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◇◆ The final story  2 ◇◆
◆ 過去の記憶

 新月が呼んでくれたタクシーに乗り込み、行き先を告げた後
私の心は、過去の世界へと走り出していた。

 私には寛兄が全てだった……
陽気で、感情表現の豊かな国。
そんな国で生まれ育ったくせに、内気で感情表現の乏しい私。
おはようの挨拶もまともに言えず、ありがとう、ごめんなさい
そして、『助けて』 それすら口にすることが出来なかった。
だから周りの人は皆、怪訝な顔で私を見下ろし
パパもママも、そんな私に呆れていた……
 要領の良い新月に比べ、私は何ひとつ満足に出来なかった。
そんな俯いてばかりいる私を、罵りながらも手を差し伸べてくれる人がいた。
 ママに連れられて、何度も遊びに行った近所の家。
そこに住んでいた綺麗な女の人と、グレーの瞳の男の子。
ずり下がる眼鏡を持ち上げるのが癖で、すぐ怒る男の子。
けれど意地悪な言葉とは裏腹に、やることは優しさが詰まっていた。
そして私が唇を噛み締めると、どこからか現れ、必ず助けてくれたんだ……

 真っ黒な洋服を着て、ママと向かった教会で
あの近所の家に住む、綺麗な女の人が手を組んで眠っていた。
周りをたくさんの花で囲まれながら、静かに眠るその人を見て
みんなが涙をこぼしていた……
みんながみんなで泣いているから、なんだかとても悲しい気持ちになって
1人庭へと出てみると、いつも私を助けてくれる男の子が
木の陰に隠れて泣いていた。
いつもの様に怒られたけれど、私が言った最後の言葉に押し黙って
その男の子が私の言葉を繰り返した。

「Sono sempre accanto a te.」

私は、うんうんと頷きながら、その男の子の頭をなでた――

 それからは、いつも一緒に過ごした。
新月はその男の子を、『寛兄』 と呼んでいたけれど
その男の子が教えてくれたんだ。
「僕のもうひとつの名前は 『寛ぐ』 って言うんだよ」
だから私は、その男の子を 『rilassa』 と呼んだ。
 本当にとても寛げる人だった。
誰よりも、誰よりも大切な人だった……

 けれどある日突然、そんな幸せなときが終わりを告げた。
「僕は、日本という国に行くことになったんだ……」
よく意味がわからなかった。
だけど、もう会えないと言われて初めて、凄く怖くなった。
「満月はどうしたらいいの? いやだ! 絶対に行かないで!」
しがみつき、泣きじゃくる私の頭をなでてから
お母さんの形見だと言っていた、大切なペンダントを首から外し
私の首にかけ直すと
「君が18歳の誕生日に、これを持って僕を探して……」
そう言って、泣きながら手を振り去って行った。

「Rilassa!」

 何度も何度も叫んだけれど、振り返ることなく
いつもの様に、どこからともなく現れてくれることもなく
完全に私の前から姿を消してしまった……
 代わりに現れたのは、私より少し大きい男の子で
すごく怖い顔をして、すごく大きな声で怒鳴りながら
私の胸のロケットを掴み、勢いよくひっぱって
かけてもらったばかりのペンダントを私の首から取り上げた。
返してくれと泣きながらその男の子に頼むけれど
突き飛ばされて転び、立ち上がったときにはもうその男の子は消えていた――


 寛兄を見つけたのは、月の紅茶を飲んだ後だった……
日本という国に旅立った寛兄を見送って、来る日も来る日も
私に会いに来てくれることを願ってやまなかった。
 その日も、寛兄とよく遊んだ大きな木の根元に座り込み
大好きだった絵本を広げて、ウトウトとまどろんでいると
寛兄が現れたときとそっくりな影が芝生の上に映し出されるから
「Rilassa!」
そう叫びながら振り返ったけれど、昔の様にそこに寛兄は立っていなくて
夢だったのかと、大きな溜息をついたとき
「寛弥? 寛弥なの?」
そう喜び叫ぶ声が、私の元まで聞こえてきた。
 慌てて立ち上がり、声のした方へと走り出す。
一瞬だけ、寛兄だと確信できる背中を見たのだけれど
その背中は細い路地の奥に消えてしまい、それからは二度と見つけることが出来なかった。

 気づけば、幼いころ新月に誘われて迷い込んだヴィラの前にたどり着いていて
今はもう、綺麗に塞がれている垣根を眺めて泣きそうになる。
どこへ行っても、寛兄との思い出がたくさん詰まった街。
けれど、寛兄だけがいない街……
お別れの日、寛兄はこう言ったんだ。
「これを持って俺を探して……」
なのにその大事なロケットを、私は失くしてしまった。
どこかの男の子が、とても怒りながら持っていってしまったロケット。
だから寛兄が私だと解らずに行ってしまったんだ。
絵本のしみを指でなぞりながら、トボトボと歩き出した 8歳の夏――


 ママのパパ、つまり私のお祖父ちゃんが亡くなった。
日本で行われる葬儀に出席するために、家族で日本を訪れた。
もしかしたら寛兄に逢えるかも知れない。そんな淡い期待を込めて訪れた日本。
 今後の身の振り方をどうするかといった、私たちには解らない難しい話を
一日中繰り広げ続ける親戚との会議を抜け出して
新月と一緒に訪れた、初めての日本と、初めての町並み。
 新月が握り締めていた 『東京・世田谷』 という日本の住所が書かれた紙。
イタリア語を話せる人など見当たらず、英語で話しかけても戸惑われ
ママの使っている日本語を思い出し、懸命に日本語で行く人行く人に話しかける。
『東京・世田谷』 という文字が、意外にもこの近くだということがようやく解り
興味本位で振り返る人の中、イタリア語で騒ぎながら練り歩く。
 世田谷という場所に着くと、それからは「ブライ」と尋ねまわる新月。
何を意味する言葉なのかがわからず、戸惑いながらもそんな新月を追いかけた。
その言葉は、日本でも特別な響きのある言葉だったらしく
これまた意外にもすんなりと、場所が特定された。
 たどり着いたのは、大きな日本家屋のお屋敷だった。
表札に書かれた漢字が読めず、誰の家なのかも解らないまま新月のあとに続けば
突然 大きな白木の門が開かれて、中からゆっくりと銀色の車がでてきた。
新月の影に隠れて車の中を覗けば、記憶にある寛兄とそっくりな横顔の男性が
ハンドルを握りながら笑っていて
その隣には、目を見張る様な綺麗な日本女性が座っていて
ハンドルを握る男性の、左薬指に輝く銀色の指輪だけが目に焼きついた……

 開いたままの門の中を覗き込んでいた新月が、突然鋭く息を飲む。
「マツキちゃん!」
門の中から、そう叫ぶ女の人の声がして、足音が近づいてくる。
『マツキ』 と呼んだわりに、その人は私ではなく新月を見ている様で
その人に見覚えのない私は、聞き間違えたのだと納得し
いつもの様に新月の後ろに隠れたけれど
そんな私に気が付いて、少しだけ時を止めた後、ゆっくりと何かを唱え始めた。

「あなたの胸に、揺れるものが全てを知っている……」

 その人が私に向かってそう言った時、心の中に雷が落ちた。
すぐにそれが、寛兄からもらったペンダントのことだと解ったから。
そしてその大事なペンダントを失くしてしまった私。
 『会いにくる』 という言葉が、『迎えに来る』 に発展していた。
こんなにも恋焦がれ、待ち続けた寛兄は、もう2度と私のことなど迎えにきてくれない……

 その夜、肌身離さず持ち歩いていた花柄のノートを取り出して
8歳の頃に書き記した、『運命の人と出逢う方法』 を泣きながら読み返す。
そしてその下に、今の自分の気持ちを書き綴った。


ずっとずっと、私はヒロ兄が好きでした。
いつ私をむかえにきてくれるの?
そう思いながら、その日を待ちわびていました。
でも、私はヒロ兄との約束を守れなかった。
大事なペンダントを失くしてしまったから……
そんな大切な約束をやぶった私のところへなど
ヒロ兄は2度と会いにきてはくれないでしょう……
だからここに全ての気持ちを書き込んで
この気持ちにカギをかけようと思います……

でも、夢だけは見させてください。
楽しかったころの夢。
Sono sempre accanto a te.
せめて夢の中だけでも……



「お嬢さん? 第1ターミナルの方でよかったんですよね?」
 タクシーの運転手さんの声で我に返った。
ルームミラーに映る運転手さんの顔が、驚きで見開かれている。
過去を思い出し、泣いていたことに気が付き
今は泣いている場合じゃないと、コートの袖で涙を拭いて
力強く頷きながら運転手さんに言った。

「そうです! 第1ターミナルです!」
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photo by © Lovepop