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◇◆ Distance ◇◆
 ココア城は、まるで不思議の国のアリスみたいな、キッカリと刈り込まれた巨大な垣根の巨大な迷路で覆われている。
 ココア王はそんな庭園を、ほんの遊び心から造ったと言うけれど、きっとこれは日本の『堀』と同じで、敵の侵入を防ぐ防御施設なのだろう。
 それでもその庭園は、なにかこう、どこもかしこも乙女チックだから、やっぱり遊び心と言い切っちゃうのも嘘じゃない気がする。

 そんな庭園を部屋の窓から眺めているうちに、またまた妙な物体を見つけてしまった懲りない私。
 一瞬ゼロかと思ったけれど、ゼロはあそこまで細長くない。
 あんなにも優雅に、そして滑るように地面を這ったりするわけもない。
 そこであの物体がクジョーだと悟った私は、テーブルに置かれたカスタードトルテを手に、急いで庭園へ向かった。

 庭園に出た途端、正真正銘のゼロが私の後ろを漂い始めたところを見ると、エースは未だココア城に居るらしい。
 ゼロのことを少しでも考えれば、ゼロは昔から私の元へ飛んできたけれど、国内に居なければここまで早く飛んではこれまい……
「あ、ごめんねゼロ。ちょっと、ゼロとクジョーを間違えちゃってさ」
 頭をポリポリと掻きながら律儀に飛んできてくれたゼロへ謝ったものの、 ゼロは引き返すつもりがないらしい。
 雑巾のように自分で自分の体を捻り上げては、ブルブルンとその捻りを解いてニパニパと笑っている。

「ゼロってば、ゴムゴム人間みたいね」
 しつこいほどにその動作を繰り返すから、きっと凄く楽しいものなんだ。……と思う。
 だから何となく、ゼロの空気に合わせてそんな言葉を放ってみたけれど、何かが癇に障ったらしく、今度は執拗に二度見を繰り返し始めた。
 チラッと私を見ては前を向き、妙な間を置いてから、ひどく驚いたように私を見返す。
 そんな二度見を何度もされ続けるから、たまらずブスったれて文句を言った。
「ゼロしつこいよ。エースにそっくり!」
 一瞬、ゼロの瞳が赤く光った気がしたけれど、それはそれで見なかったことにしよう……

 さっきまで居た部屋の窓を下から確かめながら、クジョーを見かけた位置まで迷路の中を慎重に進む。
 いくらライトアップされているとはいえ、巨大な垣根の中まではその光が届かない。
「蝋燭くらい、持ってくればよかったよ……」
 相変わらず安易な自分を呪い、ブツブツと文句を言い放ったところで妙な感覚が辺りを包み込んだ。

「クジョー?」
 暗闇の中、鋭く光る一点に向って、咄嗟にその名を呼び上げた。
 ところがその瞬間、またもや襲い掛かる瀕死の鯉病。
 ガラスケースの中で眠る、ハープの姿を見た時と同じような苦しさだ。
 息が出来ない。空気が吸えない。
 それもそのはず。誰かが私の首を締め付けているのだから……

 ゼロがいつもの数十倍に膨れ上がり、牙を剥き出しながら、私の後ろに居る誰かへ威嚇する。
 けれど威嚇した相手を把握したゼロは、明らかに震えながら、今度は虫よりも小さな狐になった。
 そして私の目も、これでもかってなほど見開かれているのに霞んでいく。

 私の首筋に触れる手は、エースの細い指よりももっと細い。
 そんな細い指から逃れようともがき、その手に自分の手を重ね合わせたけれど、的確に脈打つ場所を押さえ続けるその指はひどく冷たく、そしてとても震えていた。
 もし今、私が声を出せるのならば、この人へ真っ先に聞いたはずだ。
 何がそんなに悲しいのかと……

 ところが急に、その力と気配が一気に消えた。
 堪えていた息を大きく吸い込みながらも膝から地面に崩れ落ち、そのまま本物の芝が私の頬を擽る。
 そうして地面へ這い蹲る私の視界に、見慣れた柄の大きな四本足が入ってきた。
「ル、ルーティ……」
 そしてそれと同時に、国王とアルが沢山の護衛を連れて迷路へ飛び込んでくるのが見えた。

 いつものような半透明加減ではなく、完全に実体化したルーティの姿。
 そんなルーティが、その場の人々から守るように地に倒れる私の周りを旋回する。
 武器を構えた護衛たちが、一斉にルーティへ武器の標準を合わすけれど
「やめい! 下がれ! この方は、ココアの守護神なるぞ!」
 国王が護衛にそう叫び、それを退けさせていた。

 ルーティが大きな口を器用に使い、グッタリと力の抜けた私を自分の背中へ乗せる。
 そして立ち去る間際に、その場で佇む人々へ悲しげに囁いた。
「神族の血を受け継ぐ者たちよ、何故そなたたちは、同じ惨劇を繰り返そうとするのだ……」

 その言葉を最後に、朦朧とした意識すら綺麗サッパリなくなった――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 深く長く、そして、愛しくて切ない夢を見続けていた……

 なぜか両耳が尖り、意外と軽そうな竜のウロコの鎧を着たエースが、優しい笑みを浮かべて私の頬を撫でる。
 そして名残惜しみながらも龍に姿を変えたエースは、消えかけた虹のレールを滑るように昇り、空の彼方へ虹と共に消えていく。
 今別れたばかりなのに、もう彼を恋しく想う私は、エースに見つめられたくて、エースに触れて欲しくて、空を見上げ、虹が掛かることを祈り続けた。

 そんな時、ハープが私の前に現れて、とても小さく震えながら、助けてくれと私につぶやいた。
 どうしても魔界を訪れなければならないのに、一人では心細くてたまらないのだと言う。
 だから私は、私が一緒に魔界へ行くとハープに告げた。
 ハープは複雑な表情で溜息をつき、何度も何度も深呼吸をした後、ようやくそっと微笑んだ。

 ところが、魔界に率先して足を踏み入れたものの、振り返るとハープの姿はどこにもない。
 それどころか、閉じられていく二つの世界を繋ぐ門の向こうに、泣き崩れるハープの姿があった。
 私がハープの名を叫ぶと、ハープは慌てて立ち上がり、私へ向ってその細く白い腕を伸ばしかけたけれど、そんなハープを、苦しく歪んだ面持ちのグランドが引き止めた。
 髪を振り乱したハープが、グランドへ何かを叫んでいたけれど、そこで無情にも門は閉ざされる。

 こうして魔界へ閉じ込められた私は、魔族の使いによって物々しい宮殿へと連れ去られ、そこで魔族の長と対面する。
 魔界に君臨する魔族の長は、バンバンが老けたような面持ちの男性で、その脇には、真っ白な美しい蛇がトグロを巻いて様子を窺っていた。
 バンバンは私の姿を見届けると、ハープと同じように、とても悲しそうに微笑んだ。
 そして今にも泣きそうな顔で私の頬を一撫でした後、重々しく長い呪文を唱え始めた。

 私の身体はその呪文と同時に固まって、ビクとも動かない。
 そんな私の口に、突如現れた畏敬の魔が何かを注ぎ込む。
 無理やり飲まされた液体は、とても苦く、とても強烈な異臭を放っていた。
 けれどその感覚は一瞬にして消え、それと同時に燃えるような身体の熱さに包まれた。

 鷲の頭と翼に獅子の下半身、そして腕はガサガサな樹木……
 そんな化け物と化した私は、鍾乳洞の水面に揺らめく自分の姿に愕然とした。
 けれど嘆き悲しむ私の元へ、先ほどの白蛇がスルスルと現れて、化け物になった私の身体に巻きつき始めた。
 そして有無を言わさず私の嘴を開かせて、自ら私の身体に飲み込まれていった。

 白蛇と同体化してはじめて、その白蛇がビオラであったことを悟り、なぜ白蛇の姿などしているのだと聞いたけれど、ビオラはその問いに答えてはくれなかった。
 逆にビオラは、これから龍族と神族の戦いが始まると私に告げた。
 なぜそんな沢山の血が流れるようなことが、始まらなければならないのかと取り乱した私が叫ぶ。
 そこで何かに想いを馳せたビオラは、溜息をそっと吐いた後、静かに囁いた。
 この戦いのきっかけを作ったのは私で、この戦いを終わらせることができるのも私だと……

 ビオラの案内で、何とか魔界から脱出することができたけれど、出た先の光景は、魔界よりも地獄と化していた。
 あれほど美しかったバールが、焼け野原と倒れる民で埋め尽くされている。
 そしてその戦いの中心に居たのは、他でもないエースだった。

 自分の醜い姿など忘れて、慌ててエースの元へと走り寄る。
 けれどそこに、ビオラと瓜二つな女性が進み出て、私を指差しながら何かをエースに告げる。
 食い入るようにその女性を見つめていたグランドは、それを聞くと凄まじい剣幕さで叫びながら、手にしていた剣でその女性を貫いた。
 するとその女性は、みるみるうちに本来の姿である異形の魔へ戻り、そのまま砂のように崩れ消えた。

 グランドが声を張り上げ、エースに何かを懸命に伝えていた。
 けれど怒り狂ったエースは巨大な龍の姿になり、グランドの話に耳を傾けることなく、私に向って一直線に飛んでくる。
 そして躊躇うことなく、鋭く尖った爪で、力任せに私の喉を切り裂いた――

 ビオラそっくりな魔物の如く、エースの一撃で、私の呪縛も溶け始めた。
 だからきっと私も、本来の姿に戻れた暁には、砂のように消えるのだろう。
 エースが龍から人の成りへと戻り、血に塗れた自分の指先を、呆然としながら見つめていた。
 そこでようやく本来の姿に戻ることのできた私は、エースに向けて本物の腕を伸ばす。

 私の喉から零れ出る、温かな紅い液体を両手ですくいながら、エースの絶叫が幾重にもこだまする。
 だから私は最後の力を振り絞り、愛して止まない人の頬を微笑みながら撫でた。
 エースの涙が私の身体に降り注がれ、私の紅い液体と混ざる。
 するとそこから、鷲、獅子、大樹、そして白蛇が生まれた。

 私の身体がサラサラと音を立て始め、エースの指の間を零れ落ちていく。
 エースの絶叫と涙、そして頬の温かさを受けながら、私は永遠の眠りについた――

 けれど私は目覚めた。
 冷たい氷の台座に横たわる私の手を、両手で包み込みながら祈るアルの姿が、ぼんやりと目に映る。
 私が目覚めたことに気がついたアルは、安堵の溜息を吐くと、そこら一帯の壁に刻まれた文字の前に歩み出る。

 そして、ゆっくりと振り返りながら、静かに語りだした――
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photo by ©戦場に猫