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◇◆ Heart aches ◇◆
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アルとバンバンがマンションにやってきた翌日、アイちゃんがテカテカと光沢するヒールを片手に帰宅して、
質問すら受け付けぬ最上級の笑みを湛えて言い出した。
「鈴ちゃん、そこに座って」 慣れというのは恐ろしい。あれだけ観賞用だと思っていたソファーにも、当たり前のように座れちゃう自分は、 最上級の勘違い女に違いない。 それでも言われるがままに腰掛けたところで、床に片膝を付いたアイちゃんが、シンデレラを探す家来のように、 そのヒールを私の足へ宛がった。 「うん、ピッタリ。じゃ、今日から部屋の中でもこれを履き続けてね」 「部屋の中でも? ア、アイちゃん、なんでそんなこと……」 差し出されたアイちゃんの手を無意識に掴んで立ち上がり、戸惑いながら問うけれど、 当然サラリと笑顔でかわされて、そのまま部屋の玄関までエスコート。 「さ、ミーティングルームで豊田さんが待ってるでしょ?」 そしてその言葉を最後に、可愛らしく私へと手を振るアイちゃんが、パタンと部屋の扉を閉めた。 生まれてこの方、踵の高い靴など履いた試しがない。 だから呆然としながら自分の足元を見つめ、なぜこんなことになったのかと考える。 それでも考えたところで、理由など何も思いつきはしない。 ということで、首を傾げながらも方向転換をして、妙な角度で膝を折り曲げながら、通常よりもさらに汚いウォーキングで 豊田さんの待つミーティングルームへ向かった。 「鈴姫さま、歯を見せて笑ってはなりません」 管理人の豊田さん直々な、紳士淑女のマナー講座開催中。 笑うことにまでマナーがあるのかと思いつつ、鏡に映し出される、笑う自分の滑稽具合に驚いた。 「鈴姫さま、口を開いてはならないと言うわけではございませんので……」 で、ですよね。分かってはいるんですが…… けれどいつもよりも短い時間で、豊田さんが講義の終了を告げる。 「では、本日の講義はここまでで。これから鈴姫さまは、三階に下りていただきますので」 「え? 三階? な、な、なんで?」 「ご紹介したい方が、いらっしゃるからですよ?」 「ど、どちら様でしょう?」 アイちゃんそっくりなニコニコ笑顔を浮かべた豊田さんは、それ以上は何も言わずに ミーティングルームの扉を開けると、優雅にお辞儀をしながら私を外へ促す。 今度は何だと不安になりながらも、そんな豊田さんの案内通りに三階へと続き、開け放たれた目的の場所らしき部屋を見て、 開いた口が塞がらなくなった。 壁の全面が鏡で覆われた、スポーツクラブの一室かと思われちゃうその部屋は、どこをどう見ても何かを踊る場所だ。 まさかクラシックバレーが淑女のマナーだと、豊田さんは言い出すのではなかろうか。 エアロビなら、まだどうにかそれなりに、なんとか出来るかも知れない。……と、思う。 でもバレーは無理だ。なんてったって私の身体の固さは、ロボットをも凌ぐ強靭さだ。 そんなことを想い馳せ、考えただけで冷や汗を掻きはじめたところで、とてもハスキーな声が響き渡った。 「ベル姫さま! お久しぶりでございます!」 感涙とともに、両腕を広げて走りこんでくるこの女性を私は知らない。 けれど抱きつかれる寸でのところで、豊田さんのエッヘン虫が鳴り響き、それとともに女性がその場にピタっと固まった。 そして突然姿勢を正し、気を取り直して初対面のご挨拶。 「す、鈴姫さま初めまして。サクソフォンと申します。どうぞ、サックスとお呼びください」 「は、初めまして。河坂鈴音と申します。こ、この度は、お日柄も良く……」 どうやら私は、何かを間違えたらしい。 三人三様であらぬ方向に目をやったまま、妙な沈黙が流れ続ける部屋の中。 サクソフォンと名乗る女性は、ものの見事な赤毛の、それはもう日本人とは遠くかけ離れたお顔立ちだ。 海外の文化などサッパリ分からないけれど、海外には、面白い名前の人がいるんだな。 けれどそこで、そんな沈黙を破り、豊田さんと女性のヒソヒソ話が始まった。 「レスタ、やっぱり本当に、始めから教えねばならないのね?」 「えぇ。その様でございます……」 「途中で、勘を取り戻す見込みはあるのかしら?」 「マナーに関しては、確実にございません。ですが、ダンスならもしかして……」 ダ、ダンス? ダンスってあの、シャルっちゃって、ウィっちゃうあのダンス? バレーと、どっこいどっこいなほど、私には無理だと思われるんですが―― ◆◇◆◇◆◇◆ 「鈴姫さま、姿勢!」 「は、は、はいっ」 サックス先生から、既に何百回も注意されている言葉が、またもやレッスン場に響き渡る。 そんなこんなで、この数週間、訳のわからぬままマナーとダンスのレッスンに明け暮れて、 マンションから一歩も出ていないのに、ボロボロのボロ雑巾にになったみたいな疲労感満載中。 それでもダンスを覚えることはとても楽しくて、アイちゃんが仕事から帰宅した後、今日の練習の成果を確かめるように踊る、 そのひと時が大好きだ。 当然、アイちゃんはダンスが上手い。 私がまごついてしまっても、サラリとそれをフォローして、リードを繰り広げてくれる。 タンゴやフォックストロットなどなど、モダンダンスと呼ばれる種目は色々あるらしいのだけれど、とにかく私は最初から、ひたすらワルツを踊っている。 どうやら淑女は、ワルツを習得しなければならないらしい…… 優しい三拍子の曲に合わせて、左足からのクローズ・ドチェンジにナチュラル・ターン。 右足からのクローズ・ドチェンジにリヴァース・ターン。 ゆっくりと優雅な動きのダンスだけれど、傍から見たのと自分がやるのでは大違いだ。 おかげさまで、最初の一週間で四キロ痩せた。酷い筋肉痛にも悩まされたけれど…… 「鈴姫さま、ライズ&ロワー、スウェイ!」 未だによく覚えられないダンス用語を、サックス先生が私に投げかける。 上体を伸ばして膝を緩め、回転するときは上体を内側に傾けろって感じの意味らしいけれど、そんなもの今の私には習得できるはずがない。 それでもなぜか、『完璧』という言葉にこだわるサックス先生は、ちみっこいことでも、見逃すどころか決して許してくれやしない。 何日か置きに、アルがレッスン場へ現れて、やっぱりアイちゃんのように私の成果を確かめながら踊ってくれる。 アルもアイちゃん同様、甲乙つけ難いほどダンスが上手い。 さらにアルと一緒に踊ると、なんだか本当にお姫様になった気分になっちゃうから不思議だ。 それなのに、私はアイちゃんと踊るほうが好きなのはなぜだろう? 特に、つい最近から練習が始まった、クイックワルツと呼ばれるテンポの速いウインナワルツでは、 テンポが速いからこそアイちゃんの呼吸がよく分かる。 ターンするとかリフトするとか、何も合図がなくても、アイちゃんが次にどう動くのかがなんとなく分かるんだ…… ダンスのレッスンを終えて、死んだようにレッスン場の床へ倒れこむ。 このまま、匍匐前進で部屋に帰りたいと痛切に願う。それほどまでに、足が思うように動かない。 それでもこれから、第二部、夜のマナー講座が控えている。 「頑張れ私!」 自分が何に頑張るのかなど分かってもいないのに、そんな言葉を自分自身に投げかけ、 空回りしっぱなしの気合いだけで、五階のミーティングルームへ急ぐ。 「よろしいですか鈴姫さま、批判は色々とありますが、バールは完全なるレディーファーストな世界でございます。 人間界の起源は中世のヨーロッパ。男性中心主義に基くもので、自分の身を守るため、 女性を盾として先行させるなどという残酷なものでございますが、 バールの場合はそれとは違い、守るべき女性をエスコートするといった、紳士的行動の表れでありまして……」 瞼に、瞬間接着剤を塗られちゃったに違いない。 さらに豊田さんの穏やかな声が、ブラームスの子守唄に聴こえちゃうから仕方がない。 だから、どうにも止まない睡魔と闘いながら懸命にペンを握るけれど、そこから先の記憶が消えた。 ホワホワと身体が宙を舞い、ヌルヌルと何かに滑りながら、グブグブと温かい水の中へ沈み込む。 その度に、アイちゃんのクスクス笑いが聴こえるのだけれど、瞼を持ち上げるという行動すら億劫すぎて面倒だ。 なのでこれは、全部夢だということで片付けよう…… 何よりも憧れ望んだベッドの感触が、私の身体を包み込む。 けれどそんな感触を楽しむことのないまま、サックリと夢の世界へ旅立った。 夢の中でも、ダンスのステップがクルクル回る。 当然、サックス先生のハスキーボイスも、ファーストフードのポテトみたいに、セットで付いてくる。 「鈴姫さま、背筋!」 「あ、は、はい!」 どのくらいの時間、夢の中でダンスをしていただろう? 突然ベッドの片側がグインと沈み、ちょっと冷たい何かが私の身体を覆う。 「鈴ちゃん、もう我慢の限界……」 それと同時に唇を突き出すアイちゃんの顔が現れて、がっかりしたように囁くから、サックス先生の言葉を思い出し、 言い訳がましく言葉を吐いた。 「あ、ごめんなさい。背筋だよね!」 「ううん、エッチするのに、ホールドはいらないよ?」 「……ん?」 ようやく夢から覚めて目を凝らせば、アイちゃんの背中に、美しい具合でカッチリ添えられた私の両手が目に入る。 寝ぼけながらも、ダンスの形を取っていた私は偉い。 きっとダンスの神様が、降臨しちゃっているに違いない。 そんな私の上に覆いかぶさるアイちゃんが、優しい微笑みを湛えて私の髪を撫で付ける。 ちょっとだけ照れたところで、アイちゃんの顔がゆっくりと近づいてきて、冷たい唇が私の唇を包み込んだ。 考えてみれば、ここのところ一緒には寝ていても、アイちゃんに抱かれることがなかったような記憶。 というよりも、気がつけば朝といった毎日だから、記憶がないだけなのかも知れないけれど。 「……んふっ」 顔の傾きを変え、吸い付くように繰り返されるアイちゃんのキスに、思わず言葉になっちゃう息の音。 無我夢中でそのキスに答えるけれど、そんな中でも思わずにはいられない。 私はアイちゃんのキスが大好きだ。桃に触れるような、優しく柔らかい指の動きも大好きだ。 細いくせに私を軽々持ち上げちゃうほど締まった身体も、時折放つ低く深い囁き声も、強引なキュラキュラ笑顔も…… あぁ、どうしよう。 今更気がついちゃった。私はアイちゃんの全てが大好きなんだ…… 「鈴ちゃんの足は、マメだらけね」 私の足を持ち上げて、そう言うアイちゃんが足の親指にキスをする。 「アイちゃん、や、やめて、汚いか……ひゅわんっ!」 足を引っ込めようとするけれど、足首をカッチリ押えたアイちゃんが、私の足の親指を口に含む。 途端に熱くトロリとした感覚が指先から頭のテッペンまで駆け上がり、起き上がろうとした身体がベッドの上にまた落ちた。 「んっ…んんっ…やっ、やめっ……」 足の指先が、こんなにも敏感な場所だったなんて知らなかった。 いやそれは違う、それは嘘だ。舞踏会が近づくと、エースも必ずこうやって…… ちょっと待って、アイちゃんはエースじゃないよね? 確かに顔はそっくりだけれど、アイちゃんとエースは別人だよね? アイちゃんのことが好きだとようやく気がついたのに、アイちゃんがエースだなんてことはないよね? 突然膨らみ始めた疑惑に、心が追いつかない。 「鈴ちゃん、何を考えてるの?」 だからアイちゃんが、私の顔を覗きこみながら囁き続ける。 「身体は反応してるのに、心が答えてくれないよ?」 「んんっ! あっ…んっ…」 アイちゃんの舌が、ヌルっと私の中へ滑り込む。 トロトロと流れ出す蜜を押しのけて、抜き差ししながら入り口近くのヒダを弄っている。 「やっ、あっ、やめ、やめっ……」 身体はジンジンと熱くなっていくのに、心は考えることをやめられない。 アイちゃんが、エースだったらどうしよう。 もしアイちゃんがエースなら、私はまた―― 小さな舌打ちとともに、アイちゃんが私をうつ伏せに転がした。 手を着く暇もないまま、おなかに回されたアイちゃんの腕が私の腰を持ち上げて、自分自身を捻じ込んだ。 「んぐぁっ! ……あっ、あっ、あっ、あっ」 規則正しいリズムが刻まれて、打ち付けられるたびに吐く息が声になる。 それでもやめられない。アイちゃんがエースだったらどうしよう…… 後ろ向きのまま強引に抱き起こされて、繋がったままの身体が上下に揺れる。 前に回された両手で私の胸を包み込み、仰け反る首筋を、アイちゃんが後ろからそっと噛んだ。 これはアイちゃんじゃない。アイちゃんはこんな乱暴な抱き方をしない。 「んぅあっ…あぁっ…んっ、あっ、んっ、あっ……」 なのに身体が感じる。身体が覚えている。エースだ、私はエースに抱かれているんだ。 首筋をたどる唇が耳元へたどり着き、下から私を突き上げながらエースの声が囁いた。 「ベル、俺に隠しても無駄だ。何を考えてる」 「いっ、あっ、やっ…い、言わないっ!」 荒々しく身体を回転させられて、仰向けにベッドへ沈んだところで、彼が上から覆いかぶさってくる。 そして閉じた私の膝を開き、強引に自分の身体を割り込ませながら、熱く固い塊を私の中へ沈めた。 「んあっ! あっ、やっ!」 エースなら、私の腰を掴んで突き上げる。 でもアイちゃんなら、私の頬を両手で包み込み、優しくキスをしてくれるだろう。 私はどっちを望んでいる? キスだ。優しいキスが欲しい。 だけど心も身体も意地悪だ。アイちゃんじゃなく、エースの優しいキスを何よりも欲しがっているのだから…… 「僕に抱かれながら、誰のことを考えているの?」 私の髪に指を差し入れながら、アイちゃんがアイちゃんの声で囁いた。 なのに、アイちゃんの纏う空気がとても怖い。 だから何度も首を横に振って頑なに口を閉ざすと、アイちゃんが不意に起き上がり、どこよりも感じる場所を激しく突き上げ始めた。 「いやっ…ああっ…あああっ…あああっ!」 痛烈な刺激が身体を突きぬけて、もう何も考えられずに狂っていく。 ところが、今まで感じたことのない気配が辺りを包み込むから、高まる感情を堪えて目を開けた。 アイちゃんの身体から、白い湯気のようなものが噴き出して、それがどんどん細長い形に変わっていくのが見える。 そしてそれは、半透明の雲みたいにフワフワで、毛皮の襟巻きのようにフサフサな動物となった。 その正体を悟った私は、絶叫しながらその名を呼ぶ。 「ゼ、ゼロっ! んああああぁっ!」 ようやく気がついた。アイちゃんはエースだ。 坂東さんがバンバンであるように、アイちゃんはエースなんだ。 だって、アイちゃんの中にゼロが居るわけがない。ゼロが居るのは、エースの中だけだから…… 違う。本当は分かっていた。ただそれを認めるのが怖かっただけ。 アイちゃんとエースは別人なんだと、思い込もうとしただけなんだ…… なのに私はまた懲りることなく、アイちゃんに、エースに恋をした。 絶対に私を愛してなどくれない相手に、恋をしちゃったんだ―― |
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