schole〜スコレー〜
4,
私は銀島を問い詰め――――中略――――銀島は私の友人となった。
頭が混乱したままの私に、山田との関係について色々と指南してくれると約束したのだ。
聞けば、こいつはまだ十五才だという。私よりも年下だ。そんな奴に教えを請うとは私も落ちたもんだ、とふと思いはし
たが、よくよく考えてみれば、それもこれも全て山田のせいだ。ひとまずはあの野郎を呪う事で矜持を保っておこう。
ついさっきの私に対する暴力も今は目を瞑ろうじゃねーか。
というわけで、今までの山田とのやり取りについて、私は銀島に洗いざらい話した。
ドSとドM。そんな性癖も含めて、だ。
「諸星狼子…………あんたさ、ひとまずは山田んとこ行って話を聞いてみた方が良いんじゃないかい? あたしから言
うのも何だけどね、確かに山田の主張も一理あるよ」
あらかた私が話し終えると、銀島はそう切り出した。
「私が間違ってるってのか」
「そういうんじゃないんだけどね。ま、聞いた限りじゃお互いそれぞれが正しいわけだからさ、どっちの主張を優先させる
のかはあんたらが話し合って決めなって事」
お互い正しい?
「そりゃどういう意味だ」
「そのままの意味さ。考えすぎる事はないよ。言ってしまえば、あんたらのそれはただの痴話喧嘩みたいなもんだから
ね。話し合いで解決できる領域さ」
どうも、はぐらかされてるような気がする。
「お前の話わかりにくいな。分かり易く喋ったらどうなんだよ。つまりどういう事」
「ふん。まぁ、これ以上言うのは野暮ってもんだね。あたしらはそろそろ失礼するとするよ。もう日付も変わる頃合いだし
ね」
話がかみ合わない。こいつはそういう性格なんだとして納得しておくしかないか。
そういえば、山田とラーメンを食いに行く途中だったな。随分と腹も減った。
――――いろいろあって、肉体的にも精神的にも疲れたな。
「銀島ぁ」
「ん? なんだい?」
仲間と共にこの場を去ろうとした銀島の背中へ向け、そう呼びかける。
「あのさ、私ちょっとお腹が減ったし。どうせだから、これからラーメン食べに行くとかどう?」
誰かと友人関係になるなんて、久しぶりだ。飯の誘い方が不自然になるのも仕方ないだろう。
というか、こいつは私の友達だって認識で良いんだよな? さっきこいつからそんな事を言い出してたような気がする
し。合ってるよな?
私の顔をしばし眺め、銀島は続けて言葉を放った。
「あぁ、良いね。ちょうどあたしも腹の虫が鳴いてた頃だ」
…………あぁ、杞憂だったみたいだな。じゃ、ひとまず、ラーメン屋でこいつを巻き込んで作戦会議といくか。
翌日。
いざ山田との決戦へ臨もうと強く意気込んだものの、そういえば私は山田について何も知らなかったのだと改めて思
い知らされた。すなわち、私は奴との連絡方法を何一つ持っていない。
唯一、山田の通う学校の名だけは知らされていたので、微かな望みを賭けてその中学へと向かった。
校門をくぐった途端――――――いや、その前からも登校中の生徒から、『十字町の救世主』が川向こうからやって
来た、と声に出して騒がれた。
その中の一人に山田について質問をすると、便利なもんがあったもんだ、情報屋なる男子生徒がこの中学にはいる
のだと聞かされた。そいつの元へ行き再度問いかけると、多少の出費はあったが、山田の個人情報はすぐさま手に入 った。
学年、所属クラス、成績、果ては電話番号から住所まで。犯罪ではないのかと思うが、それを言うなら、利用する私も
共犯だ。
今日も登校してきているようなので、クラスまで押しかけるのも手っちゃ手だが、ただでさえ目立っちまってるんだ、こ
れ以上騒ぎを大きくするのは良くない。教師に目を付けられても困る。
山田が帰宅するのを待って、自宅で待ち伏せるとしよう。
日が暮れ始めた。
山田の帰りを待つ数時間、あまり皺が多いとも言えない私の脳みそをフルに使って考えてみた。
私は、山田を殴れない。
ドMを殴るのがつまらないからじゃない、単純に、ただただ殴るのが嫌なんだ。それが何を意味するのか――――銀
島は愛だとかふざけた事を抜かしてたが――――今の私にはわからない。
だが。
あの変態野郎の機嫌を直すには殴るしか方法がないような気も、私はしてる。これまで私に付き従うだけだった野郎
が、あそこまで冷たい口をきいたんだ、生半可な事ではよしとしないだろう。
じゃあどうする。
銀島は話し合う事が重要だと言った。
…………今は、奴を信じて山田へ告げる台詞の内容を考えるしかないのかもな。
ぐるぐると思考はループし続け、あっという間に中学の下校時刻となった。
柄にもなく、心臓が締め付けられる。体が硬直する。緊張してるんだな。信じられない。まるで自分が自分じゃない別
の人間にでもなったようだ。
ふと、私は何であの野郎のご機嫌取りなんかする必要があるんだ、と思い当たった。
元々、あいつは勝手に私に付いてきてただけだ。それがいなくなっただけ。元の状態に戻っただけだろ。私はあいつ
を疎ましく思ってたはずじゃないのか。
――――愛だの何だの、そんな感情で説明付けるつもりはないが、少なくとも私は、あの野郎に感謝しちまってるの
かもな。あんなくだらない台詞一つで、私は感動しちまったんだから。
頬が熱くなるのを感じる。
あぁくだらねー。
そして、山田八乃助は、唐突に私の視界に現れた。
久方ぶりに、まともに中学へ行ったような気がする。
諸星さんと会わない日でも、登校が昼からだったりと怠惰な生活を送っていたから。
母親は目元に涙を浮かべていた。僕が不良になったと勘違いしてたみたいだ。そんな事はないのに。
川向こうと違ってごくごく平和な我が中学はやはり今日も何も変わりなく、平凡な日常そのものだった。つい昨日まで
ほとんどの時間を諸星狼子と過ごしていた僕には、それが新鮮に感じる。
登校時刻から下校時刻まで、きっちりと教師の話に耳を傾け授業を受け終えると、僕は鞄を手に校門を出た。
無気力に帰路を行き、自宅へと辿り着くと、その前に見知った人影があった。
諸星狼子。
すでに幻滅をした彼女ではあるが、やはり圧倒的な存在感である。彼女の姿は、到底、住宅街とは釣り合わない。
僕を待ち構えていたのは百も承知。とはいっても、僕から彼女へ言う事は何一つないので、黙ってその横を通り過ぎ
ようとする。が、
「お、おい山田。ちょっと待て」
諸星さんは僕の肩に手を置いた。
「何ですか。僕にご用ですか」
「お前に話がある。聞いてけよ」
今更だ。すでに僕と諸星さんはわかり合えないのだという結論に至ってる。話をする意味なんてない。
「私と会話するのが嫌だってんなら、聞いてるだけで良い。お前は喋らず、黙って私の話に付き合ってろ」
「乱暴ですね」
「悪いかよ」
「いえ。嫌いじゃないですよ。なにしろ僕はドMなので」
でも、だからって諸星さんを肯定するわけじゃない。彼女のした事はドMへの侮辱だ。そうそう許せるはずがないだろ
う。
「は。なら構わないよな。こんな私は滅多に見れねーぜ。一言たりとも聞き逃さないよう、耳掃除してしっかり聞いてろ
よ」
「…………まぁ、本当に聞くだけですけどね」
ドSでくだらない諸星狼子は、そうしてくだらない話を切り出した。
ごねる山田をどうにかその場に引き留める事には成功した。
第一ステップはクリアだ。
次に、私がきちんと本音を伝えられるかどうか。
私自身、私を理解しきれていないのに、できるはずがないだろ。と思う。
楽天家の銀島乱子は「大丈夫、大丈夫」と笑っていたが、大丈夫なわけがあるか。
ともかく。
すぅ、と息を吸い込み、何とか一言目を私は口にする。
「山田。まず、昨日は、悪かった。あれは、どう考えても私は反撃すべきだった。あの時のお前の言う通り、それがお互
いのためだった」
『聞いているだけ』と前置きした事もあって、山田は無言でこちらに冷たい視線を送っている。まるで、つまらない物を
見るかのような目だ。
それに負けて、私は続けてこう言ってしまう。
「…………でも、山田も少しは大目に見てくれても良いだろ、と思うんだけどな。一般的に考えれば私の行動が正解な
わけなんだからさ」
「黙って聞いているだけと言いましたが、それには口を挟まずにはいられませんね。諸星さん。一般的な視点などをどう
して気にするんです。僕はドM。あなたはドS。特殊な性癖を持つ、同じ穴のムジナでしょう。一般的な常識と我々の常 識とが違うのは当然じゃないですか」
「そりゃそうだが」
「言いたい事は以上です。さっさと話を続けて下さい」
――――数日前と立場が逆転しちまってるな。
いや、というか、こいつ本当にMなのか? 実はSだったりするんじゃないのか? ここまで執拗に私を責めるなんて。
吐き出したくなる感情をぐっと堪える。
衝動に身を任せたら負けだ。落ち着け。
「でもな山田。私が抵抗しなかったのは、何もお前を不快にさせたかったからじゃない。私なりに理由があっての事だ」
「理由? なんですか理由って」
言葉に詰まる。
さすがに、これを口にするには尋常ではない勇気がいる。
――――散々、不良相手に暴れてきた私が、中学生との会話すらまともにできないなんて、数日前の私じゃ信じられ
ないだろうな。
両頬を叩き、気合いを入れる。
よし。
「つまり、だな、私が、お前が殴られる姿を見たくなかったからだ」
…………言った。
言ったぞ。これで山田も少しは折れてくれるだろう。
山田の表情を確認する。
しかしその顔に塗られていた感情は。
「はぁ……よくわかりませんが、だから何ですか?」
私の言葉に一切の興味を持っていなかった。
「諸星さん。基本的に僕は自分勝手な人が好きです。ドMとしては、それらの人物に振り回されるだけで快感を得られ
るからです。でも、その快感の邪魔をするような私欲は大嫌いです。消えてしまえば良い」
刺々しい山田の台詞は、いちいち私に突き刺さる。
「あ、あのだな。私が、お前の殴られるところを見たくないってのにも理由があって」
「それも僕にとっては関係のない事です。だって、それを聞いたところで僕は殴られも蹴られもしないんですから。それと
も何ですか? 諸星さん、殴ってくれるんですか?」
「……いや、殴れない」
「だったら、これ以上、僕は諸星さんの話を聞く意味はありませんね。悪いですけど、そこをどいてもらえますか。そろそ
ろ足も痛くなってきたし、ソファーでくつろぎたいので」
山田はどこまでも無表情で私の言葉に反論する。
何でこいつはそんな事が平気で言えるんだよ。私がどれだけの覚悟で口を開いてると思ってるんだよ。
恨むぞ銀島。お前の言った事なんて全て嘘っぱちだったじゃねーか。
動悸が激しくなるのを感じる。
だが、私はまだ諦めない。
「おい、山田!」
「もう終わりです。いつまでもここに居られても邪魔ですし、あなたも自宅へ帰って下さいよ諸星さん」
山田のその言葉は、私の心の、最後の防波堤を易々と突破した。
面倒くさい。
諸星さんとの関係はもう自分の中で切り捨てた。
今更、昨日の話などされても、感情は全く揺り動かされない。
「あ、あのだな。私が、お前の殴られるところを見たくないってのにも理由があって」
まだわからないのかな諸星さんは。
「それも僕にとっては関係のない事です。だって、それを聞いたところで僕は殴られも蹴られもしないんですから。それと
も何ですか? 諸星さん、殴ってくれるんですか?」
「……いや、殴れない」
僕が殴られるところを見たくないって言ってるのに、自分で殴れるはずがないよね。そりゃそうさ。
今にも泣き出しそうな顔しちゃって。諸星さんらしくもない。
「だったら、これ以上、僕は諸星さんの話を聞く意味はありませんね。悪いですけど、そこをどいてもらえますか。そろそ
ろ足も痛くなってきたし、ソファーでくつろぎたいので」
もう、諸星さんの方を見る必要もない。僕は諸星さんを背に、自宅の敷地内へと入る。
この調子じゃ、諸星さんはしばらくここで待ち伏せてそうだし、今日は家の中に篭もるしかないかな。本当は駅前へ出
て不良娘にボロ雑巾のように扱われたかったのに。
「おい、山田!」
まだ食い下がるのか諸星さん。いい加減にして欲しい。
「もう終わりです。いつまでもここに居られても邪魔ですし、あなたも自宅へ帰って下さいよ諸星さん」
そう吐き捨て、今度こそ僕は彼女との会話を終わらせようと思った。
が、
「山田ぁ……」
地獄の底から昇ってきたかのような、低い声が背後から聞こえてきた。
思わず身を翻すと、
鬼神の如き表情をその顔に貼り付けた諸星さんが、そこに立っていた。
「邪魔……だと?」
まさしく豹変である。いつの間に、感情が逆転したんだ。
僕の言葉を聞き終えてから数秒も経過してないのに。
諸星さんのここまでの怒りは見た事がない。というか、あんなにまで暴力で生きる諸星さんの怒りという感情を、僕は
まだ一度も目にした事がなかったんじゃないかと思ってしまったぐらいだ。
いつもは笑いながら拳を振り上げる諸星さんが、今は怒りの表情で身を震わせていた。
「元々はお前が私に寄ってきたんだろ…………ひたすらうざいだけで、私のS心をこれっぽっちも満たしやがらねー癖
に」
「も、諸星さん?」
いや、それはもっともだけど。お互いの性癖上、仕方の無い事だと思う。
「そのくせ、あんな言葉をかけやがって。柄にもなく、中学生の言葉なんぞに感動しちまったんだぞ私は!」
言葉? 僕は特に何も言った覚えはないけど。
「諸星さん、何かの間違いじゃないんですか? 僕は諸星さんに感動的な言葉なんて投げかけてませんよ」
「お前は忘れてるかもしれねーが言ったんだよ! 『偽善も善の内』ってな! その一言を思い返すだけで私は救われ
てるんだよ!」
…………思い出せない。
「そんな事言いましたっけ」
「言ったんだよこの野郎! そのせいで私はお前を意識するようになったんだぞ!」
「はぁ……そうなんですか。諸星さんでも他人に興味持つ事あるんですね」
び た り。
瞬間、諸星さんの怒声が止まった。
突然静かになったもんだから、諸星さんも憔悴しきったのかと思った。僕の説得を諦めてもう家にでも帰ろうと心変わ
りしたのかと思った。
でも違った。
「…………んだと」
一歩。
諸星さんが僕に近づく。
「おい、お前は私を何だと思ってたんだ、おい山田」
二歩。
「ふざけた事抜かしてんじゃねーぞ」
三歩。
「返事しろよこら山田ぁああああああっ!!」
四歩。近づき、ついに諸星さんは右手を大きく後方へ振り上げて、
僕の顔面に拳をめり込ませた。
体中に衝撃を感じる。
地面を転がる僕の体は数秒も経たない内に停止した。家の外壁にぶつかったからだ。
徐々に、僕の頬にじんわりじんわりと痛みが広がる。
あぁあああこれだ。これなんだ。これこそが僕の求めていた物。
ついに、僕は諸星さんから痛みを授かった。
黙り込む諸星さんの表情からは怒りが消えている。それに、口を開こうとしない。
諸星さんの事は気になるが、ひとまず、僕は頬に残る痛みを存分に堪能する事にした。
怒りに我を忘れ、つい私は山田を殴ってしまっていた。
その体は後方に吹っ飛び、山田家の外壁にぶち当たる。
聞けば両親共働きとの事だったから、今は家の中には誰もいないはずだが、多少の不安と罪悪感が私の中に生ま
れる。
しかし。
それ以上に私が感じてしまったのは。
気持ち良い。
気持ち良いのだ。山田は嬉しそうな顔をしてるのに。私は苦痛に歪んだ顔が見たくて人を殴ってたはずだろ。ドSはド
Sを殴ってこそなんじゃなかったのか諸星狼子。ドMを殴っても楽しくなんかないはずだったのに。なのに何だこの快感 は。ドSの心を忘れちまったのか私は。いや、それならそもそも快感を感じないはず。だったら何なんだこれ。
「諸星さん、あ、ありがとうございます。やっぱり諸星さんは最高です。こんな力強い痛みは、今までに味わった事があり
ません。凄まじいパワーですね。いやー、感動しました。一発パンチをもらっただけなのに、もう満足できる程ですよ。頬 の痛みが全身に電流のように広がるのを感じます」
手の平を返したように、山田は笑顔でまくし立てる。
それを見て私の快感は一層強まった。
何だ。
…………もしかして、山田だから?
私は山田が殴られるのを見たくなかった。何故か。
他人に殴られて喜ぶ山田を見て、嫉妬したくなかったからなんじゃないのか、私は。
独占欲。
それか。私は山田を独り占めしたくて。だから山田が殴られるのを見てられなかったのか。私とした事が。そんな女み
たいな理由で。
「山田」
「何でしょう諸星さん」
一昨日までのような。私の下僕としての顔で、山田は返事をする。
それが今の私には堪らなく嬉しい。
だから、覚悟を決めて、切り出した。
「えっと、わ、私は、お前が好きなのかもしれない。だから。なんだ。その、殴って欲しい時は私に言え。他の奴になんか
殴られたら駄目だからな」
この言葉はドSとしての言葉なんかじゃない。諸星狼子という一人の女子高生としての言葉だ。
ようやく気付いた。
こいつを殴ったから気持ち良いんじゃない。こいつを殴って、喜んでるこいつを見るのが気持ち良かったんだな。
「えぇ諸星さん。当然じゃないですか。これ以上の事をしてくれる人なんて、他に探しても見つかりませんよ。一度は貴女
の元を離れましたが、やっぱり僕は貴女の奴隷です」
私の足元に跪き、顔を伏せて山田は私の言葉に応える。
うざいだけだった申し出も、今なら喜んで受けよう。山田は私の奴隷だ。
「奴隷は、奴隷らしく私の言う事を聞けよ。私から離れるなよ。浮気すんじゃねーぞ」
「もちろんです諸星さん」
二転三転、ここまで長かった。
山田の一言一言が全て私には嬉しい。心に染み入るのを感じる。
ようやく、ドS諸星狼子とドM山田八乃助は、主従関係を結ぶ事ができたのだ。
私の拳は、こいつを殴るためだけに存在する。
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