schole〜スコレー〜
2,
諦めきれず、僕は諸星さんを尾行してみた。
結果、自宅が判明。平凡な一軒家だった。なかなか裕福な家庭に彼女は生まれたようである。正義の使者などでは
ないと判明した今、どうして彼女がああまでグレてしまったのかは疑問に思う限りだ。
さて、自宅がわかれば、こっちのもの。
朝、彼女が家を出る瞬間に待ち伏せるのである。そのまま一日中彼女に付きまとい、拝み倒せば、ゆくゆくは彼女も
僕を召し使えてくれるだろう。ちょろいね。
思い立ったが吉日。現在、諸星宅前。
ふぅ、冬の朝は寒いな。これも諸星さんから課せられた刑罰かと考えれば、すごく心震えるけど。
腕時計を見ると、すでに九時。彼女の通う高校では一限目も始まっているだろう。三時間前からここで待っているのだ
けど、彼女はいまだ現れない。
今日は外出の予定がないのだろうか。もう一時間待って現れなければ、今日のところは諦めて他の場所へ移ろう。僕
がここに来るよりも前に、駅前の方へ行ってしまったという可能性も残っている。
「…………お前、何してんの」
噂をすれば、影!
声の主は間違いなく諸星さんだ。振り返りそれを確認、僕は彼女の言葉への返答を口にした。
「貴女を待っていたのです諸星さん。僕を奴隷にして下さい」
口を大きく開き、諸星さんは顔に右手をやる。
「あのさー、山田ー。ストーカーだぞこれ。それに学校はどうしたんだよ。お前は中学生じゃないの? それともその背
丈で高校生?」
「中学生です僕。今日は当然ブッチですよ。でも聞くところによると、諸星さんもサボりがちのようじゃないですか。人の
事言えませんよ。あ、すいません。もしかして『諸星さん』って呼び方が気に入らないとか、じゃあ『諸星様』に変えた方 が……もしくは『狼子様』ですか」
「あー、うっるさいな。じゃあ、今日は私も真面目に高校に行くから。お前も中学に行くんだぞ。それで良いな」
「え。良くないです」
「おいそれはどういう道理だよ!」
声を荒げる諸星さん。どうせならもっと汚い言葉で僕をなじって欲しい。
「うーん……だって諸星さん。もう高校では授業始まってますよ。今更行かれても真面目だとはとてもとても」
右手を小さく横に振る。
頭が痛い、と諸星さんは呟き、僕に背を向けた。
「あ、ちょっとちょっと、どこ行くんですか!」
「駅前だよ。今日も不良いじめに興じなきゃならないから」
「んー! んー! んー!」
顔を指さし主張する僕を無視し、諸星さんはさらに歩を進める。
どうやら一筋縄にはいかなさそうだ。
けれど、彼女が折れてくれるまで僕は諦めない。何日間でも地獄の果てまでもつきまとってやる。
十字町は、十字駅前を中心として円状に発展する都市である。
円状といっても、十字駅より北は全て海になっているため、半円状に発展する、と言ってしまった方が正しいのかもし
れない。
町の名の元となった十字川を境に、北と南、二つに分断されており、駅はその北側の地区に位置している。結果、川
の北側と南側とでは、雰囲気ががらりと変わっており、北は商業都市、南は田園地帯といった様子だ。
僕の中学はそんな田園地帯のド真ん中に、諸星さんの高校は駅から徒歩十分の所に立地している。僕と諸星さんそ
れぞれの自宅も位置関係はほぼ同じ。大きな社会格差を感じてならない。
ビルの建ち並ぶ十字駅前は、僕の通う中学とは比べ物にならない程のスケールだ。中学では、川向こうに行った事
のある奴だけが真の十字町民、それ以外はただのゴミとまで言われている。
諸星さんは、そんな川向こうの人気者だった。一緒に町を歩くとそれを実感する。
若者は皆、彼女を目にすると決まって声を上げ、携帯電話を取り出し、その姿を撮影する。『十字町の救世主』に関
する噂を知らない大人も、ひとたび彼女を見てしまうと気になって仕方のない様子だ。特徴的な白髪や赤ジャージを抜 きにしても、整った顔立ちを持つ彼女である。目立つのも無理はない。
しかし、当の本人は写真を撮られるのが嫌なようで、右手で顔を隠している。
「諸星さん。そんなに嫌がらなくても。みんな諸星さんの事が好きなんですよ」
「ち。好きかどうかなんてわかったもんじゃねー。噂の大元が見れたから、記念に撮っとこうってだけだろ。大体、私は
写真が嫌いなんだよ。肖像権って言葉知らないのか山田」
「一応、知ってますけど。だったらその目立つ髪の色とか服装とか、変えれば良いんじゃないですか」
「私は私だ。他人に影響されて変わったりなんかしないさ。あー、たく。お前ももう付いてくるなよ」
「え、嫌ですよ」
諸星さんは不満そうな表情を浮かべると、交差点を右に曲がった。あちらは確か例の裏路地へと繋がっているはず。
どうやら彼女は人通りを避けて歩きたいらしい。
僕も後に続き、裏路地へと入る。
そこでは、昨日会ったばかりの不良娘三人組が、今日もまた同じ場所で煙草をすぱすぱと吹かせていた。
ただ、昨日と違うのは、さらに不良男子が二人追加されている事。
「おっやおやー。懲りもせずに今日も来てんのかー。いやー、未成年の癖に煙草ふかしてるような奴らはこの私が制裁
を加えてやんなきゃだよなー」
僕と話をする時とは打って変わって、諸星さんはとても楽しそうな口調だ。成る程、確かにドSなんだろう。僕が誰かに
殴ってもらってる時と同じ顔をしている。
「はははババア。そっちこそ、昨日とおんなじようになると思うなよ。おら、今日はこいつらがいるんだ。五対一ならさす
がのてめえでも勝てるはずがねえだろ」
「余裕的な? ボコボコじゃね」
「まぁ、死んどけ、大人しく死んどけ」
彼女らの言葉に呼応するように、不良男子二人は煙草を地面に投げ捨て、口元に笑みを浮かべた。なんかこの人
達、三人娘の召還獣みたいだ。もしくはペット。
「はいポイ捨てポイ捨て。いーけないんだ。罪状に追加だぞクズ共」
挑発する諸星さんは実に楽しそうだ。
しかし、その言葉に逆上した召還獣たちが、拳を握りしめこちらへ駆けてきた。
諸星さんも同じく拳を握りしめ、大きく振りかぶる。
不良男子Aが諸星さんまで残り1メートルという距離まで近づいた時、だん、と彼女は地面を右足で踏みしめ、拳を突
き出した。
「おら吹っ飛べー!!」
拳は不良男子Aの顔面に直撃し、その哀れな体躯は棒きれのように転がっていく。
不良男子Aの体はBの右足に当たり、Bもまたその場に転倒した。
諸星さんはBの背中を蹴飛ばすと、二人の体を並列に並べ、その上に直立した。片足ずつ二人の体に乗せている。
勝利の証のつもりだろう。僕とあの不良男子の立場を入れ替えて欲しい。
「そっちの三人、早くかかってこいよ」
諸星さんがそう挑発するが、彼女らはその場に留まったまま、硬直状態が続く。そりゃそうだ。目の前で自分の召還
獣がボコボコにされれば、尻込みもする。
やがて、うぅ、と、諸星さんの足下から呻き声が聞こえてきた。不良男子A&Bが復活したらしい。
「お。いーね。男はこれだから好きだ。根性がある。何度だって相手するよ私は」
Aの方が諸星さんの足を掴もうと左手をそり上げるが、彼女が直前で体の上から飛び降りたため、空振りに終わる。
体が解放されたA&Bはよろよろと立ち上がり、こちらを強く睨んだ。
「あぁ最高だ。最高だよ。なあ山田。あの顔を今から苦痛に歪ませられるかと思うと心高鳴るよなぁ?」
「え、いやぁどうでしょう。僕、Mなのでわかりません」
「駄目だなMは」
そう言葉を紡ぎ、襲い来る不良男子をボコボコと殴り飛ばす。
「ひゃっはっはー!」
懲りずに二人はこちらへと向かってくるが、その度に諸星さんの手によって弾き返される。いい加減諦めたらどうなの
だろう。
諸星さんも、どうせ殴るのなら殴られたくない人より殴られたい人を殴るべきだと思う。隣に僕がいるんだしさ。
あ。Bの方、ちょっと涙ぐんでる。
「あーらあら。泣いちゃったなー。かわいそーによーちよちプラチナ狼子パンチ!」
涙ぐんだその顔を諸星さんの拳が貫く。この上なく気持ちよさそうだ。
しかし、さすがにBの体も限界を迎えたようで、その場に倒れて動かなくなってしまった。
それを目にし、不良男子A、それに三人娘は慌てて後ずさる。
「ぐ、て、てめえ…………覚えてやがれ白髪ババア!」
漫画のような捨て台詞を残し、四人は路地の奥へと消えていった。後に残されるは不良男子B。せめてこれは拾って
いったらどうなのだろう。
「あぁあああーすっきりした! よし、警官が来る前にずらかるぞ山田」
「まるっきり悪役の台詞ですね」
「そりゃそうだ。喧嘩してたわけだしさ。私は正義の味方じゃないんだから」
「うーん、そうですか? 諸星さん、割と正義の味方してると思うんですけど」
今日はただの喫煙を止めただけだから例外として、普段はいじめられてる学生とか助けてるらしいし。
僕の言葉に、諸星さんはため息をつく。
「あのなー山田。よく聞け。昨日も言っただろ? 私は、ただ、自分の快楽のために殴り飛ばしてるだけなの。外からど
れだけ正義の味方に見えたとしても、それはただの偽善だから。ただのドSなの私」
「いや、偽善って言いますけど、偽善も善の内でしょう。心の中でどう思ってようと、別に大して変わらないんじゃないで
すか」
「う、お、そうなのか。面白い事言うな山田は」
「まぁでも、危険は冒さないに越した事はないですからね。不良なんかよりも僕を殴って下さいよ僕を」
諸星さんは僕の言葉を聞くと、顔を伏せた。
白髪を振るわせている。
「こんのくそドM野郎…………ぜったい殴ってやんねー」
そうして彼女は髪を振り乱し、身を翻すと足早にすたすたと歩き出した。
うーん、これだけ断られるという事は、どうやらストレートに頼むのは駄目らしい。外堀からちょっとずつ攻めていくしか
ないか。
ま、長い闘いになるだろうな。うふふ。それこそ、持久戦はドMにとって望む所だ。快感以外の何物でもない。
ドSの諸星さんにとって持久戦は苦手分野なはず。この勝負、負けるはずがない。
私、諸星狼子はドSだ。
だから人を殴る。
目的は自分の快楽だけ。人からどれだけ褒められたって持ち上げられたって私はただのドSでしかない。
正義なんて言われて舞い上がってるわけじゃない。
だからって、見せかけだけの正義に釣られた連中を滑稽に思ったりもしてない。
ただただ。
私は、心が痛む。
だってそうだろ。助けるつもりなんかさらさらなかったのにいじめられてた奴らからは礼を言われ、その面をぶん殴り
たいとさえ思っちまってるんだ私は。
どこが正義だよ。悪だよ悪。悪だよこれ。
行為は正義かもしれないが、内情まで照らし合わせるとただの悪だ。
そんで、根っからの悪ではないらしい私は、そんな自分に心が痛む。
全く。
私は快楽を満たしたいだけだってのに。
この山田とかいうチビを殴ったところでそれは叶わない。
だから私は結局、悪の象徴である不良を殴るしかないんだ。
そこらへん歩いてる奴殴るような図太い心持ってもいないし、大体、そんな事をすれば交番へ連れていかれちまう。
親孝行をするつもりはないが、せめて高校ぐらいは卒業しときたい。
こんな性癖持ってると、まともに社会人やれる気もしないしな。
これまでの人生もそれなりに下手くそだったし。
子供の頃は、身近な友達を殴りつけちまった事もある。当然、段々と友達は減っていった。不良を殴るのが一番だと
気付いたのは中学に入ってからだった。転機は転機。友達がいないのは変わらなかったが、周りの評判は『よくわから ない不良娘』から『十字町の救世主』へと逆転した。
元々、小学生時代に空手で鍛えていたのもあったが、あれから数年、随分と喧嘩も強くなっちまった。
――――――ついでに、欲望も加速したけど。
最悪の成長を遂げたってわけだ。
心の痛みも、強まっていく。
つまり。
「あのなー山田。よく聞け。昨日も言っただろ? 私は、ただ、自分の快楽のために殴り飛ばしてるだけなの。外からど
れだけ正義の味方に見えたとしても、それはただの偽善だから。ただのドSなの私」
こう言うのには、それなりの理由があるんだよ山田。
お前を追い払うために思いつきで喋ってるわけじゃない。
「いや、偽善って言いますけど、偽善も善の内でしょう。心の中でどう思ってようと、別に大して変わらないんじゃないで
すか」
だが。
山田の野郎はそんな言葉を口にした。
偽善も善の内って。ふざけた事を言うなよ山田。私の性癖わかってる癖に。
――――でもなんか、おかしい。どくんと心臓が揺れた。
どういう事だ。顔の方へと血が上ってくるのを感じる。
ひとまず、山田に背を向け咄嗟に顔を隠した。
うわー、なんだこれ。感動? 感動してるのかこれ。
悔しい。
山田が適当に言った台詞なんかに。どう考えても真剣な気持ちで言った言葉じゃないってのに。
そういえばこいつ、ドMのくせして、悩みなんて全くなさそうな顔してるよな。私とは真逆だが、すごく似た存在のはずな
のに。
あぁもう。
でも私は、そんな奴の言葉にこそ影響されちまう。のかも。
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