抵抗したい。
抵抗したい。
そりゃもう、じたばたと思いっきり足掻きたい。しかしながら、ヴァッシュが実際に取ることができた行動といえば、顔を近けてきた牧師に対して反射的に己の瞼を下ろしたことと、唇をふさがれたかわりに喉奥でくぐもった呻きを漏らしたことだけだった。
「ふ・・・っ、うぅ、ん」
仰向いているせいで、口腔を蹂躙している男のぶんまで唾液が流れ込んできて、むせないようにそれを飲み下すのにいっしょうけんめいになる。
なのにそれを邪魔するみたいに牧師の舌先が、上顎やら歯茎の裏やらあちこちをつつきまわして、飲み込みきれなかったものが口の端から首筋にまで伝っていく。
喉を覆うアンダーシャツの襟がじっとりと湿っていくのが不快だったが、それに意識を向ける余裕は実のところあまりなかった。「んっ、う・・・ふ、は」
抱きあって交わすのではない口付けは、一方的に翻弄されている感が強くて、ついていくのが精一杯だ。
ヴァッシュが体の前で腕を束ねられているから、その分いつものキスより上半身が離れている気がする。
かわりに下肢は深く重なっていて、膝がひどくおもたい。
わずかに身じろぐだけでも、おとな二人分の重量に耐えている椅子がぎしりと喘ぐ。椅子に腰掛けたヴァッシュの膝にどっかり座った状態で、ウルフウッドはヴァッシュを捕らえ、口付けていた。
背がほぼ同じなだけに、牧師が上からのしかかるような体勢になっている。「・・・あんまやんちゃしとると、椅子ぶっこわれてまうかなあ。おどれ、大人しゅうしとれよ?ん?」
すこしだけ唇が解放されて、吐息のかかる距離から牧師がふてぶてしい要求を囁いてくる。
それに反論するより、まず呼吸を整えるのを優先して、ヴァッシュは薄目を開けた。
酸素不足と延々続いたキスのせいでくらくらする頭に、白んだ視界が入ってくる。
目の焦点があわないくらいに近く、意地悪そうに笑っているウルフウッドの顔がある。
苛められて――牧師の言によればお仕置きされて――いるこんな時だというのに、至近距離にあるその顔が男前で、呆けた頭で一瞬ヴァッシュは見蕩れた。
光を強くはじく真っ黒い目が、特にきれいだ。「・・・・・・」
まだ弾む息を深呼吸でおさめながら、ことりとまたヴァッシュは目を閉じた。
瞼を下ろしても、透けた光で閉じた視界はぼんやりと明るい。
汗ばんだ頬に、自分自身の熱とは別に、陽光のあたたかさを感じる。
むしろ、暑さと言ってもいい。
開け放したままの窓からじりじりと差し込んでくる光が頬を焼くのが、こうして目を閉じていても感じとれる。そのあたりでようやく、酸欠状態から回復したヴァッシュの頭が、現状を把握しにかかった。
「・・・・・・っっ!?」
ばっとヴァッシュは目を見開き、おもむろに周りを見回した。
ぶるぶる、と引きつった顔をすばやく振って、周囲を確認する。
その首の動きで、キスを再開しようとしていた牧師にヴァッシュはあやうく頭突きをかますところだったが、文句を言われてもそれを謝る気にはなれなかった。「うぉ・・・、危ない奴やなぁ。大人しゅうしとれて、言うたやろが」
「こっ、これで!!大人しく、して、られるか・・・っ!」
途中まで勢い任せに大きかったヴァッシュの罵声は、けれど途中で再び状況を思い出して、声量が押さえ込まれた。
溢れる憤りは、そのままだったが。ウルフウッドが部屋の窓辺に置いた椅子に、ヴァッシュは座らされ、押さえ込まれていた。
両開きのガラス窓は、牧師がこの部屋に戻って煙草をふかす時に、開け放たれたきりだ。
うす汚れたカーテンは片側に寄せられたまま隅にぶらさがり、窓枠には吸殻の乗った灰皿も置きっぱなしである。その向こうには、青空が見える。
まだ高いお日様も、ふたつ輝いている。
すこし顔を出せば、二階のこの窓から、宿の面した通りが眺め渡せるだろう。
それはつまり、道行く人がこの窓を見上げれば、窓辺の様子を見ることになるという事だ。「離せ。どけ。・・・いや、その、お仕置きはまあ、されてもいいから・・・。頼むから、せめて窓だけは閉めろよぉ・・・!」
ほとんど呻くように、ヴァッシュは最低限の要求をウルフウッドに零した。
通行人が目線を上げればその目に入るような場所で、牧師を膝にのせて、延々キスを交わしていたなんて。
そりゃあ、何をされるかという怯えに意識を奪われていた自分が不注意だったし、唇をふさがれてからはキスを受け止めるのが一生懸命だったが、これは余りにも時と場所が――ことに場所が悪い。
悪すぎる。
ここの前の町で例によって騒ぎに巻き込まれ、ヴァッシュの素性がバレて逃げるように砂漠に出たせいで、この町に着いたときにヴァッシュは牧師から散々注意――というかお説教をくらった。
曰く、騒ぎに首を突っ込むな、目立つな、大人しくしていろ。
一々ごもっともではあったのだが、余りに保護者然と言われたものだから、ヴァッシュとしてもついつい反抗心が頭をもたげた。
ずうっと年下のくせに、ウルフウッドは時々ヴァッシュをクソガキ呼ばわりして、道理をわきまえていない子供のように扱う。
くどくどと重ねて言い聞かされて、平和主義のヴァッシュもさすがに少々むっときた。
判ってる、しつこい、と言い捨てて、ヴァッシュはひとりで部屋を出たのだ。
――騒動のタネにヴァッシュがつい自分から介入して、あげく銃を持ち出しての展開になる寸前に、苦りきった顔の牧師がヴァッシュを彼の背におしとどめたのは、部屋を出て一時間後のことだった。牧師がタイミングよく割ってきたのは、偶然通りかかったとかではきっとなく、騒ぎをいち早く嗅ぎつけて急いで駆けつけてくれたのだろう。
ヴァッシュに、余計騒ぎがでかくなるから手出しするなと言い捨てて、ウルフウッドはその騒ぎを力技とハッタリと脅しでおさめた。
男の厳しい背中に止められたヴァッシュを、回りは連れの後ろに逃げ込んだ臆病者の優男と見たようで、トレードマークの赤いコートと髪形にもかかわらず、人間台風とはバレずにすんだ。
おかげで今回は、補給も済まないうちに町を逃げ出す羽目にはならないようだ。
怪我人もほとんど出なかったし、回りにそんな風に思われることは、ヴァッシュにとって何でもない。
だから――五十歩譲ってお仕置きは、暴言を吐いた上に迷惑をかけた己をかえりみて、受けてもいい。
悪かったとは、ヴァッシュだとて思っているのだし、ウルフウッドが苛立つのも、もっともなのだろう。
日の高いうちからというのは厭だが、明るい視界の中で行為を交わすのは、滅多にないが初めてという訳でもないから、百歩譲ってこれも甘んじよう。しかし、景気良く開いた窓辺で不埒な真似をされるなんてのは、いくらなんでもヴァッシュの許容範囲を超えている。
「うぅ・・・」
半泣きで身じろぎ、すこしでも窓辺から遠ざかろうとするヴァッシュの努力も空しく、どんと膝に重石をのせられた体は動かない。
重量過多を訴えて、椅子がぎしぎしと今にも壊れそうに鳴くばかりだ。「厭なん?」
ヴァッシュの膝に平然と乗っかった重石、もとい長身と鍛えた体にふさわしく重量のある男が、泣きべそをかいたヴァッシュの顔をのぞきこみ、言わずもがなの問いをかけてくる。
「お、おまえな・・・、っ!」
当然だろうと即座に怒鳴り返そうとして、このやりとりへの既視感に、ヴァッシュは喉奥にその罵声を引っ込めた。
そして、ヴァッシュの視線の先で、ウルフウッドはやっぱり苛めっ子の笑みを唇に乗せた。
「そうでないと、なあ」
そしてその唇がヴァッシュの耳朶に寄せられ、低く言葉を紡ぐ。
響きのいい、睦言みたいに優しい口調のそれは、しかしいたぶり以外の何物でもなく、ヴァッシュの背を震わせた。「あんま、大声出したらあかんで?何しとんやろて思うて、誰ぞこの窓見るかもしれへんで?――したら、えらいこっちゃなあ。おどれがお仕置きされて、苛められて、やぁらしい顔しとるん、見られてまうなあ」
ぺろりと、濡れた温かい感触が、ピアスを付けたヴァッシュの耳朶を舐め、ゆるく噛んだ。
かちんと、金属が軋む音がする。「・・・ああ、せやけど、声だけでも判ってまうかもな。おどれが、なにされとるんか」
ウルフウッドの揶揄に、ヴァッシュはできるかぎり顔をうつむけ、歯を食いしばって声をこらえた。
そんなことになったらと想像するだけで、羞恥で頭の中が真っ赤になる。
酔っ払ったみたいに、身体の自由がきかなくなる。
ウルフウッドの身体が膝の上から下りても、動けない。
牧師の不埒な手がコートのスリットを分け入って、嬲るようにゆっくりと、ヴァッシュのズボンを下着ごと引きずり下ろす。
それでも、ヴァッシュは唇を噛んで、声を出さずに耐えた。唇から溢れず身内にとどまったのは、悲鳴か罵声かそれとも嬌声かは、ヴァッシュ自身にも判らなかった。