される。

 全てを忘れて生まれ変わってしまったベルと、ほとんどを思い出すことができずにいるエース。
 なのに人間界で出逢った二人は、互いに気付かぬうちに、また恋に落ちている。
 力は必要ない。必要なのは、揺らぐことのない信念と想いだ。
 ならば俺は、俺の道を行こう。
 俺には力がない。それでも、そんな俺にも出来ることが沢山あるはずだ。
 くだらぬ邪念を抱えることは二度としない。未来は自分の手で切り開けばいい――

 ごめんなベル、弱い兄貴でごめんな。
 作り物の笑顔しか、お前に見せることが出来ずに居た俺を、どうか許してくれ。
 お前には負けないよ、エース。
 媚薬になど頼るなと、俺に啖呵を切ったくせに、媚薬に頼りまくりなお前に負けたら生き恥だ。
 けれど今度こそ心から誓うよ。
 最高の親友と最愛の妹の未来を、俺の全力で守り抜こう。
 それにようやく気付くことができた今だから……
← BACK NEXT →

IndexMainNovelCappuccino
photo by ©戦場に猫